私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

写楽の絵に変化が現われました。

2011-05-19 09:44:31 | Weblog

 写楽に、また、戻ります。

 その最初は、下図のような大写しの歌舞伎役者を一人描くのが主体でありました。

                       

 それが、暫くすると、右の図のような男役と女役二人の役者の全身を入れた、写楽の錦絵が出廻ります。このように何故、突然に、江漢描く写楽の絵にその画風の変化が見られるようになったのでしょうか。誰も、それについては説明している人はいないように思われるのですが、私は、敢て、それに挑戦して、大胆な仮説を出します。

 それは、ある時、写楽の江漢が、仙台侯のの御屋敷に上がって絵を描いた事があったのだそうです。仙台侯の奥方は公家の久我家かお輿入れでありました。その為、直接、顔は人に見せるのもではないという平安の昔からの古い風習に従って、江漢の描いている絵を、簾屏風の内側からご覧になられていたのだそうです。それに対して、仙台侯は江漢の傍で見学されています。紙を取り出して江漢は「何をお描きましょうか」と尋ねたのだそうです。すると、仙台侯は、背後の簾屏風の中に居られた奥様を慮ってか「美人を認めよ」と仰せられます。早速、江漢は筆を取って和美人の立てる姿を描いたのだそうです。すろと、仙台侯は、続いて更に江漢に、「是の対なる物を認むべし」と仰せられたのだそうです。そこで江漢は、筆を取って、「同じく和男子を図す」。
 そのようにして出来上がった絵を仙台侯は以って、簾屏風の中に居られる夫人の側へ持って行って見せられたのだそうです。すると、夫人やその傍にいたお付きの女官たちから、「まあ、何って素晴らしい絵だ事」と、突然に拍手喝采が起り、この絵にいたく感激されたと、江漢は描いています。
 (春波楼筆記より)

 此の仙台侯の屋敷で描いた経験から、江漢は、きっと、役者一人の顔の大写しもいいのかもしれないが、男女対の絵姿を描くと、より一層人気が出るのではと考えたのではないでしょうか。それから、江漢が画く写楽の錦絵も男役女役2人を対とした絵になったのではないかと、私は推量しています。

 「おめえー、ええがげんにしとかにゃあ おえりゃあへんど。・・・・そげえな こたあ-ありゃせん。ええかげんなこたあ、ゆうたらおえんど」

 と、云うと思う筆敬氏の顔が浮かんできます。でも、この説、なかなかのインパクトがあるんじゃないかと、只今自画自賛の真っ最中です。