LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

Doggy (1)

2008-07-29 | INTERVIEW

アラン・ドロンさんの最新のインタビューが掲載されている
今年創刊されたフランスのペット専門雑誌"Doggy"誌です。
ドロンさんはこの最新のインタビューの中で犬に対する思いを熱く語っています。

今回から数回に亘ってこのインタビューの翻訳文をお届けします。
まずは取材を担当した同誌の記者Eric Romain氏の冒頭の文章です。
ドロンさんの人柄について私も共感する部分が多々ありました。

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「アラン・ドロン ドゥーシー、そこは彼と犬たちの楽園」

アラン・ドロンが犬のことを大好きであることは私はいつも知っていた。

アラン・ドロン、彼は私たちの時代と共に生きる最後の映画スターである。
彼はインドシナ戦争に海兵隊として従軍して帰国した後、
22歳で映画スターとしてのキャリアをスタートした。
彼は今や生きる伝説の人である、
だが同時に他人からは迷惑がられる性質をも兼ね備えている。
なぜなら彼は常人とは違うからだ。

ある朝、私は彼に手紙を書いた。
直観的に彼はイエスと言ってくれるだろうと私は思っていた。
数日後、彼の魅力的な秘書であるローレンスから電話があり、
彼がインタビューに応じDoggy誌の表紙を飾ることにOKを出したことを告げてくれた。

初対面の私に対して彼はとても明るく親切で思いやりのある人物であった。
さらに彼は話しをすることが好きで、知的で感受性の強い人物でもあった。
私たちは夕方5時の予定時間通りに会い、共にコーヒーを飲みながら、
そしてお互いに笑いながら、写真撮影の準備を整えてインタビューは開始された。

彼に対してどんな質問をするべきかといった心配は無用であった。
彼は私の質問に対して、決して紋切り型ではなく、率直に回答を述べ、
常に細かいことにまで気を配るその姿は紛れもなく偉大な人物であった。

このインタビューを読むことで皆様は知ることができるでしょう。
彼の慣れ親しんだ家のあるドゥーシーがどんな場所か、
彼に従う犬たちへの情熱がどれほどのものかを。

さらに彼は私にこんなことを教えてくれた。
彼にとって幸運をもたらす数字は「3」なのだと。
正にアラン・ドロンはDoggy誌の創刊第3号の登場となったのだ。

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AVEC ROMY (5)

2008-07-27 | AVEC ROMY
『太陽が知っている』撮影現場近くの空港に降り立った
ロミー・シュナイダーを迎えたアラン・ドロンさんのスナップ写真です。

仏雑誌"STAR STORY No,3 ROMY aurait eu 70 ans en septembre..."
より。
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La Piscine Version anglaise inedite du film (2)

2008-07-26 | TRIVIA

『太陽が知っている』未公開英語バージョンの続きです。
(今回も添付画像の左側が英語盤、右側が従来のフランス語盤です。)

映画の後半はロケ現場の自然の影響による映像の違いが散見されます。
添付画像にありますように、プールサイドに鳩がいるショットといないショット、
ロミーのそばにあるロウソクの炎が夜風によって1本消えていたり、
ラスト・シーン間近では風が強く吹いて二人の髪の毛が乱れています。

プールでモーリス・ロネが沈められた後に浮かんでくる描写がワン・カット追加されているのは
彼の息が続かなかったからでしょうか。

またロネが亡くなった後、現場のプールサイドにたたずむ
ドロンさんの立ち位置が木の立っているそばになっていること。
さらに母親の元に帰ることになったジェーン・バーキンを飛行場まで見送る場面で、
彼女に語りかけるロミーのバックに車があること、
などの違いも見られました。

こうやっていろいろと相違点を探すのは楽しい作業でしたが、
従来のフランス語盤との違いを総括してみますと、
①アラン・ドロンさんとロミーとのラブ・シーンの時間がやや長いこと。
②モーリス・ロネのキャラクターがより憎まれ役として強調されていること。
③モーリス・ロネが寝床にいるロミーに朝食を運ぶシーンがないこと。
④異なるラスト・シーンが追加されていること。
などが上げられます。
これら微妙な相違点は英語圏の観客の嗜好を考慮に入れたものなのかもしれません。
Comments (3)
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La Piscine Version anglaise inedite du film (1)

