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アラン・ドロン LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を多方面から考察し、またファンの方々との交流に重きを置いております。

『チェイサー』スター・チャンネル放映版

2017-06-05 | TRIVIA
昨日スター・チャンネルで放映された『チェイサー』ですが、
映画が始まってすぐに2013年のレストア版であることが表示されました。

これは現在フランスで発売されているブルーレイと同じバージョンではないかと思われます。

添付の画像は
左上がフランス盤DVD 右上が2011年のNHKBS放映版
左下が2013年のイマジカBS版、そして右下が昨日のスター・チャンネル版です。

それぞれに良さがあって好みが分かれることになろうかと思いますが、
スター・チャンネル版は他に比べて落ち着きがあって撮影のアンリ・ドカエが意図した映像が再現されているように感じます。
フィルム上映版の質感が蘇った、とも言えるかもしれません。

6月25日にはこの作品が特別上映されます。
Mort d’un pourri | 6.22-25『フランス映画祭2017』公式サイト
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「ジェフ」の解説 by 淀川長治

2016-04-20 | TRIVIA
淀川長治さんの日曜洋画劇場での「ジェフ」の解説を文字起ししましたのでご覧ください。

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ジェフとは何だろう、はい、ごらんなさい、ごらんなさい、
ジェフ、その人物がだんだんだんだん浮き上がってきます。
さあこの映画、ギャング映画ですから男と男の匂い、あるいは友情 あるいは裏切り、
きびしいきびしい男の世界が出てまいりますけれども、
さっき言いましたように、フランス映画、さあこのキャメラマン、ジャンジャック・タルベ、、
これがきれいなキャメラ、きれいなキャメラでみなさんはなんというカラータッチ、
カラーデザインがキレイだと思いながら中身はこわい男の殺気立ったギャング映画、これがアメリカと違いますね。

主演はアラン・ドロン、それにミレイユ・ダルク
あのミレイユ・ダルク、さあみなさんそうですね研ナオコさんにちょっと似ていますね。
このアラン・ドロンとそれからミレイユ・ダルクはこの映画でいよいよ仲良くなりましたね。

このほか「雨上がりの天使」のフレデリック・ド・パスカルがでてまいります。
い~い顔合わせです。

そしてこの映画の監督はジャン・エルマンです。「さらば友よ」の監督です。
さあこの映画、1969年のこの映画、本当にフランスのムードを嗅いでください。
ギャング映画、けれどもフランスの香りをかいでください。
はい、それではまた後で会いましょうね。

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はい、いかがでしたか?
あの拳闘のジムですか、あの拳闘場、むこうに異様な男とアラン・ドロンの格闘になりますね。
あのときのムード、あのときの演出、すごいですね。
あの大きな電器の傘がパーンとゆれましたね!!
さあ、あの電器の傘がゆれる、電器が揺れる、すると光が走る、影が、影が揺れる、
むこうでのこの生きるか死ぬかのあの異様な殺気、
あ~あ~見事な演出でしたね、

けれどもこの映画、ラストシーンが、ラストがまた何とも知れん如何にもイカしたムードを出しましたね。
さあこの映画、いかにもイカしてました。男の匂いを出しました。
けれどもやっぱりマカロニと違いますね。フランスの感覚が見事に出ましたな~。

このジャン・エルマンという監督、なかなかイカしてます。「さらば友よ」の監督です。
この人はフランス人です。けれどもインドのボンベイで、なんとフランス文学の大学校の先生やってたんですね。
それが映画に入りました。映画が好きで。
そしてなんとイタリアであのロベルト・ロッセリーニ、「戦火のかなた」、
あのロベルト・ロッセリーニ監督の助監督になって、ずーっと修業したんです。
だから今日のギャング映画、今日のギャング映画の中にもいかにもムード、いかにも映画のムード、
それがあふれて、しかも裏切りか裏切りでないか最後までどんどんどんどん引っ張っていきましたね。

そこにアラン・ドロンが何とも知れん、いーい芝居しました。
これがアラン・ドロンだから、また感じ(が)出ましたね
そしてあのミレイユ・ダルクの不思議な女の感覚もやっぱりこの監督ゆえにあげてきました。
見事なムード映画でしたね。

