しばらく吉備津の桜にうつつ抜かしていたのですが、時ならぬ寒さのため、花びらが驚いてか満開の時を遅らせているようです。
さて、吉備津の桜自慢はこれぐらいにして、再び、綱政侯の歌紀行を続けます。
江戸を神無月の10日に出発して小田原、箱根、三嶋を経由して浮島が原を通り夜更けに清見潟を過ぎて、その日は江尻に泊り、14日に、江尻を出発しています。
「うつの山は、ちかからぬこなたの山の木陰を過るに、里遠く身にしむ嵐に、木葉散りずく折から猿の鳴ければ
里遠く こぶかき山の 下さむし
みねのましらの 声ぞ物うき
宇津の山を行に、蔦も楓もはや散ぬる跡のけしき、淋しきもいわんかたなし。源宗于朝臣が、山里は冬ぞさびしさまさりけりと読る事、今身にしみて覚。」
と。
しげりあふ つたも楓も 散りぬれば
行衛さびしき 宇津の山越
「ましら」と言うのは猿の事です。源宗于朝臣の山里は・・・と言うのは、例の百人一首にある
“山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬとおもへば”
です。
誰も通らないさびしい山道で、東海道の難所の一つであったのです。
そうです。綱政侯は歌人らしく、やはりここを無視して通るわけにはいかなかったのだと思います。ちなみに光政侯は、ここより薩た峠の方がむしろお好きであったと考えられます
さて、吉備津の桜自慢はこれぐらいにして、再び、綱政侯の歌紀行を続けます。
江戸を神無月の10日に出発して小田原、箱根、三嶋を経由して浮島が原を通り夜更けに清見潟を過ぎて、その日は江尻に泊り、14日に、江尻を出発しています。
「うつの山は、ちかからぬこなたの山の木陰を過るに、里遠く身にしむ嵐に、木葉散りずく折から猿の鳴ければ
里遠く こぶかき山の 下さむし
みねのましらの 声ぞ物うき
宇津の山を行に、蔦も楓もはや散ぬる跡のけしき、淋しきもいわんかたなし。源宗于朝臣が、山里は冬ぞさびしさまさりけりと読る事、今身にしみて覚。」
と。
しげりあふ つたも楓も 散りぬれば
行衛さびしき 宇津の山越
「ましら」と言うのは猿の事です。源宗于朝臣の山里は・・・と言うのは、例の百人一首にある
“山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬとおもへば”
です。
誰も通らないさびしい山道で、東海道の難所の一つであったのです。
そうです。綱政侯は歌人らしく、やはりここを無視して通るわけにはいかなかったのだと思います。ちなみに光政侯は、ここより薩た峠の方がむしろお好きであったと考えられます
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