ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

トランプ時代の始まり~暴走か変革か3

2016-12-08 08:53:10 | 国際関係
●新たな日米関係の構築へ

 安倍首相は、トランプの勝利後、逸早くトランプに連絡し、ニューヨークで会談することを提案した。アルゼンチンで行われるAPECに向かう予定を生かした見事なアポ取りだった。11月18日世界各国首脳の中で最も早く安倍=トランプ会談が行われた。実に良いタイミングだった。
 トランプ大統領の登場は、欧米におけるグローバリズムへの反発とナショナリズムの復興という大きな動きの中の現象だが、アジア太平洋地域では、国際政治と安全保障に大きな不確実性と混乱をもたらすことが懸念されていた。
 安倍首相には、トランプに、日米同盟の重要性、同盟強化がもたらす米国の利益、日米協調による双方の経済利益、中国覇権主義の危険性等をしっかり理解してもらうことが期待された。
 会談の終了後、安倍氏は「トランプ次期大統領とは、じっくりと、胸襟を開いて、率直な話ができた、大変温かい雰囲気の中で会談を行うことができたと思っています。共に信頼関係を築いていくことができる、そう確信の持てる会談でありました」と語った。また「同盟は信頼がなければ機能しません。トランプ氏は信頼できる指導者だと確信しました」と述べた。安倍氏が話したことにトランプ氏が基本的な理解を示したことを示唆するものだろう。安倍氏は日米同盟の重要性、TPPと自由貿易の意義等について説明したと見られる。そして、日米の指導者がどうあるべきか、彼に筋金を入れるような、しっかりした考え方を伝えたのだろう。
 今後さらに二人の信頼関係・相互理解を深めてほしいものである。

●トランプはTPPからの離脱を宣言

 次にトランプ政権で予想される政策について述べる。
 トランプが大統領選で支持された理由の一つは、「TPPは米国の製造業を破壊する」という主張だった。トランプは11月22日、当選後初めて、TPP離脱に言及し、「就任初日にTPPを脱退する意志を表明する」と宣言した。安倍首相との会談、APEC開催後の発言だから、なおトランプに翻意を期待することはできないだろう。ここまで言っていながら持論を変えたら、彼のコアな支持者たちが離反するだろう。
 TPPは、関税分野だけでなく、投資やサービスなど幅広い分野のルールを定めようとするものである。自由貿易を拡大する広域経済協定だが、同時に米国主導で各国の文化・伝統・価値観を排除し、グローバリゼイションを徹底的に進めようとするものである。私は、その点に問題が多いと見て、本当に日本の国益になるのか、疑問を持ち続けてきた。
 TPPには、わが国にとってメリットとデメリットがある。わが国は、もともと米国主導のTPPへの参加に慎重な姿勢を取っていたが、かなり遅れて議論に参加し、後に積極的に交渉を行うようになった。だが、明らかに米国追従やむなしという中での部分修正の努力だった。一旦外交交渉を始めた以上、国益をかけた交渉をやってもらわねばならない。私は、ここ3年数か月、安倍政権によるTPP交渉を見守ってきたが。安倍政権はタフな交渉を続けてきたと思う。だが、依然として私の懸念は消えていない。
 オバマ政権はTPPの交渉で、自国の主張を押し通して強硬姿勢を崩さなかった。交渉開始から昨年10月に大筋合意に達するまで5年半を費やした。私の知る限り、日本にとって米国を主対象とする外交交渉で、これほど複雑で判断の難しい課題はないと思う。世界は、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)や日欧間の経済連携協定(EPA)など巨大経済協定を目指すのが潮流となっている。巨大経済協定は、自由貿易圏の拡大になる。だが、その一方、各国の事情を無視した一律の規定を飲むことは、マイナスになる。二国間協定で、相手国ごとに細かく規定を決めた方が、こうしたマイナスを避けられる。
 わが国が米国に安易な妥協をすることは、大きく国益を損なう。TPPで米国の外交圧力に屈すれば、プラザ合意以降の日米経済戦争の最終局面になりかねない。ただし、TPPに大きな意味があるとすれば、台頭する中国への対抗である。オバマ政権は中国を経済的に包囲するという思惑から、TPPを推進してきた。特にわが国の場合、国防を米国に依存しているので、中国の軍事力から国を守るために、最終的には米国の意思に沿わざるを得ない立場にある。実際、TPPは日米同盟の強化になるとして、中国の覇権を抑止する戦略的な目標と安全保障上の観点からTPPの早期妥結を求める主張がある。だが、TPPと国家安全保障は、基本的に別の問題である。わが国は改憲と国家の再建を断行しない限り、米国へのさらなる従属の道か、中国の暴力的な支配に屈する道か、いずれかになる。日本の運命を切り開く選択は、自らの手で憲法を改正することである。わが国は、その憲法改正が出来ていない。それが最大の問題である。その状態で、日本の経済のみならず、法・社会・文化・価値観等を大きく変える可能性のある条約を締結するのは、下手をすると自滅行為になる。それゆえ、TPPより、憲法改正を急務としているのである。
 オバマ政権はTPPの成立を目指して12か国の交渉を主導してきたが、米国内にも、実利的な観点から、ずっと反対意見がある。詳細が不明だとして連邦議会で問題になってきた。特定の業界や企業の利益のための協定という指摘があり、TPPで米企業の海外展開が拡大しても利益を得るのは富裕層だけで、大半の労働者は取り残されるという見方もある。グローバリゼイションに伴う雇用流出や産業衰退に不満を抱く層は、TPPの効果より、それがもたらす弊害を懸念するのである。だが、それでもオバマ政権はTPPの交渉を推進してきた。ところが、最終段階で、米国は、国民が選んだ新たな大統領により、TPPから自国は離脱するというどんでん返しになろうとしている。
 米国にとってTPP離脱は、一部では雇用の回復や製造業の復興になるだろうが、その反面、推進派がもともと狙っていたグローバリゼイションの推進による利益は得られなくなる。また、TPPの交渉中に浮上してきたRCEPとの関係から生じる得失も生じる。特に中国との関係がポイントである。米国の離脱でTPPが発効しなければ、それによって生じた空白は、RCEPで埋められることになるだろう。RCEPは米国が入っておらず、GDP最大の国は中国だから中国主導となる可能性が高い。
 この点に関して、米議会の諮問機関「米中経済安全保障調査委員会」は、11月16日に年次報告書を公表した。報告書は、次のような試算を紹介しているという。(1)TPPが発効せず、日本や中国が参加するRCEPが発効した場合は、中国に880億ドル(約9兆6千億円)の経済効果をもたらす。(2)TPPが発効してRECPも発効した場合は、中国に720億ドルの経済効果がある。(3)TPPが発効してRCEPが発効しなかった場合は、中国の経済損失が220億ドルに上る。この試算によれば、TPPが発効されなければ、いずれにしても中国を大きく利することになると予想される。
 一方、米国は、RCEPが実現すれば、対日貿易で米企業が中国企業より不利になると見られる。日欧EPAが合意すれば、豚肉輸出でデンマークに後れを取る可能性がある。牛肉輸出は、日本とのEPAが発効したオーストラリアより悪条件のままになるなどの見方が出ている。
 ただし、経済的な予測は、しばしば特定の政治的集団や財閥・業界等に都合のいいように、数字が並べられることがあり、軽信することはできないので、複数のシミュレーションを比較検討する必要があるだろう。いずれにしてもトランプは、TPPを離脱することによる損失よりも、それで得られる利益を取ろうとしていることは間違いない。
 トランプは、来年1月20日、おそらくTPP脱退を宣言するだろう。わが国の指導者が、トランプにTPP離脱を思いとどまらせるために、自由貿易主義を訴えるだけではだめである。100%の自由貿易は一個の理念であって、それが国益になるのは、かつてのイギリス、近年までのアメリカのような地球的な覇権国家にとってのみである。それ以外の国々は、自国の国益のために、自由貿易を基本としながらも、一部の産業や雇用に保護貿易政策を取るのは、当然である。目的は、自由貿易主義の理念を実現することではなく、民利国益を追求することだからである。そこを考え違いしてはならない。米国ですら、総合的に見て100%の自由貿易は不利とみれば、一部保護貿易政策を取ることを考えるのである。資本主義の経済活動は、理念の追及ではなく、利益の追求で行われている。自由貿易主義を説くだけでは、トランプをTPP継続に転換させることはできないだろう。
 では、わが国政府は、米国がTPPを脱退した場合にどうするか。シナリオを準備してきたのだろうか。米国抜きでTPPを日本主導で進め、発効条件や内容の修正を図るのか。日本もTPPをやめて、二国間での自由貿易協定の組み合わせに進むのか。中国が中心となるRCEPに軸足を移すのか。
 日本は、経済的利益の追及だけでなく、中国の脅威から日本とアジアを守る安全保障の課題と合わせて、主体性を持った戦略的な構想力を求められている。そして、その戦略的な構想力を発揮し得るのは、日本人の手で憲法を改正し、まっとうな独立主権国家のあり方を回復したときのみである。