はい、もう時間が来ました。

それでは次週をお楽しみください。
サヨナラ、サヨナラ、サヨウナラ。

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日曜洋画劇場 旧エンディング曲  「 So In Love 」 - YouTube
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小森おばちゃまのシネダイアリー 1977年4月18日

2015-07-21 | TRIVIA
朝刊でアランが待機したファン3000人からドロンしたことを知り心痛む!
2時 記者会見も最高の盛況。命がけのカメラマン!
熱気の女性記者群からキレイ!魅力的!など叫声が上がるのももっとも。まさにあっぱれなスターぶりだ。

その夜の三船プロ15周年祝賀パーティーも大盛会。
貫録の三船さんに続くアランの英語のあいさつにも格段の進歩を見る。
あと約千人(にも増加とか)の参会者の個々と握手やチュウ。
この機会にぜひ写真をと切望するファンにも終始ニコヤカに2時間余り立ちっぱなしで応待した彼は、人間的にもめざましい成長ぶり!

最初会ったとき(1959年2月)もタダの美男子じゃない、この体力と忍耐力が続けばきっと大モノは予想したけど、予想以上の偉大な男になりましたと実感を述べるや「あなたの親切は憶えています。ありがとうミス・コモリ」をくり返す。
前にはマダム・コモリといったけどなど昔のことも回想される。
ひと頃は人気が頭に?と危ぶまれるときもあったけど、さまざまな経験が彼を鍛えて「私は年をとることを恐れない。いいワインは年と共に味を増す。」というのにも、彼自身の自信のほどがうかがえて頼もしい!

彼を呼んでくれた三船さん、ありがとう!

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「ロードショー」誌 1977年7月号より、すべて原文のまま書き起こしました。

当時の熱狂的なドロンさんの来日風景が描写されている記事ですが、
有名になる前からドロンさんのことに注目していた小森様だけに、彼女のドロンさんに対する深い洞察力には読んでいるこちらも感動させられます。
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PARIS MAP

2015-03-26 | TRIVIA
1977年10月発刊アラン・ドロン・カタログより。

どこまで本当かわかりませんが、現代であればちょっと問題になるような当時のドロンさんの個人(的な)情報が満載です。
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Edith et Fabien, ses parents

2012-05-09 | TRIVIA
仏"TELE 7 JOURS"誌より

ドロンさんのご両親が二人そろってカメラに収まっているという世にも珍しい写真です。

特に幼い時に離れ離れになったドロンさんの父の写真が掲載されているというのは極めてまれな記事ではないかと思います。
もしかするとこの写真はドロンさんご本人もお持ちでないかもしれません。
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Comme Au Cinéma

2011-05-03 | TRIVIA
Alain Delon Comme Au Cinéma.mpg


"Comme Au Cinéma"のビデオですが、
これはよく見るMTV風のものとはちがって、
よりライブ感覚を前面に出してドロンさんもよりリラックスして自然な表現で歌っています。
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Ari BOULOGNE

2010-10-03 | TRIVIA
前の記事と全く関連の無い話題で恐縮ですが、
ドロンさんが自分の息子とは決して認知しなかったAri BOULOGNE氏が
2001年にテレビ番組に出演した際のビデオを初めて観ました。
あまりにもドロンさんに似ていて驚いています。
皆さまはどうお感じになられますでしょうか。

Vido Ina - Interview Vrit de Ari Boulogne, vido Interview Vrit de Ari Boulogne, vido Ardisson Tout le monde en parle - Archives vidos Ardisson Tout le monde en parle : Ina.fr
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L'un contre l'autre

2010-02-28 | TRIVIA
前回ご紹介しましたBertrand Tessier著"Delon & Romy un amour impossible"より、
ドロンさんがロミーの死の直前まで企画していたとされる作品
"L'un contre l'autre"(="One against another")
について記述された部分を翻訳してみました。
今までこの作品の内容については私には全く情報がなかったのですが、
初めてその内容の一部が明らかにされました。

