三国連太郎は1923年(大正12年)生まれ。
2013年に90歳で亡くなりました。
私の母より7歳年下です。
母は7人姉弟でしたが、下から2番目に妹がいました。
その妹は、他の姉妹たちとはまるで違った毛色の妹で、
勝手気ままでわがままで、他の姉妹たちからは色眼鏡で見られていました。
153センチだった母より小柄だったので、
おそらく150センチあったかどうか?ですが、
とに角、美人で男どもが目を見張る程の凄いグラマーでした。
男出入りは、かなり激しかった様です。
時代が時代だけに、今ほどの事はなかったと思いますが、
当時としては、激しい男性関係だったみたいです。
叔母さんは、自分が美人でグラマーなので、、
彼女を目当てに言い寄って来る男には困らなかったのでしょう。
生来のわがままぶりを、更に増長させていったのだと思います。
結局は、他人の家庭のご主人を奪って結婚し、あまり幸せな家庭とはなりませんでした。
私はその旦那の連れ子に、同情みたいな気持ちを持っていました。
私の叔母に、家庭を奪われてしまったのですから。
その叔母は、若い頃、ある店で働いていたそうです。
お酒を飲ませる店。
今で言う、クラブといった店だったのでしょう。
ある日、その店に入って来たのが、三国連太郎。
三国連太郎は、当時どれほどの知名度があったのかは知りませんが、
なんせ、180センチ、75キロの偉丈夫。
そしてその風貌。
店内は騒然としたそうです。
その三国連太郎がダンスの相手にと指名したのが、叔母だったのです。
長身の三国に抱かれた小柄な叔母は、ポーっとして何も覚えていない、
といった状態だったと、後になって聞かされましたが、
その時の光景を話す叔母の目は、まさにウットリでした。
そんな事があったので、私は三国連太郎という俳優に興味を抱いていました。
日本俳優年鑑には、こんな事が書いてありました。
「ある日、電車に乗っていると、そこに乗って来たのが三国連太郎でした。
一種独特の異様なムードを漂わせ、とに角目立つのです」
みたいな事が書いてありました。
若い頃の三国連太郎は、晩年のヒット作「釣りバカ日誌」とはまるで違った役柄で、
その存在感は、圧倒的であったりもしましたね。
しかし、終わり良ければ全て良し。
若い頃に、異様なムードを漂わせ「俺のイメージに合わない役はやらない」
と言ったかどうかは知りませんが、
俳優人生の最後に、あれほどのヒット作に恵まれた事は、役者冥利に尽きるのでは・・
今から10年くらい前に、独りであるいている三国連太郎を見かけた事があります。
撮影所の近くでした。
若い頃とは違ったオッサンでしたが、あれがあの三国連太郎かと眺めいりました。
こういった独特の個性を持つ俳優は、私は大好きです。
波乱万丈の人生であった様ですが、ご冥福を祈ります。
2013年に90歳で亡くなりました。
私の母より7歳年下です。
母は7人姉弟でしたが、下から2番目に妹がいました。
その妹は、他の姉妹たちとはまるで違った毛色の妹で、
勝手気ままでわがままで、他の姉妹たちからは色眼鏡で見られていました。
153センチだった母より小柄だったので、
おそらく150センチあったかどうか?ですが、
とに角、美人で男どもが目を見張る程の凄いグラマーでした。
男出入りは、かなり激しかった様です。
時代が時代だけに、今ほどの事はなかったと思いますが、
当時としては、激しい男性関係だったみたいです。
叔母さんは、自分が美人でグラマーなので、、
彼女を目当てに言い寄って来る男には困らなかったのでしょう。
生来のわがままぶりを、更に増長させていったのだと思います。
結局は、他人の家庭のご主人を奪って結婚し、あまり幸せな家庭とはなりませんでした。
私はその旦那の連れ子に、同情みたいな気持ちを持っていました。
私の叔母に、家庭を奪われてしまったのですから。
その叔母は、若い頃、ある店で働いていたそうです。
お酒を飲ませる店。
今で言う、クラブといった店だったのでしょう。
ある日、その店に入って来たのが、三国連太郎。
三国連太郎は、当時どれほどの知名度があったのかは知りませんが、
なんせ、180センチ、75キロの偉丈夫。
そしてその風貌。
店内は騒然としたそうです。
その三国連太郎がダンスの相手にと指名したのが、叔母だったのです。
長身の三国に抱かれた小柄な叔母は、ポーっとして何も覚えていない、
といった状態だったと、後になって聞かされましたが、
その時の光景を話す叔母の目は、まさにウットリでした。
そんな事があったので、私は三国連太郎という俳優に興味を抱いていました。
日本俳優年鑑には、こんな事が書いてありました。
「ある日、電車に乗っていると、そこに乗って来たのが三国連太郎でした。
一種独特の異様なムードを漂わせ、とに角目立つのです」
みたいな事が書いてありました。
若い頃の三国連太郎は、晩年のヒット作「釣りバカ日誌」とはまるで違った役柄で、
その存在感は、圧倒的であったりもしましたね。
しかし、終わり良ければ全て良し。
若い頃に、異様なムードを漂わせ「俺のイメージに合わない役はやらない」
と言ったかどうかは知りませんが、
俳優人生の最後に、あれほどのヒット作に恵まれた事は、役者冥利に尽きるのでは・・
今から10年くらい前に、独りであるいている三国連太郎を見かけた事があります。
撮影所の近くでした。
若い頃とは違ったオッサンでしたが、あれがあの三国連太郎かと眺めいりました。
こういった独特の個性を持つ俳優は、私は大好きです。
波乱万丈の人生であった様ですが、ご冥福を祈ります。
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