 次回に続く。

関連掲示
・TPPに関する私見は、下記の拙稿「TPPは本当に国益になるのか」をご参照ください。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion13.htm
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人権385~ミラーにおける最低限の権利

2016-12-07 10:12:18 | 人権
●ミラーにおける最低限の権利

 ミラーは、人権の内容を後期ロールズより広い範囲で定めようとする。また、人権発達の実践につながる具体的な議論を展開している。
 ミラーは、人権は正義の核心をなすものとし、正義の観点から基本的人権のグローバル・ミニマムを定めることを提案する。ミラーは、グローバル・ミニマムとは、「どのような場所やいかなる状況にある人であっても保障されなければならない一連の基本的人権」であるとし、「いわば人間らしい生活が成り立つための条件に対応するもの」であると述べている。基本的人権とは人権と呼ばれる諸権利の「中核をなすもの」だとし、「非常に強く抗しがたい道徳的要求を持つ」という点で他の諸権利と区別される、という。
 ミラーは、人間を「生物的存在であると同時に社会的存在」でもあるととらえる。そして、グローバル・ミニマムとして保障されるべき最低限の権利とはどういうものかを検討する。ミラーは「基本的ニーズと社会的ニーズの区別」を提案し、基本的ニーズとは「いかなる社会でも人間らしい生活の条件として理解されるべきもの」であり、社会的ニーズとは「特定の社会で人間らしい生活の要件として見なされるより幅広いもの」であるとする。そして、「人権の基礎づけとして依拠することができるのは、基本的ニーズだけ」として、ミラーは、基本的ニーズのリストを示す。食物や水、衣服や安全な場所、身体的安全、医療、教育、労働と余暇、移動や良心や表現の自由等である。そして、「いかなる社会でも人間らしい生活の条件」となるこれらの基本的ニーズのみが、人権の基礎づけとして依拠できるものだと主張する。
 私見を述べると、ミラーが基本的ニーズに含める医療・教育・労働等は、それぞれの社会や文化によって内容や水準が異なる。もし基本的ニーズに含めるなら、医療・教育・労働等について「いかなる社会でも人間らしい生活の条件」となる最低限の内容・水準を定め、そのうえでそれ以上の部分は、社会的ニーズだと分ける必要があるだろう。最先端の高額医療、大学教育、高度な精神労働等は、基本的ニーズとはいえない。だが、ミラーは、医療・教育・労働等を一括して基本的ニーズに含める。そのため、基本的ニーズ全体が曖昧になっている。
 ミラーが基本的ニーズを挙げて目指すものーーそれは、「人間らしい生活」である。だが、その「人間らしい生活」とは、どのような生活かについて、ミラーは具体的に述べていない。「人間らしさ」は、私のいう「発達する人間的な権利」の「人間的な」にも対応する状態や性質である。人間とは何かという人間の本質の考察を行うことなしに、「人間らしさ」「人間的な」の内容を論じることはできない。「人間らしい生活」を定義できなければ、その「人間らしい生活」が成り立つための条件である基本的ニーズを具体化し、それらに対する権利としての基本的人権の内容を定めることもできない。
 ミラーは、国際社会における正義の実現のために、基本的人権のグローバル・ミニマムを定めることを提案している。この時、ミラーは、正当にも個人だけでなく集団、具体的にはネイションの責任を指摘する。そして、ネイションとして負うべき「責務」がどの程度あるのかを決めるために、グローバル・ミニマムという観念を用いる必要があると主張している。そうであれば、各ネイションが国際的に擁護すべき最低限の人権とは何かを、人間とは何か、人間らしい生活とはどういう生活かを明らかにしたうえで、示すべきである。道徳的な責務の履行を求める道徳的要求もまた、人間とは何か、人間らしい生活とはどういう生活かを明らかにしたうえで、その適否が判断されなければならない。
 ミラーは、最低限の人権に限ってグローバルに擁護すべきという考えである。これは、グローバル・ミニマムの擁護を、各ネイションがそれぞれの道徳的責務において行わなければならないという彼の人道主義的な考えである。その一方、基本的人権はすべての人に保障すべきものであるが、「シティズンシップ(公民権)の諸権利」はそれぞれの国家で政府・国民が保障すべきものであるとも主張している。前者は、基本的ニーズの提供であり、後者は社会的ニーズの提供である。これらを提供するには、基本的ニーズと社会的ニーズの明確な区別が必要となる。その時、先に述べたように、ミラーが基本的ニーズに含めている医療・教育・労働等の内容・水準を定める必要がある。それには、「人間らしい生活」とはどういう生活か、そもそも人間らしいという時の人間とは何か、という問いがここにも出てくる。だが、これらの問いの答えは追求されていない。
 基本的人権として保障を目指すべき最低限の権利について、ロールズとミラーの主張を概観した。そこから言えることは、人間とは何か、「人間らしい生活」とはどういう生活かという問いを掘り下げることなくして、基本的人権及びそれを中核とする人権の内容は定められない、ということである。
 ところで、本稿では、一般に、citizenship、civil rights を国民の権利、公民権の意味で「市民権」「市民的な権利」と訳すのが定着しているので、混乱を避けるために、やむを得ず、定訳を尊重しているが、本来、英語の citizen、citizenship を「市民」「市民権」と訳すのは、誤訳である。citizen はもともと、君主国の国民を subject というのに対して、共和国の国民を意味する。citizen が単なる特定の都市の住民を意味する場合もあるが、「国民」「公民」の意味で使われている citizen に「市民」の訳語を使うと、国家・国民の概念があいまいになる。日本の左翼は意図的に、この誤訳を使って、国家意識・国民意識を希薄にさせている。だが、例えば、英語には、naturalized US citizens という表現がある。米国に帰化した人をいう。これは、「帰化した米国国民」と訳さないといけない。「帰化した米国市民」は誤訳である。国民というべきところを「市民」と称し、国民の運動を「市民運動」といい、国民の権利の確保・拡大を求める運動を「公民権運動」とせずに、「市民権運動」と称するのも、左翼による意図的な誤訳である。

 次回に続く。
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トランプ時代の始まり~暴走か変革か2

2016-12-06 10:20:18 | イスラーム
●異端児・暴言王の勝因は何か

 トランプは、米国政界の異端児であり、選挙期間中、共和党内でも反発が多く上がった。暴言王であり、セクハラの常習者であり、大統領に品格を求める米国民の顰蹙を買った。だが、そのトランプが大統領選を制した。ヒラリーよりはましという選択をした人々も多かったようである。超大国・米国は長期的な衰退を続け、社会は混迷し、人心は荒廃している。それとともに明らかに指導者の質も低下している。
 どうしてこのような人物が、大統領選に勝てたのか。

