私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

歌はなにのためにやうありてよむものぞ

2013-04-10 10:54:18 | Weblog

 高尚の「歌のしるべ」について暫らく書きます。
 まず、歌は、刀と同じである。刀は切るためにあるのだが、それを使う人の技によってよしあしはきまる。技が下手な人が、例え、いくら良い刀を持って追っても、その刀は何の働きもしない。只の鉄の棒切れに等しい。刀のそのもの自体の良し悪しではなく、所詮は、使い手の腕にとってその良しあしが決まるのであり、歌もこれと同じで、「言の葉の道ふみそむるあしもとに、こころうべき事にはあるける」と。その言葉の基本に「こころう」、通じていなくては本当の歌になならないと言っています。

 高尚が中村歌右衛門との対話の中で、現在の狂言の芸は「わざ」を主体にして演じられ、芸の情が何処へ忘れ去られている様に思える。しかし、昔、上手と云われた坂田藤十郎にしろ誰にしろ、その芸の中心は、やはり情であったのだが、それに付いてどう思われるかと問いかけているのです。その技を中心としたものは歌舞伎の世界だけではない、歌の世界にもそんな傾向が見られる。だから、自分も、今、情が主体となた歌をと思い、「歌のしるべ」を書いていると語っています。その最初に書いているのが、この「こゝろうべき事」であるのです。