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gothic romance@british library




夫が英国図書館で開催中の "Terror and Wonder: The Gothic Imagination" 展(恐怖と驚嘆、ゴシックの想像力)を見たいと言うので行ってきた。

わたしはゴシック小説には全く興味がない。同時期に興隆したリアリズム小説の方が好みだ。が、ロンドンはよくゴシック小説の舞台(例えば「ドラキュラ」や「ジギルとハイド」など)になっている上、こういう機会でもなければ英国図書館には行くこともない。

また先日、「 他人の感覚を、自分の感覚の限界を乗り越えて想像することこそ知性ではないか」と考えたばかりだったので、知性に対してお空の星のように憧れる身としては、オープンマインドで付き合うしかないだろう。
彼が予約したランチにつられたというのは内緒。


英語圏では一定の周期でゴシックものが盛り上がるようで、今、ロンドンでは映画「ドラキュラ」をやっているし、去年だったかTVシリーズでも「ドラキュラ」をやった(<この文、俳優やら配給元やら間違いだらけだったのを訂正済み)。
「シャーロック・ホームズ」は永遠のヒーローであり、「切り裂きジャック」はアートの題材としてもよく取り上げられる。
英国には、「出る」という噂がつきまとう建物も少なくない。
ティーンの間では「トワイライト」や「ハリーポッター」系統のお話が常に人気あるらしい。
先週立ち寄った本屋には結構大きなゴシック小説コーナーができていた。もうすぐハロウィンだからか...どうなんだろう。気のせいかしら。分からない。


気のせいでもなんでもいいが、ジェットコースターに乗ったり、バンジージャンプをしたり、怪談やホラー映画を鑑賞する、あるいは実際の殺人事件の謎解きをする、などという例を挙げるまでもなく、ひやりとさせられるスリルは人間の生活になくてはならないスパイスなのだろう。

安全な場所を確保しつつ、「死」の顔(タナトス)をちらりと見ることによって「生」(エロス)をより強く実感できるからか。
あるいは、曖昧な「恐怖」をつかみどころのない次元に置いたままにせず、実際に体験することによってはっきりと対象化して克服し、それによって得られる快感がたまらん、とか。デンジャーから生還してきた時の、「バンジージャンプ、死ぬほど怖かったけど、実際飛んでみたら意外と大丈夫だった!」のような気持ちは、なるほどリピートしたくなるほどの強い快楽に違いない。高所恐怖症のわたしがその種の快楽を得ることはないだろうが(笑)。

そういえばもともと人間の恐怖の対象は自然そのものであり、自然を克服しようとする野心が西洋で科学を発達させた。しかし、知れば知るほど知らないことは増え、光が当たれば当たるほど暗闇は濃くなるのは道理だ。
ゴシック小説の恐怖の対象が、18世紀は城や廃墟、19世紀はロンドンの街角、そして19世紀末には人の心、20世紀から現在まではトラウマと変異してきたことからも、光の当たるところに必ず闇があるというセオリーを踏襲していて興味深い。
今後どんなに科学が発展するとて、ゴシックのジャンルが廃れることはないだろう。


最近、タンブラーで深遠なフレーズを見かけた(正確に記憶していないのを断っておく)。
「アメリカのホラーは、『身の毛のよだつ気配を感じて振り返ったら、殺人鬼が斧を片手に立っていた』
日本のホラーは、『身の毛のよだつ気配を感じて振り返ったら、そこには誰もいなかった』」

夫にこの話をしたら妙に感心していたが、日本人ならこの怖さを身体の心から理解していると思う。


あら、そういえば先ほどからあなたの後ろに立っているのはどなた?
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