陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

<掟(おきて)破り>が蔓延する日本社会:食品偽装問題が語りかけるもの

2013-11-08 23:20:17 | 食べ物
 日本には、「日本精神」とも言うべき道徳心がある。勧善懲悪、親子の絆の重視、長幼の礼儀尊重、卑怯・卑屈や未練を恥じる、弱い者いじめをしない、動植物を慈しむ心などに代表されるだろう。戦前は、幼少の頃から道徳教育が自然な形で行われていた。

 それは、永い大和民族の生き様、つまり日本の歴史の中で、ゆっくりと培われた美徳である。とりわけ対人関係においては、やってはならない戒律、すなわち「掟(おきて)」がある。「常識」とも言われる内容に重なる。無闇に人を殺してはならない、人を騙し裏切ってはてはいけない、子供の命を守るなどである。旧約聖書の「モーゼの十戒」に繋がる内容とも言えよう。

 こうした掟の中で、重要なものは明治以降罰則の伴う法律に定められた。法律としないまでも、例えば「教育勅語」や「海兵五省」のような形で世に知られていた。だが、法律を犯さなければ、何をやっても構わないという風潮が、戦後の我が国では中曽根政権(1982-1987)以降、顕著に広まった。

 昨今、食べ物について、ホテル・レストランでの産地偽装や虚偽メニューが取り沙汰されている。ブランド品や高級品を求める庶民の心は私にも分かる。それを当て込み、老舗の看板を利用して偽物を売ることは当に掟破りだ。法律に書いてあろうがなかろうが、やってはならないことである。

 それは、作る側の料理人がプロとしての心掛け(材料選択と調理技法)を劣化させた証拠なのだが、経営者がカネを求める余り、大衆を平気で騙した意図の反映に外ならない。食品に関する法律に抵触しないからと言って、善意の利用者を騙すのは言うまでもなく掟に反する行為である。

 グルメブームに乗って、松阪牛あるいは近江牛が全国で珍重される。私も、旭川の知人宅で米沢牛をご馳走になったが、米沢の老舗牛肉店で売られているものとは異なっていた。北海道のスーパーで売られる程、米沢牛は量産されていないから、少し考えると変だと思うであろう。食品偽装の問題は、表に出たのは氷山の一角、山形県内でも第一ホテルチェーンのレストラン料理に偽装があると最近報道された。

 利用者は、騙されたと知れば怒りが収まらないだろう。政治でも、民主党の「サギフェスト」に騙されたと知った有権者の怒りは凄まじかった。これは、掟を意識する国民が多いことを意味する。

 参議院議員が掟を破り、園遊会で天皇陛下に手紙を直接渡す事件があった。あるいは国会会期中に審議に参加せず、北朝鮮に渡ってのんびりと談合する参議院議員など、呆れるばかりの有権者無視だ。これらも、掟破りで何れ彼らは淘汰されるのだろうが、彼らの任期6年間は実質のお咎め無しである。

 老人から「オレオレ詐欺」で金銭を騙し取ったり、幼児を虐待して殺すなど百鬼夜行の振る舞いが日本で顕著になった。社会世相の変遷とは言え、桶の箍(たが)が緩んでしまったように思えてならない昨今である。

 以下の論考に全部は賛成しないが参考になる。


日本社会のモラルは低下している? 続発する食品偽装
窪田順生の時事日想

 最近、日本全国のホテルで「食品偽装」が話題になっている。

 のべ47品目ものメニューが実際の食材と異なったものを使用していたことを「誤表示」だと言い張って、社長が辞任に追いやられた阪急阪神ホテルズを皮切りに、ザ・リッツ・カールトン大阪、名鉄グランドホテル、JR系ホテルクレメントなどの名が連日のようにあがり、名門・帝国ホテルまで飛び火。問題の広がりっぷりはとどまることをしらない。

 こういうニュースが流れると必ずといって出てくるのが、エラい先生やらジャーナリストみたいな人たちがおっしゃるこんな意見だ。

 「日本社会全体のモラルが低下しているのではないか」――。

 昔の日本人はインチキをしたり、客をダマしたりして金もうけしようなんて恥知らずなことはしなかった。それに比べて、今の日本人には「誇り」がない。ああ、情けなや、というわけである。

 こういうことを言う人はわりと世の中多いようで、阪急阪神ホテルズが運営するホテルで「誤表示」が明らかになった時も、「小林一三が草葉の陰で泣いている」みたいな声が多く聞かれた。

