ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

キリスト教12~世界観・人間観

2018-02-20 08:54:10 | 心と宗教
●世界観~神による天地創造

 キリスト教の世界観は、ユダヤ教のそれと同じく、実在としての神によって、世界が創造されたという考え方に立つ。神すなわち創造主が初めに存在し、世界は神の意志で無から造られたとする。さらに動植物などの万物も神の働きで造られたとする。キリスト教は、こうした世界や万物の起源に関する創造論をユダヤ教から継承している。
 『創世記』1章1節から2章3節にかけて、天地創造が概略次のように描かれている。初めの日に、神は天と地を創造した。地は混沌とし、水面は闇に覆われ、聖霊がうごめいていた。神は光を生み出し、昼と夜とを分けた。2日目に神は、水を上と下とに分け、天を造った。3日目には大地と海とを分け、植物を創った。4日目には日と月と星が創られた。5日目には水に住む生き物と鳥が創られ、6日目には家畜を含む地の獣・這うものが創られ、海の魚、空の鳥、地のすべすべての獣・這うものを治めさせるために人間の男と女が創られた。7日目に神は休んだ。
 ユダヤ教では、神は言葉によってすべてのものを創造したとする。ヘブル語のダバルという語は言葉を意味するとともに、行動、出来事をも意味する。こうした言語において、神の言葉はそのまま神の行い、神の業と考えられることになったのだろう。
 天地創造の時期については、ユダヤ教では紀元前3761年10月7日としているが、キリスト教では諸説ある。今から5千数百年程度する点は共通する。
 16~17世紀に、西欧で聖書の説く天動説の誤りが指摘され、地動説へのコペルニクス的転換が起った。その後、宇宙の科学的研究が進み、地球の発生はキリスト教の説く年代より、はるかに古く、現在は45億年ほど前というのが定説になっている。キリスト教の主な教派は、長くこれを認めてこなかったが、2014年10月、ローマ・カトリック教会の教皇フランシスコは、世界の創造についての科学理論は神の存在論に矛盾するものではなく、逆にこれは相互に結びついたものだという考えを述べ、今日、世界の存在を説明するため用いられているビックバーン理論も創造主の存在と矛盾するものではなく、逆に「創造主の存在を必要とするもの」だと語った。

●人間観~神の似像

 キリスト教の人間観は、神によって、世界とともに人間もまた創造されたという考え方に立つ。この考え方もユダヤ教から継承している。
 人間創造については、『創世記』1章26~30節に、概略次のように記されている。神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言った。自分にかたどって人を創造し、男と女を創造した。神は彼らを祝福して言った。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と。また言った。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」と。
 『創世記』2章7~9節には、より詳しく次のように記されている。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。最初の人間アダムの次に女が造られたとし、同2章22~24節に次のように記されている。「人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。『ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから』。こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」
 ここでは女にはまだ名がない。後に、アダムは女にエバと名付けて妻とした。キリスト教は、こうした人類の誕生に関する神話をユダヤ教と共有している。人間観に関する詳細は、後に項目をあらためて書く。
 ここでは世界観と人間観に共通することを書いておきたい。19世紀半ば、チャールズ・ダーウィンが種は進化するという進化論を唱えた。聖書は、神が種を創造したと説くので、進化論は天動説から地動説への転換に次ぐ大きな影響を西方キリスト教社会にもたらした。進化論は人間がサルから進化した可能性を説くものゆえ、これを認めることは、キリスト教の世界観・人間観を根本から揺るがすものとなる。キリスト教会は、キリスト教の教義に反するものとして、これを否定する。今日でも米国では、キリスト教原理主義と呼ばれる保守的な勢力が学校で進化論を教えることに反対しており、教育を禁止している州もある。
 2014年教皇フランシスコは、ビックバーン理論を認める演説をした際、生物は進化を遂げる前にまず、何者かによって作られたと説明し、その後は、進化をしてきたとして、進化論を肯定する見解を述べた。

 次回に続く。
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宗教の諸相と発展可能性1

2018-02-19 09:56:42 | 心と宗教
 私は近年、文明と宗教に関するものを多く書いている。現在はキリスト教に関する長期連載をしているところだが、宗教一般については、いずれ概論を書きたいと思っている。その準備作業としてこれまで拙稿に書いてきたことを取りまとめておきたい。本稿は、先に書いた「宗教、そして神とは何か」に続いて、宗教の発生と発達、宗教と哲学・社会・政治・科学の関係、宗教における体験と実践、今後の発展可能性について書くものである。10数回の予定である。

●宗教の起源
 
 現在知られている人類の歴史において、一般に最初の時代とされるのは、旧石器時代である。約300万年ないし約200万年前に始まって約1万年前まで続くとされる。この時代に宗教的な意味を持つと考えられる遺跡が現れるのは、約10万年前から約3万5千年前の旧石器時代中期である。ネアンデルタール人などの旧人の遺跡から、死体の埋葬や狩猟の儀式が行われたことがわかる。続いて、約3万5千年前から約1万年前までの旧石器時代後期には、クロマニョン人などの新人による遺跡から、死に関わるものとして墓地や埋葬物等、生命や生殖力に関わるものとしてヴィレンドルフのヴィーナス等、狩猟に関わるものとしてラスコーやアルタミラの洞窟の壁画等が発見されている。それらの遺跡は、宗教的な観念や儀式の存在を想像させるものである。
 旧石器時代以降、どのように宗教が発生したのか。宗教の起源について様々な研究がされてきたが、確定的な答えには至っていない。宗教の原初形態として、宗教学では、アニマティズム、マナイズム、アニミズム、シャーマニズム、フェティシズム、動物崇拝、トーテミズム、天体崇拝、自然崇拝等が挙げられる。それらの相互関係や発達の段階についても定説と言えるものは、まだない。

●神話的信仰
 
 宗教の原初形態において、注目すべき要素に神話がある。人間は、他の動物よりも知能が発達している。その知能、言い換えれば知恵を以て、人間は自分の住む世界や自分自身を言語を用いて認識する。また、世界の成り立ちや人間の由来、生きることの意味等を考え、理解する。その認識と理解が最初に言語によって表現されたものが、神話である。神話は、象徴的な思考によって、一つの社会の持つ世界観や人間観を表し、時には実在観をも示している。
 世界の様々な氏族・部族・民族は、それぞれが生み出した神話を世代から世代へと伝承してきた。神話の伝承は、神話に基づく信仰の伝承でもある。神話に基づいて神々や祖霊を祀る祭儀を行うことは、人類に広く見られる営為だった。先に挙げた宗教の原初形態は、こうした神話的信仰を伴ったものと考えられる。

