私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―小紋の蝶

2012-04-14 14:38:50 | Weblog
京という20年近くも住み慣れた土地を離れ、このような鄙に暮らそうなどということは、かって考えもしなかった突然に降って湧いた様な出来事でありました。
 小雪には、今、ここにこうしている自分が不思議で不思議でたまりません。たまたま命永らえたのは、きっと、母が深く信心した「さえのかみ」のご加護であったのかもしれないかと、うらめしく思い寄せるのでありました。
 あの時いっそという思いも、一方にはあったのですが、現実、今ここにこうして生きている自分をどうする事も出来なくて、うら悲しさが、次から次へと舞い落ちる牡丹雪と一緒になって小雪の胸に去来するのです。そのような思いは、今羽織っているこの町に来てから買い入れた田舎びたやけにハデハデしい羽織の柄を見るにつけて、余計に募るばかりです。
 激流の中をさまよい下るようにして、京からこの宮内へ下り来た時、たった一つ母の形見とわが身離さず携えてきた小紫の小紋に蝶をあしらた羽織が、あれ以来一度も袖を通さないままに、部屋の隅の小さなみすぼらしい小箪笥の一番下の引き出しに入れてあります。
 しばらくその小箪笥を眺めていましたが、そっとその小箪笥に寄り、小さく引き出しを開けて、中にある母の形見の小紋の羽織に手を当てます。この鄙に来て忘れてしまっていた母の面影がほんのりと匂い立ちます。
 小窓から見える庭の南天には、牡丹雪がシャカシャカと音をたてながら、なお、降り積もっています。その音は、母の「元気出して」と囁くような懐かしい声のようでもありました。
 こんなにひっそりと降る雪の坪庭とは裏腹に、大鳥居の大通りには、吉備の中山から山おろしの風がびゅうびゅうと吹き下ろしております。こんもりと茂った大松の木々の間を通り越し、山から吹き降ろす風にあおられて、あるいは上に下に、又、左へ右へ、雪が激しく舞い飛んでいます。
 この裏と表の降る雪の違いに、ほんの数年しか経っていないのですが、その昔と今とを同時に見ているようで、人の運命の皮肉さ、厳しさをつくづくとを思い知らされています。
 相変わらず、表通りの雪はゴウゴウト唸りを上げながら、『忘れろ』『すべて忘れろ』と降り続いています。しかし、それとは反対に、降れば降るほど、激しくなればなるほど、此のアッと云うほどの間に遭遇した己に降りかかった色々な出来ごとに、底なし沼に引き込まれていくようなに、小雪の思いは重く、深くなるばかりでした。
 相変わらず、地上に打ち付けるように、宮内に降る雪は続いております。