私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

心広く体胖かなり

2010-03-05 13:57:40 | Weblog
 「心広体胖」と書かれた木村睦夫の書の軸を私は持っています。あまり広くはご存じではないと思いますが、この人は、かって参議院の副議長をした岡山の人です。これを「心広くして体胖かなり」と読ますのだそうです。此の「胖」という字が分からなくて、あの漢文先生に聞いたことがありました。一度聞いたのですがあまり覚えてはいません。そこで、今日久しぶりに、あの珍聞漢文氏を訪ねてみました。例の通り誠に不愛想ですが、さすが専門家です。よう知っています。
 「むう、広く体胖かなりか。前にいっぺんおせえてやりゃあしぇんかったけえな。」
 とか、何とかぶさくさ言いいながら、沢山ある彼の本棚に向います。何やらあれやこれや引っ張りだしていましたが、しばらくすると「こんなとけえしもうてえたか」と、一冊の、誠に、古ぼけた薄汚い本を取りだしてきます。
 「その「広く体胖かなり」というのは、この本へあるんじゃ」
 と、ペラペラめくります。
 「こりゃあ、大学ちゅう本じゃどー。おめえがこねえだブログにけえとった、永忠が真似してこせえた社倉法を、かんげえちぃた中国の宋の時代の人がけえた本なんじゃあけえど」
  
     

  そんな話をしながら、珍聞漢文先生、その言葉が出ているページをめくってくれます。
 全部を講義していると時間がかかるので、この言葉が出ている「傳之六章」から「おせえたらあ」という事で彼の話が始まります。この「傳之六章」には、誰でも一度は耳にしたことがある「小人閑居して不善をなす」とか「其独りを慎む」という言葉が出でいるのだそうです。これも、また、それなりに彼の御説を拝します。
 「最後になったんじゃが、胖じゃが、こりゃあユタカと読むんじゃ。月はニクヅキで体を表す言葉に使われておるんじゃ」
 体が半分しかないのに、どうして豊かなのかと言うと、半分だからこそ豊かになれるんだと、いわれるのです。いっぱいあったらもうそれ以上、入る余地がないから、それ以上は豊かにはならないのです。でも、半分だからこそ、なんでもかんでも体の中に取り入れられるから、結果的に無限に豊かになるという理屈なのだそうです。どんなものでも、総てを取り入れるだけの半分の心を、いっつでも保って居ることが大切なのだと言うのです。
 君子はその意味をよく解して「誠す」とあるのだそうです。誠心誠意を持って誠を尽くすのだそうです。
 その半分の心を何時もいっぱいにするためには、光政侯が言うように怠らず勉学に励むことが重要なのだと言われるのです。この「怠る」と言うのは、決してそうじゃあないのですが、自分の心は、今、半分ではない、いっぱいになっているのだと言う慢心の現われであるのだそうです。
 「わしのように何時も半分の心で居るとええんじゃ」と、あのワハッハがでます。それを機に私もまた腰を上げました。

 なお、この言葉の前にある「富潤家徳潤身」についてもご教授して頂いたのですが、あまり長くなりますので、又いつかの機会にでも。

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