●アニミズムとアニマティズム

 宗教の原初形態のうち、最も広く見られるものは、アニミズムである。アニミズムは精霊信仰、霊魂信仰などと訳される。シャーマニズム、フェティシズム、動物崇拝、トーテミズム、天体崇拝、自然崇拝は、どれも霊的存在を前提にしており、アニミズムの諸形態と考えられる。
 19世紀後半のイギリスの人類学者エドワード・タイラーは、アニミズムを「霊的存在に対する信仰」と定義し、宗教の最も単純で原始的形態とした。彼は、原初形態としてのアニミズムが段階的に一神教に進化したのだと考えた。そして素朴なものから複雑なものまで、宗教はすべて、なんらかの形でアニミズムを含んでいると主張した。タイラーの考え方には、「進化」=「進歩・向上」という価値判断が含まれており、また一神教を最高の形態とし、多神教を下位の形態とみなす西洋中心・キリスト教中心の姿勢が見られる。
 その後の人類学や宗教学では、西洋中心・キリスト教中心の見方への反省がされるとともに、様々な社会の研究が行われてきた結果、宗教の発生・発達は一元的ではなく、さまざまな発生・発達の仕方があり得るという考え方が有力である。この考え方に立てば、原初的な宗教の諸形態は、段階的に並べるべきものではなく、並列的な類型となる。私は、その判断が妥当性である可能性を認めつつ、宗教の発生・発達について、論理的な思考に基づく仮説を抱いている。
 まず私は、宗教はすべてなんらかの形でアニミズムを含んでいるとするタイラーの主張を評価する。タイラーの考え方から「進化」=「進歩・向上」という判断を除いて価値の相対化をすると、宗教のさまざまな形態は、アニミズムの特殊化であると考えることができる。つまり、アニミズムの特殊な形態が多神教であり、さらに非常に特殊な形態が一神教であり、アニミズムがこのように特殊化してきたと見るのである。
 また、私は、アニミズムの根底には、アニマティズムがあると推測する。アニマティズムとは、タイラーの弟子ロバート・マレットが、アニミズム以前のプレアニミズムの一形態として唱えたもので、自然界の事物に霊的な力や生命力が秘められていると考え、この力を人間生活に取り込もうとする信仰である。私は、これを宇宙・生命の根源的な力への信仰と考える。力は物事を生起させる原因に係る概念である。日常的な言語では、目には見えないが人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを力という。特にその力に意思の働きを認めるとき、これを霊力という。それゆえ、アニマティズムは、霊力信仰と訳することができる。また、私は、アニミズムの精霊信仰の基底には、アニマティズムの根源的な力への信仰があると考える。
 例えば、わが国では古来、何かしら尊いもの、偉大なものに触れると、それを「かみ」と呼んで崇めたり、畏れたり、親しんだりしてきた。それが自然の事物や現象だったり、人間の霊魂だったり、生きている人間だったり、対象はさまざまである。だが、ここで「かみ」と呼ばれるものは、それぞれの事物に宿っている霊的存在というより、すべてのものの根源にある力を指すものと考えられる。ポリネシア・メラネシア等広く太平洋諸島に見られる「マナ」や東南アジアの諸民族における「ピー」と、「かみ」は、同じ対象を指すものだろう。この宇宙・生命の根源的な力への信仰がアニマティズムであり、それが最も原初的な宗教の形態であると私は考える。
 アニマティズムとしての霊力信仰は、個々の事物が差別化され、名前が付けられると、事物それぞれに霊的存在が宿るという考え方に変化しただろう。また、遠方または異界からやって来るものが、人や物に憑依するという考え方も現れる。それがアニミズムであると私は考える。
 アニマティズムは、総体としての宇宙を未分化のままにとらえたものだが、アニミズムにおいては、対象が個別化している。それゆえ、アニミズムは、精霊信仰であるとともに、人間の祖先の霊を祀る祖先崇拝であり、また自然の事物の霊を崇める自然崇拝ともなっている。だが、祖先崇拝・自然崇拝は、人間や自然の根底にある宇宙・生命の根源的な力への信仰を否定するものではない。祖先の霊や自然の霊を祀ったり、交流することを通じて、根源的な力の存在を確認したり、その力を受け直したりすることが可能である。それゆえ、私はアニミズムの根底にはアニマティズムがあり、アニマティズムとアニミズムは重層的な関係にあると考える。
 この仮説に立つならば、アニマティズムの特殊な形態がアニミズムであり、そのまた特殊な形態が多神教であり、さらに非常に特殊な形態が、一神教であるという関係になる。アニミズムにしても、多神教にしても、一神教にしても、祈りや祭儀における具象的または観念的な対象が何であれ、宇宙・生命の根源的な力の存在を確認したり、その力を受け直したりする試みだろう。

 次回に続く。
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キリスト教11~教義・実在観

2018-02-18 08:48:57 | 心と宗教
●教義の形成

 宗教は、それぞれ独自の教義を持つ。教義は、主に言語によって説かれるが、象徴によって暗示されたり、儀式によって表現される場合もある。
 古代から続く宗教には、神話の人間観・世界観に基づき、独自の教義を発達させたものが多い。ユダヤ教はその一つである。
 ユダヤ教は特定の創唱者を持たない自然宗教である。幾世代もの間に様々な精神的指導者の説いたことが、部族や民族の知恵として蓄積されて教義が形成された。教義は、宗教的な共同体である民族や教団が存続し、発達していくにつれて、制度的に明確に規定されていき、信仰や生活の規範として確立された。
 ユダヤ教では、民族の神話がそのまま教義の一部となっており、それに加えて先祖や預言者などの精神的指導者たちの言葉が教説となり、教義が形成・確立された。
 これに対し、キリスト教は、ナザレのイエスを創唱者とする創唱宗教である。創唱者イエスの説いた思想が教説となり、教説がもとになって教義が形成された。イエスの教説は、イエスがその場その場で説いた言葉やその時その時に行った行為の記憶や記録を主とする。そのため、十分に体系化されたものではない。その創唱者の教説を弟子が体系化・組織化し、キリスト教の教義となった。

●教義の内容

 キリスト教の教義の核心は、イエスをキリスト(救世主)とすることである。ユダヤ教は、イエスをメシアと認めない。キリスト教では、神は人間を愛するゆえに独り子イエスを遣わし、神の子であるイエスの死は原罪を贖った。イエスの犠牲によって人間は、再び神と結び付いた。イエスをキリストと信じる者は罪の赦しを得て永遠の生命に入る。神にいたる道は一つでイエスによるのみであると説く。これが、キリスト教の教義の要約である。
 キリスト教の教義には、さらに宗教一般がそうであるように、人間観・世界観・実在観が含まれている。すなわち、人間とは何か、世界とは何か、究極的な実在とは何かという問いへの答えとなる考え方である。それらの人間観、世界観、実在観は、ユダヤ教の考え方に基づいている。
 ユダヤ教の教義は、聖書に表現されている。この啓典に、人間観・世界観・実在観が示されており、主に『創世記』に描かれている。『創世記』はユダヤ民族の神話ないし神話に基づく物語であり、ユダヤ教の教義は神話に目指したものである。聖書の続く諸書には、先祖や預言者などの精神的指導者たちによる教説が記されており、それらが教義の内容を構成している。
 キリスト教は、こうしたユダヤ教の教義を継承し、これにイエスに基づく独自の教義が加えられている。その教義の一部は、ユダヤ教の教義に対する新たな解釈を示すものであり、また部はユダヤ教にはない新たな教義である。その点について、実在観、世界観、人間観の順に見ていきたい。