(添付画像はドロンさんが『ポーカー・フェイス』、ロミーはClair de femme (1979)のものをミックスしました。)

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非常に痛みを伴うものではあったが、
『サンスーシの女』の撮影はロミーにとって一種の悪魔祓いの儀式のようなものであった。
それはまるで、彼女の傷口に熱した鉄を当てたようなものであった。
しかし、彼女の復帰は脚光を浴びることはなかった。
そして彼女はこれまで以上に当惑し途方に暮れてしまった。
仕事を休まないと彼女の苦悩が解消されることはなかった。
仕事をしないで、熟慮し、巻き返しを図ることが必要だったのだ。

「彼女は仕事をすることで大きな慰めを得ていました。」ジェーン・バーキンはこう証言している。
「映画の撮影というものは暖かいものです。常に人々が周りにいるし、みんなが自分をケアしてくれます。
映画人にとってそれが人生そのものであり、しかもそれは困難なものなのです。
しかし映画という小さな世界の中で、私たちはロミーがもう尽き果ててしまっていたと感じていました。」

「 私が当時持っていた映画のプロジェクトは、ドロンとの共演作以外はありませんでした。」
と彼女のエージェントだったジャン=ルイ・リビが今日明らかにした。

ドロンは、確かに、ロミーとふたたび共演する映画の計画をあきらめてはいなかった。
ピエール・グラニエ・ドフェール、ジャン・オーランシュとミシェル・グリゾアが
彼らの共演作品“L'un contre l'autre”のシナリオ執筆の為に必死で働いていたのだ。

「すぐにロミーが演じる役柄は出来上がったんだ。」ミシェル・グリゾアはこう証言する。
「サン・セバスチャンで静養している一人の女性。
海岸沿いの大きく悲しげなホテルの中で一人で孤独にいる彼女は
いったい何かの病いに犯されているのだろうか?
それとも何か生きるのが苦しいくらいの悩みがあるのか。
そこにどこからともなく一人の男が現れる。革のジャケットを着たサムライだ。
瞬く間に二人は激しい情念を燃やし合う。
そしてヨットのデッキの上から彼女は彼を水の中へ突き落とす。
月日が流れ…もう一人別の男が現れる。 彼は同じ男なのか、それとも兄弟なのか?
やがて二人は身を落ち着けることになる。
そこには脅威、あい昧さ、疑い、そして嘘が存在していた。」

時々、ロミーはシナリオ作家たちの前に現われて聞いてきた。
「ねえ、アランはこの作品をまだやる気があるのかしら?」
「もちろんだよ、彼は常にこれをやりたいと考えているさ。
だがこのフィルムはドロンがロミーに抱いている賞賛の域にまで達するレベルの作品であるべきと彼は望んでいるんだ。
だから彼は何度もシナリオに書直しを要求してきているし、
最終的には1982年の夏まで撮影の時期が延期してもかまわないと考えているんだよ。」

「私達には確かにこのプロジェクトが存在はしていたんだが、
私は実現しないんじゃないかという予感はあったんだ。」ドロンはこう告白する。
「私はローソクの小さい火が消えていくように彼女の息が絶えていくのではないかと感じていたんだ。
彼女は弱っていった。 彼女はもう生きていくことはできない、ましてや仕事など到底無理だ。
私は彼女が小さくなっていくのを目の当たりにしていたんだよ。」

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ドロンさんの予感通り、結局ロミーは1982年の5月29日に永遠に帰らぬ人となりました。
この作品が脚本家の話し通りのプロットだったとしますと、
後年のゴダール監督作品『ヌーヴェル・ヴァーグ』によく似ていることに気付きます。
ドロンさんはこのときどのような心境で撮影に臨んだのかと興味が湧くところです。
もしかするとロミーとの実現しなかった企画の主人公に一歩近づきたかったのかもしれません。
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Z

2009-05-15 | TRIVIA
1969年コスタ・ガブラス監督の大力作『Z』には
アラン・ドロンさんの映画に共演している俳優陣がこぞって出演している珍しい作品です。
今にもドロンさんが顔を出すのではないかと錯覚してしまうほどです。

