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青いピンクが似合うおばさんって




今週からやっと初夏の服を着、ためらわずサンダルを履けるような気候に。

今夜はタグも付いたまま寝かせておいたクルーズラインのこれを着てロンドンにバレエを観に行こう...



「ピンクが似合う女の子って、きっと、勝っている。すでに、何かに。」


という、青春小説「桐島、部活やめるってよ」からのセリフがタンブラーで回ってきて

しばし自分が女の子だった頃を思い出したりしていたのだが

ピンクが似合おばさんもきっと何かに圧勝しているからそれを着ている(笑)。

おばさんが何かに勝って得ているのは「ふてぶてしさ」とかなのだろう。


いいわね、おばさんって。
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フォーサイスとバランシンと




ロイヤル・バレエ豪華4本立てのリハーサル。
振付陣も豪華なら、すべてのダンサーも、音楽も、オーケストラもすばらしかった!


The Vertiginous Thrill of Exactitude by William Forsythe, music by F. Schubert
Tarantellaby George Balanchine, music by L.M.Gottschalk
Strapless by Christopher Wheeldon, music by M-A. Turnage
Symphonic Dances by Liam Scarlett, music by S. Rachmaninoff



わたしはフォーサイスのThe Vertiginous Thrill of Exactitudeが大好きなのだ。

この演目だけでもウキウキするほどなのに、痛快なTarantella、魅惑のStrapless、ワールド・プレミアSymphonic Dancesは、今年で退団が決まったゼナイダ・ヤノウスキー(Zenaida Yanowsky)で見られて眼福、眼福、眼福! だった。


The Vertiginous Thrill of Exactitudeは、バレエの身体運動を解析して構築しなおし、それをいかに流れるように美しく踊るかというフォーサイス的な超絶技巧ダンス...といえばいいのだろうか。

ただただダンサーの暗黙知(Tacit Knowledge)に驚愕させられる。
観客は、ダンサーの自然な次の動作というのを知らず知らず期待しているのだが、それが次々に裏切られ、しかもそれがバレエの理に反していず、流れるように美しい...

高田茜さん(左 写真はROHより)には、めざましくご成熟なさっているようで、存在感にも技術にもプリンシパルの風格がにじみ出ていてすばらしかった! 踊りだけでなく、容姿もさらに美しく、もう感動して完全にやられてしまった幕開け。


Straplessはわたしの記憶が正しければ、前シーズンのプレミア時から省略されたシーン(主人公のヒロインがドレスを選ぶ場面)があったはずで、より洗練されたと思う。

ナタリア・オシポヴァ(Natalia Osipova)は、数週間前のMayerlingでは、男を「生」の檻から救う、世間の何にも負けない17歳の熱狂を演じたばかり。

今回は対象的な社交界の手慣れたマダムを、サージェントの描いた絵そのものの優雅さで演じた。慢心から最後は「いいえ、世間に 負けたー」ヒロインを。

ああーもうっ! すばらしい。


何回でも見たい4本立て。
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moet mess




英国に「イートン・メス」という、ごきげんなデザートがある。

有名なパブリック・スクール、イートン校のデザートとしての起源を持つそうだ。

いちご(他にベリー類など)と焼きメレンゲ、クリームを、文字どうり「メス」(めちゃくちゃ)にさっくり混ぜたデザートで、あっさりしていて、かなりいける。

「メス」の語義には諸説があるらしく、ウィキペディアによると、

「メス(mess)という用語は、「皿に並べられたさま」、「料理の量の多さ」、特に「柔らかい食物を用意する事」や「材料を混ぜ合わせて、一緒に食べる事」を意味している。最近の説では、イートン・メスはイートン校の遠足で、メレンゲの菓子が犬に踏みつぶされてしまった事から着想を得て、できた物だと言う物もある」

のだそう。

ピクニックで犬に踏み潰されて...とか、大切な晩餐会で料理人が失敗して...とかのエピソードを採用するほうが、嗜好品であるデザートの役割が引き立つのではないかと思うのだがどうだろう(笑)。



