「こんにちわッ、テディちゃでス!
♫るるゥ~♪さいたァ~♫さいたァ~♪」
「がるる!ぐるるるがるるる!」(←訳:虎です!スミレが咲いたよ!)
こんにちは、ネーさです。
サクラでもなくチューリップでもなく、
ジャングルな我が家の庭に
薄紫色のスミレが咲きました♪
確かな春の足音を聴きながら、
本日の読書タイムは、
こちらのノンフィクション作品を、どうぞ~!

―― 火星の旅人 ――
著者は入江哲朗(いりえ・てつろう)さん、
2020年1月に発行されました。
『パーシヴァル・ローエルと世紀転換期アメリカ思想史』
と副題が付されています。
さあ、テディちゃ、虎くん、
ここでちょっと、振りかぶってみてちょうだいな。
「ふァ?……ええとォ……こうゥ?」(←投球ポーズしてます)
「ぐるる~?」(←こちらも投球ポーズ中)
はい、では思いっきり投げて!
「えいやッ!」
「がるっ!」(←訳:とうっ!)
と、はるか彼方に投擲したものは、
いったい何でしょう?
単なる空気の塊り?
手近にあったオモチャのボールやヌイグルミ?
どちらにせよ、
“大したもの”ではない、のは間違いありませんよね。
しかし、
1883年の春、
パーシヴァル・ローエルさんが放り投げたのは、
冗談ではなく、
“大したもの”だったのでした。
それは、
《家督(かとく)》。
「ふあァ??」
「ぐるぅ?」(←訳:家督ぅ?)
パーシヴァル・ローエル(Percival Lowel)lさん――
1855年生まれ、1916年没。
その生家は、米国でも指折りの名家であり、
ボストンきっての資産家でありました。
ローエル家の長男であるパーシヴァルさんは、
ハーヴァード大学を優秀な成績で卒業した後、
当時の上流階級の子弟には恒例の
欧州旅行に出発、
帰国してからは
祖父と父の事業を立派に手伝い、
周囲の者は皆パーシヴァルさんが
家督を継ぐものと思っていたのですが。
パーシヴァルさん、
サンフランシスコを発つ船に乗り込んでしまいます。
そして、1883年5月25日、
パーシヴァルさんを乗せた英国船コプティック号は、
日本の、横浜港に到着!
「えッ? にほんッ??」
「がるる!!」(←訳:横浜に!!)
富豪の跡取り息子の座を捨て、
ジャパノロジスト(日本研究家)に。
『朝鮮(チョソン)』『極東の魂』
『能登――人に知られぬ日本の辺境』
『神秘の日本』と著作を発表し、
岡倉天心さんや
ラフカディオ・ハーンさんたちとも交流を持ち、
押しも押されぬ極東文化研究の第一人者の地位を
築きつつあったところで。
またしても、
振りかぶり?!?
「ひゃあッ!」
「ぐるるぅっる!」(←訳:投げちゃった!)
頭上に広がるのは、
満点の星々……
そう、ここはボストンではなく、
日本でもなく、
米国西部の、アリゾナ州。
街の灯りに悩まされることもない砂漠の真ん中、
乾いた空気は、
天体観測に最高の土地柄でしょ?
「こんどはァ、てんもんがくゥ??」
「がるるるぐる!」(←訳:なんたる飛躍!)
ローウェル天文台の創設者
パーシヴァル・ローエルさん。
御本冒頭の『はじめに』によれば、
著者・入江さんはそもそも
パーシヴァル・ローエルさんの伝記を書こうとは
考えていなかったそうです。
けれども、ローエル家について調べるうち、
パーシヴァルさんの生涯の“おもしろさ”に魅せられ、
ローエル一族の興隆を背景とした
パーシヴァルさんの人生を追う評伝作品が
完成に到ったのでした。
天文学好きな方々はきっと御存知の
パーシヴァルさんの人生は、
実は、アリゾナの大地に立って以降が山場!
と言えるワケで――
「これからがァ、たいへんッ!」
「ぐるる??」(←訳:天文台は??)
「どうなるのォ~?」
巨額の資金を注ぐ天文台建設は、成功するのか?
パーシヴァルさんの天体観測と研究が
19世紀後半~20世紀の社会に与えた
少なからぬ影響とは?
近代日本史マニアさんに、
米国史研究家さんに、
それにもちろんSF好きな方々にも
ぜひ手に取っていただきたい力作ノンフィクション、
書店さんで、図書館で、
探してみてくださいね~♪
♫るるゥ~♪さいたァ~♫さいたァ~♪」
「がるる!ぐるるるがるるる!」(←訳:虎です!スミレが咲いたよ!)