 トランプは、米国人口の約35%を占める高卒以下の低学歴の白人労働者に目をつけた。オバマ政権下で、彼らは、不法移民を含む有色人種の移民に仕事を奪われたり、移民の存在によって給与が下がったりしている。そのことに対する不満が鬱積しているのを、トランプ陣営は読み取った。
 本来共和党は富裕層に支持者が多く、主に大企業・軍需産業・キリスト教右派・中南部の保守的な白人層などを支持層とする。民主党は労働者や貧困層に支持者が多く、主に東海岸・西海岸および五大湖周辺の大都市の市民、ヒスパニック(ラティーノ)、アフリカ系・アジア系など人種的マイノリティに支持者が多い。ユダヤ系には民主党支持者が多い。民主党にはニューヨークのユダヤ系の金融資本家から多額の資金を得ているという別の一面がある。またロックフェラー家が民主党最大のスポンサーとなっている。
 貧困層に支持を訴えるのは民主党の定石だが、トランプは共和党でありながら貧困層に訴えた。白人と有色人種の人種的な対立を刺激し、白人の支持を獲得しようとしたのである。トランプは、低学歴の白人労働者の鬱憤を代弁し、また煽り立てた。君たちの生活が苦しいのは、君たちが悪いのではない、悪いのはあいつらだ、と敵を作って大衆に示す。それによって大衆の怒り、不満、憎悪等の感情を描き立て、その感情の波に乗って権力を採るという手法を取った。マスメディアを信用せず、批判を繰り返し、直接大衆に訴えた。一種のポピュリズム(大衆訴求主義)である。そうすることによって、トランプは白人と黒人、ヒスパニック等の有色人種、キリスト教徒とイスラーム教徒等の間を分断し、自分の支持者を獲得していった。
 民主党の候補者ヒラリー・クリントンは、大統領夫人、上院議員、国務長官等を歴任し、米国の支配層を象徴する人物と大衆から見られている。民主党の指名選挙では、貧困層に社会民主主義的な政策を説いたユダヤ系のサンダースが善戦したが、サンダースの支持者にすれば、ヒラリーこそ批判すべき支配者集団の一員である。政界で巨額の富を築き上げただけでなく、クリントン財団への不正献金が追求された。だが、ヒラリーは高い知名度と、豊富な資金力によってサンダースを打ち破った。
 ヒラリーが民主党の候補者となっても、民主党支持者の中にヒラリーは受け入れられないという者が多数いた。また、当然共和党支持者の多くは、ヒラリーを支持しない。だが、アメリカのマスメディアは、選挙期間中、ヒラリーがトランプより優位という予想を流し続けた。マスメディアの関係者には民主党支持者が多く、メディアの大半が民主党寄りである。またメディアの多くはユダヤ系または親ユダヤである。投票日直前の段階で、ニューヨーク・タイムス紙は、ヒラリーが勝つ可能性は80%以上と予想した。投票当日にもABCテレビは、開票1時間後にヒラリーが勝つ可能性は71%、トランプのそれは28%と予想した。それが開票が進むにつれ、全く予想と逆の展開となり、開票5時間後には、ABCテレビはトランプ78%、ヒラリー20%と真逆の予想を流す羽目になった。

 米国大統領選挙は直接選挙ではなく、勝者は州ごとの選挙人団をどれだけ確保できるかで決まる。支持率で下回っても、選挙人団を多く獲得すれば勝利する。逆に支持率で上回っても、獲得する選挙人団が少なければ、破れる。勝利に必要なのは、選挙人数539人の過半数となる270人の獲得である。総得票数を伸ばすよりも、各州の選挙人を獲得する戦術が重要になる。特にスイングステーツと呼ばれ、選挙の度に、共和党が勝ったり、民主党が勝ったりする州で勝つことが、勝敗を大きく左右する。
 トランプ陣営は、それまで大統領選挙の投票にあまり行かなかった約白人500万人の票に狙いを定めて、選挙運動を行った。彼らの多くは、新自由主義とグローバリズムによって、職を失ったり、収入が激減したりして、既成の体制に最も強い不満を持っている人たちである。もともと投票に行かなかった集団ゆえ、従来の選挙予測の方法では行動が読みにくい。マスメディアは、彼らの動向をとらえることが出来ていなかった。世論調査では出てこない「隠れトランプ支持者」が多数伏在していた。激戦州では、彼らの票が勝敗に大きく影響したと見られる。
 ただし、トランプが306人の選挙人を獲得したと言っても、ヒラリーに圧勝したとは言えない。得票数では、ヒラリーが200万票以上、上回っているからである。トランプは、得票数で負けて選挙人数で勝った5人目の大統領となる。だが、ヒラリーへの票がトランプへの票を上回ったということは、投票した過半数の有権者はトランプに反対しているということである。彼らが選挙結果に対して抱く不満は、容易に鎮静しないだろう。
 また、低学歴の白人労働者の票がトランプに投じられ、勝敗を左右したと見られる一方、ABCニュースが投票日当日行った出口調査では、世帯年収3万ドル以下の世帯のうちトランプに投じたのは41%、ヒラリーに投じたのは53%だった。また、世帯年収5万ドル以上の世帯では、すべての層でトランプが上回った。大卒でもトランプが49%、ヒラリーが45%だったという。この調査結果がどの程度正確なものかわからないが、この数字に拠る限り、伝統的に共和党の支持者は富裕層に多く、民主党の支持者は貧困層に多いという基本的な傾向は変わっていないことになる。過去の大統領選挙の時の調査と比較対象する詳細な分析結果を待つ必要があるだろう。
 もう一つは、11月8日に同時に行われたほかの選挙の結果と合わせてとらえることである。4年に1回の米国大統領選挙は、連邦議会の上下両院の選挙を伴う。大統領と連邦議会議員が同時に全部選び直される。今回の選挙では大統領に共和党のトランプが選ばれるとともに、連邦議会では上下両院とも共和党が多数を占めた。共和党が権力を掌握し、政策を強力に進めることが可能な状況となった。州知事や州議会でも、共和党が躍進した。
 オバマ大統領自身は2期8年の最後に至っても、50%以上の支持率を維持している。しかし、彼が率いる民主党は、国民多数の支持を失ってきた。それが今回の結果にはっきり出た。ヒラリー・クリントンの敗北は、彼女の敗北だけでない。民主党が大統領選挙でも連邦議会選挙でも州議会選挙でも、大敗北を喫した。ヒラリーが嫌われただけでなく、民主党離れが起こっていたのである。これから、トランプ大統領のもとで、オバマ政権時代に実施された多くの政策が否定され、米国の政府は正反対の方向に政策を転換するに違いない。民主主義社会の大衆は、長く一つの政権が続くと不満が蓄積し、とにかくいままでと違う政治を望み、変化を求める傾向がある。特に米国は二大政党の間で政権交代が起こりやすい社会ゆえ、その傾向が強い。

●分断による勝利のため統合は困難

 トランプは共和党の異端者で、主流ではなく非主流ですらない特異な存在だった。もとは民主党の支持者でクリントン夫妻を支援していた。共和党は選挙期間中、この異端者をめぐってトランプ支持と不支持に分かれ、有力者多数がヒラリーを支持すると公言したことにより、分裂のモーメントをはらんでいる。こうした共和党のとりまとめは、トランプ政権の大きな課題の一つである。
 また、トランプVSヒラリーの選挙戦は、互いに相手を激しく罵り合い、米国は大きく二つに分かれた。米国の大統領選挙ではいつものことだが、今回は史上最低の選挙戦といわれる中で、かつてなく対立が激しく、熱くなった。トランプは、意図的に白人と有色人種、キリスト教徒とイスラーム教徒等を分断した。この分断は、米国社会全体の分断である。人種差別や性差別等をなくし、社会の統合を図ってきた米国の長年の取り組みを、逆方向に戻すような分断である。米国社会を分断し、主に白人労働者の不満をエネルギーとすることで、権力を握ったと見られる大統領が、米国を一つの国家に統合していくのは、容易なことではないだろう。自分が国民を分裂させて対立感情に火をつけ、煽った人間が、大統領の座を手に入れると、大衆に向かって、選挙は終わった、一つになろうと訴えても説得力がないだろう。
 トランプの熱心な支持者の一部は、トランプをただの破壊者ではなく、アメリカ社会の変革者だと仰ぐ。トランプは言う。「Make America great again(アメリカを再び偉大にしよう)」と。彼らは、トランプは、ヒラリーが象徴する既成の支配者集団(エスタブリッシュメント)に挑み、これまでの体制を変革してくれる指導者だと信じているようである。だが、トランプは、ゴールドマン・サックス幹部出身者のスティーブン・ムニューチンを財務長官に指名したり、資産家で著名投資家ウィルバー・ロスを商務長官に指名するなどの閣僚人事において、エスタブリッシュメントとの関係保持を示している。トランプは、新たなメンバーとして、支配者集団に迎え入れられたのである。
 アメリカ合衆国には、国王がいない。君主制国家の英国から独立した国だからである。だが、人間には国王のような象徴的で権威的な存在を、集団の中心として求める心理傾向がある。米国の大統領は、平等な個人の中から選ばれた政治的指導者だが、国王の心理的な代替物のような性格を持つ。政治の実務を担う首相と、国家・国民統合の象徴性を担う大統領の両方を定めている国が少なくない中で、米国では、大統領の一身に政治的指導者と象徴的指導者の両面を凝集している。それゆえ、4年に一度の大統領選挙は、選挙によって国王の代替者を選ぶのに似た機能を持つ。民主的に合法的に国王が交代し、王朝が交替するようなものである。トランプ大統領の誕生は、いわばトランプ王朝の誕生であり、トランプ家は、アメリカの新たな王家に成り上がる。オバマ家の黒人王朝から、トランプ家の白人王朝への交替である。政治家である大統領が国王のごとき存在となる証に、その妻が「ファースト・レデイ」という名の王妃のごとき存在となり、その子たちが大統領夫妻とともに、大衆の前に姿を現す。子らは、国王と王妃を取り巻く王子や姫君のような存在となる。そのため、新たな王家のごとき集団は、おのずと支配者集団(エスタブリッシュメント)の一角を占める存在となっていく。ドナルド・トランプを変革者と仰ぐ支持者たちの期待は、やがて裏切られることになるだろう。