昨夜のため、今が旬の生ラズベリーを混ぜ込んだ濃いピンクのビスキュイ生地にバルサミコ酢を塗り、中身はコニャックで風味付けしたマスカルポーネと生クリーム、いちご、そして仕上げに再びバルサミコ...というデザートを作るつもりだったのだが、水分の多い生地の焼きが甘かったようで、ロールに巻き終わったところでお腹がぱっくりと割れてしまうという散々な結果になった。


転んでもタダでは起きない、こういう時こそ「メス」。

生地をダイス状に切りきざみ、マスカルポーネと生クリームのクリーム、いちごをさっくり、仕上げに頂き物の高級バルサミコをかけて食べたら味はやっぱりよかった。

「メス」というデザートがこの世にすでに考案されていて、めでたし、めでたし。

写真は急ぎ生地にラズベリーを入れずに作り直したものだが、失敗作の「メス」のほうが見た目が華やかで美味しそうではあった...


いちご、マスカルポーネ、生クリーム、コニャック、バルサミコの組み合わせは鉄板なので、簡単なデザートとして機会があったらぜひお試しを。
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声をかけると花は美しく咲くのか




去年ベートーベンを聞かせて育てたおかげで(笑)、今年は芍薬の鉢植えに、夫が数えたら30以上も蕾をつけた。

背丈も今の時点で90センチあり、すでに初夏を象徴する王者の風格(の予感)が漂っている。


「花に『ありがとう』『綺麗だね』と声をかけて育てると美しく咲く」という人がいて、一方で科学的には完全に否定されている。

そういう意味ではわたしも、声をかけただけで花が綺麗に咲いたり、「おいしいね」と声をかけた水がおいしくなったりはしないだろうと思う。


花ではなく、声をかけている観察者側の認識が変わるのだろう。


毎日、花に声をかける気持ちの余裕やワクワク感があると、つまり花に注意していると、色や形の個性的で、よくできたデザインであること、生まれたての葉がどのあたりから出てくるのかとか、花びらのほどけ方など...昨日に比べても刻々と変化があることに気づく。

水やりをする夕暮れの空の光の変化や、朝の空気の温度にも敏感になり、露のプリズムや、太陽と水と土で花を咲かせることの不思議、蜂が飛び、鳥が鳴いているのをしみじみ楽しむようになる。


Beauty is in the eye of the beholder (美は見る人の目の中にある)


たぶん花自体はわたしたちがだまっていても精一杯美しい花を咲かせる。

しかしそうやって注意を払い、大切に育てた花がより美しく咲いているようにわたしたちの目に映らないわけがなかろう。
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casanova





色事師といえば西のカサノバか、東の在原業平か...

(他にもアレクサンダー大王、シーザー、光源氏、男にも女にもモテモテで、しかも運の女神にも愛された伝説の男は少なくない)


学芸に秀で、人脈にも金にも困ったことがなく、戦争に出たら連勝続き、顔の造作など問題にならないくらい魅力的、話し上手聞き上手...という男がいる。


小学校6年生のとき、これが女殺しかという転校生に出会った。
彼は常に機嫌が良く、とにかくどんな女にも丁寧に公平に接した。
彼があまりにも「あなたと話しているとものすごく楽しい」と瞳をキラキラさせるので、同級生も初老の教師も「自分は特別である」といい気持ちになってしまうのだ。

瞬く間に彼の名前は隣の学区にまで轟き、◯◯小、6年生の何某といえば、誰でも彼の名前を知っていた。あとにもさきにも、政治家の中にさえも、あんな不思議な才能に恵まれた男には会ったことがない。今頃どうしているだろうか。


閑話休題。

ジャコモ・カサノバは1725年ヴェネツィア出身のマルチ・タレント、奇才、超絶リア充である。


出身階級にもかかわらず、最高学府のパドヴァ大学で倫理哲学、化学、数学、法学を学び、16歳にして法学博士号を取る。

ヴェネツィアに帰り、教会の聖職者として法律実務に就く。が、女性問題で追放される。

ヴェネツィアの76歳の老評議員アルヴィーゼ・ガスパロ・マリピエロと懇意になり、ヴェネツィア最上の社交サークルに紹介してもらう。ここで洗練された社交術を身につける。

