ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

静岡県島田市のギネスにも載った長い木の橋「蓬莱橋」 3の2:橋を渡っていく

2024-08-25 05:07:50 | 草花

木造の橋としては群を抜いて長い「蓬莱橋」、渡橋料100円を支払っていよいよ橋に足を踏み入れます。

入口から出口まで ↓

 

賃取橋 ↓

 

風格 ↓

年月を経て風格が感じられます。

 

つぎはぎ ↓

あそこの色は目立ちますね。

 

行く手 ↓

「越すに越されぬ・・・」大井川を跨いで行きます。

 

目線を下げて ↓

今度は目線を手摺の高さまで下げて撮りますが、あまり違いはありませんでした。

 

傷み ↓

屈み込んだついでに足元を見ると木版の傷みが見えてきます。

 

こちらは腐食具合が浮き出ています。

 

大井川 ↓

この時は水深がそれほどには感じられませんでしたが、大雨の跡には濁流となって、江戸時代なら「越すに越されぬ」ものとなり、足止めを食らったことでしょうね。

 

山を見る ↓

上をカシミールで山名確認 ↓

春に咲くキスミレで有名な高草山でした。この橋は富士山も見える位置にあります。(今回は視界不良でした。)

 

手摺の継ぎ目 ↓

かなりの食い違いがあります。(この一か所だけでしたが・・・)

 

新しい補修部分 ↓

新旧で木の色が違うので、これもアクセントになっていて「面白い」と感じます。

 

中間地点 ↓

「ど真ん中」という表示があります。

 

ネットから拝借して ↓

運が良ければこんな姿も見られたことでしょうね。(画はネット上からお借りしました。)

 

夜間照明 ↓

橋には適当な間隔で、夜間照明が設置されています。

 

だいぶ来た。↓

向こう岸が近づいて来ています。

 

渡り終わり地点 ↓

渡り終わりは山の入り口という雰囲気でした。

 

振り返る ↓

渡り終えたところで、897.4mの来し方を振り返ります。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (多摩NTの住人)
2024-08-25 16:44:33
この橋は以前テレビ番組で紹介されていました。実際に歩いて大井川を越えてみたいですね。良い天気のようですが、富士山が見えなかったのは残念でした。
返信する
多摩NTの住人様へ (ぶちょうほう)
2024-08-25 22:46:24
多摩NTの住人様 ご訪問いただきましてありがとうございます。
小生もTVで紹介されたものを見てから、是非ともこの地を訪れたいと発願したのです。
実際ここに来て、歩いてみるだけの価値ある所だと思いました。
対岸の牧之原台地の茶畑もスケール大きかったです。
返信する
蓬莱橋 (縄 文人)
2024-08-26 08:50:42
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」

大井川蓬莱橋に歴史あり~~~!!!

  * 大井川蓬莱橋の架橋には
       将来案じ牧之茶畑  (縄)

渡人人足、宿場に関係する人足それは沢山の仕事が無くなることになり、当然反対運動、
それにはそれなりの・・・・・ぶちょうほうさんの解説~・
返信する
縄文人様へ (ぶちょうほう)
2024-08-26 15:36:49
縄文人様 ご訪問いただきましてありがとうございます。
江戸時代の洒落た人たちは「越すに越されぬ思ひ川」と唄ったようですが、洒落っ気十分ですね。
実際に橋を歩いて、その長さに驚きました。
それから長さの割には幅が狭かったですね。
その他に所々の傷み具合がかなり進んでいることにも心配の気持ちが湧きました。
渡橋賃が100円では修繕費に不足するのではないかと思いました。
架橋に対する反対運動についてはネット上でその記述を見つけることはできませんでした。
しかし、武士の禄を離れ没落した”にわか百姓”が農作業のために往来する場所であり、お上の裁断を受けた上での架橋ともなりますと大掛かりな反対運動は起こらなかったのではないかとも思いました。
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