陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

ネパール大地震(4/25)による犠牲者・被災者が拡大中

2015-04-28 10:05:13 | Weblog
 ヒマラヤ山脈の北側、インド大陸プレートとシナ大陸プレートの接合部に位置するネパール連邦共和国(人口:2650万人)で、大地震が起きた。既に4000人を越す犠牲者が報道されているが、被災情報の把握が進むに連れ、その数はもっと増えるだろう。犠牲になられた方々に哀悼の意を捧げ、被災された人々へお見舞いを申し上げます。  世界各国からの支援活動が行われている。しかし、首都カトマンズの空港も被害を受けて . . . 本文を読む
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人民元の国際的地位確保を目論む習近平

2015-04-26 10:52:23 | シナ・中共関係
 今週初めから右肩が酷く痛み、4日間ほど全く外へ出なかった。痛みも少し収まったので昨日早朝、散歩を兼ねて松川緣(べり)のソメイヨシノ並木を眺めに行ったら、見事に満開であった。やはり、桜見物は良いものだ。  敷島の大和心を人問わば  朝日に匂う山桜花       宣長  さて、朝日新聞、日経新聞、それに東洋経済誌などが中共の主催するAIIBへ日本政府は是非参加せよと喧しく述べている . . . 本文を読む
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春を迎える我が心

2015-04-16 14:47:42 | Weblog
 3月末まで残雪が多かった我が家の庭も、今はそれがすっかり消えた。4月12日(日)に人を頼んで雪囲いを撤去した。3人のプロが縄を切り解き、長い添え木を担いで順次積み上げる。背後板も添え木の間へ巧みに入れて、コンパクトに纏める。  大小20箇所以上ある雪囲いは、11月中旬に2日掛かりで作業が行われたが、それらを外し整頓するのは僅か3時間、呆気無く終わった。私は、力仕事は最早無理なので、縄切りを少々 . . . 本文を読む
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加藤達也・産経新聞前ソウル支局長の解放

2015-04-15 15:14:14 | 朝鮮半島
 ウェブ・コラムで「朴槿恵大統領を侮辱した」として、ソウル地裁に提訴され、8ヶ月間も出国禁止措置を取られていた加藤達也・産経新聞前ソウル支局長がようやく解放され、4/14の午後遅く羽田空港へ到着した。  この問題は、報道関係者への人権侵害、報道の自由への干渉の観点から、国際的にも各国マスコミの批判対象になり、日本政府は懸念を南鮮(韓国)政府へ伝えていた。帰国後もなお裁判は続くようであるが、加藤記 . . . 本文を読む
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天皇並びに皇后両陛下のパラオ行幸を寿ぐ

2015-04-13 15:24:21 | 皇室関係
 4月8日と9日の2日間のご予定で、天皇並びに皇后両陛下は国際親善と慰霊のためパラオ共和国へ行幸された。昭和19年(1944)9月15日のペリリュー島における米軍との闘いで、当時の日本軍パラオ守備隊(隊長:中川州男大佐)は1万人強の犠牲者を出し、玉砕した。生き残った兵士は僅か34人。米軍も1700人の戦死者があったとされ、激戦であったことが伺える。  今上陛下は、当時11歳であられたが、先帝陛下 . . . 本文を読む
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自虐史観からの解放のために(2) : 関野通夫 <日本人を狂わせた洗脳工作>を読む

2015-04-05 16:43:55 | 大東亜戦争
 1945年(昭和20年)8月15日に日本はポツダム宣言を受諾、大東亜戦争は日本の敗北に終わった。大日本帝国陸海軍は、9月2日に降伏文書に調印、8月下旬からマッカーサー元帥を総司令官とする連合国軍総司令部(GHQ)の占領施策が始まっていた。  占領軍GHQは、日本軍の武装解除の後、ハーグ陸戦規則に違反しながら、日本の法規定を改編する暴挙を始めた。最も著しいのは、大日本帝国憲法を変えたことである。 . . . 本文を読む
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習近平総書記の暗殺計画

2015-04-03 15:37:33 | シナ・中共関係
 シナ・中共トップ間の熾烈な権力抗争は、我々一般の日本人にとって理解の範囲を超える。現在の習近平総書記(太子党出身、62)は、共産党、国家主席、人民解放軍の全ての権力を掌握しているが、何時追い落としがあるか分からない。そのため、腹心の王岐山(66)を使い、最大の敵と判断した上海閥の江沢民元総書記(88)、その配下の周永康(73)一派に狙いを定めて汚職摘発に躍起である。最近の上海政府機関への査察実施 . . . 本文を読む
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シナ人の海外旅行マナー

2015-04-01 19:36:20 | シナ・中共関係
 京都へ出掛ける時、駅前8条口にあるシティホテルを定宿にしていた。ツイン・ベッドルームのシングルユースが殆どで、宿泊料もまずまずだし、フロントの対応も良かったからだ。だが、ある時同じフロアの部屋の前で、シナ人夫婦が大声を上げて喧嘩しているのに出会(くわ)し、フロントでも騒々しいシナ人旅行客が増えたのを見て、以後別のホテルに泊るようになった。  2003年にルクセンブルグ市へ行った時、駅前の瀟洒な . . . 本文を読む
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