気が付いたら明日から6月、時の過行く様は早いものだ。
芍薬が大輪の花を咲かせている。菖蒲(あやめ)も濃い紫の花を付けて、すっきりと伸びている。今年は木香薔薇(もっこうばら)が殊の外元気が良く、沢山の白い花を咲かせた。実に平穏無事な日常である。
さて、叔父(父方)・八郎は、73年前の昭和20年5月下旬、鹿児島県にある鹿屋海軍基地から零式戦闘機(ゼロ戦)に乗り、激戦中の沖縄方 . . . 本文を読む
馬淵睦夫・元ウクライナ駐在大使が、DHCテレビで連続講義を続けていた<和の国の明日を造る>シリーズが一旦終了することになった。事実に基づいて、我が国の近代史を振り返る良い企画であったが、是非また再開していただきたいものである。
最終回は、フランクリン・デラノ・ルーズベルト米国大統領(FDR)が、どのようにして我が国を戦争に引きずり込んで行ったかを解説する内容であった。先の大東亜戦争は、東京裁 . . . 本文を読む
1945年(昭和20年)8月15日に日本はポツダム宣言を受諾、大東亜戦争は日本の敗北に終わった。大日本帝国陸海軍は、9月2日に降伏文書に調印、8月下旬からマッカーサー元帥を総司令官とする連合国軍総司令部(GHQ)の占領施策が始まっていた。
占領軍GHQは、日本軍の武装解除の後、ハーグ陸戦規則に違反しながら、日本の法規定を改編する暴挙を始めた。最も著しいのは、大日本帝国憲法を変えたことである。 . . . 本文を読む
日露戦争で「奉天大会戦」が戦われ、3月10日に日本帝国陸軍はこれに決定的勝利を得た。明治38年(1905)のことである。我が国では、こうした歴史的事績を讃えて、この日を「陸軍記念日」に定めた。
昭和20年(1945)のこの日未明、米陸軍はB29爆撃機の大編隊(300機以上)を東京上空へ送り、まず円環状に高性能ナパーム爆弾(焼夷弾)を落とし、大火災を起こさせた。木造家屋が中心の市街地を模型など . . . 本文を読む
第2次世界大戦が終結した後、我が国は連合国軍の占領支配を受けた。占領開始から7年半後にサンフランシスコ講和条約を締結し(1952)、名目上占領軍は撤退した。その間に、白人に過酷な植民地支配をされていた東南アジア諸国は、解放戦争を戦いぬき、次々に独立した。
独立に伴って、東南アジア諸国の指導者達は、日本の貢献を率直に評価している。
10分で自虐史観の洗脳が解ける魔法の動画(ナレーションつき . . . 本文を読む
前エントリーの続きである。
百田尚樹氏の応援演説を批判した朝日新聞記事を既に紹介したが、一方、産経新聞論説委員・石川水穂氏が百田演説を擁護する記事を書いている。私には、この論考が尤(もっと)もと思われる。
「大虐殺なかった」は正論だ
論説委員・石川水穂
2014.2.16 03:12
朝日が“言挙げ”報道
歴史認識をめぐる中国や韓国の対日非難が続く中、NHK経営委員の「南京大虐殺はな . . . 本文を読む
極東国際軍事裁判(東京裁判;1946.5~1948.11)に対し、これを主催・誘導した米国主体の連合国への批判は、長く今日に至るまで日本人の間で議論され続けて来た。
これは日本人ばかりでなく、世界の有識者からも批判的意見が多く投げかけられている。その具体的な形は、
佐藤和男監修、「世界がさばく東京裁判」(改定版)、明成社、平成17年(2005)
にまとめられた。
それによると、この裁 . . . 本文を読む
昭和20年8月15日の<終戦の詔勅>も知らないままに、フィリピン・ルバング島で30年間戦闘を継続した小野田寛郎(おのだ ひろお)陸軍少尉(当時の階級)が、1月16日に逝去された。享年92歳。謹んで心よりご冥福をお祈り申しあげます。
小野田氏は、一時戦死とされて、靖國神社に祀られた。だが、51歳で無事生還され、改めて靖國神社に参拝されていた。残念ながら、私はTV放送以外小野田氏の講演などを直接 . . . 本文を読む
東京・九段下に国立博物館<昭和館>がある。昭和10年ころから敗戦を挟んで、昭和30年ころまでの国民生活の姿を展示している。それらを見ていると、子供時代の様々なことが思い出されて、何とも懐かしくなる。
昭和館
http://www.showakan.go.jp/
ところで、大阪市には、地方自治体が建設した上記同様の展示館<ピースおおさか>があるらしい(私は訪問したことがない)。そこには、国 . . . 本文を読む
8月15日(木)午前11時50分、日本武道館(九段)で開催された「全国戦没者追悼式典」をテレビ中継で見た。この式典では、天皇皇后両陛下をお迎えし、政府主催で行われる。追悼対象は、第二次世界大戦で戦病死した軍人・軍属約230万人、空襲や原爆で亡くなられた民間人約80万人である。参加遺族の高齢化が目立つようになった。
安倍晋三首相の式辞は、心のこもった分り易い内容であった。以下の赤字部分に注目し . . . 本文を読む
河村たかし名古屋市長が、国会議員時代からの持論である「南京大虐殺は無かった」と発言したら、シナ・中共は急に猛反発して来た。河村市長は、意に介さず発言を撤回しないようだ。私は、河村市長を強く応援したいと思う。
桜チャンネルによると、
【河村たかし】南京市幹部に「南京大虐殺は無かった」[桜H24/2/21]
石原慎太郎東京都知事もこの問題に触れ、河村市長を支持している。
河村市長発言 . . . 本文を読む
昭和27年(1952)4月28日に、<サンフランシスコ講和条約>が発効し、連合国軍総司令部(GHQ)は日本を去った。連合国による7年間の占領施政が終了し、日本は再び独立国としての主権を取り戻した。
このブログでも繰り返し書いたが、日本再独立の記念日として4月28日を国民の祝日に定めるべきと思う。マッカーサー元帥により、占領期間中に与えられた日本国憲法の施行日として、5月3日が国民の祝日になっ . . . 本文を読む
8月15日(月)の正午、燦々と照る陽光の下で、先の大東亜戦争中に落命した英霊に対し、静かな祈りを捧げた。樹木の間から聞こえる蝉の集(すだ)く音は姦しい位だが、66年前のこの日、玉音放送でポツダム宣言受諾を聞いた時は、やはり蝉が激しく鳴いていたのだろう。私は幼児だったので、定かでないのだが・・・
この日は、「終戦の日」として我が国では定着しているが、玉音放送が「終戦の詔勅」と言われることと関係 . . . 本文を読む
昭和20年9月2日、米国戦艦<ミズーリ>上で、帝国陸海軍は降伏文書に調印、以来日本は連合軍に占領され、主権を喪失した。その間、7年と少しであったが、昭和27年(1952)4月28日に<サンフランシスコ講和条約>が発効し、日本は国家主権を回復した。今から59年前のことである。
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65年前の今日、東京湾上に浮かぶ米国戦艦ミズーリ(排水量48,500トン)の甲板で、日本帝国陸海軍の代表として梅津美治郎参謀総長、政府代表として重光葵外相が連合国軍に対する帝国軍隊の無条件降伏文書(休戦協定)に調印した。
同時に、この日ポツダム宣言受諾も正式調印されている。連合国に対する同宣言の受諾は、8月14日に通告された。
8月15日の<玉音放送>は、日本が戦いを止めることを述べられ . . . 本文を読む