 次回に続く。
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人権384~最低限保障を目指すべき権利

2016-12-05 08:56:21 | 人権
●いわゆる人権の内容をどのようなものとするか

 各国及び国際社会において最低限保障を目指すべき権利の範囲はどこまでとすべきか。次にその点について検討したい。
 いわゆる人権を最も狭い範囲に限るのは、(1)自由権の一部のみ、という考え方である。次いで、大まかに言えば、(2)自由権全般と参政権まで、(3)社会権まで、(4)「発展の権利」等の人権発達史の第3段階の権利まで、というように、内容が拡大される。今日の国際社会では、(4)までを人権と呼ぶことが多くなっている。さらにこれを拡張しようとして新たな権利も主張されている。
 人権の範囲について、学者や専門家の間には、様々な意見がある。第10~11章で人権と正義について書いたところで詳述したが、前期ロールズは、正義を論じる際、自由権の一部と社会権の一部を人権と考えた。後期ロ―ルズは、人権の範囲を自由権の一部を中心とした差し迫った権利のみとし、非常に狭く限定する。ミラーは、人権は基本的ニ―ズに基づくとし、自由権・参政権に社会権の一部を含めており、後期ロールズよりは広い。センは人権を道徳的権利の要求とし、ミラーよりもっと拡張的である。「発展の権利」やさらに新しい権利も、要求として認める。ヌスバウムは、女性・障害者・外国人の権利の拡大を主張し、さらに動物へと対象を広げている。これらの論者は、みな正義論から人権論を説いており、正義論を踏まえて、人権を論じなければいけないという考え方である。
 その一方、正義論を説かずに人権を論じる学者・専門家や社会的な実践家もいる。イグナティエフは、人権を消極的自由かつ虐殺・抑圧・残酷等からの自由のみに限定する。ガットマンは、これらにプラス生存に関する権利すなわち飢餓からの自由等とするという意見である。一方、社会権や「発展の権利」等も人権として主張する有識者も多い。
 人権に関する国際会議において様々な合意がなされてきながら、その合意を反省的に思考する学者や専門家の間で意見が分かれているのは、人権の協議において、人間観の検討を避ける傾向があることによる、と私は思う。「人間とは何か」という問いについては、第1部以降、折に触れて私見を述べてきたが、そうした人間の考察に基づいて、人権の内容や各国及び国際社会において最低限保障を目指すべき権利とは、どのようなものであるべきかを定める必要がある。その際、「人間らしい生活」とはどういう生活かについても検討する必要がある。
 最低限保障すべき権利の内容について、主な論者の主張を概観し、その後に私見を述べる。

●ロールズにおける最低限の権利

 今日の人権論に強い影響を与えているロールズは、『正義論』で、正義とは公正である、公正とは正義の2原理が実現している状態である、と考えた。正義の2原理は、自由を優先しつつ、平等に配慮するものである。そこには自由権の一部と社会権の一部が含まれており、これらの権利は一般に人権と称されているものである。それゆえ、ロールズの正義とは人権が公正に実現している状態であり、人権とは公正としての正義の実現を求める権利だと考えられる。これは、人権の定義に正義の概念を入れた定義である。ただし、ロールズ自身は、人権と正義の関係をこのように定めてはいない。私の解釈に基づく正義論の人権論への応用である。
 ロールズは、『正義論』で「基本財(基本善 primary goods)」という概念を使用した。基本財とは、善い生き方の構想がどのようなものであれ、各自の考える善い生き方をしようとする上で普遍的に必要となるものをいう。権利、自由と機会、所得と富、自尊心の社会的基礎を含むとされる。これらの「財(善いもの goods)」は、人権の内容に関わるものである。ただし、ロールズは、社会契約説に基づき、実質的に国民国家の人民を主体とした正義を考えたので、基本財に対する権利は、各国の憲法において、その国民の権利として規定されるべきものである。
 ロールズは、後期の著作では、人権の内容を非常に狭く限定した。ロールズは「諸国民衆の法」の構成原理の中に、人権に関する事項を含めている。彼に関する項目で揚げたリストにおいて、(1)の「各国民衆は自由かつ独立であり、その自由と独立は、他国の民衆からも尊重されなければならない」、(6)の「各国民衆は諸々の人権を尊重しなければならない」がそれである。そして、ロールズは、次のような意見を述べた。
 「諸国民衆の法における人権とは、奴隷状態や隷属からの自由、良心の自由(しかし、これは必ずしも、良心の平等な自由ではないのだが)、大量殺戮やジェノサイドからの民族集団の安全保障といった、特別な種類の差し迫った権利を表している」と。
 この「特別な種類の差し迫った権利」を以て、最低限の人権、基本的な人権とすべきという意見は、基本的人権を、自由権のうちのごく一部と特殊な状況における集団の生存に関する権利に限っている。自由権のその他の権利や参政権、社会権は、「諸国民衆の法」における人権に含めていない。ロールズは、この意見より自由権を広くする考えも示しているが、いずれにしても人権の内容を狭く限定する考えである。前期ロールズは、国内的な正義原理では、自由を優先しつつ、機会の平等と格差の是正を図ることで、自由と平等の調和的な均衡を実現しようとした。そこでは、実質的に社会権の一部が含まれていたが、後期の国際的な正義に係る「諸国民衆の法」には社会権が含まれていない。
 ロールズは、このように基本的人権の内容を非常に狭く定めたうえで、人権の政治的・社会的な役割を限定している。次の三つである。

(1)諸々の人権の実現は、ある社会の政治制度やその法秩序が良識あるものであるための必要条件である。
(2)諸々の人権の実現は、他国から、正当な理由のある強制的介入――たとえば、外交的制裁や経済制裁による介入、また深刻な場合には、軍事力による介入――を受ける余地をなくすための十分条件である。
(3)諸々の人権は、各国民衆の多元性に一定の制限を課す。

