LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

AVEC ORNELLA

2007-09-29 | THE BRILLIANT PHOTOS
前回ご紹介のJOURS DE FRANCE誌より、
『チェイサー』撮影中のアラン・ドロンさんと
共演のオルネラ・ムーティとのスナップ写真です。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JOURS DE FRANCE

2007-09-27 | THE MAGAZINES
JOURS DE FRANCE誌 1977年7月23日号 の表紙の写真です。

これは『チェイサー』撮影中のアラン・ドロンさんと
共演のオルネラ・ムーティーとのスナップ写真です。
記事の中では彼女のインタビューが掲載されており、
彼女の映画に対する思いや当時3歳になる娘のことなどが書かれています。

ドロンさんに関しては
“ドロンさんからの指名を受けて私はこの作品に抜擢されました。”
“彼は私の友人であり、支援者であり、相談相手です。”
と語っています。

そしてインタビューに答えながら彼女がドロンさんからもらった
禁煙の薬の箱を開ける様子もさりげなく書かれています。

『チェイサー』の共演後も『スワンの恋』『LE LION』で二人は共に仕事をしていることから
彼女はドロンさんと相性の良い女優であったことは確かなようです。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ALAIN DELON & SMAP

2007-09-21 | THE INFORMATIONS
アラン・ドロンさんのスマスマ出演情報をADID社様より頂戴しましたので、
このブログをご覧の皆様にそのままご紹介いたします。

------------------------------------------------------------

A.ドロン氏&SMAPXSMAPTV放映日は
10月8日 PM 9:00~11:00 と決定されました。

尚、9月24日(月)には以下の6紙に記事が掲載されることとなります。
日刊スポーツ
スポーツニッポン
デイリースポーツ
スポーツ報知
東中スポーツ
サンケイスポーツ

又、9月24日(月)放送
めざましテレビ 5:25~8:00放送の内
5:55~
6:25前後頃から
7:25前後頃から
情報コーナーがございまして、そのいずれか、あるいは全てにおいて
アラン・ドロン氏ご出演の様子がご紹介されます。

又、9月26日(水)発売の
TVガイド
週刊ザテレビジョン
TV LIFE
TVぴあ
TV station
 などにアラン・ドロン氏出演の情報が出ることとなります。

--------------------------------------------------------------

ということです。
収録は和気あいあいの雰囲気で執り行われたとのことで、
どうやらドロンさんが激怒するようなことはなかったようでほっとしました。

皆様どうぞお楽しみに!!
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラン・ドロンの映画吹替史 (8) 1979年

2007-09-20 | THE DUBBING ARTISTS
自称吹替評論家様からご提供いただいたデータより、
今回は1979年のオンエアーの記録です。

この年は日本テレビの水曜ロードショーで
第2回目のアラン・ドロン特集が放映されました。
そのラインナップは以下の通りです。

2月14日  お嬢さん、お手やわらかに!
2月21日  冒険者たち
2月28日  仁義
3月 7日  燃えつきた納屋

--------------------------------------------

アラン・ドロンの映画吹替史60
1979年3月7日<日本テレビ>
「燃えつきた納屋」
アラン・ドロン(久富惟晴)
シモーヌ・シニョレ(荒木道子)

アラン・ドロンの映画吹替史61
1979年6月3日<テレビ朝日>
「フリック・ストーリー」
アラン・ドロン(野沢那智)
ジャン・ルイ・トランティニヤン(西沢利明)
クローディヌ・オージュ(吉田理保子)
マルコ・ベラン(大木民夫)
ドニ・マニュエル(仲村秀生)

アラン・ドロンの映画吹替史62
1979年9月2日<テレビ朝日>
「友よ静かに死ね」
アラン・ドロン(野沢那智)
ニコール・カルファン(藤田淑子)
アダルベルト・マリア・メルリ(羽佐間道夫)
ローラン・ベルタン(村越伊知郎)
モーリス・バリエ(飯塚昭三)

アラン・ドロンの映画吹替史63
1979年12月23日<テレビ朝日>
「愛人関係」
アラン・ドロン(横内正)
ミレーユ・ダルク(北浜晴子)
クロード・ブラッスール(羽佐間道夫)
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『LE JOUR ET LA NUIT』

2007-09-14 | THE SOUNDTRACKS
アラン・ドロンさんの1996年主演作品で日本未公開作
LE JOUR ET LA NUITのサントラ盤です。

音楽を担当しているのは巨匠モーリス・ジャールで、
ドロンさんの作品では『素晴らしき恋人たち』『パリは燃えているか?』『レッド・サン』に次いでの
4作品目となります。