●実在観~実在は唯一の神

 キリスト教の実在観は、唯一の神を実在とするものである。その神は、ユダヤ教の神と共通する。神ヤーウェは、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(『出エジプト記』3章14節)と述べる。ここで「ある」とは、真の実在であることを示唆する。「ある」という神の規定は、神を有(存在)とし、有(存在)を神とする西洋思想の元になっている。
 ユダヤ教は、一元的なものが多様に現れているとし、一元的なもののみを実在とする。それがセム系一神教の基本的な論理となっている。キリスト教は、この論理を継承している。一に対する多としての万物は、神が無から創造したものとするので、神そのものではない。神と万物を一体とらえる汎神論とは異なる。神は創造主であり、万物は神の被造物である。被造物のうち人間のみが神の似像として、特別の存在である。ただし、人間は神の一部ではない。実在は、唯一の神のみである。
 こうしたユダヤ教の考え方に加えて、キリスト教は独自の実在観を持つ。キリスト教の主な教派は、父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊の三位一体を信奉する。神の実体(希語ウーシア、羅語スブスタンティア)は一つであり、三つの位格(希語ヒュポスタシス、羅語ペルソナ)を持つとする。また三つの位格は同格とする。このことがキリスト教の実在観に、世界の諸宗教の中でも特に複雑な様相を与えている。キリスト教では、三位一体は人知ではとらえられず、神の定めたものとしてただ信仰するのみと教えられている。
 キリスト教の実在観がさらに複雑なのは、イエスを主とし神としていることである。それゆえ、イエスの存在・活動・教え等がそのまま働きとされる。すなわち、イエスは神の独り子で、神が遣わした救世主であり、マリアの処女懐胎で誕生し、数々の奇跡を起こし、磔刑で死んだ後、3日後に復活し、弟子たちの前に何度も現れたというイエスの物語がそのまま実在の働きとされる。ユダヤ教では、このような実在観はあり得ない。

 次回に続く。
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中国・習主席の「神格化」が止まらない~石平氏

2018-02-17 12:29:03 | 国際関係
 中国では、習主席の個人独裁体制の確立が進み、さらに習主席の「神格化」が進んでいる。そのことをシナ系日本人評論家の石平氏が、繰り返し伝えている。私は、2月12日にも石氏の警告を掲載したところある。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/a7cd9d838a9e3c57aa42be2cfecdd4fe
 中国で起こっているこの重大な変化を、日本人は見逃したり、軽く考えてはならない。私は、旧ソ連が帝国主義化する過程でスターリンが神格化され、ナチス・ドイツが覇権主義的行動を繰り広げる過程でヒットラーが神格化された例と比べて、現在中国で起こりつつある変化を注視すべきだと考える。
 石氏によると、1月下旬、習氏の神格化はさらにエスカレートして「驚愕(きょうがく)の新段階に入った」「習主席のことを中国人民の領袖だけでなく、人類全体の指導者として持ち上げ始めた」という。
 習主席は昨年1月スイスで2つの演説を行い、「開放型の世界経済」を唱えた。ダボス会議と国連欧州会議におけるものである。今年1月25日、人民日報はその演説から1年経ったことを記念して「思想の光で世界の進路を導こう」と題する長文の論説を掲載した。翌26日にも「人類の進歩と変革を導く力」と題した記事を掲載した。ともに1面トップである。
 記事は、「2つの基調講演は世界人民の心の声を代弁し、世界全体に大きな影響を与えた。“世界がどうなるのか”“われわれはどうすべきなのか”の迷いが広がっている中で、中国の理念の光は人類発展の方向性を示した」。「2つの歴史的演説は哲学の高いレベルから人類の運命を説き明かした。それは大海原の灯台のように船舶の進路を導き、時間と空間をこえた思想的魅力を放った」などと書いている。
 また29日の新華社通信の記事は、「人類の進路を示した習主席の2つの講演は、知恵の声を大地に広げ、真理の光をもって暗闇を照らした」と書いた。
石氏は、「人民日報と新華社通信はどうやら本気で、習主席のことを人類の救世主に祭り上げようとしている。そして習主席自身もそれを黙認しているはずだ」と述べ、「妄想に近い野望を胸に抱いて世界支配へと動きだす“新中華帝国”と“新皇帝習近平”に、どう対処していくのか、それこそがわれわれにとっての大問題だ」として、警告を発している。
 以下は、石氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成30年2月8日
http://www.sankei.com/column/news/180208/clm1802080005-n1.html
2018.2.8 09:00更新
【石平のChina Watch】
「神格化」が止まらない習主席 世界の救世主のつもりなのか…〝自画自賛〟に唖然

 1月11日掲載の本欄は、中国国内における習近平国家主席の「神格化」の動きを取り上げたが、実は、それから2週間後、習氏の「神格化」はさらにエスカレートして驚愕(きょうがく)の新段階に入った。人民日報などの共産党宣伝機関は何と、習主席のことを「中国人民の領袖(りょうしゅう)」だけでなく、人類全体の指導者として持ち上げ始めたのである。
 そのために人民日報などが使ったネタは、1年前に習主席がスイスで行った2つの演説だ。昨年1月17日、習氏は中国主席としてスイスで開催のダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)に参加して基調演説を行った。翌18日、習主席はジュネーブの国連欧州本部でも演説した。
 この2つの演説において、習主席は「開放型の世界経済」を唱え、米トランプ政権の保護主義を暗に牽制(けんせい)し、一定の注目を集めたが「開放型の世界経済」をいかにして構築するかについて主席から具体的な提案や措置の発表もなく、会議参加者と各国からの反応は今ひとつであった。
 しかし、中国共産党の宣伝機関の手にかかると、習主席の2つの演説はあたかも、この地球上の人々に光と喜びを与える「福音」となったかのように粉飾された。
 今年1月25日、人民日報は1面トップで、習主席の2つの演説が発表されて1周年となるのを記念し「思想の光で世界の進路を導こう」と題する長文の論説を掲載した。翌26日、人民日報は再び1面トップで習主席の演説を絶賛する論評を掲載したが、今度のタイトルは「人類の進歩と変革を導く力」であった。
 つまり人民日報からすれば、習主席の2つの演説はいつの間にか、「人類」と「世界」を導く「光」と「力」となっているらしい。タイトルを見ただけでも、自国の主席に対する人民日報の過剰賛美が既に厚顔無恥の境地に達していることがよく分かった。
 人民日報論評の中身となると、それはまた、読む人の失笑を誘うほど自家賛美のオンパレードであった。
 曰(いわ)く、「2つの基調講演は世界人民の心の声を代弁し、世界全体に大きな影響を与えた。“世界がどうなるのか”“われわれはどうすべきなのか”の迷いが広がっている中で、中国の理念の光は人類発展の方向性を示した」。
 曰く、「2つの歴史的演説は哲学の高いレベルから人類の運命を説き明かした。それは大海原の灯台のように船舶の進路を導き、時間と空間をこえた思想的魅力を放った」。
 この行(くだり)を原文で読んだとき、私はさすがに虫酸(むしず)が走るような思いをしたが、29日に配信された新華社通信記事の「習近平賛美」はそれ以上のものであった。
 曰く、「人類の進路を示した習主席の2つの講演は、知恵の声を大地に広げ、真理の光をもって暗闇を照らした」。つまり新華社通信の表現に従えば、習主席が例の2つの演説を行う前に、われわれ人類一同は「暗闇」の中にいたというのだ。
 自画自賛がここまできたら、普通の神経を持つわれわれはもはや唖然(あぜん)とするしかない。しかし人民日報と新華社通信はどうやら本気で、習主席のことを人類の救世主に祭り上げようとしている。そして習主席自身もそれを黙認しているはずだ。
 それは単なる妄想だと笑って済ませられるものではない。
 「習主席が人類全体の方向性を示さなければならない」という、この一見荒唐無稽の妄想の背後には中華帝国の皇帝が天下の主=世界の支配者であるという中華思想の亡霊と、21世紀における中国の世界制覇という中国共産党と習主席自身の大いなる野望が見え隠れしているからだ。
 妄想に近い野望を胸に抱いて世界支配へと動きだす「新中華帝国」と「新皇帝習近平」に、どう対処していくのか、それこそがわれわれにとっての大問題だ。
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キリスト教10~教派の続き