 ここにおいて、ロールズの人権は、実定法に定める法的権利ではなく道徳的権利であり、主に国内法に対して制限を加え、国際社会でも一定の制限を課すものである。彼の道徳的権利は、私のいう社会的権利の一種である。ロールズの最低限の人権とは、最低限の道徳的権利であり、各国の国内法及び国際法に最低限の制限を加えるものと理解される。
 ロールズの考え方は、基本的に歴史的に発達してきた人権の思想の広がりを考慮せずに、社会契約説の応用により、自らの政治理論を設計しようとしたものである。「諸国民衆の法」における人権と世界人権宣言における人権を比較すると、前者は後者より範囲を非常に狭く限っている。ロールズは、国際社会では、前者程度の範囲の権利しか合意できない、またはそのように非常に限定された権利であれば、諸国民衆の間で合意が可能と考えたのだろう。だが、世界人権宣言は、国連加盟国の多くが賛同しているものであり、賛同国にはイスラーム教諸国もある。宣言の理念を具体化した国際人権規約は、加盟国を直接に拘束する効力を持つ条約であるが、現在、自由権規約、社会権規約とも160か国以上が締約している。個別的人権条約である女性差別撤廃条約などは、187か国も締結している。ロールズの考え方は、歴史的事実とも国際社会の現実ともかけ離れた狭いものとなっている。
 ロールズは、人権を非常に狭く限定するが、人権に含む自由と権利について、なぜ奴隷状態や隷属からの自由、良心の自由、大量殺戮やジェノサイドからの民族的安全保障を、最低限の人権、基本的な人権とすべきかを、明示しない。当然ロールズの所論は、人間はこうあるべきであるとか、またはこうあるべきではないという観念が前提となっているはずであるが、ロールズは、そのことに触れない。なぜ奴隷状態や隷属はあってはならないのか、なぜ良心の自由が求められるのか、なぜ大量殺戮や民族浄化はあってはならないのか。人間は隷属を受けるべきではなく、良心を働かせることができるべきであり、集団的に殺戮・抹殺されてはならない、とロールズが考えているからだろう。そこには、一定の人間観が存在するはずである。ロールズは、「道理を理解する(reasonable)」とか「良識ある(decent)」という形容詞で、その人間観を暗示してはいる。だが、それだけである。哲学的思考に必要な反省的思考が行われていない。
 ロールズは、前期の社会契約説が想定した近代西欧市民社会の市民やカント的な自由で平等な道徳的人格という人間観から離れ、人格・価値・能力・資格について主張せず、また否定もしないという姿勢を取った。それによって、幅広い合意が可能になると考えたのだろうが、人権という権利の承認と保障の主体にして対象でもある人間そのものの考察が足りないために、人権の内容を掘り下げて検討することができなくなっている。また、その結果、彼の説く最低限保障を目指すべき権利、基本的な人権の内容は、説得力を欠いている、と私は思う。

 次回に続く。
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トランプ時代の始まり~暴走か変革か1

2016-12-04 08:55:45 | 国際関係
●“史上最低の大統領選”で勝利

 2016年(平成28年)11月8日に行われた米国の大統領選挙は、共和党のドナルド・トランプが、民主党のヒラリー・クリントンに勝利した。
 11月28日唯一選挙結果が判明していなかったミシガン州は、トランプが勝利したという結果を認証した。これでトランプが獲得した選挙人数は306人、ヒラリーは232人となった。ただし、得票数では、トランプが約6235万票であるのに対し、ヒラリーが約6442万票で200万票以上、上回った。
 今回の選挙では、ロシアがサイバー攻撃で選挙の集計に介入するのではないかという情報が出されていた。緑の党の大統領候補だったジル・スタインは激戦州での再計算を求め、実施に必要な資金、500万ドルを集めた。再計算を求める理由は、専門家から集計結果がサイバー攻撃で不正操作されたとの指摘があったからという。ミシガン、ペンシルベニア、ウィスコンシンの3州について再計算が求められた。これら3州はいずれも産業が衰退した「ラストベルト(さびた工業地帯)」に位置する民主党の地盤だったが、白人労働者の支持を受けた共和党のトランプがヒラリーを退けた。
 もしこれら3州すべてでヒラリーが勝てば、選挙人274人を獲得することになり、逆転勝利する可能性が残っていた。ウィスコンシン州の州選管当局は、再集計することを決めた。しかし、ミシガン州で結果が確定したので、逆転の可能性はなくなった。今後、選挙人団による投票が12月19日に行われる。その結果が最終的な結果となる。
 来年1月20日トランプの大統領就任とともに、米国の政治に大きな変化が現れるだろう。この未知数の指導者による変化に世界は注目し、備えをしつつある。一方で期待が高まり、一方で反発が強まっている。独裁的指導者による暴走か、米国の隘路を打破する変革か。まだその展望は定かでない。
 トランプの勝因、その主な政策ーーTPP、経済政策、外交、安全保障等--そして、世界への影響とわが国の対処について短期連載にて考察する。

●オバマからトランプへ

 2009年(平成21年)1月、史上初の黒人大統領が誕生した。以後、2期8年にわたり、民主党のバラク・オバマが政権を担った。だが、その結果は芳しくない。
 米国は非常に多様性の高い社会である。様々な人種・民族・宗教等が混在している。その状態はサラダ・ボウルにたとえられる。根底には、建国以来の白人/黒人の二元構造がある。1950年代までは人種差別が横行していた。1964年には公民権法が成立し、権利においては平等が実現した。しかし、黒人の多数は貧困層を脱することができない。大都市では、居住地と学校において、黒人の隔離が続いている。そうした状態の改善を求めて、アファーマティブ・アクション(積極的是正措置)やポリティカル・コレクトネス(人種・性差等の中立表現)が唱えられ、実施されてきた。だが、20世紀末から、ヒスパニックやアジア系等の移民が多数流入し、人口構成が大きく変化してきた。白人が多数を占める社会から、有色人種が多数を占める社会へと変貌しつつある。
 オバマ政権は、こうした多様で対立・摩擦の多い社会を、一つのUSAとすべく統合を試みた。そのスローガンが「Change(変革)」だった。だが、変革は成し遂げられなかった。就任前に起こった2008年(平成20年)9月のリーマン・ショックの影響は続き、米国の財政赤字は膨らみ続けた。米国は際限のない国債の発行などによる財政悪化に歯止めをかけるため、法律で政府債務に上限を設けている。だが、2011年(平成23年)以降、政府債務が上限を超え、繰り返しデフォルト(国家債務不履行)寸前に陥る危機に直面してきている。
 この間、グローバリゼイションの進行によって、米国の製造業は海外に安い労働力を求め、国内の雇用が減少した。また中国など海外から入ってくる低賃金による安い製品に押されて米国製品の売れ行きが低下した。経済的な格差の是正は進まず、逆にますます拡大している。所得が上位1%の富裕層は、2015年の平均年収が約1億1000万円、残り99%の平均年収は345万円だった。その差は約31倍となっている。また、上位0.1%の最富裕層が所有する財産の総額は、下から90%が所有する財産の総額に等しいという。約900倍の差である。
 貧困層には、黒人やヒスパニックが多く、彼らの多くは貧困を抜け出せないままである。また、極端な二極化の進行によって、白人を主としていた中間層が崩壊し、多数の白人が貧困層に転落した。
 オバマ政権は、共和党のブッシュ子政権が2001年の9・11以後に始めたアフガニスタン戦争、イラク戦争を引き継ぎ、その収拾を図った。だが、戦争終結は容易でなく、そのうえ、2011年(平成23年)の「アラブの春」がきっかけとなって、中東に地殻変動が起り、その中で生じたシリアの内戦、いわゆる「イスラーム国(ISIL)」の台頭等への対応が生じた。アメリカは中東で15年間、戦争を続けている。最も多い時期には20万人の米国兵士が海外に派遣された。そして、この間に約7000人が戦死した。それだけの犠牲を払っても、中東は安定せず、むしろ情勢は悪化・拡大している。また、イスラーム教過激派によるテロリズムが拡散・激化している。ヨーロッパ各国やアジア諸国等でテロ事件が続発し、アメリカでも自国育ち(ホームグロウン)のテロリストによる殺人事件が続いている。
 2016年(平成28年)11月8日の大統領選挙では、こうしたオバマ政権の8年間が問われた。民主党では、オバマ政権の政策を評価し継承する前国務長官ヒラリー・クリントンが候補者の指名を受けた。共和党では、全く政治経験のない実業家ドナルド・トランプが他の有力候補をなぎ倒して指名を勝ち取った。両者の戦いは、嫌われ者同士の戦いだった。ヒラリーはエスタブリッシュメントの象徴として嫌われ、トランプは暴言・セクハラが多く大統領に求められる品格を欠く。そのため、史上最低の大統領選といわれた。
 激戦の末、トランプが勝利を獲得したが、多くのマスメディアや各国の首脳はトランプの勝利を予想できておらず、トランプショックが世界を走った。
 2016年6月に英国で住民投票により英国のEU離脱が決定したことに続き、多くの人々には「まさか」と思われる結果となった。だが、欧米では、グローバリズムと移民受け入れへの大衆の反発、国家・国民を尊重するナショナリズムの復興が年々、顕著になっている。EUでは、フランス、オランダ、ドイツ、ノルウェー等で、マスメディアが「極右」と呼ぶリベラル・ナショナリズムの政党が躍進している。移民の受け入れやそれによる失業、治安の悪化、文化的摩擦への危機感や、国家・国民を融解するEUや単一通貨ユーロへの疑問が強まっている。大衆の意識の変化が、グローバリズムに異議を唱える勢力を伸長させ、歴史の流れを変えつつある。トランプの勝利は、こうした動きと同じ潮流の現れである。
 トランプの根底にあるのは、米国の伝統的なアイソレーショニズム(不干渉主義)である。近年共和党で影響力を増しているティーパーティのリバータリアン(自由至上主義的)でかつ自国本位の考え方を極端に推し進めた地点に、トランプは立っている。
 トランプは、オバマ政権の政策とそれを継承しようとするヒラリー・クリントンの政策を激しく非難した。過激な表現を多発することで、民衆の不満を自分への支持に向けた。「アメリカ・ファースト」を訴え、ブッシュ子、ビル・クリントン、オバマの各政権で共和、民主両党の主流派が推進してきたグローバリズムから自国第一主義への転換を唱えた。経済政策は、TPPから脱退し、海外投資拡大の路線から、国内経済重視の路線に転換し、外国に奪われた雇用を取り戻すことを訴えた。メキシコ人の不法移民問題については「彼らは麻薬や犯罪を持ち込む。強姦犯だ」「メキシコとの国境に壁を作り、費用はメキシコに持たせる」と言い切った。イスラーム教徒については「彼らはわれわれを憎んでいる。米国を憎んでいる人たちがこの国に来るのを認めるわけにはいかない」として入国禁止を提案した。トランプはこうした排外主義的で人種差別的な論調の発言を繰り返した。それが、米国の一部の国民の心を強くとらえた。その結果、オバマ政権が行ってきた路線から、ほぼ正反対の路線への転換が方向づけられた。