上記2作品のスペクタクルな仕上りとは異なり、
ジャールの代表作品である『ドクトル・ジバゴ』にも似た作風が展開されるこのアルバムは
映画の舞台であるメキシコの民族音楽も絡めながら
波の上を船で漂っているかのような夢幻のムードを併せ持ったものになっています。

もともとフランス人であるジャールは60年代からハリウッド映画の作品を数多く手がけており
フランス映画を担当するのはこの作品が数十年ぶりになったようですが、
監督であるベルナール・アンリ・レヴィからの要請によるものと思われます。

いずれにしても作品の出来上がりが芳しいものではなかったとしても
音楽が超一流であることはドロンさんの作品群の大きな特徴です。

ジャケットのデザインもなかなか優れたものになっています。
Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アラン・ドロン・ファンの集い 2007』 開催のお知らせ

2007-09-12 | THE INFORMATIONS
本年も開催が決定致しましたのでお知らせします。

ちょうどドロンさんの来日ニュースも飛び込んできたばかりですが、
ドロンさんの近況についてのお話など
中身の濃い会合にできればと考えております。

-----------------------------------------------

今回の画像はフランスのVIDEO7誌でのドロンさん特集記事から
トップページのものですが、
右下にドロンさん出演映画の題名をうまく組み合わせた巻頭文が書かれています。
少し見にくいので、以下にそのまま書き写します。

Notre histoire est le passage d'un homme presse sur l'echiquier de Dieu.
Face aux carambolages, ce battant applique le traitement de choc.
Guepard de la race des seigneurs, il eclipse en beaute les filines
qui se contentent de jouer Zorro dans un cercle rouge.
Pour une tulipe noire en plein soleil, il est pret a defier tous les samourais.
On l'appelle l'insoumis.
On encore Delon.E.V.
Comments (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドロンさん来日!!

2007-09-10 | THE INFORMATIONS
アラン・ドロンさんが、
スマスマのビストロ・スマップにご出演されます。
(放映日は10月8日の2時間半スペシャルとのことです。)

恐らく招待されているテレビ局側への配慮からか、
今回の来日はこの番組への出演のためだけとのことですので、
とんぼ返りの来日になることでしょう。
残念ですがこれはこれでドロンさんらしいサプライズな行動です。

今から放映日が待ち遠しいですね。

Yahoo!ニュース - デイリースポーツ - スマスマにアラン・ドロン出演へ
Comments (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FROM MY NEW SCRAP BOOK (41)

2007-09-08 | THE BRILLIANT PHOTOS
1973年キャリア絶頂の頃に撮られた
アラン・ドロンさんのスナップ写真です。

アシェット・コレクションズより。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PARIS MATCH (40)-3

2007-09-07 | INTERVIEW
アラン・ドロンさんのパリマッチ誌での最新インタビューの最終回です。

-----------------------------------------------------------

アラン・ファビアンは私に似てとても感受性が強い子だ。
一方の姉のアヌーシュカは母親に似て私にはわかりづらい性格だ。
感受性が強いというのは弱弱しいということではない。
彼は俳優になりたがっているので、そのことは彼の才能にプラスに作用するであろう。
私はそのことをうれしく思っている。
彼は普通の人たちよりも幸福になるであろうが、
一方で普通の人たちよりも苦しむことにもなるであろう。

(ロザリーに対して)
時が経てば彼女への不満の気持ちは消えていくであろう。
しかし後悔の念は消えることはない。
一夜にして全てが崩壊してしまった。
もし彼女がもういちどやり直したいと言ってきたとしてもフラストレーションを感じるだけだと思う。
あのドゥーシーでの幸せな日々はもう二度と戻っては来ないのだから。
きっとやり直そうとしても違ったものになってしまうであろう。

(2005年のインタビューで新しいパートナーがいてほしいと述べたことについて)
私はもう一度出逢いの瞬間というものを待ち続けている。
いくつかの試みはあったがいつも不可能の領域に踏み込むだけだった。
人生はうまくいかないものさ。
これはと思う女性は結婚していたりパートナーがいたりするのだからね。
私自身が臆病になっているのも事実だ。
人々は私は一緒には暮らしにくい人間だと言うし・・・

(アヌーシュカとアラン・ファビアンは新しいパートナーに反抗するか?)
アヌーシュカは夢に見ている。彼女は私が孤独でいることを好んではいないようだ。
しかし私は彼女が私がパートナーの女性と寝ているベッドにやってきて
目覚まし時計を鳴らして起こしにくる姿なんて想像することはできないな。