2018-02-16 09:33:49 | 心と宗教
教派(続き)

 改革派・長老派(プレスビテリアン)は、ジャン・カルヴァンの系統である。改革派の名称は、16世紀半ばにカルヴァンがルターの改革は不十分だったとして、改革を徹底しようとしたことに由来する。スイス、オランダに多い。スコットランドの長老派の名は、長老を代表とする教会政治に基づく。聖書のみを人間の思想と行動の唯一絶対の指針とし、呪術的要素を徹底的に排除した。神はアダム・エバの堕罪以前に、予めすべての人間を、ある者は救いに、ある者は滅びに予定したという二重予定説(堕罪前予定説)を説く。天国に行くか地獄に行くかは、人間の意思や行動には無関係で、すべて神が決定するとする。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみ。ルター派等と異なり、幼児洗礼を認めない。
 会衆派・組合派は、16世紀後半にイングランド国教会からの分離を主張した司祭ロバート・ブラウンに始まり、ピューリタン革命時に長老派から分離・独立した。会衆派の名称は、会衆全体の合意に基づく教会政治に由来する。日本では、組合派ともいう。1620年にメイフラワー号に乗って北米のプリマスに入植したのは、この派の信徒である。ピューリタン革命の推進力となり、クロムウェルのもとで共和制を樹立した。カルヴァン主義を基本とするが、特定の信仰箇条を持たず、自由・寛容の傾向を示す。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 バプテストは、1609年にイングランド国教会から離脱したジョン・スマイスに始まる。洗礼(バプテスマ)は、全身を水で浸す浸礼が聖書にある方式であると主張する。自覚的な信仰告白に基づく者のみを信者とし、幼児洗礼を認めない。国家と教会の公的な結びつきに否定的で、信教と良心の自由を重んじる。一部の信徒は、天地創造、ノアの方舟、イエスの処女降誕と復活を文字通り信じる。学校で進化論を教えることに反対する。米国プロテスタントの最多数を占め、黒人にも信徒が多い。キリスト教原理主義の有力部分となっている。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 メソディストは、18世紀半ば、イギリス国教会司祭ジョン・ウェスリーに始まる。「聖書に言われている方法(メソッド)に従って生きる人」を意味する。1795年に正式に国教会から分離して一個の教派となった。カルヴァンの予定説とは対照的に、すべての人間の自由意志による救済を説く。16世紀後半のオランダの改革派神学者アルミニウスが、人間は自らの意志で神の救いを受けることも、拒絶することもできると説いたのに基づく。人間の主体的な決断や回心体験、聖霊の働きを重んじ、信仰義認の後の聖化を強調する。道徳的で清廉な生活を心がける。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。1795年に正式に英国国教会から分離した。イギリス産業革命で生じた社会的弱者の救済に尽力した。この派から救世軍が派生した。
 ペンテコステ派は、19世紀末アメリカで起こった聖霊の働きを追い求める運動に由来する。名称は、使徒たちに聖霊が降った聖霊降誕の日(ペンテコスト)に由来する。聖霊降臨は、すべての時代のキリスト教徒に開かれ、今も働く神の恵みと信じる。神に関する知識や教義の習得よりも、神の霊による導きを自分の内に感得できる能力を養うことを重視する。異言を語ることが、聖霊のバプテスマを受けたしるしと考える。集団的恍惚状態や治癒の奇跡を積極的に評価する。20世紀後半に急速に成長し、現在キリスト教諸教派の中で最も勢いがある。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 クエーカーは、キリスト友会(Religious Society of Friends)の一般的な呼称である。1650年にイングランドでジョージ・フォックスが創設した。名称は「神を畏れ震える者」に由来する。真理は、各自の魂に呼びかける神の声の中に見出されるとする。その神の声を「内なる光」と呼び、すべての人に内在すると考える。またその考えによって性別・人種などの差別を否定する。カルヴァンの予定説とは対照的に、万人が救済され得ると説く。形式・象徴・権威を否定する。すべての人は霊的に平等だとし、教職制度がない。霊性と感性を重んじ、虚栄を嫌う。宣誓や兵役を拒否する。非戦主義・非暴力主義で知られる。他の教派と違い、洗礼や聖餐はない。
 ユニテリアンは、17世紀イギリスに始まる。三位一体を認めない。イエスの神性を否定し神の単一性(Unity)を唱えた初期教会時代のアリウスの説を継承する。同じころ、アルミニウス主義に立って予定説に反対し、すべての者が例外なく救われるとする万人救済説を主張するユニヴァ―サリストも現れた。これら二派は北米で1961年に合同した。自由と理性と寛容を重んじ、原罪やイエスの贖罪、処女降誕、復活等の奇跡を認めず、科学上の諸発見を尊重する。人間はみな神の子であり、イエスは神ではなく最も神に近い存在であるとし、究極の師と仰ぐ。他宗教にも救いはあると認め、他宗教との交流にも積極的である。サクラメントはない。

 次回に続く。
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安倍首相が専守防衛の問題性を明言

2018-02-15 09:44:19 | 時事
 安倍首相が2月14日の衆院予算委員会で、専守防衛の問題性を明言しました。「純粋に防衛戦略として考えれば大変厳しい。相手からの第一撃を事実上甘受し、国土が戦場になりかねないものだ」と。
http://anonymous-post.com/archives/19507

 敗戦後、わが国は、GHQによって憲法が押しつけられ、国防を制限されました。その憲法が放置されたまま、昭和43年にわが国は非核三原則の政策を掲げ、さらに昭和47年に国防を受動的な防御に徹する専守防衛に限定しました。
 今日、専守防衛は、あたかも憲法制定以来の原則であったかのように誤解されていますが、専守防衛は昭和40年代に入って出始めた言葉です。また軍事用語ではなく、政治家が使い出した用語です。当初、昭和45年版の防衛白書では、軍事用語の戦略守勢と同じ意味でした。戦略守勢であれば、敵基地への反撃や自衛のための先制攻撃ができます。しかし、日中国交回復以後、この考えに重大な変化が生じました。すなわち、中国への過剰な配慮から、わが国はまったく受動的な防御に徹するという誤った考え方を国策としてしまったのです。