 次回に続く。

関連掲示
・2016年米国大統領選挙についての拙稿は、下記に掲示しています。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12.htm
 目次から
  D07 アメリカの二大政党と政治構造
  D08 トランプVSヒラリー~2016年史上最低の米国大統領選挙
  D09 ヒラリー・クリントンのEメールから浮かび上がった重大事実
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人権383~発展途上国の国家と国民の権利

2016-12-03 08:50:46 | 人権
●発展途上国の国家と国民の権利

 移民は周辺部から中核部へと流入するが、彼らの出身地である周辺部において、権利の問題状況はどのようであるか。
 20世紀末の1990年代からグローバリズムが世界を席巻した。先進国による経済的自由・市場の自由の普及が、中核部が周辺部を支配し、収奪する構造を強化した。その結果、周辺部では伝統的な共同体が解体され、多数の低賃金労働者が生まれるとともに、貧困と不衛生が構造化された。また、周辺部から中核部へと流入する移民労働者が増え、中核部における下層階級となっていく。自由の理念と市場の論理によって、中核部で強者の権利が拡大するとき、周辺部では弱者の権利は縮小される。
 旧植民地の発展途上国では、資本主義の発達と近代化の進行の中で、まず必要なのは近代国家の建設である。独自の国家の建設は、「発展の権利」の実現において、極めて重要な課題である。近代国家の建設は、西欧発の文明が支配的な国際社会において、自国の権利を確保し、国家の権力を強化することである。発展途上国の政府は、自国の国民経済を育成し、集団としての国家の権利を強化しようとする。またグローバリズムの圧力に対し、国民経済と国家の主権を守るため、保護主義・反グローバリズムを取る。これは、その国家の権利の行使であり、集団の権利の行使である。
 発展途上国において、ある程度、国家の建設が進み、経済的な豊かさが得られると、国民が国民の権利を求めるようになる。最初に求められるのは、賃金労働者の権利である。たとえば、中国は経済発展が目覚ましく、GDPはアメリカに次いで世界第2位になったが、農村から流入した多数の労働者は産業革命期のイギリスの工場労働者のように、劣悪な労働条件のもとに置かれている。彼らにとっては、労働者の権利の獲得が課題である。その権利は、自由化と民主化による国民の権利の拡大につながっていく。
 資本主義が発達し近代化が進行する過程で、周辺部の国々では教育が普及し、識字率が向上する。識字率が上がると、青年層を中心に政治的な意識が高まり、専制政治への反対や民主化の運動が起こる。また国民経済の発達により、中産階級が成長すると、彼らを中心に国民が政治的な権利を求めるようになる。識字率の向上は女性の出生率の低下につながる。それによって、家族関係に変化が生まれ、社会の価値観が変動する。また女性の社会的意識が発達し、女性も政治参加を求めるようになる。
 国民が政治的な権利を拡大することによって、国民の経済的な権利も拡大していく。国民経済がさらに成長し、一層の豊かさが得られると、社会権としての経済的権利が実現されるようになる。発展途上国が貧困や不衛生から脱出できるのは、この段階である。そして、発展途上国の国民が先進国の水準から見て、「人間らしい」「人間的な」水準の権利を享受できるのは、国家建設の成功、国民経済の成長、国民の権利の拡大によってであって、最初から「個人の権利」の追求によって得られるのではない。発展途上国において、「人間が生まれながらに平等に持つ権利」としての人権を求めても、単なる理想論に終わる。

●新たな権利の主張

 現在、人権発達史の第3段階の権利の総称として、「連帯の権利」が唱えられている。そのうち「発展の権利」については先に書いたが、他にも新たな権利が主張され、また一部では実現されている。その一つに、「環境と持続可能性への権利」がある。1972年の国連人間環境会議におけるストックホルム宣言に盛り込まれたほか、ギリシャ、ブルガリア、ポーランド、ポルトガル、フランス等の憲法に取り入れられている。ほかに「平和への権利」、「人類の共同財産に関する所有権」、「人道援助への権利」等がある。現在のところ、これらの権利については、否定的な意見が多い。さまざまな権利を人権とすることによって、既成の権利の信頼性・実定性が損なわれる、集団の権利によって個人の権利が侵害される、権利を要求する対象となる義務主体が明確でない、権利主体に集団を含めると義務主体が同一になる等がその理由である。
 社会と文化の変化によって、従来当然とされてきたことが正当性を疑われ、既成観念が否定されて新しい権利意識が生まれてくる。社会が複雑化すると、人間の自由や生存にかかわる新しい社会問題も生じてくる。前者の新しい権利意識の例が、児童の権利である。以前は権利の主体と考えられていなかった児童に権利を認めたものである。誕生前の胎児の権利を主張する意見もある。さらには人間の範囲を超えて、動物の権利を主張する意見もある。そのうち植物の権利とか細胞の権利、ミトコンドリアの権利等へまで議論が広がるかもしれない。後者の新たな社会問題の例が、環境権、情報化社会の中でプライヴァシーの権利、国民の「知る権利」である。これらは現代的な権利であるが、普遍的・生得的な権利としての人権ではない。文明が発達してきた段階において初めて生じてきた権利であって、これらを普遍的・生得的な権利という意味で人権と呼ぶのは不適当である。これらは、歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」として考えるべき権利である。
 こうした新たな権利について国際的な議論を行うためには、人権の発達史を踏まえて、人権そのものの再検討がなされねばならない。本稿で繰り返し述べてきた課題である。

●権利の種類と内容のまとめ

 人権と呼ばれる権利の種類と内容に関して書いてきた。ここまでのまとめを述べると、自由権・参政権・社会権を一括して、「人間が生まれながらに持つ権利」という意味で人権と呼ぶことは不適当である。これらの権利は、多くの場合、国家があることが前提になっている。自由権は国家の統治機関である政府の干渉・制約からの自由を確保する権利、参政権は政府の権力に参加する権利、社会権は政府に積極的な給付を求める権利である。これらは、ほとんどは国家と国民の関わりにおける権利である。
 現代世界では、ある国でその国の国民であることを示す資格として、国籍がある。一国において非国民に国籍を与えることは、自国の国民と同等の権利を与えることである。国籍は、国民の権利証である。この点を加えて言い換えれば、自由権は、自分が国籍を持つ国の法によって保障される自由への権利である。参政権は、自分が国籍を持つ国の政治に参加する権利である。社会権は、自分が国籍を持つ国家の政府に給付を請求する権利である。そして、それらの権利を保障するものは、その国民が所属する国家の政府である。保障される権利の内容は、当然国によって違う。こういう権利は、普遍的に人間が生得的に持つ権利という意味での人権とは言えない。ここで保障されるのは、あくまで「国民の権利」である。
 近代国家における自由権・参政権・社会権以外に、近代西欧以前及び以外の社会にも、権利は存在した。家族・氏族・部族においても、組合・団体・社団等においても、各々その集団の成員に権利が認められてきた。その権利は、ほとんどが集団の成員の権利である。国民の権利は集団の成員の権利が発達したものであって、集団とは別に個人の権利が発達したものではない。
 以上で、人権と呼ばれる権利の種類と内容関する検討を終え、次に各国及び国際社会において最低限保障を目指すべき権利の考察に移りたい。

