昨日、枕草子にある五月五日に付いて書いたのですが、又また例の筆敬さんからメールが届きまいた。彼曰くです。
「おめえは よう知っとると おもよんじゃろうが、どねえなもんじゃろうかな。清少納言の事を けえてえて あの紫式部の事を かかんちゅうては ねえじゃろうが。やっぱし かかにゃあ おえんのんじゃあねんかのお」
と、有難い忠告です。
でも、私は紫式部がこの五月五日の行事に付いて書いているという事は知りませんでした。「紫式部日記」にでもあるのかと思って調べてたのですが、載ってはいません。すると、あの「源氏」の中にでもあるのかなと思い、早速、開いてみます。するとどうでしょう。ちゃんと載っていました。「蛍の巻」にみえました。
知っておれば書いたのにと思いましたがもう遅いのです。それこそ「六日のあやめ」にはなりますが、今日、五月六日ですが、筆敬氏が、折角、送ってくださったメールです。敬意を表して、源氏物語の中にある「五月五日」と、関係のありそうな部分だけでもと思い書いてみます。お笑いください。
・「五日には、うまばのおとどに出で給ひけるついでに、わたり給へり。『いかにぞや。宮は夜やふかし給ひし・・・・」
・「つねの色もかへぬあやめも、けふはめづらかに、をかしうおぼゆるかをりなども、思うことなくは、をかしかりぬべき御有様ななと、姫君はおぼす・・・」
・「 けふさへや ひく人もなき みがくれに
おふるあやめの ねのみながれん
ためしにも出でつべきねに 、むすびつけ給へれば・・・・・・・ 」
・「 あらはれて いとどあさくも みゆるかな
あやめもわかず ながれけるねの 」
・「くす玉など、えならぬさまにて、所所よりおほかり。
このような五月五日と関わりがある文章が幾度どなく出て来ますので、筆敬氏が言われるように、紫式部も、この端午の節句を相当意識して、此の「蛍の巻」を書きあげたのではないでしょうか。
なお、又、筆敬氏を煩わせてはと思い、ついでの事にもう少々付け加えておきます。と云うのは、「うまば」についてですが、兼好法師の「徒然草」にも記されています。第四一段にです。
「五月五日、賀茂のくらべ馬を見侍りしに・・・」
と。
ここにある「くらべ馬」と云うのは、当時、京都の上賀茂神社の馬場で行われていた、五月五日の競馬の事だそうです。紫式部は、此の兼好法師が書いている行事を物語の中に入れたのです。
また、「くす玉」と云うのは家の柱などにつるす厄病除け飾り物で、やはり五月五日の行事だったのです。長い「菖蒲の根」を手紙に入れた恋文が送られてくるのも、これもまた五月五日の事だったのです。(枕草子より)