2008-07-24 | TRIVIA

以前ご紹介したLA PISCINE Edition PrestigeのDVDの中で
2枚目のDVDには英語の「吹き替え」が収録されている、と記述しましたが、
これは私の間違いでした。

何とこの英語盤は完全なリテイク・バージョンで
全てのシーンで俳優たちが英語でしゃべりなおしています。
しかも映像の構図やカット割りまで、1シーンを除いて全てのシーンが
私たちがこれまで観てきたフランス語盤通り忠実に再現されているのです。

これには本当に驚かされました。
と同時に60年代の私の知らないアラン・ドロンさんとロミーの映像が見れて感激です。

今回から2回に分けてこの英語未公開バージョンをご紹介します。
添付画像は左側が「英語盤」、右側がその同じシーンの従来の「フランス語盤」です。

まずは映画冒頭のドロンさんとロミーのプールサイドでのラブ・シーン。
これは英語盤の方が時間が長く、じっくりと見せています。
そのあとモーリス・ロネからの電話を受けて喜ぶロミーの後ろでたたずむ
ドロンさんの腕の位置が後ろに組まれているのがわかります。
(後からわかるようにあえてドロンさんはこういう姿勢をとったのでしょうか?)

やってきたロネのスポーツ・カーをドロンさんが運転するのを捉えた空撮のシーンでは
道路のカーブの形は同じではあるものの明らかにその場所が違っています。
また車内で運転中のドロンさんは満足げに笑顔をロネに向け、ロネもそれに笑顔で応えますが、
フランス語盤ではこのようなやりとりは一切ありません。

邸のバルコニーでドロンさんとロミーにジェーン・バーキンが二人の馴れ初めを尋ねる場面、
最後にバーキンに向けるドロンさんの顔の角度が英語盤では異なっています。

その後ロネが友人たちを邸に連れてきてパーティーが開かれ、
参加者たちが踊る中をドロンさんが一人邸の外に出ようとする場面では、
バックで踊っているオレンジ色のシャツの人がフランス盤にはいません。

パーティーの翌朝、ベッドで寝ていたドロンさんをロミーが起こし、
昨夜の行動について二人が話し合う場面では、
英語盤とフランス盤ではシーツのくるまり具合が異なっています。

他にもまだまだありますが次回に続きます。
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AVEC ROMY (4)

2008-07-24 | AVEC ROMY
『太陽が知っている』撮影現場での
アラン・ドロンさんとロミー・シュナイダーのスナップ写真です。
二人とも素晴らしく輝いています。

仏雑誌"STAR STORY No,3 ROMY aurait eu 70 ans en septembre..."
より。
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『LA PISCINE』(2)

2008-07-23 | THE SOUNDTRACKS

ライナー・ノーツ後半をご紹介します。

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クリスチャンヌ・ルグラン、ミッシェル・ルグランとステファン・グラッペリのトリオによる
胸を張り裂くような悲しく抒情的な曲“Des Souvenirs En Regrets”、
即興のコーラス演奏が挿入される“Blues Pour Romy”、
犯罪に手を染めたカップルの曲“Suspicion”、この曲の最初の4音階は
すでに『おもいでの夏』の中でその輪郭が描写されていた。

また『太陽が知っている』ではロスで録音された2曲のファッショナブルな曲にも注目すべきである。
その2曲、"Run,Brother Rabbit,Run "と“Ask Yourself Why”は、
歌詞をアラン&マリリン・バーグマン夫妻が執筆しており、
彼らとミッシェル・ルグランとは『華麗なる賭け』の主題歌で実りある関係を築いていた。

映画にほとんどの曲が採用されなかった代償として、
いくつかの曲たちが映画から解き放たれ、独立した形で今も生き続けている。
ミッシェル・ルグランがフィリップス・レーベルでボーカル・アルバムを録音したときに、
作詞家のEddy Marnayが“Ask Yourself Why”にフランス語の歌詞をつけ(“OU BIEN QUOI”と改題されている。)、
ポップ・ナンバーの“Dans La Soiree(Les Baladins Du Siecle D'aujourd'hui)”にも歌詞を追加している。

