ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

安倍首相がアーリントン墓地で献花

2017-02-20 07:17:02 | 国際関係
 安倍首相は、2月10日、日米首脳会談に先立ち、ワシントン郊外にあるアーリントン国立墓地を訪れ、無名戦士の墓に献花した。首相は19発の礼砲と儀仗兵に迎えられ、日米の国歌が演奏された後、花輪を手向け、黙祷をささげた。その際、米国の海兵隊・陸軍・海軍・空軍がそろって日本の国歌「君が代」を演奏した。献花の様子をCNNがフェイスブックにて生放送で伝えた。
https://www.youtube.com/watch?v=hee2LxWU3d4
 (註 画像では両国国歌演奏は割愛されている)

 CNNニュースのコメント欄に米国人から多くの感謝の声が寄せられた。その一部を転載する。

  「ありがとう日本! 私たちのヒーローに敬意を表してくれたことに感謝します!」「これこそ他国やその国民に対する敬意の表し方だよ! 日本の首相に大きな拍手を送りたい!」「なんて感動的な光景なんでしょう……」「素晴らしくポジティブな行動だと思う。日本の首相は優しいね」「去年アベ首相は真珠湾を訪れて、オバマ前大統領に会った。その時にアメリカに対する敬意がこもったスピーチをしてくれたけど、心からの想いを口にしてくれていたのを感じた」「俺たちは歴史的な瞬間の目撃者だ」「平和と敬意。そう、それが日本という国なんだ!」「本当に気高く、勇気ある、そして心の傷を癒す力を持つ行動だ」「ただただ美しい光景だった。日本の首相に心からの敬意を抱いたね俺は」「日本という俺たちの友人は、本当に高潔で立派だねぇ」「日本に敬意を! アメリカと日本で団結していこう!」等々

 安倍首相は、敵を敬い、仇を許す大調和の精神、日本精神を行動で表したものと思う。

 トランプ大統領が本年、来日する時には、安倍首相とともに靖国神社に参拝してほしいものである。ブッシュ子大統領が、平成14年2月に来日した時、靖国神社の参拝を希望した。大統領側は小泉首相と一緒に参拝することを打診したが、わが国の方でこれを断り、参拝場所を明治神宮に変更した。そのうえ、18日ブッシュ子大統領が明治神宮に参拝した際、同行した小泉首相はその間、車を出ず車中で待っていた。この時、もし日米首脳がともに靖国神社に参拝していたら、靖国問題は劇的な変化を遂げていただろう。
 安倍首相は、トランプ大統領を誘い、そろって参拝してほしい。その時、日米の絆は真にゆるぎないものになる。また中国・韓国による靖国神社参拝への非難を、静かに斥けることになる。
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ユダヤ14~性愛と結婚、教育、労働

2017-02-19 08:49:37 | ユダヤ的価値観
●性愛と結婚

 ユダヤ教では、重要な戒律として、家族を形成するために結婚することが定められている。神の創造の御業を讃え、生命を肯定し、現世を志向し、子孫繁栄を願うからである。性衝動や性行為は自然なものとし、キリスト教におけるように必要悪とは考えない。夫婦の性行為はそれを歪めることが罪であるとされる。快楽を伴わない性交もまた罪とされる。祭司にも預言者にも、一般的な戒律としては性愛を禁止していない。戒律を最も厳格に守る正統派では、多産を神の御心にかなうことと考え、避妊を一切行わない。
 ユダヤ民族は各地に離散し、迫害を受けてきた。苛酷な運命のもとで民族が生き残るためにも、結婚・出産が重視されてきたのだろう。性愛と結婚に関する戒律は、個々の家族が存続することより、民族の存続を目指すものと考えられる。

●教育

 ユダヤ教は啓典宗教であり、文字を読む能力を必須とする。そのため、ユダヤ人は近代以前から世界の諸民族の中で識字率が例外的に高く、教育に力を入れ、知性を尊重してきた。教育こそが民族を守る手段と考え、熱心に子供に教育を授けてきた。他の民族では大衆のほとんどが文盲だった紀元前から、ユダヤ人共同体では授業料のない公立学校が存在していた。紀元後1世紀には、すべてのユダヤ人男子は6歳になったらユダヤ人学校で学ばなければならないという布告が全ユダヤ人に通達された。その結果、ユダヤ人男子は識字・計算能力をほぼ100%の割合で身につけることになった。
 知的能力の高さは、祖国を失ったディアスポラ(離散民)である彼らが、諸民族の間で生き続けるために必要だった。諸民族間の通訳や商業は、彼らが古代から得意とした仕事である。とりわけ金融に関する知識・技術は、西欧でユダヤ人が生き延びる術となり、彼らはそれを用いて社会的地位を高め、各国で政治的・経済的な影響力を振るうまでになった。
 家庭教育では、父親が先導して子供にタルムードなどを教える。子供を立派なユダヤ人に育てた者は、永遠の魂を得ると信じられている。ユダヤ教徒は非常に教育熱心で、子供をよい学校に行かせるためには借金をすることも当然と考える。
 ユダヤ人社会の家族形態である直系家族は、伝統的な社会が近代化し、さらに脱工業化社会になっても、親子の結びつきが強く、家族の団結が強い。それが子供の勉学には有利に働き、社会的職業的な上昇を促す。ユダヤ人が、アメリカ社会で、大学に多数進学しているのは、そのためである、とトッドは指摘している。