それぞれの俳優とドロンさんが共演した主な作品を以下に記載します。

①イヴ・モンタン 『仁義』
②ジャン・ルイ・トランティニアン 『フリック・ストーリー』
③ジョルジュ・ジレ 『さすらいの狼』『テヘラン』
④レナート・サルバトーリ 『若者のすべて』『高校教師』『ル。ジタン』ほか
⑤ジャック・ペラン 『復讐のビッグガン』『刑事フランク・リーヴァ』
⑥ピエール・デュックス 『パリは燃えているか』『ポーカー・フェイス』
⑦フランソワ・ペリエ 『サムライ』『仁義』『鷹』
⑧ベルナール・フレッソン 『さらば友よ』
⑨ジュリアン・ギオマール 『ボルサリーノ』『もういちど愛して』『チェイサー』
⑩ジョルジュ・ルーキエ 『ジェフ』
⑪ジャン・ブーイズ 『燃えつきた納屋』『パリの灯は遠く』『チェイサー』
⑫マルセル・ボズッフィ 『ル・ジタン』

トランティニアン、ペラン、ギオマール以外の方々は残念ながらすでに故人となられています。


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La Piscine Version anglaise inedite du film (2)

2008-07-26 | TRIVIA

『太陽が知っている』未公開英語バージョンの続きです。
(今回も添付画像の左側が英語盤、右側が従来のフランス語盤です。)

映画の後半はロケ現場の自然の影響による映像の違いが散見されます。
添付画像にありますように、プールサイドに鳩がいるショットといないショット、
ロミーのそばにあるロウソクの炎が夜風によって1本消えていたり、
ラスト・シーン間近では風が強く吹いて二人の髪の毛が乱れています。

プールでモーリス・ロネが沈められた後に浮かんでくる描写がワン・カット追加されているのは
彼の息が続かなかったからでしょうか。

またロネが亡くなった後、現場のプールサイドにたたずむ
ドロンさんの立ち位置が木の立っているそばになっていること。
さらに母親の元に帰ることになったジェーン・バーキンを飛行場まで見送る場面で、
彼女に語りかけるロミーのバックに車があること、
などの違いも見られました。

こうやっていろいろと相違点を探すのは楽しい作業でしたが、
従来のフランス語盤との違いを総括してみますと、
①アラン・ドロンさんとロミーとのラブ・シーンの時間がやや長いこと。
②モーリス・ロネのキャラクターがより憎まれ役として強調されていること。
③モーリス・ロネが寝床にいるロミーに朝食を運ぶシーンがないこと。
④異なるラスト・シーンが追加されていること。
などが上げられます。
これら微妙な相違点は英語圏の観客の嗜好を考慮に入れたものなのかもしれません。
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La Piscine Version anglaise inedite du film (1)

2008-07-24 | TRIVIA

以前ご紹介したLA PISCINE Edition PrestigeのDVDの中で
2枚目のDVDには英語の「吹き替え」が収録されている、と記述しましたが、
これは私の間違いでした。

何とこの英語盤は完全なリテイク・バージョンで
全てのシーンで俳優たちが英語でしゃべりなおしています。
しかも映像の構図やカット割りまで、1シーンを除いて全てのシーンが
私たちがこれまで観てきたフランス語盤通り忠実に再現されているのです。

これには本当に驚かされました。
と同時に60年代の私の知らないアラン・ドロンさんとロミーの映像が見れて感激です。

今回から2回に分けてこの英語未公開バージョンをご紹介します。
添付画像は左側が「英語盤」、右側がその同じシーンの従来の「フランス語盤」です。

まずは映画冒頭のドロンさんとロミーのプールサイドでのラブ・シーン。
これは英語盤の方が時間が長く、じっくりと見せています。
そのあとモーリス・ロネからの電話を受けて喜ぶロミーの後ろでたたずむ
ドロンさんの腕の位置が後ろに組まれているのがわかります。
(後からわかるようにあえてドロンさんはこういう姿勢をとったのでしょうか?)