 次回に続く。
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譲位を容認・否認が拮抗~有識者会議の意見聴取結果

2016-12-02 09:59:58 | 皇室
 安倍首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は、専門家の意見聴取を行ってきたが、3回にわたる意見聴取が11月30日に終了した。計16人の聴取は、譲位を容認する見解が8人、否定的な見解が8人と賛否が同数で拮抗する結果となった。
 各種世論調査で国民の8~9割が譲位を容認する回答をしているのとは、大きな違いである。国民の大多数は庶民の感情と世間常識によって回答していると思われるが、本件は今上陛下のお気持ちを深く受け止めさせていただくとともに、日本の伝統・文化・国柄や憲法・法制度等を良く踏まえて慎重に検討すべき重大課題である。
 政府は一代限りの譲位を認める特別措置法での対応を方針としているが、特措法には16人中10人が反対した。官僚による法技術的な対応策に、多くの専門家が異議を唱えた格好である。
http://www.sankei.com/politi…/…/161201/plt1612010008-n1.html

 第3回目の意見陳述者のうち、麗澤大教授の八木秀次氏は、「高齢によりご公務ができない事態には、国事行為の臨時代行など現行法制で十分対応できる」「天皇陛下のご意向により制度をつくれば、憲法が禁止する天皇の政治的行為を容認することになる。自由意思による退位を認めると、同じく自由意思によって次代の即位拒否、短期間での退位を認めなければならなくなり、皇位の安定性を揺るがし、皇室制度の存立を脅かす。合理的説明ができず提案理由が明確ではない法律によって退位を実現すれば、憲法上の瑕疵が生じ、皇位の正当性に憲法上の疑義を生じさせる」と述べた。

 国士舘大大学院客員教授の百地章氏は、「超高齢化社会における天皇のあり方として、長期間、病の床に伏せられたりした場合は、天皇の尊厳そのものさえ侵されかねないことから、従来の終身制は維持しつつ、あくまで高齢化社会の到来に対応すべく、例外的に譲位を認めるべきである。皇室典範に例外的な譲位を認めるための根拠規定を置き、それに基づいて特別法を制定し、高齢により公務を自らすることができないときは、その意思に基づき、皇室会議の議を経て譲位を認めるべきだ」と語った。

 京大大学院教授の大石真氏は、「高齢を理由とする執務不能という事態は今後も十分に起こり得ることや、特例法による場合は皇位継承に関する規範の複合化を招き、憲法が『皇室典範』と規定している趣旨に合致しない恐れがあることから、恒久的なものに制度改正すべきである」と主張した。また、憲法2条のいう皇室典範には皇室典範の特例を定める特別法も含まれるとし、譲位を定める法形式として、皇室典範の中に別法で定める旨の根拠規定を設ければよいという政府の見解については、「憲法の趣旨に照らし、規範の複線化を招くような特例法はもともと予定されていない」「皇室典範の付則で規定する方法も考えられるが、制度としては望ましくなく、皇室典範にきちんと規定すべきである」と異論を述べた。
http://www.sankei.com/politi…/…/161130/plt1611300038-n1.html

 失礼ながら、有識者会議のメンバーには、私の見るところ、16人の専門家に勝る見識を持った人物は一人もいない。日本の国柄の根幹に関わる極めて重大な課題で、かつ専門家の間でこれほど見解が分かれる事柄を判断してまとめるほどの力量は、現在のメンバーにはないだろうと思われる。有識者会議が、政府が打ち出している方針に追従する答申書を出すのか、複数の見解を併記して慎重な対応を求める答申書を出すのか、今後の議論が注目される。
 いずれにしても有識者会議は首相の諮問に答えるだけである。答申を受ける安倍首相には、明治時代に皇室典範を定めた際の伊藤博文に匹敵する見識・器量が求められる。

関連掲示
・拙稿「天皇陛下のお気持ち表明にどのようにお応えするか」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/732796749bb6a9a5d8c82b0671b1ddb2
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人権382~移民の権利

2016-12-01 09:30:50 | 人権
●移民の権利

 政治的権利及び経済的権利に関する二次的な補説として、移民の権利及び発展途上国の国家と国民の権利について述べたい。
 移民の権利について、基礎となるのは移動の自由であり、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利、国籍をもつ権利等がこれに関わる。
 西欧における移民として、歴史的に最大の存在はユダヤ人である。ユダヤ人の自由と権利の拡大については、第5章に書いたので、ここではユダヤ人以外の移民について書く。
 ユダヤ人に関してだけでなく非ユダヤ人に関しても、移民の権利で重要なのは、信教の問題である。第2次世界大戦後、中核部の西欧諸国には、周辺部の中東・アフリカ・アジアから多数の移民が流入した。その多くは、ムスリムだった。西欧では、キリスト教以外の宗教に対しても、一定の信教の自由を保障するようになっていた。イギリスにはパキスタン人やジャマイカ人、フランスにはマグレブ人、ドイツにはトルコ人等が増加した。これらの諸国は、国民と非国民を区別し、国民と同等の権利を移民に与えてはいない。国籍の付与には一定の条件を設けており、無差別な平等を実施していない。
 欧米の移民問題については、拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」に書いたが、例えば、ドイツは、直系家族が主な社会で、人間は互いに本質的に異なるという差異主義の人間観を持ち、民族混交率が低い。国籍取得はもとは血統主義だったが、1998年の国籍法改正によって、出生地主義を採用した。ただし二重国籍は認めない。参政権については、ドイツは、「ヨーロッパ連合条約の批准」という要請があったため、1990年に憲法を改正し、EU加盟国民に限って、相互に地方参政権を認めている。EU域外の国の外国人には、地方参政権を与えていない。外国人への国政参政権は認めていない。非国民への国籍の付与と地方参政権の付与を区別している。
 フランスは、平等主義核家族が主な社会で、世界中の人間はみな本質的に同じという普遍主義の人間観を持ち、民族混交率が高い。国籍については出生地主義で二重国籍も許容する。フランスもドイツと同様、憲法を改正して、EU加盟国同士では、地方参政権を付与し合っている。対象は、6ヶ月以上の居住、または5年以上直接地方税を納入している者とする。普遍主義のフランスであっても、国政参政権は非国民には与えていない。国籍付与と地方参政権付与を区別している。
 その他の国々も移民に対して権利の制限をしている。だが、それにもかかわらず、ヨーロッパでは移民が増加し続け、それによって、さまざまな社会問題、政治問題が生じている。移民への規制は一部見られるものの、趨勢としては今後ますます移民が流入すると予想される。例えば、平成21年(2009)8月、英「デイリー・テレグラフ」紙は、EU内のイスラーム人口が2050年までに現在の4倍にまで拡大するという調査結果を伝えた。現在の移民増加と出産率低下が持続する場合、2050年ごろにはイスラーム人口がEU人口の20%まで増える。イギリス、スペイン、オランダの3ヵ国では「イスラーム化」が顕著で、近いうちにイスラーム人口が過半数を超えてしまうという。
 こうした予測のある中で、もし普遍的・生得的な権利としての人権という観念を移民に広げたら、移民の受け入れ国に対し、破壊的な作用をするだろう。同時に、それは一国内の出来事にとどまらず、ヨーロッパ全体に及ぶだろう。権利の制限という堤防は、一か所で決壊すれば、移民という大水が次々に弱い箇所を飲み崩し、ついには大陸全体を覆うだろう。