 わが国が自縄自縛に陥っている間に、中国は長期的にかつ猛烈に軍拡を進め、彼我の戦力の差は途方もないものになっています。迫りくる中国の侵攻から、独立と主権、国民の生命と財産を守るためには、国家のあり方の根本的な転換が急務です。
 詳しくは、下記の拙稿「核大国化した中国、備えを怠る日本~日中戦後のあゆみ」をご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12c.htm
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キリスト教9~聖地・教派

2018-02-13 12:04:00 | 心と宗教
●聖地

 キリスト教は、エルサレムを聖地とする。エルサレムは、もともとユダヤ教の聖地である。紀元前10世紀にソロモン王は、エルサレムのシオンの丘に神殿を建立した。その神殿は、約1000年後の紀元70年にローマ帝国によって破壊された。国を失い、離散民となったユダヤ人にとって、エルサレムは帰るべき場所となった。その後、エルサレムは、キリスト教にとっての聖地となった。
 エルサレムがキリスト教にとって聖地であるのは、イエスが磔刑に遭い、そこから昇天したゴルゴダの丘がそこにあるからである。エルサレムは、さらにさらにイスラーム教にとっても重要な場所となった。同市旧市街のわずか1キロ四方ほどの場所に、これら三つの宗教の聖地が集中している。
 キリスト教徒は、11世紀から13世紀にかけて、イスラーム教徒の支配下にあったエルサレムを奪還するために、十字軍戦争を起こした。しかし、1260年にエルサレムはモンゴル軍の侵入により完全に破壊された。1517年以降は、オスマン帝国の統治下に置かれ、それが1918年の第1次世界大戦の終了まで続いた。第1次大戦後は、イギリスの委任統治下に置かれた。
 第2次世界大戦後、エルサレムは、1947年、国際連合(連合国)で国連永久信託統治区と決議された。だが、翌年の第1次中東戦争の結果、イスラエルとトランス・ヨルダンの休戦協定で、エルサレムは東西に分割された。さらに1967年の第3次中東戦争でイスラエルがヨルダン川西側を占領した際、全市を押さえた。エルサレムを含む地域を軍事占領したイスラエルは、エルサレムを「統一された首都」と宣言した。国連決議を完全に無視した行動である。そのため、世界の多くの国は、エルサレムを首都と認めず、大公使館をテルアビブに置いている。
 2017年、アメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認め、大使館をテルアビブからエルサレムに移転すると発表したことにより、大きな国際問題となっている。

●教派
  
 キリスト教には、多くの教派がある。大きく分けるとローマ・カトリック教会、東方正教会、プロテスタントの三つである。私は、ローマ・カトリック教会、プロテスタントを合わせて西方キリスト教、東方正教会及び東方諸教会を東方キリスト教と呼ぶ。
 ローマ・カトリック教会の「カトリック」とは、「普遍」「公」等を意味する。ペトロが殉教したローマの地の教会が、各地の教会の上に立つ教会とされ、ローマ司教が教皇を務める。教皇の首位権と無謬性を主張する。教会の伝統である聖伝を重視する。聖伝は信仰宣言書、教皇教書、教父の著書、祈祷書、典礼書、殉教書、古代キリスト教の美術、碑銘等に含まれるものとされる。信徒にとって信じ得る書物は、聖書よりもむしろ聖伝の簡潔な要約書であって教育的な書物でもある公教要理(カテキスム)であるとされる。サクラメント(秘跡)として、洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻を行う。原罪を強調する。煉獄の存在を説く。マリアの無原罪と被昇天を信じる。
 当時の古カトリック教会は、自らの教義と異なる説を説く者を認めず、異端として厳しい弾圧を行った。教義の争いは、主にイエスの神性と人性、三位一体を巡るものだった。古代に異端とされたものには、イエスの神性を否定するアリウス派、イエスの人性を重視するネストリウス派(景教)、イエスに神性のみを認めるキリスト単性論派等があり、まとめて東方諸教会という。単性論派には、アルメニア使徒教会、ヤコブ派教会、エチオピア正教会、コプト正教会、シリア正教会などがある。これらのうちコプト教会は、マリアを「神の母」として熱心に崇敬する。
 ローマ帝国は395年に東西に分裂した。その約600年後の1054年に、ローマ・カトリック教会と東方正教会が分かれた。東方正教会は、古代ギリシャの文化的伝統を背景に、コンスタンチノープルを首都とするビザンチン帝国で発展した。ギリシャ正教とも呼ばれるのは、ローマ帝国の共通語で、新約聖書が書かれ、初代教会で使われたギリシャ語に由来する。
 東方正教会は、信条の改変を禁じたエフェソス会議(431年)の原則を厳格に守ることを旨とし、一貫して教父時代以来の習わしを堅持する。正教会というのは、正統(Orthodox)を継ぐという意味である。原罪やキリストによる十字架上の贖罪よりも、キリストの復活によって実現した救いの喜びを強調する。聖霊は父からのみ発出するとする。サクラメントを機密といい、洗礼、傅膏、聖体、痛悔、神品、婚配、聖傅の7つがある。ローマ司教(教皇)の首位権や不可謬性、煉獄の存在、マリアの無原罪懐胎・被昇天を認めない。イコン(聖像)を崇敬の対象とする。三位一体を至聖三者、聖霊を聖神、マリアを生神女と呼ぶなど、独自の用語を多く使う。ギリシャ正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会、ジョージア(グルジア)正教会等の他、東欧・北欧・西欧・米国・東アジア等に諸教会がある。
 教会の東西分裂の約500年後の16世紀、西方キリスト教では宗教改革が起り、プロテスタント諸派が誕生した。代表的な教派には、ルター派、英国国教会(聖公会)、改革派・長老派、会衆派・組合派、バプテスト、メソディスト、ペンテコステ派、クエーカー、ユニテリアン、ユニヴァ―サリスト等がある。
 ルター派(ルーテル教会)は、マルティン・ルターが、1517年にカトリック教会が贖宥状を販売することに反対して、「95箇条の提題」を発表したことに始まる。聖伝を認めず、聖書のみを信仰の唯一の根源とする聖書中心主義を取る。善行や功徳ではなく、ただ神の恵みのみ、個々の信仰のみによって救われるとする信仰義認を説く。神と人の媒介として、キリスト以外の仲介者を認めず、万人祭司主義を取る。聖職以外の世俗の職業も、神に召された天職とする。聖職者である牧師には、位階がない。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。ドイツ、スカンジナビア諸国で支配的である。
 英国国教会(聖公会)は、1534年、イングランド国王ヘンリー8世が離婚を認めないローマ・カトリック教会から離脱し、自らを首長とする国教会を創ったもの。ローマ教皇のような単一の支配者を認めない。現在も国王(女王)を首長とする。聖母マリアや聖人を崇敬しない。聖書のほかに伝統と理性を重んじる。そのため特定の教義を定めず、教派的な信仰告白を掲げていない。プロテスタント諸派の中で、最もローマ・カトリック教会に近い。二派を橋渡しするブリッジ・チャーチとも呼ばれる。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。この系統に監督派がある。

