LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

FROM MY NEW SCRAP BOOK (11)

2006-06-29 | THE BRILLIANT PHOTOS
引き続き『栗色のマッドレー』より

これは映画の一場面なのでしょうか?それともスナップでしょうか?
よくわからないですが、ミレイユ・ダルクの表情が印象的です。
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FROM MY NEW SCRAP BOOK (10)

2006-06-28 | THE BRILLIANT PHOTOS
昨日と同じく『栗色のマッドレー』のスティールより。

アラン・ドロンが長髪で映画に登場するのは恐らくこの作品が初めてで、
当時の観客たちには新鮮に写ったのではないでしょうか?

私はちなみにテレビのロードショーの予告編のみ見た記憶があります。
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FROM MY NEW SCRAP BOOK (9)

2006-06-27 | THE BRILLIANT PHOTOS
『栗色のマッドレー』のスティールです。

ドロンの作品の中でもこれは幻の中の幻の作品となってしまいました。
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CINEMA (4)

2006-06-24 | THE 80'S CINEMA
第4話『母よ・・・』

この最終回は、それまでの3回のエピソードに比べると、
登場人物たち(特にヒロインのルル)の心理描写が不十分なこともあって、
かなり強引かつ唐突に物語が展開していき、
私としてはいささか不満の残る結末となってしまいました。

それでもいくつかのシーンは過去のアラン・ドロン出演作品や
アラン・ドロン本人との関連性が見え隠れし
ファンとして見応えのあるエピソードであることも確かです。
以下にそれらを列挙します。

別れた(あるいは捨てた)前の恋人カロリーヌが新しい婚約者とクラブで踊っている所を
マンダが近くに座ってじっと見て、彼女がそれに気づく場面は、
あの『高校教師』でのクラブのシーンを思い出させてくれます。

「俳優は好きでなったんじゃない。
他にできることがなかったからやっているんだ。
仕事は好きだ。コメディ以外はね。
業界の人間は皆好かん。人の生き血を吸う奴らばっかりだ」
と、マンダが恋人ルルに涙を流しながら告白するシーンは、
まるでドロンが自分の心情を吐露しているかのようで、このドラマのハイライトです。

ルルと共に警察で尋問を受けた際、
担当の刑事が「ジェーン・フォンダとの共演作がよかった」と言い、
それに対してマンダが「あのとき彼女は妊娠中で撮影は大変だったのですよ。」
と答えるシーンは明らかに『危険がいっぱい』のことを言っています。

映画「ベルリンのピアノ」撮影用トレーラーの中で、
自分が演ずる亡き父親の写真を観ながら、
鏡の前で被った帽子のつばを2,3回なでる仕草は、
あの『サムライ』や『ボルサリーノ』でのドロンが一瞬蘇ったようでした。

「この作品は実生活でのあなたそのままの姿なのではないでしょうか?」
もしこのような質問が一般の映画記者からドロン本人に向けられたとしたら、
きっと彼は平然とこう言ってのけると思います。
「いいや、僕はあくまでシナリオで書かれた人物を、そのまま演じたに過ぎない。
確かに一部似たところはあるけれども、実際の僕はこんな人間ではない。」と。

しかし彼がどんなにうそぶいてみても、
この作品には明らかにドロンが本人を「演じている」としか思えないような場面に数多く出くわし、
そういう意味ではドロンのコアなファンの人たちと
アラン・ドロンとの間において暗黙の了解の上で成り立っている作品と言えます。

最後にこのドラマには映画作品に匹敵するような見事なサウンドトラックを聴くことができます。
詳細はこちらです。(以前の投稿文を加筆しました。)
『CINEMA』
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CINEMA (3)

2006-06-21 | THE 80'S CINEMA
第3話『マルグリットの失踪』

この第3話は新『ベルリンのピアノ』の撮影開始までの過程が丁寧に描かれ、
映画製作の内幕物としての興味も兼ね備えた、大変見ごたえあるエピソードです。

以前マンダ自らがチネチッタスタジオまで行って
執筆を頼んだものの断られてしまったイタリアの大物脚本家ボルザノが
わざわざ新『ベルリンのピアノ』の脚本の一部を書いてきてフランスまで来てくれているのに、
マンダはその場でそれを読もうともせず
素っ気無い態度で軽くあしらってボルザノが怒って帰ってしまいます。
しかしその事にマンダ自身が理解できず、自分の不徳に気づかないというエピソードは、
常に前しか見ていないマンダ(=ドロン)ならいかにもやりそうなことだなと思ってしまいました。

そして終盤には全4話中最も私が感動したシーンが登場します。

それはガンを患った先輩俳優アンリをマンダが見舞う病院の一室でのシーンです。
マンダ親子にとってかけがえのない理解者であり、
マンダにとっても人生の師といえるアンリが余命いくばくもないことを聞かされたマンダは、
悲しみを胸に秘め、笑顔でアンリと接します。

