中川昭一の死
G7での“もうろう会見”のあと、、地元後援会会合でみせた中川昭一氏の涙に、謎の死を遂げた父、一郎と同質の脆さを感じたからである。
それでも、その7ヵ月後に、中川氏が父と同じように非業の最期を迎えるとは想像だにできなかった。
4日午前8時半ごろだったという。世田谷の自宅ベッドで亡くなっているのを、郁子夫人が発見した。
郁子夫人は、中川昭一の強気の面構えにひそむ弱さをいちばん知っている人だ。
財務大臣辞任の前夜、報道陣に追われるように、中川が自宅にたどり着いたとき、夫人は自宅の外に聞こえるほど大きな声で夫を励ました。
「がんばれ、日本一」「がんばれ、がんばれ、大丈夫」
いつもそうして、中川の心を支えてきたのだろう。
1982年に二人は結婚した。当時、中川は興銀マンだった。そして、その翌年の1月9日、中川家の運命を変える事件が起きた。
父、一郎が札幌パークホテルのバスルームで死亡したのである。死因については諸説あるが、自殺と見るのが一般的だ。
82年11月の総裁選で最下位で落選した一郎は失意の底に落ちた。12月に新総理、中曽根康弘の盟友、渡邉恒雄に会ったさい、「もうナベさんと喧嘩しないですむようになる。これから仲良くやろう」と渡辺の手を握り涙を流したという。
「北海のヒグマ」と呼ばれる豪胆なイメージとかけ離れた姿を振り返り、渡邉は「うつ状態に入っていたようだ」と回顧録で述懐している。
結婚直後、義父に起きた悲劇は、跡を継いで政治家になった昭一の夫人、郁子にとって、脳裏から消えない不吉な記憶であったろう。
中川昭一は支援者に「禁酒」を宣言し、北海道11区で衆院選にのぞんだが、民主党候補に敗れた。
「ひとえに私の責任。ひとえに私の責任として申し訳なく思っております」
8月30日の夜、支持者にわびる中川の姿は悲痛だった。
総理総裁をめざす自らの野望を砕き、父の代から数えて46年にわたる中川王国を崩壊させたのは、まぎれもなくG7後の泥酔会見だった。
くりかえし、あの呂律のまわらない映像が流されるたび、本人も家族も胸が締めつけられただろう。
酒や鎮痛剤への依存の末に引きおこした自業自得のミスであるがゆえに、自らを責める苦しみも強かったはずだ。
10月4日午後4時現在、死因はわかっていないが、自ら選んだ最期だったのではないか。
東大法学部から興銀エリート行員に、そして政治家に転身して順調に実力者にのしあがっていった中川氏に、この間の屈辱に耐える力はなかったのかもしれない。
G7での“もうろう会見”のあと、、地元後援会会合でみせた中川昭一氏の涙に、謎の死を遂げた父、一郎と同質の脆さを感じたからである。
それでも、その7ヵ月後に、中川氏が父と同じように非業の最期を迎えるとは想像だにできなかった。
4日午前8時半ごろだったという。世田谷の自宅ベッドで亡くなっているのを、郁子夫人が発見した。
郁子夫人は、中川昭一の強気の面構えにひそむ弱さをいちばん知っている人だ。
財務大臣辞任の前夜、報道陣に追われるように、中川が自宅にたどり着いたとき、夫人は自宅の外に聞こえるほど大きな声で夫を励ました。
「がんばれ、日本一」「がんばれ、がんばれ、大丈夫」
いつもそうして、中川の心を支えてきたのだろう。
1982年に二人は結婚した。当時、中川は興銀マンだった。そして、その翌年の1月9日、中川家の運命を変える事件が起きた。
父、一郎が札幌パークホテルのバスルームで死亡したのである。死因については諸説あるが、自殺と見るのが一般的だ。
82年11月の総裁選で最下位で落選した一郎は失意の底に落ちた。12月に新総理、中曽根康弘の盟友、渡邉恒雄に会ったさい、「もうナベさんと喧嘩しないですむようになる。これから仲良くやろう」と渡辺の手を握り涙を流したという。
「北海のヒグマ」と呼ばれる豪胆なイメージとかけ離れた姿を振り返り、渡邉は「うつ状態に入っていたようだ」と回顧録で述懐している。
結婚直後、義父に起きた悲劇は、跡を継いで政治家になった昭一の夫人、郁子にとって、脳裏から消えない不吉な記憶であったろう。
中川昭一は支援者に「禁酒」を宣言し、北海道11区で衆院選にのぞんだが、民主党候補に敗れた。
「ひとえに私の責任。ひとえに私の責任として申し訳なく思っております」
8月30日の夜、支持者にわびる中川の姿は悲痛だった。
総理総裁をめざす自らの野望を砕き、父の代から数えて46年にわたる中川王国を崩壊させたのは、まぎれもなくG7後の泥酔会見だった。
くりかえし、あの呂律のまわらない映像が流されるたび、本人も家族も胸が締めつけられただろう。
酒や鎮痛剤への依存の末に引きおこした自業自得のミスであるがゆえに、自らを責める苦しみも強かったはずだ。
10月4日午後4時現在、死因はわかっていないが、自ら選んだ最期だったのではないか。
東大法学部から興銀エリート行員に、そして政治家に転身して順調に実力者にのしあがっていった中川氏に、この間の屈辱に耐える力はなかったのかもしれない。
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