 次回に続く。
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中国で進む習主席の「神格化」~石平氏

2018-02-12 08:41:20 | 国際関係
 1月18~19日に行われた中国共産党の第19期中央委員会第2回総会(2中総会)で、昨年10月の党大会で習近平国家主席が打ち出した理念「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」を憲法に盛り込む改正案が承認された。3月に開かれる第13期全国人民代表大会(全人代=国会)で採決されることが確実である。これによって、習主席兼総書記の権威は一層高まり、個人独裁体制の確立が進むだろう。
 シナ系日本人評論家の石平氏は、「昨年10月の中国共産党19回全国代表大会の開催以来、国内における習近平国家主席の「個人崇拝・神格化」の動きが急速に進んでいる」と指摘する。
 石氏によると、「年末年始6日分の人民日報1面トップが全部習主席によって独占され、さながら『習近平日報』と化している」という。また、人民日報だけでなく、共産党政権指導下で、習主席を唯我独尊の最高領袖として崇拝せよ、とするキャンペーンが全国のマスコミ中心に毎日のように展開されているとのことである。
 人民日報は、1月3日付に、昨年の党大会開催以来、習主席を「核心」とした共産党指導部の諸活動を総括した長文記事を掲載したが、記事の中で習主席の名前が50回も登場し、「習主席は唯一無二の主役」となっている。記事は、政治、経済、外交、文化などのあらゆる方面での党と政府の活動に対し、主席が「この上なく重要かつ賢明な指摘」を行い、「この上なく重要かつ適切な指示」を下した。石氏は「そこから浮かび上がってきたのは『全知全能の神』という言葉で表現する以外にない、習主席の英明にして偉大なる指導者像である」と述べる。そして、「今の中国では、共産党政権は全力を挙げて13億の国民に対する習主席の神格化を進めている。この大国は一人の指導者を『教祖さま』として拝むような巨大カルト教団と化しかねない。実に恐ろしいことである」と書いている。
 以下は、石氏の記事の全文。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●産経新聞 平成30年1月11日

http://www.sankei.com/column/news/180111/clm1801110008-n1.html
2018.1.11 11:45更新
【石平のChinaWatch】
人民日報は「習近平日報」 習氏を偉大なる「全知全能の神」扱い 巨大カルト集団と化す中国は恐ろしい

 昨年10月の中国共産党19回全国代表大会の開催以来、国内における習近平国家主席の「個人崇拝・神格化」の動きが急速に進んでいる。
 年末年始の人民日報を眺めただけでそれがよく分かる。昨年12月29日付の1面トップは、習主席が中国の各国大使を集めて「重要講話」を行った記事だ。30日付となると、習主席が行事に出席したり、会議で「重要講話」を行ったりする3つの記事で1面は覆い尽くされ、主席の大きな写真が2枚掲載されている。そして31日付、1面トップに登場したのは、習主席がモスクワ大学の中国人留学生に寄せた激励の手紙である。
 今年の元日、主席恒例の「新年賀詞」は当然、1面トップを飾ったが、同じ1面には、習主席が別の会議で行った講話の概要と、「主席新年賀詞」への解説コラムが掲載されている。そして1月2日付1面には主席関係の記事が3つも掲載され、3日付の1面トップを飾ったのは前述の「主席新年賀詞」に対する解説コラムの第3弾である。
 このようにして、年末年始6日分の人民日報1面トップが全部習主席によって独占され、さながら「習近平日報」と化している。それは人民日報だけのことではない。共産党政権指導下で、習主席を唯我独尊の最高領袖(りょうしゅう)として崇拝せよ、とするキャンペーンが全国のマスコミ中心に毎日のように展開されている。
 その先頭を走る人民日報が3日付1面と3面に分けて掲載した長文記事も実に面白い。記事は昨年の党大会開催以来、習主席を「核心」とした共産党指導部の諸活動を総括したものであるが、記事の中で本人の名前が50回も登場するほど習主席は唯一無二の主役なのである。
 その中で習主席は、貧困扶助、農村視察、経済会議、外交舞台、産業の現場指導など、あらゆる場面に姿を現した。そして、政治、経済、外交、文化などのあらゆる方面での党と政府の活動に対し、主席が「この上なく重要かつ賢明な指摘」を行い、「この上なく重要かつ適切な指示」を下したという。そこから浮かび上がってきたのは「全知全能の神」という言葉で表現する以外にない、習主席の英明にして偉大なる指導者像である。
 習主席の神格化が最も顕著に表れたのは、人民日報のネット版である「人民網」が昨年12月29日から始めた「私は習主席と握手した」との報道シリーズである。故宮の消防隊員、農村の女性教師、アイスホッケー部の少年選手などなど、習主席が北京や地方を視察するときに幸運にも主席と握手できた普通の人々を登場させ、彼らに「握手」への感想をインタビューしたものである。もちろん取材者が期待する通り、この人々の口から吐かれたのは、「当時の光景を思い出すたびに深い感動を覚える」「主席の手は温かくて力強い、興奮して言葉も出ない」「握手は1秒間であったが、終生、その瞬間を心に銘記しておきたい」などの感極まる言葉である。
 重要なのは、このシリーズ記事の中で描かれた普通の人々と習主席との関係が、もはや国民と一人の政治指導者との関係ではないことだ。頭をなでてもらって感激する信者と教祖との関係の構図が見事に、ここに再現されている。人民網シリーズの意図は明らかに、習主席を単なる一指導者にではなく、まさに人民にとっての「教祖さま」の立場に祭り上げて、一人一人の人民にそれを崇拝させようとしているのだ。シリーズに登場してきた「握手に感激」の人々はただ、このための道具として使われている。
このようにして、今の中国では、共産党政権は全力を挙げて13億の国民に対する習主席の神格化を進めている。この大国は一人の指導者を「教祖さま」として拝むような巨大カルト教団と化しかねない。実に恐ろしいことである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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2月11日は建国記念の日

