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「椿姫」、クルチザンヌを描くのは




今週スペインから帰国してすぐロイヤル・バレエの公演「椿姫」を見た。

公演内容は「椿姫」(Marguerite and Armand)を含む3本立て。

Obsidian Tear
Marguerite and Armand
Elite Syncopations



先月、ロイヤル・バレエの「マノン」の感想を書いたところ、友達との会話で「高級」娼婦の話が芸術の素材としてしばしば取り上げられるのはなぜなのかと話題になった。

ご存知のように「椿姫」も「マノン」と同様、18世紀のクルチザンヌ(高級娼婦)の話なのだ。他には「シェリ」なども...


「椿姫」のストーリーは、デミ・モンド(裏社交界)の花形「椿姫」として君臨しているマルグリットは、ある日アルマンという青年に出会い真実の愛に目覚める。
ところがアルマンの父親に息子と別れるよう諭され、マルグリットは愛ゆえに身を引く。
事情を知らないアルマンは怒りのあまり、サロンで取り巻きに囲まれているマルグリットに紙幣をたたきつける(この行為をもって彼女との恋愛関係を単なる娼婦と客の間柄に清算したわけです)。
マルグリットは悲しみのあまり胸の病気を悪化させ、人生の最後に真実の愛を振り返る。


18世紀、19世紀に娼婦の話が多くの小説の素材になったのは、他に生活手段がなく生き延びることができない女が実際多かったからだろう。頂点には極少数の高級娼婦と呼ばれ賞賛された美しく機知に富んだ女たちがおり、大部分は底辺でレ・ミゼラブルのファンティーヌのような一生を送ったに違いない。

彼女らをアートが取り上げるのは、彼女らを取り巻く環境から人間や社会の諸相を描くことができ、同時に「肉体的、金銭的な情欲は、真実の愛に敗北する」という普遍的なモラルのテーマを描くためだと思われる。

改心した娼婦(マリア・マグダレーナしかり)とか、「物質的世界に生きる美しい女が、精神的な真の愛に目覚めて改心する(がもう遅い)」というストーリーは宗教的でもあり、男性中心社会的思考でもあり、人々の心をつかむのか。


マルグリット役のマリアネラ・ヌネツ(Marianela Nunez)は最高、青年アルモンドを演じたヴァディム・モンタギロフ(Vadim Muntagirov)もすばらしかったです。

ロバート・クラーク(Robert Clark)の奏でるリストのソナタの美しさも心に染み渡った。
いや、この美しすぎる標題音楽がなければバレエ「椿姫」はありえない。わたしにとってはいつからか切っても切り離せない組み合わせになり、マリアネラの美しさもこの曲で倍増するのである。



(写真は椿姫マルグリットに扮するマリアネラ。彼女のTwitterより)
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