私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

2つの歌を比べて

2013-05-26 18:06:29 | Weblog

 昨日上げた歌ですが、最初の「飛鳥のつばさしをたれてかへらずばくるるもしらじ春雨のそら」と、次の「ふるままにいろそめまさるふかみどり松のしぐれや春雨の空」を比べております。どうでしょうか。前の歌が頓阿法師。後のが実隆公です。

 その違いがおわかりでしょうか???私にはどちらもいい歌だと思えるのですが、高尚先生に云わすとそこにい大いなる違いがあると云われるのです。

 飛ぶ鳥の翼の形で春雨のそらを知ると云う歌です。それにたいして、後の歌は、降る雨によって松の緑が一段と濃くなっていくよ、春雨の空に。ぐらいでしょうか。歌の優劣はつけがたい様に思われるのですが、高尚先生によると、頓阿法師の歌は春雨があはれげに思えるが、一方の実隆の歌は、歌は巧みだが形だけ整っているに過ぎず“情浅くしてしめやかならず。まことの歌のこころにはあらざるなり”と云っております。
 また、此の実隆の歌を前に述べた広沢長季はよしとして盛んにその歌風を真似ているが褒めたものではないと。そして、こんな歌が世にはびこっていることは”くちをしともくちをしく、かなしともかなしき事なりけり”とも述べております。


愚問賢注

2013-05-26 09:49:40 | Weblog

 「愚問賢注」と云う本に付いても高尚先生は評しております。曰
 “頓阿法師がかきたまえるよう、爰に頓公すでに七十有余の遐算をたもちて、能三十一字の奥玄をわきまえたり。”とあります。遐算と高齢者と云う意味です。七十有年もの間柿本の言葉を慕い、山部の至道を訪ねて、此の二人の道を追い求め、歌の奥底に潜んでいる測り知れない本質を明らかにした。”と。
 それ以来、“むげに歌のさまたがへり”とも。それが如実に表れているのが逍遥院実隆公の歌である、彼の歌は、“歌のさま事の心をば、おぼしわきまへずして、たくみにのみぞよみたまへる”とこれも酷評しております。
 その歌として
              「飛鳥のつばさしをれてかへらずくるるもしらじ春雨のそら」
       「ふるままにいろしめまさるふかみどり松のしぐれや春雨の空」
 をあげております。