やってきたロネのスポーツ・カーをドロンさんが運転するのを捉えた空撮のシーンでは
道路のカーブの形は同じではあるものの明らかにその場所が違っています。
また車内で運転中のドロンさんは満足げに笑顔をロネに向け、ロネもそれに笑顔で応えますが、
フランス語盤ではこのようなやりとりは一切ありません。

邸のバルコニーでドロンさんとロミーにジェーン・バーキンが二人の馴れ初めを尋ねる場面、
最後にバーキンに向けるドロンさんの顔の角度が英語盤では異なっています。

その後ロネが友人たちを邸に連れてきてパーティーが開かれ、
参加者たちが踊る中をドロンさんが一人邸の外に出ようとする場面では、
バックで踊っているオレンジ色のシャツの人がフランス盤にはいません。

パーティーの翌朝、ベッドで寝ていたドロンさんをロミーが起こし、
昨夜の行動について二人が話し合う場面では、
英語盤とフランス盤ではシーツのくるまり具合が異なっています。

他にもまだまだありますが次回に続きます。
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THE FIRST STEP IN JAPAN

2007-10-20 | TRIVIA
明日はいよいよ『アラン・ドロン・ファンの集い2007』
が開催されます。
ご参加表明の皆様一様に緊張なさっているご様子ですが
どうぞお気軽に普段着姿でお越し下さい。
私の方で「ドロンさん映画吹き替え盤ダイジェスト映像集」を作成しました。
どうぞお楽しみに。

今からちょうど20年前の日曜洋画劇場で日本初公開となった
『復讐のビッグ・ガン』放映時のビデオ映像から
解説の故淀川長治氏が語ったドロンさん初来日時のエピソードを
一字一句もらさず下に掲載いたします。

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はい、みなさんいかがでしたか?

アラン・ドロンはパリィの、郊外の、
映画館の子供として生まれたのですよ。
ところが小さいときに小さいときに
お父さんとお母さんが別れまして、
アラン・ドロンはお母さんの再婚の家に行ったんですね。
ところがやっぱりなじめないで
だんだん陰気な子になって
不良になったんですね。
さぁどうなるかと思ったときに、
16、7で自分から海兵隊に志願したんですね。
そうしてやがて除隊したときに
パリィに帰らないで
なんとアメリカとメキシコをうろついたんですね。
そのころどんな動き方をしたのかわかりませんけれど、
その間とっても苦労したらしいんです。
そうしてパリに帰ってきましたけれども家に行かないで
裸足でパリの街をうろついていたんですって。
それを映画館の人が見たりいろいろして、
あれ誰だろう?と言っているうちに、
映画監督がまた見つけまして
映画界に入れたことがもとで、
この人はいっぺんに有名になりまして、
きれいから、
「お嬢さんお手やわらかに!」これでえらいまぁ人気が出まして、
さあそれから、
そうですね、
「太陽がいっぱい」なんかに出ているうちに
とうどう日本に初めてやってまいりました。
もう人気の最中に。
さぁ大騒ぎ。
もう車動かない。
それでアランドロン困りまして、
ホテル行ったりレストラン行ったり名所旧跡なんかやめて、
どっか静かなとこ行きたいなぁユウので、
五反田の私の知り合いのお金持ちの坊ちゃんのうちがありまして、
そこ行こうっていうので、
さーっとみんなで行ったんです。
もう五反田の普通の素人のおうちです。
で、だーれもいないから喜んでトランプやってると
ダンダンダンダン!って人が入ってきました。
雑誌の人、週刊誌の人が見つけちゃったんですね。
聞いて聞いて聞いて。
でパーっと入ってきまして、
キャメラマンがパーっと差し向けたのが、
アラン・ドロンの顔じゃなくて、
その●●さんと言う、おうちの坊ちゃんの顔の方を向けたから、
アラン・ドロンこちらですよ!
ヘー!って言った事があって
アラン・ドロンは大笑いしました。
そんな裏話がありますよ。

はい、もう時間が来ましたね
それでは次週の作品、
ご紹介しましょう。

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Zegna

2007-04-16 | TRIVIA
舞台『マディソン郡の橋』のパンフレットより。

今回の舞台でドロンさんが着用されている衣装も
いつも通りゼニヤであることが
このパンフレットの広告からもわかります。

ただ今回は前回の『ジェット・コースター』の時と違って、
「街中でもドロンさんはゼニヤを着用している」
と堂々と書かれています。
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RONIN