2018-02-10 08:24:01 | 日本精神
 2月11日は現在、「建国記念の日」という祝日になっています。国民の祝日に関する法律(祝日法)では「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことを趣旨としています。しかし、学校教育や新聞、マスコミなどの情報の中で、この日の意義は、ほとんど伝えられていません。
 2月11日は明治時代から昭和23年(1948)までは紀元節と呼ばれていました。紀元節が設けられたのは、明治維新の後のことです。幕末の日本は、西欧列強の植民地にされるおそれがあり、その危機感の中で、日本人は、新しい国民結集の政治体制をつくろうとしました。その方向性を決定づけたのが、慶応3年(1867)12月に出された「王政復古の大号令」でした。その中には、「諸事神武創業のはじめにもとづき……」という文言があります。初代・神武天皇の建国をモデルにすることが謳われ、新国家建設が進められたのです。
 神武天皇は、建国にあたり「八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)む」つまり「天下に住むすべてのものが、一つ屋根の下に大家族のように仲良くくらせるようにする」という理念を掲げました。そして、奈良県の橿原の地で、天皇の御位におつきになったと『日本書紀』に記述されています。それは、「辛酉(かのととり)年春正月」の一日のことだといいます。この日を太陽暦に換算すると2月11日となります。そこで、明治6年(1873)に、2月11日が紀元節と定められたのです。「元」とは元始の義であり、また年号のことにも用います。そこで、日本の紀元の始まる日であるとして、紀元節と名づけたものでした。
 アメリカは独立後に独立記念日、フランスは革命後に革命記念日を設け、毎年、国を挙げて祝っています。これにならい、日本は明治維新後に紀元節が定められたのです。そこには、国の伝統、建国の理念を踏まえつつ、新しい近代国家を建設しようという志が込められています。
 こういう意義ある日ですので、明治憲法を発布する際にも、この日が選ばれました。帝国憲法は明治22年(1889)の2月11日に発布されたのです。国の初めの日に、新しい憲法を発布して、立派な国づくりをしようとしたわけです。
 戦前、紀元節は国民的な祝祭日として祝われ、「雲に聳(そび)ゆる高千穂の……」という『紀元節』の歌が小学校などで歌われました。
 ところが、大東亜戦争の敗戦後、わが国を占領したGHQは日本の伝統を破壊しようとしました。占領軍の資料『降伏後における米国の初期対日方針』には、「日本国が再び米国の脅威となり、または、世界の平和および安全の脅威とならざることを確実にする」と、占領の目的が書かれています。すべて、この目的に沿って占領行政が行われました。
 独立国同士の関係にあって、未来永劫に決して脅威とならなくするためには、米国の属国状態に置かない限りあり得ないことです。GHQはまさにそれをめざしました。
 GHQは占領政策の一環として、昭和23年(1948)に祝祭日を変える方針を打ち出しました。これによって、紀元節はこの年をもって廃止されました。2月11日という日を否定することで、日本の神話、歴史、天皇と国民のつながりを破壊しようとしたのです。

 昭和26年(1951)、日本はサンフランシスコ講和条約を結びました。国の独立回復にあたり、わが国の伝統を保ちたいとする政府は、世論調査を実施しました。その結果、祝日に残したい日の第1位は正月、第2位は4月29日の昭和天皇誕生日でした。この日は当時、天長節と呼ばれていました。今は「昭和の日」と呼ばれています。そして、残してほしい祝日の第3位が2月11日でした。
 当時の吉田茂首相は、「紀元節の復活から手を付けていきたい」と国会で答弁しました。そして、昭和27年(1952)4月28日の主権回復以降、紀元節復活運動が行われました。法制化の努力が続けられた結果、昭和41年(1966)6月の国会で、ついに祝日法(国民の祝日に関する法律)の改正がなりました。この時、紀元節は、「建国記念の日」と名を変えて復活することになりました。昭和42年(1967)2月11日には、第1回の「建国記念の日」が祝われました。
 このように、建国記念の日は、敗戦後、日本人の努力で取り戻した日です。国民の努力によって、日本の歴史の原点を取り戻すことができたものです。
 戦後の日本は、6年8ヶ月に及ぶ占領が行われ、この間、日本弱体化政策が強行されました。昭和27年に主権を回復した後には、二つの動きがあります。一つは、占領軍の意志を引き継ぎ、日本の主権を制限されたままにし、固有の歴史観や国家観を否定しつづけようとする動きです。こちらは、「進歩的文化人」を代表とする近代化主義者や、社会主義者、共産主義者による動きです。これに対し、日本を再び独立自尊の国として立て直そうという動きもありました。その運動の代表的なものが、失われた2月11日を取り戻す努力、紀元節復活運動でした。担い手は、日本の伝統や文化を愛する人たちです。
 昭和42年に、「建国記念の日」が制定されて以降、昭和49年(1974)には元号法制化の運動が起こり、昭和53年(1978)に法制化がなりました。また、昭和50年(1975)には昭和天皇のご即位50年奉祝運動が行われました。昭和60年(1985)には同じくご即位60年奉祝運動が行われました。また、「日の丸」「君が代」の法制化運動も行われ、これは平成11年(1999)に国旗国歌法が制定に結実しました。このように、日本再建に向けての努力は、戦後ずっと続けられてきたのです。その努力のきっかけとなったのが、紀元節の復活運動であり、2月11日の意義を知ることは、日本の伝統と文化を理解することになるのです。

 さて、わが国の政府は一時、「建国記念の日」の建国記念式典を後援していたのですが、平成18年(2006)以降は記念式典そのものが行なわれていません。せっかく長年の努力によって回復した記念日が形骸化していることは、大変残念なことです。
 「建国記念の日」が制定された昭和41年(1966)以降、「建国記念の日奉祝会」という民間団体が建国記念式典を開催し、本来は首相出席の上、政府が記念式典を主催すべきことを訴えてきました。昭和53年(1978)に総理府の後援が実現し、以後、文部省・自治省も後援に加わったのです。ところが、昭和59年(1984)、中曽根康弘政権は、式典プログラムから「神武建国」を削除すること、及び「天皇陛下万歳」を「日本国万歳」に変更することを、首相出席の条件として提示しました。民間側はこの政府の要求を拒否したため、昭和63年(1988)からは政府後援の「『建国記念の日』を祝う国民式典」と、民間側の「建国記念の日奉祝中央式典」が別個に開催されるようになりました。
 民間主催の集会は、現在も一貫して「神武建国」「天皇陛下万歳」のある形で行われています。政府後援(主催ではない)の集会は「神武建国」「天皇陛下万歳」のない形で行われていましたが、平成17年(2005)に役員の高齢化を理由に式典が中止になり、翌18年(2006)には一切の行事が取り止めとなってしまいました。以後、記念式典そのものが行われていません。こうした現状を改善すべく国民運動が行われています。
 自民党は平成26年(2014)2月、建国記念の日や竹島の日などに合わせた政府主催式典の開催を目指し、党内に「歴史・伝統・文化に関する連絡協議会」を設置しました。祝日の由来や意義、文化的な位置づけ、祝日の改廃の経緯などに関する勉強会を開き、政府主催で式典を行う意義を広める活動を行う方針と当時伝えられました。だが、まだ広く国会議員に賛同を呼びかけ、国民を啓発する動きには至っていません。
 日本の建て直しは、日本建国の由来を知り、その伝統に誇りを持つことから始まります。政府が式典を主催するとともに、建国の由来を教科書に記載し、青少年に教育すべきであります。
 そして、祝日には、家庭や地域で国旗「日の丸」を掲揚しましょう。
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キリスト教8~聖書

