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ペンパル今昔




ねえねえ。
あなたには、ペンパルいました?

ペンパルがいた人、結構いらっしゃるのでは?

懐かしいですねー。

わたしにもいました。

30年以上も前、近所の外国人に紹介してもらったアメリカ人のペンパルが。
英語の運用能力が非対称も非対称だったので、文通はそれほど長くは続かなかったけれど。
どんなにがんばっても数行しか書けない文章の余白にイラストを描いてごまかした。だんだんエスカレートして絵が中心の手紙になり、それはそれで先方に「おもしろい!」と喜ばれたものだ。

当時は郵便代金が高価だったせいか、水色の薄葉紙のような便箋と赤青のライン入りの封筒がエアメイル用として売られており(今も販売されている)、それを使うのがものすごく特別だったのを覚えている。
また、日本からはこの便箋封筒セットを使い、習いたての筆記体で書くのがほとんど当たり前であったにもかかわらず、アメリカから来るアメリカの紙のにおいのする手紙はもっと自由奔放なスタイルだった。時にはノートから破り取った一枚だったり、あるいは手紙の文字が筆記体でなく、どちらかというと乱雑なのはなぜ...とか。
それが彼の国の「遠さ」をより感じさせた。

手紙のやり取りは、一通の手紙をしたためるのにも時間がかかったが、手紙を投函してからがまた時間がかかった。1週間? 10日? 1ヶ月に一度手紙を書き、1ヶ月後に返事がくるというようなペースだった。
...と記憶している。



最近、14歳の娘にも初めてのペンパルができた。
学校のドイツ語の授業で一人一人に割り当てられた、提携を結んでいるドイツの学校の生徒だ。英国側の娘は学習中のドイツ語で書き、ドイツ側は学習中の英語で書いて送ってくる。
お互いダンスを熱心に習っていて、犬を飼っているという共通点があり、娘も滔々と書いては写真を送ったりしているが、便箋と封筒...


ではなく、Eメールですよ。
あたりまえと言っちゃああたりまえか。

わたしはこれが何かショックだった。
たしかにEメールの方がハードルとしてはかなり低い。しかし、未知の相手(ペンパルは普通、会ったこともない相手である)の選ぶ便箋の趣味や筆跡に現れる性格や、ひいては文化習慣の背景や、そんなものが抜け落ちてしまうのではない?! やりとりの間のゆったりした時間の中で起こる、自分をふくめた物事の変わり方などを感じるヒマがないんじゃないの?! という気がした...
ま、昔の人はわたしたちの世代の書く手紙を見て「手紙は候文なければ」とか「歌を詠まないの?!」とか言うに違いない(笑)。


先日はこのドイツの学校が修学旅行でロンドンへやって来、ついでに娘の学校にも立寄って直の交流会があったそうだ。
ええっー、わたしなんかペンパルと会ったこともなければ、いつか会えるとも思わなかったのになあ。

「前から分かってたけど、やっぱり私のペンパルが一番素敵だった!」と娘は帰宅してからもごきげんだった。

人間性というものは、Eメールからでも十分すくい取れるものみたいだ。
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