2007-04-15 | TRIVIA
1998年のアメリカ映画で、ジョン・フランケンハイマー監督、
ロバート・デニーロ、ジャン・レノ主演
『RONIN』をご紹介します。

この作品は永年ドロンさんの映画に親しんできた方々にとって
映画本編以上に別の楽しみ方ができますので、
あえてこのブログにて取り上げることにしました。

ドロンさん主演作品とのイメージがかぶさる場面をひとつの画像にまとめております。

上から順番に、

①デニーロとレノが初めて心を通わせるシーン。
ここではレノが差し出すタバコが重要な小道具です。
レノからタバコとライターを受け取ったデニーロが
彼との信頼関係を確信するこの名シーンは、『仁義』と同じ図式です。

②デニーロの援護射撃によって助けられたレノは、
後部座席からデニーロに向かって「ありがとう。」と言います。
このときの、少し首を傾げ、ゆっくりとまぶたを閉じながらの話すやり方は、
よくドロンさんも映画の中で見せてくれます。
普通にしゃべるよりも、お辞儀をしているような効果があります。

③脇役の俳優陣にも注目です。
左端のLionel Vitrantは『ボルサリーノ』『ボルサリーノ2』
『フリック・ストーリー』『友よ静かに死ね』にちょい役で登場するなじみの俳優です。

その右のFeodor Atkineは『ポーカー・フェイス』『最後の標的』『私刑警察』
に登場しますが、いずれも不気味な印象を残す個性的な俳優です。

そして下段のミシェル・ロンズダールは『パリの灯は遠く』で
ドロンさんを助ける友人役で共演しています。

最後のジャン・レノは『真夜中のミラージュ』のちょい役で、
ほんのワンシーンのみ出演していました。
この4人の中ではもっとも出世した俳優です。

④物語の後半、銃で腹部を撃たれたデニーロは、
レノの旧友ロンズダールの屋敷で弾丸を取り去る手術を決行します。
そして術後に回復したデニーロはロンズダールと交流を深めます。
このシーンなども『ル・ジタン』での獣医に飛び込んで、
手術を行ってもらうジタンの姿を思い浮かべてしまいます。

⑤パリ市内でのカー・チェイス・シーン。
ここでは『危険なささやき』において
レミ・ジュリアンのカー・スタント・チームが実現した高速道路の逆行シーンが、
さらにパワー・アップされて展開されていきます。
ただしこのシーンは少々長すぎるために飽きてしまいます。

映画の冒頭にこの作品の題名である「浪人」について説明がありますが、
このあたりもメルヴィル監督作の『サムライ』『仁義』と同じです。
ただしメルヴィルの「武士道」の“でっちあげ”引用ではありません。

いろいろと述べてきましたが、
何よりもこの作品に描かれているデニーロとレノとの間の男同士の友情、
信頼関係の構築というものに、
永年のドロンさんの映画作品に相通じるものを感じたのは、
おそらく私だけではないことと思います。

未見の方にはぜひお奨めいたします。
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LE SAMOURAI

2007-03-14 | TRIVIA
『サムライ』クライテリオン盤DVDの特典映像に
「サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生」
の著者としてお馴染みのルイ・ノゲイラ氏の作品解説映像があります。

その中から、二通り撮影されたエンディングについてのコメントがありましたので、
その映像と合わせてご紹介します。

それによりますと、

“アラン・ドロン演じるジェフ・コステロが笑顔で撃たれて死ぬシーンは
メルヴィル監督がドロンへの仕返しの意味を込めてカットした”とのことです。

なぜなら
“ドロンはメルヴィル監督に別の作品において笑顔で死ぬシーンを撮影したこと
を一切言わなかったことにメルヴィルが我慢ならなかったからだ。”
とノゲイラ氏は解説しています。

ここで言われている「別の作品」とは『冒険者たち』のことであることは明白ですが、
どうも二人とも「大人げない」と言いましょうか、
「微笑ましい」と言いましょうか・・・
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