●労働
 
 ユダヤ教は、原罪によって、男には食べ物を得るための労働が課せられたとする。神はアダムに向かって「お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ」(『創世記』)と言ったという。だが、またこれをより積極的に、人間は創造主の代わりに労働をする存在として作られたとも考える。労働は天地万物を創造した神の行いのひとつであり、神聖な行為とされている。労働により得た賃金や成果は、その一部を創造主に捧げなければならない。
 安息日にすべての労働を休むのは、神の恵みの業を思い起こすためである。安息日には、その主旨のもとに多くのタブーがある。決められた歩数を超える歩行、傘をさすこと、金銭についての話、買い物、書くこと、料理などである。現代生活で言えば、通信機器・電化製品・カメラの使用、自動車・バイクの運転なども禁じられている。

●食事と飲酒

 食事には、細かい戒律がある。カシュルート(適正食品規定)に従って、不潔と定められた豚肉などの食用、肉とミルクの混食などが禁じられている。こうした規定は、選民の身分を守るための戒律とされる。
 飲酒は禁じられていない。ワインは喜びの象徴であり、祭礼のたびに飲まれる。
 安息日と祝祭日の食事は、家庭で行わなければならないとされている。

●暦

 ユダヤ教では、天地の創造を紀元前3761年10月7日とし、この日を紀元元年1月1日とする。
 ユダヤ暦は太陰暦で、新年は太陽暦の9~10月に始まる。現在もこの暦が使用されている。いわゆる西暦はイエス=キリストの出現を基準としたキリスト教暦である。イエスをメシアと認めないユダヤ教が、ユダヤ暦を捨ててキリスト教暦に替えることは、教義上あり得ない。西方キリスト教による近代西洋文明が普及した社会において生活・活動するため、便宜上、ユダヤ暦と西暦の併用が行われている。

 次回に続く。
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フリン米大統領補佐官の辞任とロシア・コネクション

2017-02-17 09:32:07 | 国際関係
 2月14日マイケル・フリン米大統領補佐官が突然の辞任。フリンが担っていた国家安全保障担当の大統領補佐官は、米政府の安保政策の方針を決める国家安全保障会議(NSC)の事実上の司令塔といわれる。政権発足3週間余りで、重要側近の辞任は、トランプ政権にとって大きなダメージとなる。

 フリンは、まだ政権が発足しておらず、一民間人だった昨年末、駐米ロシア大使と外交問題に関する政策を何度か協議したとのこと。米国では建国直後から民間人が外交活動を行うことは法律で禁止されている。バレれば罪に問われるというリスクをおかしてでもロシア大使と対露制裁について協議(解除か緩和のはず)したということは、よほど緊急の必要があったのだろう。

 昨年12月29日、オバマ大統領はロシアの選挙戦へのサイバー攻撃に怒って、駐米ロシア外交官35人を国外退去処分にした。その同じ日に、フリンは駐米ロシア大使に電話して、新政権が制裁を解除する方針を伝えたもの。当時のオバマ政権に対しては、反政府的な行動になる。この時、プーチンはオバマによる外交官追放処分に対抗せず、鷹揚に構えた。外交の常識から言っても、プーチンの行動パターンから見ても、通常考えられない態度だった。そうしたプーチンをトランプは、頭がいいと絶賛した。その背後に、フリンとロシア大使のやりとりがあったわけである。

 FBIは、フリンがロシア大使に電話した交信記録を証拠として持っているという。ロシア大使の動きは、米国の担当官が何人もついて常時監視している。その中で記録の残る手段で連絡したフリンは、如何に緊急の必要性があったとしても、情報のプロとしてあるまじき愚行をした。トランプがロシアに極めて不利な情報(破廉恥行為等)を握られているため、ロシアとの取引によほど焦っていたのではないかと推察される。

 フリンは、軍で30年以上、情報畑を中心に活躍した。個人的にプーチン露大統領と親しく、何度もロシアに行ってプーチンと食事をしたり、講演をして講演料をもらっていたりしたとのこと。2015年には、国営テレビの晩さん会に費用向こう持ちで参加し、会の間中、プーチンの隣に坐っていたと報じられる。こういう人物が選挙戦でトランプ陣営の主要スタッフとして活動し、その後、大統領補佐官に就任。ロシアとの関係改善に異常に積極的なトランプに、親ロシアのフリンが着いているわけだから、対ロシア強硬派の共和党主流派や諜報機関幹部にとっては、フリンは国の進路を誤らせる危険な存在だったことだろう。

 フリンが早期に辞任したのは、疑惑がトランプ大統領や他の側近等に及ばないようにしたのではないか。トランプ側については、選挙期間中、ロシアから金銭を受け取っていたのではないか、政権のスタッフに今も金銭をもらっている者がいるのではないかと、当局が捜査しているとの情報がある。フリンの辞任だけで収まるかどうか。さらに問題が拡大する可能性をはらんでいる。
 トランプ大統領及び側近・閣僚のロシア・コネクションは、政権の正統性を疑わせるだけでなく、米国の独立主権国家としてのあり方を根底から揺るがす恐れがある。

 フリンの辞任は、安倍=トランプ首脳会談の後だった。これは、日本にとってはタイミングが良かったと思う。これが首脳会談の前だったら、何らかの影響が出ただろう。安倍首相にとって、ひいては我が国にとって、運気の流れがよい方に向いていると感じる。
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ユダヤ13~道徳的・経済的生活と家族形態

2017-02-16 09:38:58 | ユダヤ的価値観
(5)生活

●道徳的生活

 ユダヤ教は、信徒に律法・戒律を守る道徳的な生活を課す。紀元前9世紀ころから約400年続いた預言者時代に倫理的応報主義が確立し、その伝統が受け継がれている。
 ユダヤ教は、来世志向ではなく、また呪術を否定する。そのため、ユダヤ人の知恵は、現世における道徳的な実践に向けられた。そして、人間社会において正しく身を処するための方法が説かれた。
 それがよく表れているものの一つが、聖書の『箴言』である。『箴言』の作者は、紀元前10世紀の深い知恵を持つ王ソロモンに帰せられる。主な内容は、夫婦、親子、富者と貧者、主人と従僕などの人間関係に関する道徳的教訓である。特に繰り返されているのは、酒とみだらな女に対する注意や、平静と沈黙の勧めなどの教訓である。
 『箴言』に盛られたような知恵(ホクマー)は、律法に準じて神聖視される道徳的訓戒となっている。

