私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小田原

2010-03-20 16:38:12 | Weblog
 神無月の10日に江戸表を出立して、1日にはどこまで進んだと思われますか。

 大名行列です。果たして岡山藩の行列が何人ぐらいの人数であったのかは、私はその資料を持ってないのですが、10万石の大名でも、お伴の人数は800人ぐらい必要だったと言われています。だから、32万石の岡山藩の場合でも1000人以上のお伴が付いた行列ではなったかと思われます。

 綱政侯の初めての行列が、江戸を出立して11日に到達したのが小田原です。

 そこでの綱政侯は、次のように簡単な手記を残しておられます。

 “十一日相州小田原にやどりぬ。古郷にて聞きなれぬあら磯波の音すさまじく、終夜おきあかして、
     聞きなれぬ あら磯波の 音たちて 旅ねの床に 夢も結ばず”

 とあります。波の音が高くて眠られずと言う事ですが、事実は、十九歳の首途です。自らの高ぶりを抑えきれずに眠られなかったのではないかと思います。
 「・・・まだ知らぬ道の山かさなり、川かさなりて、雲をしのぎ・・・」、やっと江戸を出てここまで来たのだという感慨も、きっと、あったのではと思われます。眠れないのが当然です。

 でも考えて見ると、大名の行列は、一日目に小田原までが当たり前の時代です。大名の権威をも誇示しながら旅です、随分とゆっくりとした旅になったようです。費用の面から考えても大変なことであったのではないかと思われます。裏方の苦労が身にしみます。岡山までは何日ぐらいかかるやら、前途は遥か遠い初旅です。余談ですが、当然と言えば当然ですが、綱政侯にはお金の心配など此の歌紀行には一切記されていませんし、また、そんなことを心配するような身分でもありませんでした。