アンリは昔のマンダの両親の事について、まるで彼への遺言のように話します。
そしてマンダが永年抱いていた自分の出生についての疑念を払拭させる為
アンリは最後に力強くマンダに言い聞かせます。
「君のお父さんは、本当に君のお父さんなんだよ。」と。

アラン・ドロンはその少年期に両親の離婚の影響を強く受け、
その生い立ちには常に孤独というものが宿ってきたことは有名ですが、
そのことを理解してこのシーンのドロンの演技を見ていると、
切なさと感動で胸がいっぱいになってしまいます。
そこに写っているのはマンダではなく正にアラン・ドロンその人自身なのでした。

またこのシーンはアラン・ドロンが実際に見舞ってきた、
ジャン・ギャバンやヴィスコンティ、ポール・ムーリスなどなど
故人となった先輩俳優、恩師の監督たちへのドロンの敬愛の念も画面から熱く伝わってきました。
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CINEMA (2)

2006-06-20 | THE 80'S CINEMA
第2話『ヴァレンヌ街』

この回は映画リメイクに向けて主人公マンダ(フランス語ではモンダと聴こえます。)
の悪戦苦闘ぶりが坦々と描かれていきます。

その苦悩するマンダを支えているのが恋人カロリーヌですが、
彼女はマンダ親子を陥れた張本人である映画『ベルリンのピアノ』製作者の娘であるという、
ここのところが物語上やや説得力に欠ける部分です。

マンダは恋人カロリーヌへの婚約のプレゼントを買いに街中に一人出かけます。
マンダが一人で歩くのを望遠でじっくり捉えたシーンは、
ドロンの「ただ歩くだけの演技」をたっぷりと見せてくれます。
(これはまるでダーバンのCMのような映像です。)
その後ぶらりと立ち寄った店で店員からいきなりサインを求めらてもにこやかに対応する姿は
マンダではなく、まるで素顔のドロンがそこにいるかのような錯覚を覚えます。

新『ベルリンのピアノ』のシナリオ執筆をフランスの映画人ではなく
イタリア人の大物脚本家ボルザノにわざわざ依頼に行くくだりは、
ドロンのキャリアにイタリアという国の存在が欠かせなかった事を
暗に示しているように感じます。

中盤、アメリカのプロデューサーたちに新作の資金援助を依頼する大事な商談にも、
自分の条件を曲げることなく強気に交渉し、
あげくのはては喧嘩同然の物別れになるハチャメチャ振りは
アメリカ映画に対するドロンの姿勢を伺わせるものであり、
フランスの視聴者はここで拍手喝さいしたことでしょう。

この作品のスタッフは
撮影のジャン・ジャック・タルベ、
装置のクロード・ルノワール
衣装のMarie-Françoise Perochon
など、ドロン作品ゆかりのスタッフたちが再結集されている反面、
監督、音楽、音響、など他の部門は新しい世代の人たちによって構成されており、
現場は大変活気に満ちていたのではないかと推察でき、
それが画面からも十分に伝わってきます。
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CINEMA (1)

2006-06-17 | THE 80'S CINEMA
アラン・ドロンがまるで自分自身を投影するかのような
複雑な家庭環境からのし上がった屈折した心を持つ映画界の大スター
ジュリアン・マンダを思いいれたっぷりに演じる重厚なTVドラマ『シネマ』
を数回に分けてご紹介していきます。

この作品は1988年にフランスで放映されたTV作品で、
1話90分×4話の計360分にも及び、
日本では1992年にNHK・BSで4日間に渡って放映されました。
残念ながらそれ以降の再放送は一切無く、見逃した方にとっては幻の作品となってしまいましたが、
近年フランスでDVDボックスセットが発売されました。
(NHKでのドロンの声は当然ながら野沢那智で、誠に見事な吹替え演技を聴かせてくれました。)

今回は第1話『ベルリンのピアノ』です。

戦争中ある映画がきっかけでナチスの汚名を着せられ精神を患ってしまった実の母親
(ドロンのデビュー作『女が事件にからむ時』で共演したエドウィジュ・フィエールが扮しています。)
が永年入院している療養所をマンダが見舞いに訪れる場面から物語は始まります。
親子の複雑で悲しい過去が、この二人のやりとりを観ているだけで浮かび上がってくる
この数分のファーストシーンの語り口のうまさにまず唸らされます。

ここでのドロンの首に巻かれた青緑のマフラーの色合いが非常に新鮮です。
従来の映画作品では見せたことのなかったファッションでした。
(この作品でもドロンの衣装はZEGNAです。)