●営利追求の肯定

 ユダヤ教は、営利欲求を肯定する。ポール・ジョンソンは、著書『ユダヤ人の歴史』に次のように書いている。「ユダヤ教は宗教心と経済的繁栄を切り離さない。貧しい者を讃え、強欲を戒める一方、実生活のためになるものと倫理的価値が切っても切れない関係にあることを示している」。ユダヤ教では、「正しく執り行われた商売は厳格な倫理に完全に即しているばかりか、徳の高い行いだと考えた」と。
 古代メソポタミア文明のバビロニア王国では、「ハンムラビ法典」に貸し付けの利子率が定められていた。ヒッタイト人、フェニキア人、エジプト人の間でも、利子は合法的だった。ユダヤ人は、こうした古代西アジアの諸文明の経済文化の影響を受けた。
 『申命記』に、「外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。」(23章21節)と定めている。また「外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合は負債を免除しなければならない。」(15章3節)としている。外国人からは利子を取ったり、取り立てをしたりしてよいという教えである。またユダヤ民族について、「あなたに告げたとおり、あなたの神、主はあなたを祝福されるから、多くの国民に貸すようになるが、借りることはないであろう。多くの国民を支配するようになるが、支配されることはないであろう。」(15章6節)とも書かれている。富の力による他民族への支配が予言されている。そして、タルムードには、「義人の目に麗しく、世間の目に麗しいものが七つある。その一つは富である」と記され、富は美徳とされている。
 仏教の開祖である釈迦やキリスト教の開祖イエスは、現世的な欲望を否定し清貧であることをよしとしたが、ユダヤ教は富を良いものとし、営利欲求を抑制して歯止めをかける教えを持たなかった。ユダヤ教の営利欲求を肯定する教えは、ユダヤ的価値観の根本にあるものの一つである。この価値観は、近代西欧の資本主義と結びついて発展し、キリスト教社会へ、さらに非ユダヤ=キリスト教社会へと広まって、今日に至っている。

●家族型の影響
 
 ユダヤ人の家族形態は、直系家族である。直系家族はヨーロッパでは広く見られ、ヨーロッパ以外ではユダヤの他、日本と朝鮮が直系家族である。直系家族は、子供のうち一人のみを跡取りとし、結婚後も親の家に同居させ、遺産を相続させる型である。その一人は年長の男子が多い。他の子供は遺産相続から排除され、成年に達すると家を出なければならない。こうした婚姻と相続の慣習によって、父子関係は権威主義的であり、兄弟関係は不平等主義的である。この型が生み出す基本的価値は、権威と不平等である。
 ユダヤ人の家族人類学者・歴史人口学者であるエマヌエル・トッドは、家族型における父性の権威の強弱と、ユダヤ=キリスト教における神のイメージには相関性があることを指摘する。権威の強い父からは厳格な神がイメージされ、全能の神のもとで人間の自由意思は否定される。直系家族を母体としたユダヤ教やルター・カルヴァン的なプロテスタントがこれであるとする。逆に権威の弱い父からは寛容な神がイメージされ、非全能の神のもとで人間の自由意思が肯定される。絶対核家族を母体としたアングロ・サクソン的なプロテスタントがこれであるとする。私は、ユダヤ教は単純に自由意思を否定していないと考えるので、その点には異論がある。
 また、トッドによると、直系家族は権威と不平等の価値から、人間は本質的に違うという差異主義の価値観を示す。それが他民族への態度の根底にある。加えて、私見によれば、直系家族は、絶対核家族や平等主義核家族と違って、個人主義的ではなく集団主義的である。個人の自由や権利より、集団の維持や繁栄を重視する。
 次に、ユダヤ社会の通婚制度は、族内婚である。族内婚は、配偶者を自己の所属する集団の内部で得る制度である。族内婚型直系家族は閉鎖的だが、族外婚型直系家族よりも温和な差異主義を示す。兄弟を不平等としながら、族内婚であることによって、兄弟関係に温かさを持つ。民族内における集団間の関係についての見方は穏和である。
 トッドは、直系家族を「父系への屈折を伴う双系制」と定義し、ユダヤ人社会は、父方・母方の親族に平等に重要性を与える双系制だとする。遺産相続は女性を対象から除外しており、この点は父系的だが、ユダヤ人はユダヤ人の母親から生まれた者をユダヤ人とするので、この点では母系的である。そのため、女性の地位はある程度高い。
 ユダヤ人社会の持つ直系家族・族内婚・双系制という要素が、ユダヤ教に影響を与えていると考えらえる。その限りで、ユダヤ教は直系家族の価値観に基づく権威主義的で差異主義的、また集団主義的な宗教である。
 ただし、こうした家族形態だけで、ユダヤ教の特徴が決まるわけではない。一個の宗教としての独自の人間観・世界観・実在観が形成されたのは、主体と環境の相互作用の中でなされた、と考えるべきだからである。ここで主体とは集団的主体であり、家族形態はその集団の構成に関わるものである。そうした主体が生きる環境には、自然環境と社会環境がある。ユダヤ教は、砂漠に発生した宗教としてその自然環境の影響を深く受けている。また、周辺諸民族から侵攻され、征服・支配されやすいという社会環境の影響も大きい。こうした自然及び社会の環境との相互作用の中で、家族形態に基づく価値観が反映する仕方で、ユダヤ教の人間観・世界観・実在観が形成された、と私は考える。

