LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

LA PISCINE (2)

2008-01-24 | THE 60'S CINEMA
先日ご紹介した
Emmmanuel Haymann 著
"Splendeurs et mysteres d'une superstar Alain Delon"の中に、
この作品について書かれた部分がありましたので翻訳してみました。

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この試み(ジャン・コーが演出する舞台への出演)は失敗に終わったが、
アラン・ドロンは当然の帰結としてまた映画界に舞い戻ってきた。
復帰作はジャック・ドレーが監督する『太陽が知っている』で、
この監督とはこの作品を皮切りに長期間に亘って成功作を連発することになる。
アクションとサスペンス映画のスペシャリストとして、
ドレー監督はドロンの中に彼が作り上げるスリラーを心理的に表現することのできる理想像を見出した。
ドロンは自分が演じるキャラクターに新鮮さをもたせて、
従来のサスペンス映画の殻を破って、人生のむなしさや真理を表現した。
そして観客たちはドロン演じる複雑な人間の魂の紆余曲折を目の当たりにして興奮することになるのだ。

ドレー監督「ドロンはいったん映画での彼のスタイルをよく理解すれば、
とても心地よい、そして監督するのが非常にやりやすい俳優です。
それはずっと彼がこれまで持ち続けてきた優れた能力です。
彼の前で私はいつも使っていた『指導する』という言葉を捨てました。
その言葉は出来の悪い俳優を起用するときに用いる言葉です。
プロフェッショナルといわれる人たちは自由自在に演技することができるし、
俳優としての能力ばかりでなく彼らの持つ雰囲気で監督の要求にもすぐ反応できます。
したがって彼らをコントロールできるかどうかは正に監督の手腕次第となるのです。
監督は舞台設定を考え、そこに俳優を置き、自分が引いた道の上を歩かせる。
監督は俳優たちをその気にさせるだけの存在であって、指揮はしないのです。」

アラン・ドロンはこの『太陽が知っている』において
『太陽がいっぱい』のトム・リプレイの役柄を想い起こさせる役柄を演じ、
共演者にはモーリス・ロネも含まれていた。
(彼はクレマンの映画での役柄と同じくドロンの被害者となる。)
ジェーン・バーキンは正に小悪魔的であった。
残るのは主演女優を誰が演じるかであった。
この暴力と愛欲の物語の中で、ドレー監督は官能的で同時にドロンと共犯関係ともなる
カップルを演じることのできる看板スター女優を探していた。

そしてそれはアラン・ドロンからのアイデアだった。
「ロミー・シュナイダーはいけないだろうか?」

確かに彼女は適任であった。
そして恐らく彼女に対して何かしてあげねばという責務を
アラン・ドロンは常々感じていたのであろう。
昨日まではヨーロッパの愛される少女であった彼女も、
今や人々からは忘れ去られようとしており、
逆に今日大スターとなった彼は彼女に手を差し伸べようとしたのだ。
ロミーはその2年前から表舞台から遠ざかっていた。
彼女はドイツの演劇監督ハリー・マイエンと結婚し、
息子のダヴィッドを生んで、引退同然の状態でミュンヘンに住んでいたのだ。
彼女はその家族を残して映画界に復帰するだろうか?
そしてキャメラの前で元の恋人と再会して苦い記憶を呼び戻すことはないのだろうか?
「彼女にとって僕は邪魔者ではないはずだよ。」ドロンは確信を持ってこう答えた。
「彼女は『イエス』と返事をするだろう。彼女は僕に恨みなんかは持っていないさ。」
その言葉通りドレーは彼女を説得するのに苦労することはなかった。
彼女は決して無理やり強制的にスクリーンから遠ざけられていたわけではなかったからだ。

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次回に続きます。

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