しかしながらこの映画の最大の成功はメイン・タイトルであった。
バーグマン夫妻の魔法のペンにより歌詞が付けられ“One at a Time”となったこの曲は、
リナ・ホーンやジャック・ジョーンズ、シャーリー・ホーンなどのボーカリストたちにカバーされ続けた。
ルグランの音楽にあまり詳しくない人たちでも彼のレパートリーの中でこの曲を知っている人は多いが、
『太陽が知っている』のテーマ曲がもともとの発祥であることを知る人はほとんどいない。

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前回ご紹介したライナー・ノーツよりも前段の部分で、
ジャック・ドレー監督は脚本の執筆段階からこの作品の音楽には
当時まだ一面識もなかったルグランに音楽を担当してもらうことを
すでに想定していた、と書かれていました。
それだけ期待の膨らんだルグランの音楽にパリのスタジオで接した時の
ドレー監督の落胆というものはいかばかりのものであったかと想像に難くないのですが、
出来上がった映画を観てこのサントラCDを聴いてみますとやはり違和感があります。
このCDはルグラン先生が映画を観て感じた彼の個人的なインスピレーションを感じるものだ、
と割り切って聴くのが正しい聞き方なのかもしれません。

ライナー・ノーツ後半に記載されていた各曲のカバーが聞けるアルバム・ジャケットを
添付の画像にご紹介しています。
個人的には右下のルグランのアルバム“Michel Plays Legrand”の中に収録されていて、
アルトゥーロ・サンドバルの静かなトランペット・ソロが展開される
“One at a Time”の演奏がお洒落なカバーとして気に入っています。

なお今回の『太陽が知っている』世界初CD化に際しては、
日本におけるルグラン研究の第一人者である濱田高志氏のご協力もあったようで、
添付画像の見開きジャケットの「協力者」たちの名前の中に彼の名前が見られます。
以下のサイトにご本人の興味深いコメントが書かれています。
          ↓
http://loveshop-record.com/readymade/essay/hamada_takayuki_2.html
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『LA PISCINE』(1)

2008-07-22 | THE SOUNDTRACKS

皆様お久しぶりです。
そして暑中お見舞い申し上げます。
このような熱い日々にはぴったりの映画『太陽が知っている』のサントラ盤が
6月にフランスのユニバーサル・レーベルで発売されました。
これまで公開当時に日本でLPが発売されたのみという幻の作品であった本作が
CDとして世界初のリリースとなったわけですが、
今回から2回に分けてこの作品について取り上げたいと思います。
今回はまずこのCDのライナー・ノーツから本作に関する部分の前半をご紹介していきます。

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1968年、ミッシェル・ルグランは妻と子供たちとともにカリフォルニアの陽光の下にいた。
彼は新鮮な仕事を求めていたのだ。
当時もう衰退期に入りつつあったヌーヴェヴァーグの数々の映画で彼は実績を積み、
さらにはジャック・ドゥミー監督の「ロシュフォールの恋人たち」で華々しい成功を収め、
いよいよハリウッド進出というリスクに挑んでいたのであった。
だが新天地での成功にはそう時間はかからなかった。
ノーマン・ジュイスン監督の高度に洗練されたスリラー『華麗なる賭け』の偉業により
ミシェル・ルグランは初のアカデミー賞を受賞していたのだった。

ジャック・ドレー監督が『太陽が知っている』の音楽を依頼しにロスまでやってきたとき、
ミッシェル・ルグランはこのチャンスを大いに喜んだ。
それは彼がアメリカに旅立ってから初めてのフランス映画からのオファーであったからだ。
「この作品に対する私の記憶は非常に詳細であると同時にあいまいでもある。」
作曲家はこう笑って答える。
「私はロスで脚本を読み終えて、すぐにフランスへ飛んだよ。
行った場所はサントロぺの近くのラマチュールで、そこで映画のロケ撮影が行われていたんだ。
そして撮影が終わったばかりのフィルムを見て私はとても魅了された。
閉ざされた扉の奥で展開されていく現代の悲劇、邸のそばにはプールがあり、
感情のはざまで狂おしく錯綜する4つのポーンの間で繰り広げられる人生のチェス・ゲームが展開されていた。
アラン・ドロンとモーリス・ロネが演じる主人公たちの間には
昔の遺恨を表面上は隠しながら次第に競争心が増大していくのだ。