 先人は偉大である。こういう考えは否定するつもりはサラサラないが、最近になってモラルが急落した、みたいな言い方はいかがなものかと思う。

●「食品偽装」は昔からあった

 日本社会の「モラル」は以前からだいたいこんなものだからだ。

 「ささやき女将」がスターダムにのしあがった6年ほど前、偽装が山ほど発覚し、その時もみんな「氷山の一角だ」と口々に言った。そこから昭和にさかのぼってもコンスタンスに食品の偽装はある。

 それは戦後の日本人がダメなのであって、戦前の日本ではありえなかったとか言う人がいらっしゃるがそんなことはない。

 明治・大正に活躍したジャーナリスト・村井弦斎(むらい・げんさい)の『食道楽』には、つい最近報じられていることのようなことがバンバン載っている。例えば、外国産のようなインチキラベルを貼った瓶のなかに、安物の国産品を詰める。「バター」をうたいながら、植物油や豚の脂をまぜる……国の審査がザルなことをいいことに、かなりダイナミックな偽装がまん延していた。

 いや、それも西洋文化に毒されたのであって、それ以前の日本人はそんな恥知らずなことはしねーよ、とおっしゃるかもしれないが、『好色一代男』で知られる井原西鶴も、煎茶に茶の煮殻を混ぜて売り出した悪徳商人を描いており、江戸中期から「食品偽装」があったことがうかがえる。

 つまり、この手の犯罪は昨日今日に始まったことではなく、300年前、あるいはもっと前から日本社会のなかでわりと頻繁に行われてきたというわけだ。

 そう考えると、ロブスターを「伊勢エビ」として提供するとか、搾りたてじゃないのに「フレッシュジュース」を名乗るというのは、分かりやすい伝統的インチキだが、騒ぎになっているもののなかには、そうとは言い難いものまで含まれていることに違和感を覚える。

●融通のきかない社会

 例えば、「鮮魚」だ。

 「鮮魚のムニエル」と言いながら、実は冷凍食材を使っていたとかいう話だが、瞬間冷凍して鮮度を保っていたのだから、解凍したって「鮮魚」であることに変わりないじゃないかという見方もある。鮮魚か解凍かも明確に消費者に開示せよというのなら、日本中の居酒屋にある「刺身盛り合わせ」の多くが、「解凍した刺身の盛り合わせ」に変える必要に迫られるだろう。

 遠洋で取れるマグロなどの魚は冷凍されるのが当たり前だ。つまり、これは「メニューの表示」というものをどう考えるのかというルールの話であり、「偽装」とはキッチリと分けて考えなくてはいけない問題なのだ。

 ところが、今や「鮮魚」や「地野菜」というのを日本中のホテルが続々とメニューから外している。なぜ「偽装」と「メニュー表示の問題」をごちゃまぜにしているのか。

 この元凶は、言うまでもなく「阪急阪神ホテルズ」である。

 「コンプライアンス」と「情報開示」ということに盲目的に従うあまり、自分たちの頭で、「偽装」と「メニュー表示の問題」を整理して考えることをせず、とにかく全部公表すりゃあいんだろと、すべてを「誤表示」のくくりにするという強引な言い訳をした。

 その“悪しき前例”に業界全体が引きずられてしまっているのだ。一業者と問屋で起きた食中毒を日本全体の焼肉屋へ飛び火させ、日本国民にユッケや生レバーを食えなくさせたことからも分かるとおり、日本の食品行政は面倒が起きたら、「くさいものにはフタ」という手法をとる。

 こういうガチガチに融通のきかない社会はまわりまわって、消費者に不利益をもたらす。自らが生み出したルールにとらわれるあまり、杓子定規な解決策しか考えられない。低下しているのは、「モラル」などではなく、「柔軟な考え方」ではないか。

[窪田順生,Business Media 誠]
http://money.jp.msn.com/news/bizmakoto/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%ae%e3%83%a2%e3%83%a9%e3%83%ab%e3%81%af%e4%bd%8e%e4%b8%8b%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%ef%bc%9f%e3%80%80%e7%b6%9a%e7%99%ba%e3%81%99%e3%82%8b%e9%a3%9f%e5%93%81%e5%81%bd%e8%a3%85?page=0
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1 コメント

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はじてまして (ひまわりむすび)
2013-11-28 12:02:41
いつも静かにゆっくり拝読させていただいています。

色んな思いはありますが
どの文章も私の中にすんなりと
おちてきます。

これからも時々お邪魔させてください。


寒くなりましたので
お風邪などひかれませぬよう。

        ひまわりむすび。
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