明日を信じられる時代になって欲しい。日常の活動日記

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政府、雇用対策本部を設置へ 首相が表明

2009年10月05日 21時12分29秒 | Weblog
政府、雇用対策本部を設置へ 首相が表明

鳩山由紀夫首相は5日、厳しい雇用情勢への対応について「雇用環境が改善したとは思っていない。

いずれかの時点で雇用対策本部的なものを立ち上げる必要があると感じている」と、対策本部を設置する考えを表明した。

本部長には菅直人副総理・国家戦略相を充てる意向も示した。首相官邸で記者団に語った。

これに先立ち、戦略相は長妻昭厚生労働相と雇用対策を巡って協議。

その後、記者団に「年末から新年度の雇用情勢が非常に心配だ。

何らかの雇用対策、雇用創造が必要ではないか」と強調。

「厚労相が直接の担当だ。厚労相を中心に、色々な関係者の意見を聞いてつくる」と説明した。

対策の財源を巡っては、2009年度補正予算に盛り込まれた「緊急人材育成・就職支援基金」の約7000億円の活用に触れて「何とかなるんじゃないか」と指摘。

09年度第2次補正予算の編成をせずに対応できるとの見通しも示した。

日本郵政の新経営陣を月内にも決定へ 亀井担当相

2009年10月05日 19時23分05秒 | Weblog
日本郵政の新経営陣を月内にも決定へ 亀井担当相

亀井静香郵政改革担当相は5日、東京都内で講演し、日本郵政の経営陣について「10月いっぱいで新体制を国民に具体的に示さないといけない」と述べ、月内にも西川善文社長の退任手続きをし、後任の新社長を内定する考えを示した。

新しい経営体制を示す方針を既に表明していたが、具体的な時期を明示したのは初めて。

与党3党は秋の臨時国会に日本郵政の株式売却凍結法案を提出し、郵政見直しの作業に本格的に入る方針。

日本郵政内に混乱が生じないよう、与党3党と考えの違う西川氏を法案成立前に退任させる必要があると判断したとみられる。

ただ、亀井担当相は「出処進退はご自身で考えてもらうのが礼儀だ」とも指摘し、西川社長ら現在の役員が自主的に退任するようあらためて求めた。

年金問題、厚労相直属チーム発足へ

2009年10月05日 17時40分53秒 | Weblog
年金問題、厚労相直属チーム発足へ

長妻昭厚生労働相は、年金記録問題への具体的な対応策を検討するため、厚労相直属の作業チームを週内にも立ち上げる方針を固めた。

外部有識者や省内から人選を進めている。

民主党はマニフェスト(政権公約)で、10年度からの2年間を記録問題への集中対応期間と定めており、この作業チームで詳細を詰める。

年金記録問題について、長妻氏は就任直後の記者会見で「2年間でヒト、モノ、カネを集中的に投下して、国家プロジェクトとして取り組んでいく」と強調。

すでに作業チームの立ち上げ準備を指示した。

マニフェストでは「年金記録被害者への迅速な補償のため、一定の基準の下で『一括補償』を実施」と明記。記録訂正手続きの簡略化や紙台帳の記録8億5千万件とコンピューター上の記録の全件照合を打ち出し、年2千億円程度の経費を見込んでいる。

作業チームでは、こうした内容を具体化させる。

中でも焦点は、保険料を納めた証拠がない「消えた年金記録」の扱いだ。消えた記録の救済を求める申し立ては総務省に設置されている年金記録確認第三者委員会が扱っているが、これまで記録回復が認められたものは申し立ての4割程度にとどまる。

被害者救済を拡大するためには、申し立て内容が「一応確からしい」という現在の認定基準を緩める必要があり、作業チームで検討を進めることになる。

また、長妻氏は作業チームを通じて記録問題の実態解明も進めることも検討。

さらに再発防止策なども取りまとめ、年金に対する信頼回復につなげたい考えだ。

USダウ4日続落。東証も3日続落。 USダウ先物。時間外、前半は買い、後半は売り、最後に買い戻し。

2009年10月05日 15時35分24秒 | Weblog
日経平均は9,674円の57円安。東証1部の値上がり銘柄数は518、値下り銘柄数は1,053。出来高は19億4,698万株。

