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思い出をつめ合わせて








平日のブルージュはあまりにも閑散としていた。

復活祭の休暇が終わり、人々が日常生活に戻って行ったせいか、マルクト広場のテラス席はガラガラ、商店街も人がまばらだった。

天気はものすごくいいのに風が強く、肌寒いブルージュの平日。
街の気が弱ったような物悲しさがただよう。

そうか、やっぱりブルージュの活気というのは観光客の活気だったのか...
街の活気を観光客任せにしておくのは心もとないなあ。


ブルージュを初めて訪れる友は「きっれー」とつぶやきながら写真を撮りまくっている。彼女がブルージュを誉めるたびにわたしの気持ちに明るい光が差す。
「美」というものはなぜこのように「滅び」の陰と常に隣り合わせなのだろう。


ブルージュ価格帯の中では高級に属する種のホテルやレストランが閉店したり、経営状態が変わったりしたのが目立ち、個人経営の店がいっそう減りしているのが一ヶ月前に帰省した時も気になった...

もしもこれからさらに一部レストランや土産物等の値段がどんどん下がり、一方では商店街等の土地の値段がどんどん上がり、街にチェーン店だけが残るようなことになったら、おそらくブルージュの運河は再び土砂で埋まり、死都と化すだろう。
ブルージュは西フランダースの州都で、週末には周辺の街から買い物客が集まるので、いずれはそういう機能だけを果たす街になるかもしれない。

もしかしたらその時はこの角を曲がったところまで来ているのではないか。


やがて週末が訪れると、金曜日の夜辺りからまず元Kホテル(Kホテルは昨年チェーンから離れた)のロビーがチェックインを待つ人々で賑わい始め、翌日の土曜日は朝も早くから運河沿いの道はカメラを構える人でごったがえすようになった。

ほっとしていいのかいけないのか...


わたしが個人的にこの街をどうにかできるわけではないのだが(選挙権すら持っていない)、彼女(ブルージュのことね)を放ったらかしにして去るのが忍びない気持ちでいっぱいになった。
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