こんにちは、ネーさです。
サクラでもなくチューリップでもなく、
ジャングルな我が家の庭に
薄紫色のスミレが咲きました♪
確かな春の足音を聴きながら、
本日の読書タイムは、
こちらのノンフィクション作品を、どうぞ~!

―― 火星の旅人 ――
著者は入江哲朗(いりえ・てつろう)さん、
2020年1月に発行されました。
『パーシヴァル・ローエルと世紀転換期アメリカ思想史』
と副題が付されています。
さあ、テディちゃ、虎くん、
ここでちょっと、振りかぶってみてちょうだいな。
「ふァ?……ええとォ……こうゥ?」(←投球ポーズしてます)
「ぐるる~?」(←こちらも投球ポーズ中)
はい、では思いっきり投げて!
「えいやッ!」
「がるっ!」(←訳:とうっ!)
と、はるか彼方に投擲したものは、
いったい何でしょう?
単なる空気の塊り?
手近にあったオモチャのボールやヌイグルミ?
どちらにせよ、
“大したもの”ではない、のは間違いありませんよね。
しかし、
1883年の春、
パーシヴァル・ローエルさんが放り投げたのは、
冗談ではなく、
“大したもの”だったのでした。
それは、
《家督(かとく)》。
「ふあァ??」
「ぐるぅ?」(←訳:家督ぅ?)
パーシヴァル・ローエル(Percival Lowel)lさん――
1855年生まれ、1916年没。
その生家は、米国でも指折りの名家であり、
ボストンきっての資産家でありました。
ローエル家の長男であるパーシヴァルさんは、
ハーヴァード大学を優秀な成績で卒業した後、
当時の上流階級の子弟には恒例の
欧州旅行に出発、
帰国してからは
祖父と父の事業を立派に手伝い、
周囲の者は皆パーシヴァルさんが
家督を継ぐものと思っていたのですが。
パーシヴァルさん、
サンフランシスコを発つ船に乗り込んでしまいます。
そして、1883年5月25日、
パーシヴァルさんを乗せた英国船コプティック号は、
日本の、横浜港に到着!
「えッ? にほんッ??」
「がるる!!」(←訳:横浜に!!)
富豪の跡取り息子の座を捨て、
ジャパノロジスト(日本研究家)に。
『朝鮮(チョソン)』『極東の魂』
『能登――人に知られぬ日本の辺境』
『神秘の日本』と著作を発表し、
岡倉天心さんや
ラフカディオ・ハーンさんたちとも交流を持ち、
押しも押されぬ極東文化研究の第一人者の地位を
築きつつあったところで。
またしても、
振りかぶり?!?
「ひゃあッ!」
「ぐるるぅっる!」(←訳:投げちゃった!)
頭上に広がるのは、
満点の星々……
そう、ここはボストンではなく、
日本でもなく、
米国西部の、アリゾナ州。
街の灯りに悩まされることもない砂漠の真ん中、
乾いた空気は、
天体観測に最高の土地柄でしょ?
「こんどはァ、てんもんがくゥ??」
「がるるるぐる!」(←訳:なんたる飛躍!)
ローウェル天文台の創設者
パーシヴァル・ローエルさん。
御本冒頭の『はじめに』によれば、
著者・入江さんはそもそも
パーシヴァル・ローエルさんの伝記を書こうとは
考えていなかったそうです。
けれども、ローエル家について調べるうち、
パーシヴァルさんの生涯の“おもしろさ”に魅せられ、
ローエル一族の興隆を背景とした
パーシヴァルさんの人生を追う評伝作品が
完成に到ったのでした。
天文学好きな方々はきっと御存知の
パーシヴァルさんの人生は、
実は、アリゾナの大地に立って以降が山場!
と言えるワケで――
「これからがァ、たいへんッ!」
「ぐるる??」(←訳:天文台は??)
「どうなるのォ~?」
巨額の資金を注ぐ天文台建設は、成功するのか?
パーシヴァルさんの天体観測と研究が
19世紀後半~20世紀の社会に与えた
少なからぬ影響とは?
近代日本史マニアさんに、
米国史研究家さんに、
それにもちろんSF好きな方々にも
ぜひ手に取っていただきたい力作ノンフィクション、
書店さんで、図書館で、
探してみてくださいね~♪