米国で低燃費車への買い換えに際して1台当たり平均4千ドルの補助金を支給する自動車買い換え促進策が8月下旬に打ち切られ、自動車販売も8月の年率換算1,410万台→9月は年率換算922万台に急減し、ISM製造業景気指数も8月の52.9→9月は52.6に低下し、雇用統計も8月の20万1千人減少から9月は26万3千人減少と減少幅が拡大したため、景気の踊り場も警戒され、週明けの東京株式市場も軟調となりました。

米国景気の2番底懸念から低金利が長期化するという見方で、ドル安円高も続きそうという危惧で、マツダなどの自動車株やニコンや富士通などのハイテク株も売られました。

三菱重工は子会社の三菱航空機が開発中の国産初の小型ジェット旅客機「MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)」を米国の地域航空会社から100機受注しましたが、納入が2014年からまだ先なので当面の業績には寄与しないことが足を引っ張り反落しました。

2016年のオリンピックがブラジルのリオデジャネイロに決まり、東京は落選したために、大林組などの建設株や豊洲に土地を持つIHIも売られました。
 
民主党が子ども手当などの財源確保で無駄な公共投資を削減することも建設株を調整させていますが、鉄鋼株も需要の3割が建設向けなので業況が厳しくなるという懸念からJFEホールディングスや中山製鋼なども売られました。

大塚金融担当副大臣が日曜日のフジテレビの番組で、返済猶予などを含む貸し渋り・貸しはがし対策制度について、ご心配いただくような内容にならないように努め、現実的な案にさせていただきたいと述べたために、銀行の負担も心配されたほどには膨らまないと見方で、三井住友フィナンシャルグループ(8316)や三菱UFJフィナンシャルグループが反発し、プロミスや武富士やアコムなどの消費者金融株にもリバウンド狙いの買いが入りました。

日経ジャスダック平均は1,199円の9円安。

ジャスダック市場ではリチウムイオン電池関連の田中化学研究所やノートパソコンの液晶バックライトのLED化でコネクターの需要拡大が期待されている第一精工なども売られ、東証マザーズ市場でもグリーや直近新規公開株のバイオベンチャーのキャンバスや日本風力開発や太陽電池製造装置メーカーのNPCなどが売られました。

森田県政 これでは不正経理のウミを出すことは不可能?

2009年10月05日 06時56分17秒 | Weblog
森田県政 これでは不正経理のウミを出すことは不可能? (大野ひろみ)より

10月2日の川本さんの一般質問は素晴らしかった。普通は多くて20項目の質問を、 なんと24項目も繰り出し、しかも8分も再質問用に余らせる余裕ぶり。

私も早口だが、この日の川本さんはまさしく「しゃべるマシンガン」。「質問するサンダー・ボルト」。速い、速い、リニア・モーターカーもびっくりの高速運転だ。

県庁不正経理の件では、市民から95年の教育庁での伝票不正処理の証拠提供があり、それを基にした川本さんの質問に、総務部長もうなだれるのみ。

今回の不正発覚では、県は一貫して「業者が持っている伝票以外証拠はなく、今まで発見できなかった」と弁明しているが、95年の教育庁の伝票を見ると、伝票番号と納入時期の不可思議なズレが「不正の動かぬ証拠」となっている。

この時点で不正処理が分かっていたはずだ。

しかし、だからこそ、県庁内の伝票に証拠を残すのはまずいと気がつき、業者が伝票管理をするようにしたのだろう。悪知恵が働き、モラルは底なし沼に落ちていくのだ。

10月4日、栄町の野田泰博さんに呼ばれて、「県議会報告」の出前をしたが、その前日パワーポイントを作成するために、不正経理の中でも私たちが重大視した「預金通帳」をもう一度じっくりと眺めてみた。ちなみに、大口の農林水産部と県土整備部の通帳は、いまだ県の拒否に会って入手していない。