 次回に続く。
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慰安婦資料は「ホロコーストをねじ曲げ」と、カナダ・ユダヤ人友好協会がユネスコに意見書

2016-11-30 09:52:39 | 慰安婦
 ユネスコの世界記憶遺産に登録申請された慰安婦に関する文書について、カナダ・イスラエル友好協会が「申請者はホロコーストの意味をねじ曲げている」と批判する意見書をユネスコに送付したとのこと。意見書は、ユネスコが一部加盟国の「政治的道具になった」とした上で、「性奴隷」「慰安婦20万人」等の主張は裏付けを欠くと指摘していると伝えられる。

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●産経新聞 平成28年11月24日

http://www.sankei.com/politics/news/161124/plt1611240010-n1.html
2016.11.24 07:24更新
【歴史戦】
慰安婦資料は「ホロコーストをねじ曲げ」 記憶遺産申請で カナダ・ユダヤ人友好協会がユネスコに意見書

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(記憶遺産)に登録申請された慰安婦に関する文書について、カナダのトロントにある「カナダ・イスラエル友好協会」が「申請者はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の意味をねじ曲げている」と批判する意見書をユネスコに送付していたことが23日、分かった。意見書は、ユネスコが一部加盟国の「政治的道具になった」とした上で、「性奴隷」「慰安婦20万人」の主張は裏付けを欠くと指摘している。
 ユネスコへの登録申請は、日本や中国、韓国など8カ国・地域の14市民団体で構成される国際連帯委員会が中心となって行った。登録申請書は慰安婦制度について、「ホロコーストやカンボジアの(旧ポル・ポト政権による)大虐殺に匹敵する戦時中の惨劇だ」と主張している。
 これに対し、友好協会幹部のユダヤ人、イラナ・シュナイダーさんら3人が署名した意見書は「ホロコーストに匹敵するものはなかった」とする元駐日イスラエル大使のエリ・コーエン氏の指摘を引用して反論。
その上で、「中国によるチベット侵略の方がホロコーストの概念により近い」とし「もっとひどいのは文化大革命だ」と強調した。
 また、慰安婦問題が東京裁判でも問題にならなかったことや、米当局の調査でも慰安所で働いていた女性のほとんどに給与が支払われていたなどとして「性奴隷説」が証明できていないと指摘した。
 1991年まで慰安婦の存在が世界に知られなかったのを、アジアで「女性の性」がタブー視されていると説明した登録申請書は「説得力がない」と一蹴。慰安婦問題は経済力を持つようになった中韓が反日感情をあおるための「道具の一つだった」と解説した。
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 カナダ・イスラエル友好協会(Canada Israel Friendship Association)は、公益社団法人日本イスラエル親善協会(Japan Israel Friendship Association)と、英語名が同じく構造。世界各国にあるイスラエル友好協会の一つと見られる。
http://www.canada-israel.org/
 慰安婦問題については、カナダだけでなく、日本のイスラエル友好団体からこそ、その虚偽について、積極的に発言してほしいものである。

関連掲示
・拙稿「慰安婦問題は、虚偽と誤解に満ちている」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12f.htm
・拙稿「戦後韓国の慰安婦制度こそ、真の国際人権問題」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12s.htm
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人権381~経済的権利の歴史的な拡大

2016-11-28 08:55:00 | 人権
●経済的権利の歴史的な拡大

 経済的権利を思想史的に見ると、まずロックが17世紀に資本主義的な所有権を基礎づけた。ロックは身体を自由な個人の所有物とし、身体的労働による生産物を所有する権利を自然権として正当化した。これによって、近代西欧社会では、所有権を基礎とした財産の自由、契約の自由、営業の自由等の経済的権利が確立された。生まれながらに平等な権利を持つ自由で独立した個人という人間観は、ロックに多くを負っており、近代資本主義社会における市場・所有・契約に関する経済的な権利を持つ個人である。普遍的・生得的な人権を唱えたロックが、同時に近代資本主義社会における経済的権利を理論づけたところに、人権という概念の特殊近代西欧的な性格が表れている。
 ロックの思想を受けてアダム・スミスが、資本主義の経済理論となる古典派経済学の礎をすえた。彼の政治経済学的な主著『国富論』は1776年、アメリカ独立宣言発布の年に刊行された。スミス以後の経済学は、自由競争による市場の論理を正当化した。それによって、欧米において資本主義は大きく発達した。だが、欧米諸国における国民の経済的繁栄と個人の権利の拡大は、非西洋文明の諸社会を植民地としたことで可能になった。有色人種の権利を剥奪し、帝国の中核部が周辺部を支配・収奪する構造の上に実現したものだった。
 イギリスでは『国富論』の出た1770年代から、産業革命が始まった。1830年代にかけて、動力・エネルギー・交通の革命が連動的に起こった。それによって資本主義は飛躍的に発達した。機械制大工業は、労働者を劣悪な労働条件下に置き、社会における経済的な格差が広がった。これに対し、マルクスは生産手段の私有が階級分化を生んだとして私有制を否定する共産主義を説いた。共産主義は、人権はブルジョワ的な観念だとして否定し、階級闘争を説いた。今日、左翼の政党や市民団体は、普遍的な人権を説くが、これは元祖マルクスの理論に反している。
 20世紀初頭以降、市場の機構が理論通りに作動しなかったり、作動の仕方や結果が著しく公正を欠いたりする事態が生じた。そのため、近代法は修正を迫られることになった。それによって、現代法の基本的な考え方が発達した。現代法では、政府は市場に一定の介入を行うべきものとし、国民が政府に給付を請求する権利を認める。
 この変化には、ロシア革命の影響がある。ロシアで史上初めて共産主義革命が成功し、ソ連共産党は革命を輸出する活動を展開した。自由主義諸国は共産化を防止するため、さまざまな政策を講じた。イギリスでは、ケインズが1920年代から深刻化した失業の問題に取り組み、有効需要の創出による完全雇用をめざし、国民経済の発展によって自由と道徳を確保する理論を展開した。そこから福祉国家観が登場した。それまで、西欧では政府の役割は、国防と治安の維持だけでよい、経済については自由放任で、市場の機能に任せたほうがよいという夜警国家観が主だった。だが、福祉国家観のもとで、政府は国民の生活の安定と福祉の確保を主要な目標とし、積極的に社会経済政策を行うものに変わった。労働者の権利が保護され、労働条件の改善や勤労権、争議権、政府への給付請求権等の経済的権利が社会権として発達した。
 共産主義の旧ソ連・東欧では、労働者は共産党官僚に支配され、自由と権利を制限された。1980年代から民主化を求める運動が起こり、ソ連・東欧の共産党政権は崩壊した。20世紀の世界を揺るがした共産主義は、近代西欧的な自由と権利に関して言えば、それらの後退でしかなかった。
 自由主義諸国で発達した経済的権利は、その国の「国民の権利」であって、人間が生まれながらに持つ権利ではない。すなわち、普遍的・生得的な人権ではない。だが、それらの権利は「人間らしさ」を維持する権利として追及されており、「人間的な権利」という意味では人権と呼ぶことができる。「人間らしい」とか「人間的な」という観念は、集団的及び個人的な人格的成長・発展の程度や社会の持つ価値観、経済・社会・文化・文明の発達度合によって異なる。「人間らしい」「人間的な」の基準は、その国家における国民の常識による。それゆえ、「人間的な権利」は「国民の権利」として追及され、実現されてきたものである。そして、権利を実現した国民は、他国民に対して、その実現を奨励し、支援・助力すべきものである。ただし、本当にすべての人間が生まれながらに平等であり、また現実において平等でなければならないと考えるならば、豊かな国の国民は貧しい国の国民に対して、互いが同じ水準になるまで、富を分かち与えなければならない。だが、そのような実践をしている国は、一つもない。また、国際連合は人権の理念を高々と掲げ、大多数の国々が国際人権条約を締結しているが、豊かな国の国民が貧しい国の国民に対して、互いが同じ水準になるまで、富を分かち与えねばならない、とはしていない。それゆえ、経済的権利は「人間の権利」としてではなく「国民の権利」として発達してきたものであり、「人間が生まれながらに平等に持つ権利」としてではなく、その社会が「人間的な」と考える権利として発達してきたのである。

 次回に続く。
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