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時計仕掛けの the wallace collection




冬の入り口がすぐそこで口を開けていると感じられる午後、ロンドンのウォレス・コレクションへ。


ウォレス・コレクションを見ていると、「この世は象徴でできている」と確信できる。
変な感想かもしれないが、それがわたしにはとても心地がよい。

宇宙の秩序を守る微細な構成物が閉ざされた空間に整然と陳列されており、「森羅万象、順調に取り計らい中」という雰囲気が満ち満ちているから。考えてみたら、わたしは基本的にパターナリズムを抜いたファザコンで、「思い切り自由にさせてくれるが常に守ってくれる」雰囲気を持つフィギュア(大学教授、医師、機長など「長」のつく役職全般)に弱い(笑)。

神の姿、天使、聖人、祈祷書、祭壇、イコン、聖遺物箱、紋章、言葉...抽象的な概念を、より具体的な事物や形で表現することによって秩序のなかに取り込み、分かりやすく取り扱いやすくするという強い意思がみなぎっていて、ある意味成功しているように思えるから。

そして同時にわたくしちたちが世界をどのように考えることによって人間になったのかを見せてくれるから。

フランス語で言う「メザナビーム」(Mise en abyme「深淵の状態にすること」、あるモティーフの中に同じようなモチーフが繰り返し現れること、または絵の中であるイメージがそれ自体の複製を含んでいること 以上ウィキペディアより)、日本語で「紋中紋」を観察していると(例えばカバラの象徴を理解することが宇宙の原理を理解することであるとして研究するように)、宇宙の原理や秩序(あるいは神様の顔とか神様の意志などと言い替えてみてもいい)がちらりと見える気がして安心するのである。
わたしが神社仏閣を好きなのは同じ理由でだ。


ぶらぶら展示物を鑑賞しているうちに、ギャラリーの各部屋でマントルピース上の置き時計やホールクロックが軽快な音をたてながら時を刻み、思い出したように時刻を告げているのに気づく。
おお、時計が刻む音こそ、抽象的な概念、形のない事物に、より具体的な事物や形を持って表現方法ではないか。

係員の方がやってきて、部屋ごとにある時計のゼンマイを回し始めた。
「星の王子様」の点灯夫か、この世界が途切れることなく続くよう見張っている宇宙の原理のお使いのようだ...


ギャラリーの外は冷たい雨だった。


わたしはキリスト教教育を受けた不可知論者なので、「神様」「宇宙の秩序」等の単語には深い意味はありません。
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