手に入っている企画部統計課の通帳を見ていて、あることに気がついたのだ。年度末の3月末に、不自然な多額の入金があり、その日にソックリ引き出されているのだ。

平成10年と平成11年の3月末の記載があるページを並べたものである。

平成10年3月31日、173,470円、172,975円、396,066円と3回合計742,511円が振り込まれている。

そして、直ちに、744,511円が引き出されているのである。511円と末尾を揃えているのも不自然。

平成11年も同じ。

3月30日に、116,413円、113,726円、366,885円と3回合計597,024円振り込まれ、同日、同額の597,024円がそっくり引き出されてる。

どこからお金が来たのか、何に使ったのかは今となっては分からない。

しかし、ここまで毎年3月末日に同じようなお金の流れがあると、偶然とはいえなくなる。 意図を持ってある種の「操作」をしていると考えないほうがおかしいだろう。

この通帳では、堂本知事になってからはお金の出し入れがピタリと止まっている。
少額の企画部統計課の通帳でさえ、疑惑だらけだ。

農林水産部 預金残高 833万3663円
県土整備部 預金残高 328万0113円

両方あわせて1000万円を超える預金通帳が見つかったのである。

森田知事は隠し立てしないで、両部の通帳を私たち議員に開示してほしい。

「少額の通帳だけ見せてやるよ」と言うのでは、「全てのウミを出し切る」と豪語なさる知事として、ウミを出すどころか、臭いものに「絆創膏を貼っておしまい」になってしまわないか?

中川昭一の死

2009年10月05日 06時48分51秒 | Weblog
中川昭一の死

G7での“もうろう会見”のあと、、地元後援会会合でみせた中川昭一氏の涙に、謎の死を遂げた父、一郎と同質の脆さを感じたからである。

それでも、その7ヵ月後に、中川氏が父と同じように非業の最期を迎えるとは想像だにできなかった。

4日午前8時半ごろだったという。世田谷の自宅ベッドで亡くなっているのを、郁子夫人が発見した。

郁子夫人は、中川昭一の強気の面構えにひそむ弱さをいちばん知っている人だ。

財務大臣辞任の前夜、報道陣に追われるように、中川が自宅にたどり着いたとき、夫人は自宅の外に聞こえるほど大きな声で夫を励ました。

「がんばれ、日本一」「がんばれ、がんばれ、大丈夫」

いつもそうして、中川の心を支えてきたのだろう。

1982年に二人は結婚した。当時、中川は興銀マンだった。そして、その翌年の1月9日、中川家の運命を変える事件が起きた。

父、一郎が札幌パークホテルのバスルームで死亡したのである。死因については諸説あるが、自殺と見るのが一般的だ。

82年11月の総裁選で最下位で落選した一郎は失意の底に落ちた。12月に新総理、中曽根康弘の盟友、渡邉恒雄に会ったさい、「もうナベさんと喧嘩しないですむようになる。これから仲良くやろう」と渡辺の手を握り涙を流したという。

「北海のヒグマ」と呼ばれる豪胆なイメージとかけ離れた姿を振り返り、渡邉は「うつ状態に入っていたようだ」と回顧録で述懐している。

結婚直後、義父に起きた悲劇は、跡を継いで政治家になった昭一の夫人、郁子にとって、脳裏から消えない不吉な記憶であったろう。

中川昭一は支援者に「禁酒」を宣言し、北海道11区で衆院選にのぞんだが、民主党候補に敗れた。

「ひとえに私の責任。ひとえに私の責任として申し訳なく思っております」

8月30日の夜、支持者にわびる中川の姿は悲痛だった。

総理総裁をめざす自らの野望を砕き、父の代から数えて46年にわたる中川王国を崩壊させたのは、まぎれもなくG7後の泥酔会見だった。

くりかえし、あの呂律のまわらない映像が流されるたび、本人も家族も胸が締めつけられただろう。

酒や鎮痛剤への依存の末に引きおこした自業自得のミスであるがゆえに、自らを責める苦しみも強かったはずだ。

10月4日午後4時現在、死因はわかっていないが、自ら選んだ最期だったのではないか。

東大法学部から興銀エリート行員に、そして政治家に転身して順調に実力者にのしあがっていった中川氏に、この間の屈辱に耐える力はなかったのかもしれない。