 次回に続く。
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安倍=トランプ会談は戦後の日米交渉で最大の成果

2017-02-14 08:45:41 | 時事
 安倍首相は、「建国記念の日」に、訪問中の米国でトランプ大統領と初の首脳会談を行った。意義深いことである。また、首相は「建国記念の日」に関する所感をFBに掲示した。次の文章である。

 「建国記念日を迎えるに当たって、在米日本国大使館で記帳しました。
 「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、今日の我が国に至るまでの古からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日であります。
 我が国は、四季折々の豊かな自然に恵まれ、長い歴史を経て、諸外国に誇れる日本固有の文化や伝統を育んできました。五穀豊穣を祈り、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補い合い、人々が共に手を携え助け合う、麗しい社会を築いてまいりました。知恵と創意工夫により、自然に向き合い、自然との調和を図りながら、科学技術の発展をはじめ、様々な分野において、人類の営みに大きく貢献してきました。
 長い歴史の中で、我が国は、幾度となく、大きな困難や過酷な試練に直面しましたが、その度に、先人たちは、勇気と希望をもって立ち上がり、たゆまぬ努力により今日の平和で豊かな国を築き上げ、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきました。国民一人一人のたゆまぬ努力の礎の上に、今日の我が国の発展があります。
 私たち今を生きる世代には、こうした先人たちの足跡の重みをかみしめ、困難な課題に対しても未来志向で乗り越えていく努力を積み重ねながら、この尊い平和と繁栄を次の世代に引き継いでいく、日本、そして、世界の平和と繁栄のために能う限りの力を尽していく大きな責任があります。
 伝統を守りながら、同時に、変化をおそれることなく、より良い未来を切り拓いてまいります。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしております。
 「建国記念の日」が、我が国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。

 平成29年2月11日
  内閣総理大臣 安倍 晋三」

 私は、安倍氏は、現代の日本で日本精神をよく体得した数少ない政治家の一人と思う。首脳会談では、日本精神を発揮して、日本の国益を守り、また日米の共存共栄に寄与する活躍を期待した。
 その安倍=トランプ会談の結果、尖閣諸島は日米安保5条の適用範囲と共同声明に明記された。画期的な前進である。また安保と経済を切り離し、経済問題は麻生副総理とペンス副大統領というナンバー2同士で協議していくことで合意を取り付けたのも、安倍氏の見事な手腕によるものでだろう。元総理で経済に精通した麻生氏と、州知事上がりで国際経済の経験の少ないペンスでは、格が違う。大統領が政治的に未熟で、また閣僚の議会承認が9人しか進まず、政権中枢の固まっていない米国側の態勢の弱さを、見事に突いた交渉だったと思う。でもそれが長期的には米国に助力したことになるだろう。戦後最高の日米交渉と評価できる。

 日米は首脳会談でかつてない緊密な関係を構築できた。ここで最大の課題は、中国への対処である。米中間で起こりうる最悪の事態を想定して、準備を進めていくことが必要である。

 元陸上自衛隊東部方面総監の渡部悦和氏は、トランプ政権と習政権の間で米中戦争が勃発する可能性に懸念を述べている。
 渡辺氏は、米国のランド研究所が昨年7月に発表した「中国との戦争」と題する論文を紹介。「短期」すなわち数日から数週間か、「長期」すなわち1年程度かという期間の違い。及び「マイルド」すなわち米軍が中国本土の目標を攻撃しないか、「厳しい」すなわちそれを攻撃するかという攻撃対象の違い。これらの組み合わせにより、論文は4つのケースを想定。米国は「長期、厳しい」戦争に対する備えをしなければいけないと主張。
 「長期、厳しい」戦争において、米軍は、中国本土に対する大規模な打撃を実施。戦いは地理的に拡大し、サイバー戦や宇宙での戦いへエスカレート。戦争は激烈で1年以上継続し、両国に非常に大きな損失とコストを強いる。中国経済がこうむる損害は1年間の戦争でGDPが25%から35%減少。中国経済は弱体化し、経済発展は停止し、広範囲な苦難と混乱が生じると予想している。
 渡辺氏は、わが国はこうした「最悪の事態としての戦争を想定し、それにいかに対処するかを真剣に検討することが極めて重要」と述べている。
 それでもし戦争が回避されたり、起こっても短期、マイルドで収まれば、それでよいわけである。備えのない状態で、米中戦争の影響を被るのが一番ダメージが大きくなる。
http://www.sankei.com/wor…/news/170213/wor1702130021-n1.html

 米国トランプ政権は、マティスをはじめ軍人出身の優秀な閣僚が安全保障分野にそろっている。それに比べて、わが国の安倍政権は、その方面が弱すぎる。内閣改造で人員を強化した方がよいと思う。従来の派閥均衡や論功行賞の人事では、21世紀に迎える本当の国難を乗り越えられない。
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ユダヤ12~ユダヤ教の組織と信仰

2017-02-13 09:52:49 | ユダヤ的価値観
(3)組織

●宗教的民族的共同体

 ユダヤ教は民族の宗教ゆえ、もともと民族的共同体がそのまま宗教的共同体だった。民族とは別個に自立した教団があるのではない。この宗教的民族的共同体の組織は、宗教だけでなく、政治・経済・社会・文化を総合的に含む組織である。これは、古代から前近代まで世界に広く見られる伝統的な共同体のあり方を保つものだった。
 紀元70年に古代ロー帝国によってエルサレムの都市と神殿が破壊され、ユダヤ人は祖国を喪失して流浪の民となった。以後、ユダヤ人は各地の社会において、伝統的共同体としてのユダヤ教社会を維持していた。
 1880年代からパレスチナへの移住運動が始まり、イスラエルの建国に至ったが、イスラエルは多民族・多宗教国家であり、国民の中には非ユダヤ人や非ユダヤ教徒もいる。政教分離を原則としており、ユダヤ教を国教としていない。それゆえ、国民共同体と信徒共同体は一致していない。宗派の異なる集団が並存している。これは、イスラエル以外の諸国に居住しているユダヤ教徒の集団においても同様である。
 各宗派の組織に共通するのは、聖職者と一般の信徒によって構成されていることである。