(年齢を重ねていってもあなたのように魅力的でいられる秘訣は?)
私は年齢のことは考えないようにしている。
全ては自分の心がけ次第でどうにでもなると思っているから。
スポーツをすることはやめたし、タバコも吸わない。
これまでの人生でドラッグやアルコールにおぼれた事もない。
つまり私の健康は私を生んでくれた母親のおかげなんだろう。
ドロン家の血筋さ。

(モーリシャスでずっと世話をしているキジバトの雛について)
ドゥーシーで3年間、私は肩の上にスズメのPee-Weeを乗せて暮らしていた。
この小さなスズメがいなくなったときはとても悲しんだものさ。
歴史は繰り返そうとしている。
この小さなハトは毎朝私の用意した餌を食べにやってくる。
きっとここを離れるとき私はとても悲しくなるだろうな。

(帰国後は香港のジョニー・トー監督のスリラー映画の撮影に入るのか?)
このプロジェクトはまだ進んではいない。
シーズン後半は私は来年1月に公開される映画「アステリクス」シリーズの
新作のプロモーション活動に携わる予定だ。
この作品は本当に映画界の一大イベントになるだろう。
この冬は静かに過ごしていたいが、いくつかの企画は上がってきている。
でも何も確かなものは今のところはない状態だ。

ジャン・クロード・ブリアリの死は私にとっては受け入れ難い出来事であったし、
これからも恐らく受け入れることはないであろう。
だがブリアリの死と同時にベルモンドが映画に復帰することになった。
きっとこのことがきっかけになったのだろう。
私にとってこれほど嬉しいことはないよ。
Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PARIS MATCH (40)-2

2007-09-03 | INTERVIEW
WOWOWで11月に『アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ』が日本初放映されます。
WOWOW今後の放送予定
12月にはこのDVDBOXセットも発売されるようです。大変楽しみです。

さて今回はアラン・ドロンさんのインタビューからの抜粋の第2回目です。

(私の翻訳力では原文にわかりにくい箇所がたくさんありまして、
皆様には大変申し訳ないのですが、かなり端折っております。
間違いなどありましたらご指摘下さい。)

------------------------------------------------

弟のアラン・ファビアンは『シシリアン』『ゾロ』『黒いチューリップ』を6回も見ている。
先週の火曜日には『仁義』をテレビで初めて観たようだ。

アヌーシュカは『LE LION』で私と共演しているが、
この作品がどれだけ偉大な作品であるか彼女はまだ理解していない。
あれはとても大事な作品なんだ。
なぜならいつか私がいなくなってしまっても、
彼女はケニアの大地に佇む父親の姿を観ることができるからだ。
そしてそのとき彼女の胸に真の父親の姿を永遠に焼き付けることができるだろう。

いつか私は自分の人生について、思い出についての全てを
彼らのために本に書き残そうと思っている。
そうすれば彼らは自分の父親がどんな人間であったかを理解することができるだろう。

アヌーシュカはあと数ヶ月で17歳になる。
私はどうやって彼女の気持ちを繋ぎとめておくことができるだろうかと
自分のことが不安に思えてくる。

アヌーシュカは私の情熱そのものだ。
彼女の弟ももちろんそうなのだが、彼は息子だから全然違うんだ。

シャルル・アズナブールがそんな私の娘に対する想いを詩に書いてくれた。
その詩のタイトルは

「私の娘へ」
“いつかその日が来ることは知っている。
もしも娘が幸せになれるのであれば
私は心から娘の手を彼に握らせてあげよう。
なぜなら私は娘を愛しているから”

そのときが来たらいったい私はどうすればいいいんだろう。
彼女は私の娘だ。避けて通ることはできない。

彼女は私よりもはるかに強い。彼女は好きなように私をだますことができる。
彼女は一瞬にして私を不愉快にしたと思ったら今度は喜ばせたりしてくれる。

俳優の仕事というのは世界中で最も美しいものだと私は思っている。
この仕事こそが私に全てのもを与えてくれたのであり、
彼らを授かることにもなったのだ。
なので彼ら二人がその職業を選択することを私も奨励している。
私は血統というものが好きなんだ。
どちらもお互いにドロン家の人間ということさ。

今年アヌーシュカとカンヌのレッドカーペットを歩いたことは
私の人生の中で最も大きな出来事であった。
カメラマンたちの前で微笑んでポーズをとる娘の姿は
まるで彼女が何かを成し遂げたかのようだった。
私は文字通り魅了された。
彼女の初めての大衆へのお披露目は大成功だったよ!

