私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ーおとのさやけさ

2012-04-20 19:28:56 | Weblog
 この狭い宮内にいますと、この事件に関わった人達のことが知らず知らずのうちに分りました。
 高雅様は、このお国の事を随分と憂えて、徳川様の世の中では、この国は、もはや持ちこたえられなく、新しい天子様を中心とした国作りをする必要があると、お考えになり、アメリカなどよその国に対してしっかりとした国に作り変えなくてはとお思いになったとか。また、こんな思いに、高雅様が駆られたのは、多分、あの緒方洪庵とかいう足守のおじさんの影響があったとか。お国を護るためには、まず、紀州と淡路の間に、他所の国の、大砲を積んだ大きな鉄の蒸気船が入ってこないような暗礁をこしらえる必要があるとかお考えになったとか。また、そのために、お江戸の将軍様や鴻池などの大商人に語らい、沢山のお金をお集めになって私腹を肥やしたとか。
 そして、ついに、将軍様を倒して、天子様の世の中に作り変えようと知るお人達、何でも長州や薩摩のお若いお侍様達だと言う事です。その人達にあらぬ噂を立てられ、そして、恨まれて、あのようなむごい殺され方をされたとか。
 そんな噂があちらこちらから飛んできては消え、消えては、また、囁かれたりしています。そんな噂が自然と小雪の耳にも届きます。
 世間は、先生のようだと小雪は思いながらも、いろんなお人からの噂が次から次えと聞こえてまいります。でも、新之助様の噂は、いくら耳を欹てていても、小雪が思うようには届きませんでした。
 こんな噂話に入り混じるようにして、お正月様がやってきました。みんな小忙しく身を粉にするように合いも変わらず働いています。そんな今年は、正月以来例年になく長いこと冷え込みが厳しく、ついつい家に籠りがちだったのですが、小正月が過ぎて、2、3日した頃だったでしょうか、春のような随分と温かい日がありました。
 吉備津のお社の中の、清龍池に、小さな島にかあり、そこに赤い祠があり。それが「さえのまみさん」だと、何時かお客様だか宿の姐さんだかに聞いたことがありました。今日の俄の温かさに、ついふらふらと小雪は、そのお宮さんにお参りすることにしました。
 お参りする人は誰もいない、ぐずれかけたような薄汚れた赤っぽい祠がありました。温かい日差しの中で、久しぶりに随分荒れ果てた両の手をそっと合わせ、恥じ入るように「こんな私でもお守りください」と小さく小さく拝みました。誰もいない太鼓橋を一歩一歩踏みしめながら元来た道を通り、街の路地に入りました。年末に降った大雪が、家々の軒下などに薄汚くなって残て下ります。その残り雪に当って、きらきらと跳ね返ってくる春の日の光が暖かく町全体を覆い尽くしています。崩れそうな花街独特なわびしさが、家々の格子の窓に、屋根の瓦に映って見えます。そんな通りを、小雪は、ただ一人、とぼとぼと歩みます。
 その道を少し行くと、ややあって中山から流れ下る細谷の小さな瀬音を耳にする事が出来ました。雪解け水で、何時もよりは大きく瀬音を小山に響びかせています。
 「まかねふく きびのなかやま おびにせる 
            ほそたにがわの おとのさやけさ」
 この歌も、この宮内に来てから、宿の姉さん達から教わったものです。