私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語 新之介様

2012-04-18 20:32:57 | Weblog
お店の玄関を出てすぐです。お稲荷様のお社の側に川端柳があります。
 そこに、林様がお迎えした大藤の高雅様を待ち構えた数人のお武家様がいようなどと。
 一斉に数人の覆面の武士達が「天誅」とか、なにか叫んだと思うと、やにわに高雅さまに、刃が切り落とされます。新之介様にも、私にまでも、それらの覆面のお人の刀が振りかざされました。私をかばうようにしたいた新之介様は、ほんのあっという間に、私のこの目の前で、無常にも「思い知れ」とか何か大声で言ったお人に切りつけられ、「ううー」と新之介さまもお倒れになりました。「剣術にはある程度自身がある」と、おしゃられていた新之助様ご自身のお刀を、お抜きになる暇さえなかったのではと思えるような突然の出来事でした。
 その刀は、更に私にと向けられたようですが、その場に、丁度通りすがりの片島屋の万五郎親分さんに危うく助けて頂きました。この宮内に連れて逃げてくれたのでした。
 河内屋のおかはんに、どう話をお付けになったのかは分らないのですが、兎に角、後で聞いたのですが、林様ともご相談なって、私はあわただしく、しかも逃げるようにして京を後にしたのです。
 万五郎親分さんのお話ですと、私自身の命もその時、どうなるやら分らないという緊急の状況で、すぐにでも身を隠さなくてはならないとお思いになり、林様とご相談なさって、この宮内に取りあえず隠す事にしたのだそうです。私自身の全くあずかり知らない世界の出来事だとも、聞かせいただきました。
 その後、この宮内に落ち着いてから、京から吹く東風によりますと、三条通りの高札場に、あの大藤高雅様の首が懸けられてあったと伝えられておりますす。なお、残念ではありますが新之介様については全く知る由もございません。
 なお、その後、この宮内でも、この事件のうわさは根堀り葉堀り、ささやくようにしばらくの間、人々の間を流れ流れしていました。
 しばらくたってから、新之介様の噂もぼつぼつ人の口に昇ってくるようになりました。
 それによりますと、新之介様は、庭瀬藩の足軽るの子で、早くから神童とか何かと言われながら、足軽るの子ということだけで随分といじめられて育ったようでした。学問だけでなく、武術も秀でていて、この藩で若者の中で、1,2を争うほどで、それもまた、上役の子供達のためにいじめの対象になったということです。
 それがひょんなことから、大藤高雅様の「後松屋」に入門してようやくその才能が芽吹きだし、生涯の師匠として大藤高雅様に付き添い、お若い命を落とされたのだ、と、噂されていました。