●聖職者
  
 ユダヤ教の聖職者をラビという。ラビは、律法学者を意味する。ラビは紀元前5世紀から律法の研究や戒律の整備を行い、ユダヤ教を発展させた。今日のユダヤ教は、彼らによる「ラビのユダヤ教」を継承したものである。
 ラビは、ユダヤ教の指導者としての知識を学び、訓練を受け、その職を任された者である。歴史的にはシナゴーグと呼ばれる集会所の指導者であり、ユダヤ人共同体の指導者も務めてきた。
古代・中世には、ラビは他の生業を持つ者とされていたが、16世紀以降、専門的な職業化が進んだ。それには、キリスト教の影響が指摘される。ただし、ラビは、キリスト教のカトリック教会の聖職者とは違い、人と神の中間に位置し、神へのとりなしを果たす役割を持つ者ではいない。
 ラビの最も大切な仕事は、ユダヤ教の礼拝を主導し、祈りや祭りの持つ深い意味を信徒に教えることである。また、ラビは精神的指導者の仕事にとどまらず、様々な相談ごとに応じるよろず相談承り人ともなっているといわれる。

●シナゴーグ
 
 宗教は多くの場合、祭儀を行う場所や信者が集う施設を持つ。ユダヤ教徒は、ローマ軍に国を滅ぼされて神殿を破壊されてからは、離散した各地で集会所に集まって宗教活動を行ってきた。神殿での祭儀が不可能となったことで、シナゴーグでの教典学習が中心となった。
 ユダヤ教の集会所をシナゴーグ(会堂)という。ギリシャ語のシュナゴゲー(集会所)に由来する。ユダヤ教会と称されることもある。シナゴーグは、もともと聖書の朗読と解説を行う集会所だった。現在は祈りの場であるとともに、礼拝や結婚、教育の場であり、また文化行事なども行うユダヤ人共同体の中心施設となっている。

(4)信仰

●目的

 ユダヤ教徒にとって、人生最大の目的は、神の定めた律法を厳格に守ることによって、神の前に義とされ、神の国に入る資格を得ることである。それを信徒が個々に自分のために目指すのではなく、集団で目指すところに、ユダヤ教の信仰の目的がある。

●行為の重視

 ユダヤ教は、律法主義の宗教である。律法に従い、戒律を守るために、実践を重視する。信仰を持っていたとしても、決められたことを実行しないのは、ユダヤ教徒のあるべき姿ではないとされる。キリスト教は、ユダヤ教の律法主義を批判し、内心で信じるだけで救われると説いた。こうした内心で信じるだけで救われるという考え方は、ユダヤ教にはない。心で信じるだけでなく、行いが求められる。

●信仰告白と祈り
 
 神ヤーウェへの信仰告白は、「シェマ・イスラエル (聞けイスラエル)」を中心とする。「シェマ・イスラエル」とは、『申命記』6章4~9節にある次の言葉である。
 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」
 ユダヤ教徒は、この信仰告白を書いた羊皮紙を収めた革の小箱 (テフィリン)を、一つは左上腕に、もう一つは額に巻きつけて、神に祈りを捧げる。
 一日に朝、昼、晩の3度、祈祷をするのを原則とする。平日には、父祖の神の全能と聖名の賛美に始まり、神のシオン帰還とイスラエルの祝福で終わる19項目の祈祷文を唱える。本来は18項目であったことから、シュモネー・エスレー(18祈祷文)と呼ばれる。規律して行われることから、アミダー(立祷)ともいう。
 立祷は、正式には成人男子10人以上の集団 (ミヌヤン)で祈ることになっている。

●安息日と礼拝

 『創世記』は、神が6日間で天地と人間を創造し、7日目に休んだと記している。それに基づいて、ユダヤ教には安息日(シャバット)が設けられている。安息日は、神の恵みの業を思い起こすため、すべての労働を休む神聖な日とされる。金曜日の日没に始まり土曜日の日没に終わる。
安息日ごとに行われる公の礼拝は、律法(モーセ五書) の朗読を中心とする。毎週1区分ずつ朗読して、1年間で読了するよう54区分されている。
 安息日は、礼拝に参加するほか、自分自身を見つめたり、家族と対話したりする日ともなっている。

●祝祭日

 ユダヤ教には、次のような祝祭日がある。新年祭、贖罪日、仮庵の祭、律法の歓喜祭、ハヌカ祭プリム祭、過越の祭り、七週祭などである。
 これらのうち、最も特徴的なのは、過越の祭り(ベサハ)である。この祭りは、モーセがエジプトを脱出しようとするのを許さないエジプトのファラオに怒った神ヤーウェが、エジプト人の初子を皆殺しにした故事による。この時、ユダヤ人の家では難を逃れる目印として、戸口に子羊の血を塗った。神はその家を過ぎ越したので、ユダヤ人は天罰を免れた。この祭りは、ユダヤ人は神に選ばれた民であることを確認し、子孫に伝える儀礼となっている。

