私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―人が生きると云うこと

2012-04-15 17:07:53 | Weblog
 相も変わらず西国の重たい雪ががしゃがしゃと降りしきっています。急に京を逃げ出し、この宮内にきてもう半年ななりますが、何やかやといりまじって、どうして私がこんな西国の鄙の町、宮内にいるのか、本当に何が何だか訳の分からない世界に放り込まれたように気分に成ることがしばしばあります。

 京にいた時、ひょんなことから、備州倉敷の薬問屋の林様にお情けを頂いてこの方、事あるにごと、いつもお側に侍らせて頂いているのです。今晩も、その林様のご指定により、この京でも指折りの老舗「泉屋」の離れ座敷に招かれ、その林様のお客様とご同席したのです。
 なにやら、お話が込み入って来た時、林様が
「大藤様とお二人で話しがある、そこのお若いのちょとばかり席をはずしてくれんかのう」
と、言われます。
 用意されていた別のお部屋で、しばらくは、林さまのお客さま、その人は新之介様というのだそうですが、この若いお武家さまと向き合ったまま黙って座っていました。
 しばらくは無言のままの時間が二人の間をするりと通り過ぎて行くように思われます。どのくらい経ったでしょうか、何処かの部屋からでしょうか、何やら陽気な歌声が、突然として鳴り響きました。
 それが合図であったかのように、新之介さまはご自分の国のことやら何にやらかにやらと、随分と早口で、私がそこにいるのを無視するかの如くに、独り言のように本当に心を込めてお話になりました。そのお話を、私は遠い遠い国のお伽噺かなにかのような真新しさを覚えながら、面白く聞かせていただきました。このような話は、小雪にとっては、いまだかって経験したことがない不思議な世界の物語でもありました
 そんな新之介様と言われる若いお武家さんのお話は、小雪が今までに見たことも聞いた事もないようなそんな国があることも知らないような備中と言う小さな国の田舎町のこてですもの。小川で釣った小鮒の話、海に浮かべた船で釣った鯛の話、泥の中を駆け回って追いかけた鯉の話、剣術の先生や友達との試合の話など、総てが物珍しくまた面白く「男はンの世界だな」と、新之介様のなさるお話がこのまま何時までもづっと続いて欲しいものだと、ふと思いました。
 小雪には、男の人と、それも自分と余り年端も違わない男の人と、これほどゆったりお話したことはありませでした。
 男の人といえば、逢えば、すぐ、いやらしいじろりとした目で、まず小雪の胸や腰辺りを眺め回しながら、ぐいぐいとその胸の中に抱きこまれる事ばかりでした。いくら嫌でも「嫌だ」とはいえない悲しさが、何時も自分を包んでいました。身の回りを取り巻くように絡み付いていました。お金という、人が作り出した物で、人一人をがんじがらめにくるりくるり巻き上げて、自分ではどうしようもなく、ただ、人の言うまま立ち振る舞わなくてはならない自分が悲しくて悲しくてなりませんでした。その中に入り込んでしまった自分を何時も呪っていました。
 そんな小雪を人として扱ってくれたお人は林さまを除いていませんでした。その林さまとも、又、違う新之助様とのお話は、本当に小雪を感激させました。そのお話を聞いていて、心が落ち着きます。安心があります。わくわくした浮き立つような心があります。お話を聞く喜びも、また、楽しささえも湧いてきます。総て、今まで知らなかった新しい新鮮な事ばかりです。出来たら、もう一度でも、二度でも、新之助様のお話を聞きたいものだと思う心が自然と小雪に生まれてきました。小雪を「遊び女」ではない、自分と同じ人として、普通の女としてお話してくださいます。尊いお人を仰ぐように、そのお話を聞いておりました。
 「人はつらいもんだ。瘠我慢の連続だ。それが生きることなのだ。私には、まだ、ようわからンが、そんな気がする」
 と、じっと小雪の方を見て言われました。新之助様の目とキッと合ったように小雪には思えました。
 そんな時、泉屋の姐さんが「もう戻って来いとのことどす」と、お迎えが参りました。なんだかとても突然につまらないような情けないような気分になりましたが、急いで、新之介さまと、お二人のお部屋に立ち戻りました。
 「話は済んだ。お前もお客はんと一緒に、お帰り」
と、いう林様のお言葉に部屋を追い出されるように、泉屋のご門をくぐりました。 その時、その一瞬の後に起ったことを誰が予測できたでしょうか。