昨日上げた歌ですが、最初の「飛鳥のつばさしをたれてかへらずばくるるもしらじ春雨のそら」と、次の「ふるままにいろそめまさるふかみどり松のしぐれや春雨の空」を比べております。どうでしょうか。前の歌が頓阿法師。後のが実隆公です。
その違いがおわかりでしょうか???私にはどちらもいい歌だと思えるのですが、高尚先生に云わすとそこにい大いなる違いがあると云われるのです。
飛ぶ鳥の翼の形で春雨のそらを知ると云う歌です。それにたいして、後の歌は、降る雨によって松の緑が一段と濃くなっていくよ、春雨の空に。ぐらいでしょうか。歌の優劣はつけがたい様に思われるのですが、高尚先生によると、頓阿法師の歌は春雨があはれげに思えるが、一方の実隆の歌は、歌は巧みだが形だけ整っているに過ぎず“情浅くしてしめやかならず。まことの歌のこころにはあらざるなり”と云っております。
また、此の実隆の歌を前に述べた広沢長季はよしとして盛んにその歌風を真似ているが褒めたものではないと。そして、こんな歌が世にはびこっていることは”くちをしともくちをしく、かなしともかなしき事なりけり”とも述べております。