私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ーがまんおし

2012-04-22 09:28:29 | Weblog
 流れ落ちる今日のこの瀬音は、その歌にあるような、さやけさという感じでは決してなくて、ざわざわと、あの如月の中山颪の松風にも似た騒がしさがあるように思われました。でも、目を閉じてじっとその音に聞き入っていますと、この谷川を流れ落ちる音は、その騒がしさの中に、「がまんおし、しんぼうおし、しんぼうしい、がまんしい」とでも言うよな暖かさのある音にも聞こえて来るようにも思われ、自然と独り笑いが顔に浮かんできます。
 そこにしばらく佇んで、その小生意気そうな瀬音に耳を傾けていましたが、再び、もと来た道を引き返します。
 今そこで聞いた瀬音が、何時までも耳に残り、その音を確かめでもすろようにそぞろ歩きで帰って行きました。あの瀬音が、ひさしぶに今まで身の内に一杯に溜め込んだ澱んだあくたを吐き出し、流してくれるようでもありました。
 「ああ、さえのかみさま」
 小さく囁くように、しばらくぶりに、口から吐いて出ました。
 その途端です。曲がり角からお出になられたお人と出会い頭に、私の体ごと突き当たりました。「あっ」と思う間もなしの出来事でした。
 そのご婦人も、突然でしたのでしょう2,3歩後ろによろけました。でも、幸いにして倒れ込むという事はありませんでした。
 「ごめんなさい。ぼんやりとあるいておりましたさかい。おけがありません」
 小雪の消えんばかりの言葉。ふと顔を上げて、そのご婦人を見ました。
 「あっ おっかさん」
 思わず本当に小さな、人には聞こえるか聞こえないか分らないような吐息のような言葉が、小雪の口をついて出てしまいました。初老の、如何にも気品に満ち溢れていて、それでいてしゃんと凛々しい物腰の深そうなそのご婦人は、どうしてこうなったのかしばらく考えてでもいるかのように、そこに佇んで小雪を見ています。
 小雪が、一瞬に母かと見間違えたその女の人は、小雪の如何にも野暮ったい田舎びた椿の柄の羽織か何かをしばらく眺めていましたが、優しく声をかけてくださいました。
 「何処を宿にしているの。確かお母さんと言ったように聞こえたんだけど。どうして」
 それからしばらく何かをお考えになっているかのように、無言で私を見つめておいででした。  
 「私はつばきがとても好きなの」
とぽつんと、それもやや大きめな声でおっしゃいました。
 私が遊女だということを十分知ってお話して下さっています。遊女になって以来、女の人から、こんなに優しい言葉て話しかけられたことは一度だって経験した事はありません。
 それからしばらく間を置いて、また、そのご婦人は優しく言葉を静かにかけてくださいました。
 「言葉から言って、あなたはもしかして京の女、まだお若いようだけど一杯苦しみを持って生きているのね。おかあさんお元気なの。・・・・どうしてここに」
 小雪は、この不思議な今の出会いが、どこか知らない夢の世界で起った事のように思えてなりませんでした。
 「はい、・・・・京どす」
 ただ。それだけの言葉を出すのにも、唇に何か重い重い重石を下げているようで、胸が一杯になり、息が詰まりそうに覚えました。
 それから、又、その女の人は独り言のようにゆくりと、自分にでも言い聞かせているのではと思えるようないい草で
 「その若さで、あなたも随分と苦労した事でしょう。今あなたが言った『ごめんなさい』と言う言葉には、真心がありました。本当に素直な心の底から、今、初めて生まれたのではないかとさえ思われるような少女のような恥じらいのある優しさが見えました。今のこの辺の女にはない美しさを、あなたはお持ですね。誰にでもない女の美しさを。そうです女のです」
 中山颪の寒風が二人を通り抜けてぴゅうと吹きすさびます。しばらく沈黙が続きます。が、再び、その女の人がお話を続けられました。
 「でも、女はどんな人でも、何処に住もうと、誰であろうと、みんなそれぞれの悩み苦しみを、大きい小さいの違いはあるとしても、持って生きていかなくてはならないのです。それが女の生の悲しさでしょうか。じっと我慢をしなくては生き通せないのでしょうか。それにしても悲しい女の生ですこと。我慢だけが女の道ではないのでしょうが。でも、・・・・女にも意地もあります。人がどんな言おうとしなければならない女の道があります。悲しいけれど、あなたも強く生きるのですよ。私は、堀家のきちといいます。一度訪ねておいでなさい」
 それだけ言われて、路地を曲がられ、崩れかけの土塀にお姿が吸い込まれるように消えてしまいます。
 
 中山颪の寒風に混じった「がまんおし」の瀬音が、小雪の耳に誇らしげに小さく響びかせながら、宮内の街角を通り過ぎて行きます。