陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

唱歌<ペチカ>の懐かしさ

2012-03-04 23:06:15 | 読書・映画・音楽

 暖房の効いた部屋の中、ソファへ深々と腰を下ろし、グラスを玩(もてあそ)びながらバーボンのオン・ザ・ロックを楽しむ。つまみは、バター・ピーナッツのみ。静かな夜半過ぎ、外は牡丹雪が音も無く降り続く。明日は、「弥生の節句」だと言うのに、この分では更に20cm以上降り積もりそうだ。

 私は、暖炉(マントルピース)がとても好きだ。欧米の幾つかの家庭に招かれて、背丈ほどもある大きな暖炉に向き合い、安楽椅子に寛(くつろ)ぎ、燃え盛る薪(まき)を眺めながら談笑したことを思い出す。暖炉そのものが高価だし、レンガの煙突も考えねばならない。それに、当地では薪(広葉樹)や石炭を準備するのが厄介だ。だから、これを我が家に設置するのは諦めた。せめてと言うわけで、赤熱炉心部が良く見える大型ファンヒーターを使っている。室内照明を暗くすると、赤い炉心部が後部反射鏡に明るく映って、ちょっぴり暖炉を焚くムードを味わえる(笑)。


 15年も使っている石油ファンヒーター。石油消費量0.752L/hrと大喰いである。


 石造りの家であると、暖炉の後部壁全体を煙道となるように設計し(二重壁)、部屋全体を壁からの輻射熱で暖める形式が「ペチカ」である。厳しい寒さが長く続く北欧、ロシアや満州で常用された。また、暖炉や竈(かまど)からの煙を床下に導く朝鮮式暖房スタイルは、「オンドル」と言う。煙道に中仕切りを幾つも入れて、煙が床下へ広がるように工夫する。

 小学校5年生の末期、旧陸軍の兵舎で学んでいた私たちは、3kmほど離れた場所に新築された校舎へ移動した。子供たちは、雪の中に行列を作り、自分が使っていた椅子をそれぞれに運び、嬉々として新校舎へ入った。

 新校舎は、鉄筋コンクリートの枠組みを持つ2階建て、赤い煉瓦壁が煙道になった「ペチカ」暖房を採用していた。開放的な暖炉ではなく、円筒状の大型石炭ストーブを壁に埋め込んで燃やす形式だ。子供たちが登校する前、各教室に設けられた「ペチカ」焚口へ小使いさんが運びこんだ石炭を投げ入れる。それで、一日中教室内はふんわりと暖かく、臭いも無かった。

 現在、この小学校は全て建て替えられ、スチーム暖房に変わった。時代が求めるエネルギー転換と省力化の反映だろう。だが、「ペチカ」の温もりは時を越えて何とも懐かしい。

 北原白秋は、満州の子供たちのために<ペチカ>の詩を作り、それに山田耕作が曲をつけた。後に山田が満州を訪れた時、ロシア語では「ペェィチカ」と呼んでいるように聞こえたので、帰国してから歌う時はそのように発音するよう指示したと言う。



ペチカ



<ペチカ>   大正13年(1924) 満州唱歌集

作詞:北原 白秋
作曲:山田 耕作


雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
昔 昔よ 燃えろよペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ 表は寒い
栗や栗やと 呼びますペチカ

(間奏)

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
今に楊(やなぎ)も 萌えましょペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ だれだか来ます
お客さまでしょ うれしいペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
火の粉ぱちぱち はねろよペチカ



池田小百合なっとく童謡・唱歌』に、この歌の楽譜並びに詳しい解説が記載されている。
http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyo00yamada.htm#pechika


 子供の頃、この歌を唄った時、「栗や栗や・・」の意味が良く分からなかった。満州では、焼き栗が日常的な子供たちの「おやつ」で、街路を焼き栗屋が声を掛けながら通ったと知り、改めて納得した。

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