主人公マンダは母親の汚名を晴らすべく、
その原因となってしまった映画、『ベルリンのピアノ』を正確にリメイクすることに、
半ば偏執狂的な熱意を昔から持ち続けてきており、
いよいよ自分が彼の父親を演じることのできるぎりぎりの年齢に差し掛かってきた為、
これまで以上にその映画の製作に執念を燃やし、
周りのスタッフたちがそれに否応なく巻き込まれていく様が
時折コメディタッチも交えながら丁寧に描かれていきます。

マンダの行動は時に思いつくままのものであったり、また時には冷静に計算がなされていたりと、
非常に矛盾に満ちていて非現実的なやっかいな人物なのですが、
さすがにアラン・ドロンが演じると、これが全く違和感がなくかつ魅力的な人物になってしまいます。
過去の作品で言えば『個人生活』『プレステージ』の主人公が思い起こされます。

元銀行員の私が特に注目してしまうのがマンダが訪れた取引銀行の頭取室でのやりとりです。
マンダは『ベルリンのピアノ』のリメイクの権利を宿敵である映画製作者たちから買い取る為に、
経済的に追い込まれている彼らへの融資の保証人に敢えてなることで恩を売る作戦に出ます。
頭取が簡単にマンダに彼らへの融資残高を言うのは現実にはありえない話でいただけませんが、
その後頭取がマンダに「あなたの預金残高はいくらですか?」と尋ねても
マンダが答えることが出来ないというところは、
彼がかなりの資産家であることを暗に表しており、シナリオがよく描けています。
頭取がコンピューターのモニター画面で974万8千フランの預金があることを確認しますが、
マンダがまるで他人事のように一緒に画面を覗き込む所は笑ってしまいます。

「あれは駄作だった。」と認める自分の昔の作品で助監督をしていた男性を
いきなり『ベルリンのピアノ』の監督に依頼するシーンは、
ドロンが抜擢してきた若手監督たち(ロバン・ダヴィやジョゼ・ピネイロなど)
との出会いがこんな感じであったかもしれないと思い起こさせるものでした。
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PARIS MATCH (17)

2006-06-16 | THE MAGAZINES
1996年のパリマッチ誌より。

当時のパートナーのロザリーさんと戯れて?いるところを
パパラッチされているのに気づいたアラン・ドロンが大爆笑しています。

記事の中身の写真はちょっと露骨ですが、
表紙のドロンの笑顔がやけにおかしいのでアップします。
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『LA TULIPE NOIRE』

2006-06-15 | THE SOUNDTRACKS
『黒いチューリップ』の主題曲が聴けるアルバムです。

写真のCDは作曲者ジェラール・カルヴィGerard Calvi
の作品ばかりを集めたベスト・アルバムです。

『チューリップのマーチ』と題されたタイトル曲は、
何よりもその勇壮かつ明るいメロディが際立って印象的で、
中盤ではユーモラスなハモンド・オルガンの音色を交えながら
ラストまで一気に聴かせてくれる名曲です。

またこのアルバムには本作以外に60年代のコメディ映画の音楽中心の構成となっていますが、
中でもアラン・ドロンの映画復帰作として期待されている、
「アステリクスとオベリックス」シリーズの実写版ではなく
アニメ版の音楽が数曲収められているのが大変珍しく、
ドロン新作の予習として聴いてみると面白いかもしれません。
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『LE GITAN』

2006-06-14 | THE SOUNDTRACKS
アラン・ドロンのサントラ探索もここまでで予定の約3分の2が経過しました。

今回は『ル・ジタン』の音楽が聴けるレコード及びCDです。
(最下段の写真はジャケット写真とは関係ありません。)

音楽の担当はオリジナル劇判がクロード・ボランClaude Bolling
さらにジャンゴ・ラインハルトDjango Reinhardtの既成曲がメインタイトルに印象深く使用されています。

上段左側はロードショー公開された当時に発売されたEPレコードで、
A面にLICKが唄う『ル・ジタンのテーマ』、
B面にクロード・ボランが故ジャンゴ・ラインハルトに捧げた曲『いとこのジャンゴ』
の2曲が収録されています。
そして中段はその『いとこのジャンゴ』が収録されているクロード・ボランの作品集CD、
『ボラン・ストーリー』です。
残念ながら、『ル・ジタンのテーマ』は未だCD化はされていません。

そしてメイン・タイトルに使用されていたジャンゴの曲ですが、
アマゾンで彼のCDを片っ端から試聴して最近ようやく探し当てました。
その曲名はずばり“Blues”というもので、
上段右のCD4枚組みボックスセットのDISK2に収められています。

このマイナー調のブルース曲は、主人公の悲哀に満ちた生き方を表現するのにぴったりな曲であり、
既成曲でありながら、まるでこの映画のために作曲されたのではないかと思えてしまいます。
ドロンがこの曲を選曲したのかどうかはわかりませんが、
最終的にこの曲を採用することに同意したのはまぎれもなく映画のプロデューサー・ドロンであり、
このセンスは大変素晴らしいものであったと思います。
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D'URBAN (15)

