私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

端午の節句

2011-05-05 10:02:04 | Weblog

 五月五日、朝から、どんよりとした薄曇りの空の「こどもの日」です。昨日の清少納言の続きではないのですが、なぜかはしらねど、その<第七段>には、五月五日は「曇りくらしたる(もおかし)」と書いています。一日中、曇っているのがよいとは、一体、どう云う算段なのでしょうか。物の本には、「菖蒲の香が早く失せてしまわないようために曇がよい」と説明がしてありますが、そうでしょうかね。五月晴れの清々しい晴れの日が、空を泳ぐ五月幟などを思い浮かべてみても、よりこの日には似つかわしいように、私には思えるのですが????

 さて、その曇りがよいという清少納言の理由を探求すべく「枕草子」に書かれてある、この端午の節句に付いてもう少し読んでみました。(枕草子第三六段)

 『節は、五月にしく月はなし。
 菖蒲・蓬などの薫りあひたる、いみじうおかし。九重の御殿の上をはじめて、いひ知らぬ民の住家まで、「いかでわがもとにしげく葺かむ」と、葺きわたした、なほいとめずらし。いつかは、ことわりに、さはしたりし』

 ここに書かれている様に「いかでわがもとにしげく葺かむ」です。どうにかして沢山の菖蒲を自分の家の屋根や廂に葺こうと誰しもが思うほど、一杯の菖蒲が街中にあふれていたらしいのです。それがこの日の売り物にもなっていたのです。どの家でも競争するように葺いていたのです。貴族だけでなく一般の民家でもです。それが大層見事だと清少納言も言っているのです。この菖蒲の葉が何時までも生々しくて、香りもいつまでも消えず街中に匂い立つには、やはり、晴れより曇り空がよかったのでしょうね。それとともに、菖蒲は水辺植物です。晴れより雨又は曇りの空の気色の方が、何処となく似つかわしいように平安人の間に思われたのではないでしょうか。解説書の意味が、この文を通して分りました。

 次の文に
 「空の気色、曇りわたりたるに、中宮などには・・・・」
 とあり、何処までも、この端午の節句には、やはり曇り空が似合うのでしょうかね。

 この三六段、まだ後が続きますが、あまりにも長いので、このへんで。

 なお、私も、今朝、この文を書いてから、早速に、菖蒲畑に行き、お隣の坊やと私も孫のために「蓬と菖蒲の葉」と採ってきて、それをわらしべで結わえ、一つを屋根に、もう一つは床の間にの活けておきました。それを使って夜は菖蒲湯にでもと考えています。しかし、祝ってやろうと思っている孫どもは、今、大阪方面に旅行しているとかで留守にしております。まっこと、我ながら、親バカならぬ爺バカです。