私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

宇津の山 綱政の歌紀行より

2010-03-29 17:04:58 | Weblog
 しばらく吉備津の桜にうつつ抜かしていたのですが、時ならぬ寒さのため、花びらが驚いてか満開の時を遅らせているようです。

 さて、吉備津の桜自慢はこれぐらいにして、再び、綱政侯の歌紀行を続けます。
 
 江戸を神無月の10日に出発して小田原、箱根、三嶋を経由して浮島が原を通り夜更けに清見潟を過ぎて、その日は江尻に泊り、14日に、江尻を出発しています。

 「うつの山は、ちかからぬこなたの山の木陰を過るに、里遠く身にしむ嵐に、木葉散りずく折から猿の鳴ければ

       里遠く こぶかき山の 下さむし
               みねのましらの 声ぞ物うき

 宇津の山を行に、蔦も楓もはや散ぬる跡のけしき、淋しきもいわんかたなし。源宗于朝臣が、山里は冬ぞさびしさまさりけりと読る事、今身にしみて覚。」
 と。

       しげりあふ つたも楓も 散りぬれば
               行衛さびしき 宇津の山越

 「ましら」と言うのは猿の事です。源宗于朝臣の山里は・・・と言うのは、例の百人一首にある
  “山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬとおもへば”
 です。
 誰も通らないさびしい山道で、東海道の難所の一つであったのです。
 そうです。綱政侯は歌人らしく、やはりここを無視して通るわけにはいかなかったのだと思います。ちなみに光政侯は、ここより薩た峠の方がむしろお好きであったと考えられます