このお話を書いたのは、2007年の5月の事でした。5年も前の話だから、誰も記憶している人はないだろうと思って暫らくその過去に書いた物を少々取り上げます。
先ず、試みに吉備津地方に伝わるお伽噺です。
桃太郎とか、温羅とか、吉備津彦命にまつわる昔話は、この岡山地方には沢山あります。
これからお話します昔話は、前回の安覚のお話と同じように、今では、この地方の人でさへ誰も知らない、記憶にさへないようなとっても不思議な私だけしか知らないような吉備津に伝わるお話しなのです。まあお聞きください。
少々長いので、二回に分けてお話します。
でえれえむかし、備前と備中の堺にお宮を建てようと思ってのう、ある殿様が国中へ、どえれえうめえでえく(大工)がおりゃあせんかとおもうて、お触れを出して捜したんじゃと。でも、「わしにやらしぇえ」と言う者は、ひとりもおらなんだ。
ところがじゃ、せいから4,5日してから、ひょっこりと「わしが建ててやらァ」と、いうてきたもんがおったんじゃとう。
殿様が
「お宮は一人で建てられるわけがねえ。お前が一人で建てるんか」
と聞いたんじゃと。
すると、そのででえく(大工)は
「わしに任せてくれれば、ものすげえ、ええお宮を作くて上げるけえやらせておくれえ。おねげえします」
あんまりしつこう言うもんで、殿様も
「まあ、あげん言んなら、ものは試しじゃ、やらせてみゅうか」
と、その不思議なでえくに頼んだそうな。
その大工は
「殿様がびくりするぐれえ、ものすげえええお宮をこしらえてあげるからなあ。楽しみにまちょうりんせえ。・・・・でもなあ、お宮が出来るまでは、ぜってえ、でえく小屋には近寄ったらいけんでえ」
と、言うたそうな。殿様も、仕方ねえけん、ほってえたんだと。
昼間、遠方からみゅうると、一人でコツコツとやって居るのがわかったんで、みんなは、「いつごろできるかなー、わしが生き取る間にできるんじゃろうか」などと、言うておったそうな。
先ず、試みに吉備津地方に伝わるお伽噺です。
桃太郎とか、温羅とか、吉備津彦命にまつわる昔話は、この岡山地方には沢山あります。
これからお話します昔話は、前回の安覚のお話と同じように、今では、この地方の人でさへ誰も知らない、記憶にさへないようなとっても不思議な私だけしか知らないような吉備津に伝わるお話しなのです。まあお聞きください。
少々長いので、二回に分けてお話します。
でえれえむかし、備前と備中の堺にお宮を建てようと思ってのう、ある殿様が国中へ、どえれえうめえでえく(大工)がおりゃあせんかとおもうて、お触れを出して捜したんじゃと。でも、「わしにやらしぇえ」と言う者は、ひとりもおらなんだ。
ところがじゃ、せいから4,5日してから、ひょっこりと「わしが建ててやらァ」と、いうてきたもんがおったんじゃとう。
殿様が
「お宮は一人で建てられるわけがねえ。お前が一人で建てるんか」
と聞いたんじゃと。
すると、そのででえく(大工)は
「わしに任せてくれれば、ものすげえ、ええお宮を作くて上げるけえやらせておくれえ。おねげえします」
あんまりしつこう言うもんで、殿様も
「まあ、あげん言んなら、ものは試しじゃ、やらせてみゅうか」
と、その不思議なでえくに頼んだそうな。
その大工は
「殿様がびくりするぐれえ、ものすげえええお宮をこしらえてあげるからなあ。楽しみにまちょうりんせえ。・・・・でもなあ、お宮が出来るまでは、ぜってえ、でえく小屋には近寄ったらいけんでえ」
と、言うたそうな。殿様も、仕方ねえけん、ほってえたんだと。
昼間、遠方からみゅうると、一人でコツコツとやって居るのがわかったんで、みんなは、「いつごろできるかなー、わしが生き取る間にできるんじゃろうか」などと、言うておったそうな。