「私は私自身と姉のクリスチャンヌの二人の声を使ったメイン・テーマを作曲した。
それはまるでドロンとロミー・シュナイダーという、
痛ましい破たんした二人のカップルを声で表現したようなものであった。
私たち二人のコーラスは永遠の荘重さを幅広く表現し、また宗教的な荘厳さも同時に併せ持っている。
さらには不快感をも生み出し、無言の温かく包みこむような感情を表そうとする音楽だ。
メイン・タイトルは正に静けさと官能のテーマである。
そのあとコーラスの調子はわずかに悪くなり、ハーモニーは曇り、不調和が表面に現れる。
私の興味は火山が今にも噴火しようとし、すべてを流してしまうのを表現することだった。」

一部をフランスで、一部をアメリカで書き上げられた『太陽が知っている』のスコアであるが、
1968年12月にパリのDavout Studioでまず録音された。
コーラス隊と何人かの高度な技術を持ったソロイストたち(バイオリンのステファン・グラッペリ、
オルガンのエディー・ルイス、ピアニストのモーリス・ヴァンデールなど)が結集され、
作曲家自身が組み立てたメカノのおもちゃのような魅力的なオーケストラを
ジャック・ドレー監督が初めて目にしたとき、
彼の頭の中に生まれた疑念は、すぐさま心配事へと変わっていった。
「ドレーはセッションの間、文字通り自分の立場を失っていた。」
ミッシェル・ルグランは思い起こした。
「彼がスタジオで耳にしたものは彼を驚かせた。
曲そのものに対してではなく、むしろ曲の扱い方に対してであった。
彼は繰り返し私に聞いてきた。
“なぜコーラスを使うんだ?どこからこんな発想が出てきたんだ?”ってね。
私は彼を説き伏せようとした。そして説明したんだ。
撮影が終わったシーンに後から付ける音楽は
どんなものだって明らかにリアルなものにはなりえないんだってね。」
さらに私はこう言った。
「ジャンヌ・モローが『死刑台のエレベーター』の中で歩くシーンに
マイルス・デイヴィスのトランペットの音が聞こえてくるだろう?
でもスクリーンの上でジャンヌの隣に彼はいないじゃないか。」
だがこの言葉にもドレーの心に大きな変化は起こらなかった。
ジャック・ドレーはこう考えた。
この音楽が導く方向性はあまりにも過激(急進的)であり、
彼自身の映画に対する考えや美学からはあまりにも極端すぎるものであると。
とにかくドレーは豊富な抒情的なセンスを併せ持つ映画作家ではなかった。
むしろ彼は鋭くて厳しくて、かつ氷のように冷たい
『太陽が知っている』のような主題の映画に完全に適する作家であった。

「彼は静かで常に慎み深い男であった。そして彼が感情を表に出すところを私は見たことがなかった。
私について言えば、彼の作った映画のシーンからはあまりに遠くに反抗してしまっていた。
私は高く飛んで行ってしまっていたんだ。」

ミッシェル・ルグランは一部彼のオーケストレーションの規模を縮小し、
スタジオに戻って、今度はコンボ演奏に編成し直した。
この変化にも拘らず、ジャック・ドレーは音楽と映像をミックスする際、
ルグランの曲のほとんどを結局は採用しなかった。
時間にしてせいぜい20分、12シーンに広げただけであった。
それでもこの20分には作曲家に内包するものを垣間見ることができた。
そこには人のモラルを探究するような物語から犯罪の物語に滑り落ちていくこの映画のストーリーに対して、
作曲家の熟練の技によるスコアが寄り添っていたのだ。

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後半の各曲の解説に続きます。
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