居眠りをしておられるのではないかと心配した駕脇にいたの五左衛門は「「御前薩埵峠に御座ります」と呼びかけます。すると、光政侯は目をあけられて、五左衛門へ、
「・・・儒学を学び、其印を求め、心を広く寛(ゆるや)にして・・・」
と、話しかけです。
この「心を広く寛(ゆるや)にして」と言う言葉が、中国の書物に「大学」の中にあります。それが「富潤家徳潤身 心広体胖」です。
この言葉の意味は、あの私の漢文先生の説明によると
「豊かな財産があれば、その家は立派に栄え、堂々と生活できる。それに対して、豊かな徳を備えて居れば、その人の身を立派にする。この徳を身につければ心が寛(ひろ)くなって、ゆったりとして落ち着いた生活が出来る、徳が己を潤した人の姿なのだ」
と。
薩埵峠で、光政侯が莞爾と笑われたのも、この言葉を見つけだされた後の話なのです。光政侯の人物の大きさを物語る一面です。
この言葉を下地にして、光政侯は駕脇にいたの五左衛門へ話しかけです。
この言葉を実際の藩の政治に反映しようと思いつかれたある夜より「特によく寝させ給し」と、光政侯は、安眠できるようになったのです。それぐらい言葉の持つ意義が実際に生きたのです。
その言葉が岡山藩の実際の政治の中に反映されていったのです。それが新田開発や藩学校や閑谷学校などの教育施設の充実であったのです。
光政侯についても少しばかりと思って始めたのですが、これもまた長談義になりました。以上で、光政侯については終わりにしたいと思います。
「・・・儒学を学び、其印を求め、心を広く寛(ゆるや)にして・・・」
と、話しかけです。
この「心を広く寛(ゆるや)にして」と言う言葉が、中国の書物に「大学」の中にあります。それが「富潤家徳潤身 心広体胖」です。
この言葉の意味は、あの私の漢文先生の説明によると
「豊かな財産があれば、その家は立派に栄え、堂々と生活できる。それに対して、豊かな徳を備えて居れば、その人の身を立派にする。この徳を身につければ心が寛(ひろ)くなって、ゆったりとして落ち着いた生活が出来る、徳が己を潤した人の姿なのだ」
と。
薩埵峠で、光政侯が莞爾と笑われたのも、この言葉を見つけだされた後の話なのです。光政侯の人物の大きさを物語る一面です。
この言葉を下地にして、光政侯は駕脇にいたの五左衛門へ話しかけです。
この言葉を実際の藩の政治に反映しようと思いつかれたある夜より「特によく寝させ給し」と、光政侯は、安眠できるようになったのです。それぐらい言葉の持つ意義が実際に生きたのです。
その言葉が岡山藩の実際の政治の中に反映されていったのです。それが新田開発や藩学校や閑谷学校などの教育施設の充実であったのです。
光政侯についても少しばかりと思って始めたのですが、これもまた長談義になりました。以上で、光政侯については終わりにしたいと思います。