●人生儀礼

 男子は生後8日目に割礼を受け、同時に命名される。これは、新生児が原初のアブラハム契約に参加してユダヤ人共同体の一員になったことを示す儀式とされる。
 少年は13歳で成人式(バル・ミツバー)を行い、戒律を守る義務を負う。バル・ミツバーは「戒律の子」を意味する。成人を迎えると、完全に大人と同様と扱われる。

●清め

 ユダヤ教には、穢れを忌み嫌い、穢れを祓う清めの思想と儀礼がある。死体に接した者、月経や出産後の女性は、ミクベ(沐浴場)で首まで水につかって、身を清める。

 次回に続く。
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お勧め~映画「海賊とよばれた男」

2017-02-12 08:49:59 | 時事
 百田尚樹原作の映画「海賊とよばれた男」は、日本人の魂を奮い起こしてくれるいい映画である。まだ観る機会のない方に、あらためて鑑賞をお勧めする。



http://kaizoku-movie.jp/
https://www.youtube.com/watch?v=03va5qDFyzY

 大東亜戦争は石油をめぐる戦いであり、わが国は石油で敗れたといっても過言ではない。敗戦後、日本にとって石油がいかに大切かを誰よりもよく知っていた出光佐三は、敢然と石油メジャーに挑み、唯一の民族系石油資本を守り抜いた。出光は「日本に帰れ」と訴え、日本人に日本精神を取り戻すことを呼びかけ、自らの社員とともに実践した。この映画は、出光とその仲間たちの生きざまを感動的に描いている。
 岡田准一は、主人公・国岡鉄造になりきり、重厚で気迫のこもった演技をしている。職人芸によるミニチュアと最新技術のVFXの組み合わせによる大正・昭和期の街並みや焦土と化した都市のたたずまいが見事である。山崎貴監督が自ら作詞した国岡商店の社歌が随所で歌われ、心に響いた。

 文芸批評家で都留文科大学教授の新保祐司氏が、産経新聞1月27日付に、貴重な文章を書いている。新保氏は、大学卒業後、40歳過ぎまでこの映画のモデル・出光佐三が起こした出光興産で働いたそうで、この会社の精神を社員として学んだ人物である。

 新保氏は、次のように書いている。
 出光佐三は、「日本人はどうあるべきか、人間が働くとはどういうことかについて独自の思想を鍛え上げ、その実践として経営があった。よく言い聞かされた言葉には「真に働く姿を顕現して、国家社会に示唆を与える」というものがあった。その思想の根底には、深い愛国心があり、ガソリンスタンドのポールには国旗が掲げられていた。新入社員時代、支店勤務の私は、朝礼での国旗掲揚とそれに対する最敬礼の号令をかける担当をしていたものであった」
 「佐三が、昭和15年の紀元2600年の年にまとめた『紀元二千六百年を迎えて店員諸君と共に』に出光の主義方針が掲げられている。このタイトルそのものが、佐三の思想を表している。「紀元二千六百年を迎えて」であり、「店員諸君と共に」なのである。この文章に「人間尊重」「大家族主義」「独立自治」「黄金の奴隷たるなかれ」「生産者より消費者へ」が挙げられている。この佐三の考えは、日本人であることの深い自覚から生まれたものであり、単に経営を成功させるための功利的なものではなかった。戦後の高度成長の波に乗っただけの経営とは、正反対の考え方であった」
 「アメリカ的経営に侵食されてきた弊害に気付いて近来、日本的経営の重要さが見直されているが、それには、出光の在り方が「示唆を与える」のではないか。日本的経営を経営学のレベルでとらえるのでは足らず、本当の日本的経営の根本には、日本人の自覚と愛国心がなくてはならないからである」
http://www.sankei.com/entertainments/news/170127/ent1701270013-n1.html
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ユダヤ11~罪、最後の審判、メシア

2017-02-10 08:15:53 | ユダヤ的価値観
●罪と最後の審判

 ユダヤ教では、神の意思に反することが罪である。具体的には、十戒を代表とする律法に定められた命令への違反である。特に重罪とされるのが、偶像礼拝、姦淫、殺人、中傷の四つである。
 ユダヤ教は、人間は罪を犯しやすい弱い存在であるとする。憐れみ深い神は、悔い改めた罪人を必ず許す。しかし、正義の実現を目ざす神は、各人の責任を死後にも追及する。そこで、この世の終りに、神はメシアを派遣して神の王国の建設を準備させる。その後に新しい世界が始まると、すべての死者はよみがえり、生前の行為に応じて最後の審判を受ける。その結果、罪人は永遠の滅びに落とされ、義人は永遠の生命を受ける。
 ここで注意すべきは、新しい世界は死後の来世としての天国ではなく、地上に建設される神の王国であることである。義人は天国ではなく、地上において永遠の生命を与えられる。心霊的存在ではなく身体的存在として、地上に永遠に生きると考えられている。

●天国と地獄

 ユダヤ教の聖書には、天国という明確な概念がない。天国が空間的・場所的にどこにあるかは、具体的に記されていない。ユダヤ教では、天国は「国」「領域」というよりは、「神の支配」を意味する。神が統治者としてこの地上に君臨すること、あるいは神の意思を地上に実現することが、天国にほかならない。来世の天国ではなく、地上天国である。霊的な次元ではなく、また地球外の場所でもない。
 地獄もまた明確な場所の概念ではない。神から離反している状態が、地獄と考えられる。

