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Brugge Style
英国の地方都市がつまらないわけ
ロンドンを知り、ロンドンに魅了される。
自然な成り行きだ。
そして、ロンドンが質的量的にこの規模ならば、他の英国の諸都市もさぞやと期待してしまう...
そう期待してしまうと、がっかりさせられる。
英国はロンドン一極集中が著しいのだ。
3年前に英国に転居することになった時、歴史があり、文化の香り高く、街並が美しい街はどこかとロンドン周辺を見て回った。
見て回れば見て回るほど、ロンドンが総取りして、他の地方都市や街にはほとんど何も残っていない...という印象だけが大きくふくらんで行った。
それはいつ何が原因でそうなったのだろうかというのが、3年前英国に転居して以来のわたしの疑問だ。
結論だけ知りたい方は、ここから最後のパラグラフまで飛んで下さい。
......
大陸ヨーロッパの国々はその点、一般的に地方諸都市間でもっと競合がある。
例えば先月4月に訪れたスペインの諸都市は...適当に地方都市名を挙げてみても、バルセロナ、サラゴサ、セヴィーリャ、それぞれ無尽蔵な魅力にあふれている。
3月に訪れたイタリアもそうだ。ミラノ、ヴェネツィア、フォレンツェ、ナポリ...ああっ、甲乙つけがたくどこも素晴らしい!
一方で英国。わたしの住むロンドンから南方を見渡しても、めぼしい都市はひとつもない。
ウィンチェスター? ライ?
これらは歴史もあり、かわいらしい街ではあるかもしれないが、グレナダだの、ジェノヴァだのに較べたらあまりにも「可愛らし」すぎる(かわいいの語源には、小さくて頼りなく同情を誘う、かわいそうなどの意味合いもある)。
ウィンチェスターはアングロサクソン王国の都、ライは中世の港町という長い歴史があるのにも関わらず、なぜ今のように衰退し寂れ果ててしまったのか。
ロンドンより北、英国第二第三の都市、マンチェスターやバーミンガムを眺めてみても...産業革命が興るまでは目立ったことのなかった都市のせいか、今では人口は多いにしても、歴史を背景にした文化的奥行きには乏しい。
オックスフォードにケンブリッジ? よい都市だ。しかし同じような大学都市のボローニャなどに較べたら何かもの足りない...とは言い過ぎだろうか。
ロンドンの西にはバースがある。ここもよい都市だ。
このように、なかなかいい都市もいくつかあるが、規模としても小さく、数としても非常に少ないのはなぜなのか(以上はわたしの個人的な印象にすぎないことを断っておく)。大英帝国の名が泣くぜ。
......
なぜ、かくも英国の地方都市がつまらなくなったか、この疑問に一部答えてくれた本と出会った。
川北稔さんの軽い読み物「洒落者たちのイギリス史――騎士の国から紳士の国へ」(平凡社ライブラリー 1993年)。
社会的地位の基準はどのようにして「身分」の高さから「富」の多さへと変わっていったのかということを、英国の服飾の流行変遷から辿ったおもしろい本だ。
この本の中では、16世紀に英国各地に市場町(マーケット・タウン)が成立する一方で、中世以来の有名な都市の多くが深刻な衰退を経験した理由が以下のように説明されている。
「ヘンリー八世やエリザベスのような強力な君主による中央集権化を反映して、首都ロンドンが驚異的に発達したのもこの時代である」
「都市の中核にあった教会やそれに付属する諸施設が、一五三〇年代に吹き荒れた宗教改革の嵐で破壊されたこと」
「都市の毛織物工業が衰退しきったことが、その原因であったと考えられている」(97頁)
わたしが注目したのは、「教会やそれに付属する施設が」破壊されたことだ。
ヘンリー八世(エリザベス一世の父親で、6回結婚したあの人ね)の時代、インフレ是正、戦争費用調達、イングランド王と教皇の関係の変革のために、修道院等の宗教施設が800件も解散(はっきり言うと破壊)させられ、その財産は王室に没収され、最終的にはイングランドの土地の5分の1が王室のものになった(イギリスの歴史家、ジェフリー・エルトンによる)。
何年か前に放映されたテレビドラマシリーズ、"The Tuders"でも、修道院とかめっちゃ派手にぶっ壊してたなあ...
産業(この場合は毛織物工業)が廃れると街が廃れるのは、現代のデトロイトを思い出しても納得がいくが、教会やそれに付属する施設が機能しなくなると、なぜ都市機能も諸共に衰退するのか。
それはひとつには修道院が当時非常に知的な機関であり、自給自足の精神から、農業から醸造、医療、薬学、印刷業、建築業、病院運営まで担っていたことと無関係ではない。
また、特に地方農村地域においては、教区教会は地域社会の活動にも重要な役割を果たしており、「ローカル・コモンズ」、あるいは「ソーシャル・キャピタル」的な場所を提供して来たからだと思う。知的な空間であっただけでなく、集団内の弱者を支援し、扶助し、時には教育し、人々の精神的なよりどころであり、共同体を支える人々が集う場所だった。
都市や街は、金(産業)を失っても廃れるのもだが、教会のようなソーシャル・キャピタルを失うと、求心的な力が解けてバラバラになり衰退する、と。
ちなみにオックスフォードとケンブリッジが廃れなかったのは、おそらく知的な求心力を失わなかったからだろう。
これにはわたしは妙に納得がいった。
それはつい数週間前にスペインの地方都市で教会主宰のパジェント(宗教行列)を見学したことから、余計に補強された。人間は身体的なつきあいのできるサイズのコミュニティに属してしか人間らしい生活ができない生き物なのだ。
そのハナシはまた次に。
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