2018-02-09 15:03:02 | 心と宗教
●聖書

 キリスト教の啓典を聖書(バイブル)という。聖書は1200余りの言語に翻訳され、世界のほとんどの人が、自国語で神のことばを読むことができる。また、常に世界的なベストセラーとなっている。
 キリスト教は、ユダヤ教と聖書の一部を共有している。ユダヤ教の聖書は、律法(トーラー)、預言書(ネビーイーム)、諸書(ケスービーム)に区分され、その順に並べられている。キリスト教は、これらの書物を旧約聖書とし、これに独自の文書を付け加えて、新約聖書としている。旧約はユダヤ民族と神との古い契約、新約はイエスによる神との新しい契約を意味する。
 旧約聖書は、ヘブル語(一部はアラム語)から当時、ローマ帝国の共通語になっていたギリシャ語に翻訳された。それをもとにラテン語訳が作られた。
 ユダヤ教では、モーセは神と契約を結んだ時、神から十戒を中心とした律法(トーラー)を与えられたとする。律法は、神から与えられた宗教上・生活上の命令や掟である。同時にそれが書かれているモーセ五書を指す。モーセ五書は、聖書の最初に置かれているもので、『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』をいう。律法は、広義ではこれら以外に口伝のものも含む。
 ユダヤ教では、神ヤーウェが定めた律法は、神と人間との間にある大きな断絶を埋め、橋渡しをするものとされる。敬虔なユダヤ教徒は、律法を厳格に守ることによって、神の前に義とされ、神の国に入る資格を得る。それが彼らの人生最大の目的である。これに対し、キリスト教では、イエスは律法主義からの脱却を説いた。律法を否定するのではなく、これを完成させるのだとし、神への愛と隣人への愛の実践を強調する。愛を実践することが目的ゆえ、律法とそれに基づく戒律の順守は重視されない。
 旧約聖書には、16巻の預言書がある。預言書とは、預言者に関する書物である。預言者の原語ナービー(nabi)は「呼び出された者」を意味する。神によって呼び出され、神の意思を理解し、またそれを自覚できた人間が預言者である。
 紀元前9世紀ころに現れたエリヤを最初とする。旧約聖書の預言書のうち、代表的な預言者の名を冠した『イザヤ書』『エレミヤ書』『エゼキエル書』『ダニエル書』の各書は、大預言書といわれる。その外は小預言書という。旧約聖書のうち、律法、預言書以外のものを、諸書という。
 イエスや弟子・信者たちは、しばしば旧約聖書の言葉を引用する。旧約聖書あっての新約聖書である。キリスト教は、イエスの教えであり、かつユダヤ教をもとにした宗教である。ユダヤ教の異端・分派であり、ユダヤ教イエス派から発展したものできる。
 新約聖書は、ギリシャ語写本からラテン語に訳されたとされる。イエスが日常的に話していたのは、古代シリア語であるアラム語だった。そのイエスの言葉をそのまま伝える文書は残されていない。
 新約聖書は、イエスの弟子がイエスの言行や教えを書いた四つの福音書、ペトロ(ペテロとも書く)、パウロの事跡を中心にした『使徒言行録』、パウロの書簡及びパウロ以外の初期指導者の文書、ヨハネによる黙示録から成り立っている。最後の黙示録の黙示は、隠された真理の開示を意味する。
 新約聖書のうち最初に書かれたのは、紀元49年頃のパウロによる『ガラテヤの信徒への手紙』」とされる。四つの福音書は、紀元65年頃から95年頃にかけて書かれた。また使徒や初期指導者による手紙の大部分は、1世紀末頃までに書かれた。
 マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4人の筆者によって書かれた福音書の権威が確立したのは、2世紀末だった。福音書を含む新約聖書が正典として確立されたのは、397年のカルタゴ公会議においてである。この時、4つの福音書は統一されないまま正典とされた。
 カルタゴ公会議では、旧約聖書39巻、新約聖書27巻、計66巻の聖書が確定された。旧約については、教派によって、外典(がいてん)を含むとしている。ローマ・カトリック教会は、7つの第二正典(外典)も旧約聖書の一部として認める。東方正教会は、旧約聖書に入典書(正典39巻)以外に不入典書(外典)を含む。
 キリスト教では、聖書の著者は神であり、聖書は神の言葉そのものとされる。イエスは「神の子」また「主」とされる。だが、そのイエスについて書き記したのは、人間である。新約聖書の中心となる福音書は、4人によって別々の書として書かれており、記述はそれぞれ部分的に異なっている。
 神イエスの言葉や行いとされるものが、四書によって異なり、一本化されずに併録された。そのことが、キリスト教徒の間に見解の相違をもたらすことになっている。神の言葉が四書四様に書かれていることには、矛盾がある。
 福音書の中で最初に書かれたのは、『マルコによる福音書』である。マルコは説教者として福音書を書いたが、マタイは同じ立場から部分的に異なる内容を記した。ルカは、マルコ、マタイとは異なり、歴史家としてキリストの生涯を描こうとしている。出来事のつながりを整え、イエスの誕生や洗礼者ヨハネの出現の時期を定め、世界史と年代記的に関連させようとしている。
 マルコ、マタイ、ルカによる福音書を、共観福音書という。『ヨハネによる福音書』は、これらと、明らかに論調が異なる。同書は、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ書1章1節)、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(同書1章14節)と書いている。
 ヨハネは、ギリシャ哲学のロゴス論の影響を受けていた。ヨハネはイエスの出現を、永遠のロゴス(言葉)である神が人間となってこの世界に入った(受肉)と理解した。ここにはイエスは受肉したロゴス(言葉)であるという考え方が見られる。
 ここには、他の三書とは異なる思想が入っている。四書四様の上に、異質は思想が加わっていることで、混乱が深まっている。
 こうした福音書において、最も重要なのは、イエスの教えをイエス自身の言葉によって、またそれに近い言葉で伝えていると考えられる部分だろう。しかし、イエス自身が書き残した文書は存在せず、伝えられているのはすべて弟子や信徒が口伝で継承したことであり、かつそれを福音書家が記述者の理解と表現で書き記したものである。聖書の研究者たちが言語学的・書誌学的な方法によって学術的な分析を行ってきているが、何が本当に「イエス自身の言葉なのか、何が本当にイエスの説いたことなのかは、厳密には確認の仕様がない。
 そこで重視されるのが、ケーリュグマと呼ばれるものである。ケーリュグマは、宣教を意味する。原始教会におけるイエス・キリストについての説教のことで、新約聖書の中心的伝承を継承する主要素とされている。福音書家の関心は、いかに正確にイエス自身の言葉を書き記すかということよりも、むしろイエスをキリストと信じる原始教団の信仰告白にあったと見られる。イエスの言葉として伝えられてきた伝承に基づいて、自分たちの信じることをイエスが語ったとして脚色しているとも考えられる。啓典に基づきながら、その啓典に記された言葉が、真に神の言葉、イエスの言葉であるかどうかを証明することができないというところに、キリスト教の大きな矛盾がある。キリスト教では、聖霊が人間に現れなければ、神の言葉を正しく理解することはできないという考え方がある。聖霊の存在と働きを客観的に示すことはできないから、突き詰めて言えば、聖書の理解は、読む者の個人的または集団的な主観と信念によるしかないのである。

 次回に続く。
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