●死生観

 ユダヤ教では、原罪に対する罰として、死をとらえる。原罪によって、人間は死すべきものとなり、死によって土に還る定めを負ったと理解する。
 死後については、多くの宗教に見られるような死後の世界は、明示されていない。死の観念はあるが、現世とは別に存在する死後の世界という考え方がない。死後、別の世界に移り、その来世で報われるという考えがないのである。そのことから、ユダヤ教では、人は死んだ後、メシアの到来と最後の審判までの間、一種の休眠状態または停止状態に入ると理解される。メシアの到来で開かれる新しい世界も、地上に建設される神の王国であって、多くの宗教で死後の世界とされる霊界とは異なる。
 それゆえ、ユダヤ教の死生観にみられるのは、強い現世志向である。この世での人生を何よりも大切に考えて生き、その人生の結果として最後の審判で地上において永遠の生命を得ることを目標にするのが、ユダヤ教徒の生き方と理解される。

●メシアとイエスへの評価

 ユダヤ教では、今後メシアが出現することが期待されている。メシアは主すなわち神ではない。人間であり、ダビデの子孫とされる。それゆえ、「救済者」であって、「救世主」と訳すのは、厳密には誤りである。メシアは、神と新しい契約を結び、王国を復興して神殿を再建する。離散したユダヤ人を世界各地から呼び集める。イスラエルを率いて、世界を統治する。このような役割を果たすべき宗教的指導者であり、また政治的指導者が、メシアである。
 キリスト教がメシアは既にイエス=キリストとして現れたとするのに対し、ユダヤ教はそれを否定する。キリスト教はイエスをメシアとしてのキリストとし、イエスに神性を認め、アダムの原罪から人間を解放したとする。すなわちイエス=キリストは、ただの救済者ではなく「救世主」とされる。だが、ユダヤ教はイエスをメシアとみなさない。またイエスを「主」とも「神の子」ともみなさない。イエスは人間であり、律法に背いた犯罪者とみる。
 キリスト教徒は、イエスをキリストだとする最大の根拠として、『イザヤ書』53章を挙げる。そこには、第2イザヤの預言として、主すなわち神によって、人々の咎を負わせ、主の御心を成し遂げる者が現れることを述べた一節がある。すなわち、同章4~6節に「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」とある。キリスト教徒は、この預言はイエス=キリストの出現を述べたものと解釈する。
 だが、ユダヤ教徒は、キリスト教徒の解釈は間違いであり、その記述はイエスの出現を預言したものではないと断じる。

●隣人愛

 紀元後2世紀のラビ・アキバは、ユダヤ教史上最高のラビと言われる。アキバはユダヤ教を一言で言うと、『レビ記』19章18節の「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」であると述べている。ユダヤ教の隣人愛をユダヤ教徒に限らぬすべての人間への愛と考える解釈があるが、ユダヤ教徒の実践はそうなっていない。
 イエスもまた「汝の隣人を愛せよ」と教えたが、ユダヤ教における隣人とは、ユダヤの宗教的・民族的共同体の仲間である。仲間を愛する愛は、選民の間に限る条件付つきの愛である。人類への普遍的・無差別的な愛ではなく、特殊的・差別的な愛である。なぜなら彼らの隣人愛のもとは、神ヤーウェのユダヤ民族への愛であり、その神の愛は選民のみに限定されているからである。ユダヤ教徒の隣人愛が普遍的・無差別的な人類愛に高まるには、神ヤーウェによる選民という思想を脱却しなければならないだろう。

 次回に続く。
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マティス米国防長官は「狂犬」ではなく「猛犬」

2017-02-09 10:19:39 | 国際関係
 2月3日安倍首相がマティス米国防長官と会談した。マティス氏は、米国の日本防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用範囲に尖閣諸島が含まれると明言。中国を念頭に「尖閣諸島は日本の施政下にある領域。日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対する」と表明。「北朝鮮など直面するさまざまな課題に対し、1年前、5年前と同じように第5条は重要であることを明確にしたい。5年先、10年先でも変わらない」と強調した。

 首相が、稲田防衛相に任せずにマティス国防長官に直接会い、安全保障上、最重要の課題について、しっかり確認を取ったのは、良かった。これぞ国家最高責任者の仕事である。

 翌4日稲田防衛相は、マティス米国防長官と会談し、共同記者会見を行った。マティス氏は、ここでも尖閣諸島は日米安保5条の適用範囲と明言。沖縄の基地問題については、「日本での討議を通じて協力し合い、普天間移設先の施設を整備する努力を続けることに合意いたしました。これは現在の海兵隊普天間飛行場を米国が日本に返還する唯一の解決策であります」と断言した。
 また、在日米軍の駐留経費については、「コスト負担ということでは、日本は本当にモデルだと思っている。われわれは常に対話をこの件についてやっています。詳細についても常に話をしています。そして日本と米国で経費の負担分担が行われているのは、他の国にとってモデルになると思っております。お手本になると思っております」と、日本の費用負担を高く評価した。

 過去半世紀以上、米国の国防長官でこれほど優秀・明晰でかつ軍務に精通した人物は、いないのではないか。
 マティス氏の異名 "mad dog" をマスメディアは「狂犬」と訳しているが、 "mad dog" は、狂犬病にかかった凶暴な犬ではなく、勇猛果敢な戦士であることを意味する。わが国唯一の同盟国の国防責任者に対して敬意を表し、「猛犬」という訳語に替えた方がいいと思う。

 2月10日の安倍・トランプ首脳会談は、安全保障に関しては今回の日米合意をもとに行われると見られる。主たる論点は、経済になりそうである。首相の類まれな交渉力に期待する。

関連掲示
・拙稿「尖閣を守り、沖縄を、日本を守れ」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12o.htm
・拙稿「トランプ時代の始まり~暴走か変革か」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-3.htm
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ユダヤ10~律法・戒律・自由意思

