現代の歌よみは、と云っても、江戸期の歌よみは、
”ふじのねにふりける雪はみな月のもちにけぬればその夜ふりける”
の赤人の歌に付いて、ふじの雪はまことにみな月のもちに消て、その夜にふるようにこころへて、こともなげにとけるは、歌の情を知らないつまらない歌のように思っているようであるが、本当のこの歌を読んだ時の赤人の情は、雪が溶けだしてしまうような暑さの中で、富士の高峯では雪が降る。そのように霊峰富士の有るがままの姿が歌として表されている。それな何とも云われぬ情の籠った歌に成っている。その情を知らない今の歌よみは、古い歌をなほざりにしているからその歌の底にある本当の情が分からないのだと云うのです。
このような事を、つらつら思えば、昔からよい歌だと云われるのうな歌を読む人には
“おのがこころえがほなる事、たけきこころなどを、さらにいわざるも、ひとのあはれとおもふべくよむがうたなればなり”
と、しています。その思いを特別に言うのではなく、「ふじのねに」と詠んだ赤人のように、間接的にうたいこむことによって、詠む人の心を捉えさすような歌がよい歌なのだ、と。