2006-06-09 | CM FILMS
ダーバンCMの功罪について

70年代はスクリーンとお茶の間の両方でアラン・ドロンが活躍しつづけた時代であり、
70年代後半、人気が下降線を辿り始めた頃に本格的なファンとなった、
つまりリアルタイムで全盛期のドロンの活躍ぶりを知ることのできなかった私にとっては
ダーバンCMの突然の終了は非常にショックだった反面、
もうあれぐらいでよかったのではないかとも思うようになりました。

私が本格的に映画ファンになった当時を振り返って考えてみますと、
毎月発売される映画雑誌に掲載されていたドロンの情報はと言えば極めて少なく、
その代わりグラビアで毎月紹介されていたのは、
年に一度フランスで大量に撮影されたダーバンのスティールばかり。
つまり最新の情報ではなく過去の写真を1年間ずっと見せ続けられることがお約束で、
しかもスクリーン誌とロードショー誌、両方に同じ写真が掲載され続けていました。
写真の下にダーバンのロゴを見つけるたびに、がっかりした記憶があります。

もちろん今となってはそれらの写真は貴重なものであることを私は素直に認めます。
こうやってこのブログでも引き続きアップしていく所存ですが、
それでも「ドロンと言えば“ダーバンセレレガンスデュラモディアンヌ”とか何とか言ってた人」
といった、日本ではある意味テレビタレントのように軽く見る傾向があるのも事実で、
それはとてもドロンに対して失礼ではないかと思ってしまいます。
もちろんこのCMの仕事を引き受けたドロンにもその責任の一端はあるのですが。

ドロンが日本のファンの為に良かれと思って10年間出演し続けたCMが
ドロンを親しみのある身近な存在のスターにした反面、
逆にスターとしての神格化にマイナス効果をもたらしてしまった事も否定できません。

もしドロンがダーバンやその他のCMに出演していなかったら、
現代の日本ではもっとドロンは神秘的な存在になっていたように思います。
先日のカンヌ映画祭でのテレビ出演の映像で沿道の市民から盛大なリスペクトを受けていた姿を見ると
いっそうその思いが強まります。
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D'URBAN (14)

2006-06-08 | CM FILMS
ダーバンCM最終年度の映像のスティール写真です。

よもやこのフィルムが最後のアラン・ドロンのCMになろうとは当時全く知る由もなく、
いきなり放映が終了したときのショックはかなりのものでした。

この作品はプールサイドで戯れる水着姿の女性たちの間を、
時折水をかぶりそうになってよろけながら歩く姿を
ワンショットで収めたものであったように記憶します。
バックの小林亜星氏の作曲の音楽はスローテンポなジャズであったように思いますが、
これもレコード化はされませんでした。

ということで、この写真を観ると一抹の寂しさを感じてしまう私ですが、
ドロンが珍しく着ているラガーシャツは、
その色合いが極めて新鮮で今でも十分魅力的なデザインに思えます。

写真左は“ロードショー”誌より。
右は当時ダーバンの売り場で商品を購入したお客様に渡されていたポイントカードです。
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D'URBAN (13)

2006-06-07 | CM FILMS
ダーバンCM第1回目の映像です。

初め『シシリアン』のテーマに似た口笛のイントロをバックに
アラン・ドロンのナレーションがかぶさり、
やがて階段の上から降りてくるドロンが登場します。

この映像を観て感心するのは、
当時のスタッフがドロンの記念すべき第1回目のCMに彼の「歩く演技」を選んだことです。
ドロンの「ただ歩いているだけ」の演技の素晴らしさは、
それまでの数々の映画(代表的なのはやはり『太陽がいっぱい』)の中で証明されていましたが、
ここでは忠実にそれらのシーンの残像を再現しようと試みられていました。

ただし私はリアルタイムで観た記憶は全くありません。
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D'URBAN (12)

2006-06-06 | CM FILMS
1976年ダーバンCM映像より。

パーティを終え、迎えの車も来ない為、
仕方なく独りで歩いて家路に着くドロン。
前から歩いてくる二人連れの女性に目が行き、
道を空けながら思わずお愛想してみせる。

ドロンならではの粋な演技が堪能できるCMの秀作です。
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AVEC GODARD

2006-06-05 | THE BRILLIANT PHOTOS
1991年、ジャン・リュック・ゴダール監督とアラン・ドロンが
新作『ヌーヴェル・ヴァーグ』を携えてカンヌ映画祭に登場した時の写真です。

ドロンは恐らく『DANCING MACHINE』の撮影の頃のようで、
無精ひげを生やしています。

“NEW FLIX”誌より。
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