ヴェネツィア共和国の下級士官職を買い、コルフに短期間駐留。

サン・サムエーレ劇場のヴァイオリニストになる。

21歳のとき、貴族ブラガディン家一員の命を救い、ブラガディン家はカサノヴァの終生のパトロンとなる。

23歳でヴェネツィアを発ち、パリ、ドレスデン、プラハ、ウィーンを放浪。

30歳のとき、魔法・妖術(当時の科学)に対する関心があだとなり、宗教裁判所で有罪を宣告されて「鉛の監獄」に収監される。

5年後、この最も警戒厳重な監獄からの脱獄に成功。

七年戦争の収拾のため、フランスがアウクスブルクで開催した国際会議にポルトガルの代表使節の一員として参加。

60歳で隠棲、ボヘミア・デュックス(現チェコ領ドゥフツォフ)で、宰相ヨーゼフ・カール・フォン・ヴァルトシュタイン伯爵の司書となる。


どうです、博士号を取って聖職者になっても女を(時には男も)口説き、軍人になったり、人の命を助けたり、芸は身を助くとばかりにバイオリンの才能まであり、脱獄までしてみせたかと思うと、次には外交官ですよ...

サンジェルマン伯爵かというような(実際、同時代人)経歴ではありませぬか。


学者であり
聖職者であり
社交界の人物であり
軍人であり

ミュージシャンになり
宗教裁判にかけられ
脱獄までしてみせ
次には外国の外交官として表舞台に登場、

しかも美貌

そして人生を通して彼はすばらしい愛人であった。

さらにモーツアルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」に加筆したとか、ヴェネツィア共和国のスパイだったとか、自著をヴォルテールに見せたとか、教皇や王族とも知り合ったというから、ほんとうに神出鬼没、愉快な男である。

当然、彼についてはいくつも映画が作られ、いくつもの本の題材になり、「カサノヴァ」は、すばらしきプレイ・ボーイの代名詞となった。



で、ここからがやっとバレエの話になる...


Ian Kellyの著書が、このKenneth TindalによるNorthen Balletの新作 Casanovaの下敷きになっている。

カサノヴァの煌びやかな経歴は、バレエとして舞台にうまく乗せたら、さぞ生えるだろうとは思った。

しかし彼の活躍は散文的ではあるので、2時間弱の横幅奥行き数メートルの舞台にどうやって乗せるのか、とても好奇心があった。

つまり、彼の人生のある時点からある時点までをそのまま舞踏で語って聞かせるバレエではありえないだろうと思っていたのだ。そのまま語って聞かせるとしたら、面白おかしいエピソードの連続で焦点がぼやけ、ただのドタバタになるのではないかと想像したのだ。


それが驚いたことに、彼が教会を追放されて、自伝を書き上げるまでの時間と出来事を追う叙述的な形になっているのですよ!

前半には例えば、バイオリニストが弓だけを持ち、ダンスだけで奏でている音楽そのものを表現したり、また女性の体が突然楽器に変容したかのように舞ったりと、すばらしく繊細で素敵な場面がいくつもあった。
宗教裁判の場面なども、凍りつくような無慈悲が表現されていてすごいと思った。

また、舞台装置がシンプルなのに豪華でこれはものすごくよく考えられていると思った。


しかし、特に後半、あまりにもさまざまなエピソードを盛りに盛りすぎたためだろうか、だんだんバレエというよりもマイムだけの場面が増え、正直ポンパドール夫人が出てきたあたりからはわたしはすっかり退屈していた。


色事師というキャラクターだけがおもしろおかしく(羨ましさも含めて)フォーカスされてきたカサノヴァの、おそらくもっと別の面、この男のもっと深いところにリーチしようという試みは、あまりうまくいっていないのではないかと思った。

いや、もしかしたらこの男はエピソードだけは盛りだくさんの、実は空っぽの容器のような男だったのかも...
空っぽだったからこそ、出会う出会う人がそれぞれの「カサノヴァ」像をそこに注ぎ込み、みんないい気持ちになって、だからこそ彼はもてまくったのかも...

いずれにせよ魅力的な人物だったには違いない。


(写真はnorthenballet.comより)
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