2017-02-08 10:25:46 | ユダヤ的価値観
律法

 上記のような実在観、世界観、人間観を持つユダヤ教において、教義の中心となっているのは、律法である。律法は、神ヤーウェが決め、モーセに与えられたものを主とする。
 モーセが受けた律法を十戒という。十戒は、神からユダヤ民族に一方的に下された命令である。神がシナイ山でモーセに石板二面に書いて示したとされる。神は、エジプトで奴隷になっていた古代イスラエルの民を救い出した。だから、神に全面服従しなければならないとする。もし守らなければ、人間は神の怒りに触れて、たちまち滅ぼされてしまうというのが、ユダヤ教の考え方である。
 十戒は、『出エジプト記』20章と『申命記』5章に記されている。大意は次の通りである。

(1)あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
(2)あなたはいかなる像も造ってはならない。
(3)あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
(4)安息日を心に留め、これを聖別せよ。
(5)あなたの父母を敬え。
(6)殺してはならない。
(7)姦淫してはならない。
(8)盗んではならない。
(9)隣人に関して偽証してはならない。
(10)隣人のものを欲してはならない。

 前半は宗教的な規定であり、後半は道徳的な規定である。これらのうち、(1)(2)は、ユダヤ教の排他的一神教と偶像崇拝の禁止という特徴を示す。それらを神の命令としているところに強い拘束性がある。対照的に(5)(6)(7)(8)は、ユダヤ教徒に限らず、普遍性の高い規範である。
 注意すべきは、(6)の「殺してはならない。」は、異教徒を対象としていないことである。また人殺しを禁じるものであって、一切の生き物を殺すなとは言っていない。また、(9)は嘘をつくなと命令するものではなく、裁判の時に偽証をするな、と言っているだけである。

●戒律
 
 ユダヤ教では、律法以外に、細かい戒律が定められている。紀元前5世紀から約1000年の間に、律法学者(ラビ)がユダヤ教を発展させた。彼らが形成したユダヤ教を「ラビのユダヤ教」という。「ラビのユダヤ教」は、613の戒律を定める。戒律には、「~してはならない」という禁忌戒律と「~すべき」という義務戒律がある。禁止戒律は365戒、義務戒律は248戒あり、計613である。
 これらの戒律は、狭義の宗教的戒律のほかに、倫理的戒律と生活的戒律を含む。戒律遵守の生活が、ユダヤ人の民族的一体性を守り抜く基盤となった。ユダヤ教は宗教的・民族的共同体の生き方そのものが宗教になったものであり、多数の戒律の存在はその特徴をよく表している。
 特筆すべきは、613の戒律のうち120以上が、人が生活の糧を得る方法や貨幣を倹約し、貯蓄し、それを使用する仕方について規定していることである。こうした経済的な生活規範が、ユダヤ的価値観における経済的な価値観の根底に存在する。

●律法・戒律と人間の自由意志

 ユダヤ教において、律法に従い、戒律を守るかどうかは、人間の自由意志による。
人間創造及び原罪と楽園追放の項目にユダヤ教の人間観について書いた。ユダヤ教では、人間は神の似像として創造され、それゆえに意志の自由が与えられているとする。人間に自由意思がなければ、律法や戒律は必要ない。行為は動物と同じく本能的な行動の反復に過ぎないからである。自由意思があるからこそ、それへの規制が定められている。
 ユダヤ教では、人間は自由意志により神の命令を守ることができるとし、律法や戒律を実践し、よいことをすることができると考える。この考え方は、因果律に基づく。律法と戒律の遵守を義務とし、それを実行すればよい結果が、実行しなければ悪い結果が現れるというする倫理的応報主義である。また、ここには、神の絶対性と人間の自由意思は矛盾しないという考え方がある。
 ユダヤ教から現れたイエスは、律法主義・戒律主義を乗り越えようとして、神に対する愛と隣人に対する愛を強調した。律法・戒律の形式的な遵守より、愛の実践を説いた。イエスの教えに基づくキリスト教では、ユダヤ教の戒律を重視しない。
 キリスト教において、ローマ・カトリック教会は、人間の自由意思を認め、善行や功徳を積むことを奨励する。東方正教会も同様である。だが、西方キリストでは、教父アウレリウス・アウグスティヌスやマルティン・ルターが神の絶対性を強調することにより、人間の自由意思を否定し、救済は人間の善行・功徳によって得られるのではなく、全く神の意思によるとした。この考え方のもとには、パウロ以来の神による救いと滅びは予め定められているという予定説がある。この説を徹底したジャン・カルヴァンは、救いと滅びは堕罪前から定められているという二重予定説を説いた。これに対して、ヤーコブス・アルミニウスは、人間は自らの意志で神の救いを受けることも、拒絶することもできると説いた。その説の影響のもとに、すべての人間の自由意思による救済を説く教派や、さらにすべての者が例外なく救われるとする万人救済説を主張する教派もある。
 これに比し、ユダヤ教は、神の絶対性を強調しつつ、人間の自由意思を肯定する。そして、自由意思は、律法・戒律を前提とし、律法に従い、戒律を守ることを自らの意思で実践するために、発揮すべきものとされる。
 自由意思の肯定は、人間における悪の問題を生じる。自由は、人間における神に似た要素として最も価値あるものであるとともに、また神への背反の原因ともなりうるものである。そのことが、原罪と楽園追放の思想によって示されている。ユダヤ教によれば、神の似像として創造されたものとして、人間は神のように恵み深く、憐れみに富み、正しく完全でなければならない。人生の目的は、今も進行中の神の創造の業に参加し、これを完成して創造主に栄光を帰すことである。しかし、エバが禁断の知恵の実を食べて楽園から追放されたように、人間の本性には悪の衝動が含まれている。ユダヤ教は、悪の衝動を抑えて神の創造の業に参加することは、各人が自由意志に基づいて決定しなければならないと教える。

 次回に続く。
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