---------------------------------------------------

長くなりましたので次回に続きます。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PARIS MATCH (40)-1

2007-09-01 | INTERVIEW
PARIS MATCHパリマッチ誌最新号より

ドロンさんと二人の子供たちが過ごしたバカンスの写真が
彼のインタビューを交えて特集されています。

インタビュー前半のドロンさんの言葉の抜粋をご紹介します。

---------------------------------------------------------

今回モーリシャスに子供たちと来たのは3回目さ。
この地は私たちのパラダイスではあるが、
最も大事なことは場所がどこかではなく、
3週間を3人だけで過ごせると言うことなんだ。
子供たちは私に力とエネルギーを与えてくれるよ。

7月に子供たちは彼らの母親とオランダとイビザで過ごした。
8月は私とモーリシャスへ行く番だ。
5月に『マディソン郡の橋』の公演がジュネーブで終わって以来、
私はこのときを待ちに待っていたんだ。
彼らを初めてここに連れてきたのはアヌーシュカが5歳、弟が4歳だった。
彼らが成長していくのを見て観察することほど楽しいことはない。

ドゥーシーはこことはまた違うパラダイスだ。
子供たちの母親は、そこのことを「基地」と名づけた。
今でもそこで生まれ育った彼らはそう呼んでいる。
ドゥーシーで犬に囲まれている当時4歳だった娘や息子、母と私の姿は
今でも永遠に心の中に残っている最も美しいイメージだ。

時々彼らにいつかはあの土地を売ってしまうよと言ってるんだ。
「だってあまりにも広すぎて、私がいなくなったら、
お前たちにはとてもじゃないが管理することはできない。」
すると息子は、そんなことは問題じゃない、ちゃんと管理できる、って言うんだ。
彼はどれだけあの場所に魅せられてきたかを話すんだ。
私の飼っていた35匹の犬の墓のあるあの場所を。
この夏、そのうちの1匹が去ったとき、彼らはとても悲しんだんだ。
まるで自分たちの兄弟が亡くなったようにね。

このモーリシャスでは私たちは海から10メートルのところにある
プライベートヴィラに滞在してる。
テラスで私が作った朝食を食べようと毎朝早く起きるよう言うんだが、
娘はどうしても朝寝坊したがるんだ。

休日だから彼らは自分たちのやりたいことを自由にやってはいるが
お互いに支配されることはいやなようだ。
彼らは他の家庭の子供たちと同じように過ごして、
友達になって互いに電話番号を交換し合ったりしている。

彼らが私の人生にやってきてくれて私の人生は10年若返ったようだ。
私のように50歳を過ぎてから子供を授かった親は
若さやヴァイタリティが若いときのまま維持されるんじゃないかな。
今でも忘れられないのは、数年前のある日、
彼女を迎えに学校の門の前に行った時の事だ。
「パパは私の友達のお父さんたちよりもずっと若く見えるわ」
って言ってくれたんだ。こんなに嬉しいことはなかったさ。

子供たちの視線で自分の姿を見たとき、
肉体的に衰えて、老人のようになっていくことなんて考えられない。
現実には私は彼らの祖父の年代だ。
アントニーはもう43歳なんだから。

ティーンエイジャーと一緒にいて彼らを理解することはとても難しい。
彼らは違う世界に住んでいる生き物のようだ。
仕方なく私は彼らの言葉を理解しようと努めているのさ。
28歳のときにアントニーが生まれたとき、
私は自分のために映画の撮影ばかりやっていてこんな余裕はなかった。
今の私はこれ以上自分のキャリアを積み上げることにはもう関心はない。
私の時間はこの二人の子供たちのためだけにあるのさ。
アントニーに対してと、アヌーシュカとアラン・ファビアンに対するのとは
私の見方が違っているのは事実だ。
彼らは私が誰かは知っている。
しかし彼らは自分たちの父親がどんな仕事をしてきたか
まだはっきりとは理解していないんだ。

--------------------------------------------------

後半に続きます。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MLIF OTOHP

2007-09-01 | THE MAGAZINES
正解は左右反転でした。
ジュリアン様の仰る裏焼きも同じ意味かもしれません。

最初に見た時は気づかなかったのですが、
ドロンさんの左手にブレスレッドがあり、
当時の髪の毛の分け目も反対であることを発見しました。

もったいぶるほどのこともなかったかもしれません。
皆様失礼しました。
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする