私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

現実離れした14歳の光政侯

2010-03-06 14:19:08 | Weblog
 有斐録の(五)に、光政侯十四歳の時の事であったか?として載っています。14歳と言えば今ですと中学校の2、3年生頃の年頃です。
 それによりますと、

 光政侯が、未だ幼くして備前藩主になって、いくばくも経ってない時の事です。
 夜、寝床に入られても、なかなかに眠らせ給うことなくて、暁時近くになって、漸く、うとうとするぐらいであったのだそうです。幾晩もこの様子が続いたので、近侍の人々は、あやしみ、いかなることにやと、大層心配になってきます。思いあぐねたその近侍は、ある日、恐る恐る光政侯に尋ねます。
 [御心配事でもござりましょうか」
 と。
 しかし、光政侯は、「しかじか答えさせ給はざりしに」と書かれています。要するに、14歳の光政侯は、その質問に対して、「かくしかじかの理由で眠られないのだ」とも、何とも言われないのです。
 そんなことが幾日も続いたある夜のことです。その夜に限って、不思議なことですが、今まで、あれほど寝むられない夜が続いていたのが嘘のように、ぐっすりと、安眠なさいます。どうしたことでしょう。此の藩主光政侯の突然の変化に、また、近侍の者たちの心配が一層募ります。どうしたもんだろうかと重役方にも、また、相談なさいます。
 
 14歳の年で、幾晩も眠られなかったのが、ある夜を境にして、急に眠ることが出来るものでしょうか。それには何か大きな原因があったのに決まっています。それを、敢て、黙って自分お独りで、誰とも相談なく、解決できる事が可能でしょうか。14歳と言えば、普通なら迷いの多い年頃のはずですが、この光政というお人は、よぽど自分を処するに大天才だったのではとしか言いようがありません。

 裏を返して言えば、これは、光政侯の性格の一部面を強調しようとしたための表現であったのかも分かりません。あまりにも現実離れしていて、3、40歳に歳を置き換えていいような場面だと思えます。14歳では、これほどの芸当が出来るとは思いたくないような気がします。何か現実味が薄いように思われます。
 だからではないのですが、この記事の見られる「有斐録」の記事は大げさすぎる、現実離れしていて真実性に乏しいと言われる所以ではないかと思われます。


 蛇足:「見られる」と「見れる」。「眼られる」と「眠れる」。近頃やかましく議論されている「ら」抜きことばについてどう思われますか。ら抜き言葉でも、結構、いかすのではないかと思われますか?

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