私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

写楽は江漢だ? ①

2011-05-10 10:50:49 | Weblog

 こんな放送が昨夜ありました。トルコかどこかで新しく発見された写楽の肉筆画から作者は誰かという永遠の謎にNHKが挑戦した番組でした。科学の粋を利用した調査で、何か歌舞伎俳優の人の作だと決まったような内容の放送でした。では、それで一件落着かとも思えましたが、そうは簡単には扉がしまるわけではなさそうです。
 なぜかというと、絵描きとしての素養も何もない、それこそ、ちょっと絵ごころがあるだけの、ど素人の歌舞伎役者に、あのように人の心に何かを強く訴えるような構図や色使いや、更に、その新鮮さの伺えるような筆さばきが出来るのでしょうか。動きのある指先から頭まで、到底、不可能な事だと思います。ある程度の絵画に対するその素養がなければ描けない事ではないでしょうか。歌舞伎役者は小さいときから歌舞伎の練習で、絵など勉強する暇はなかった筈です。そんな素人に浮世絵などかけるわけがありません。

 そんなことを思うと、科学的な論拠も何もないのですが、私は何だか直感的に、今までの通りに、写楽は、やはり司馬江漢が一番ふさわしいのではにかと思うのです。

 「春波楼筆記」によると、江漢は
 「我が祖先に画を描きし者あるけりにや、吾伯父は、生まれながらにして画をよくする。その血脉の伝はりしにや・・・」と、書いています、狩野古信や宗紫石に学んでいます。
 
 そんなある時、当時、当世の女の風俗を描く事を妙としていた名高い浮世絵師「鈴木春信」が、突然に病死したのだそうです。そこで、江漢は、どうしてかわ知らないのですが、密かに、春信の贋作を書き出版します。それを、江戸の人々は江漢が書いた春信の浮世絵を、江漢が描いたものと誰も疑わずに買っていたのだそうです。でも、自分は春信ではないので心苦しくなって、わざわざ「鈴木春重」として、版を重ねたのだそうです。
 薄物の衣に裸体の透き通るような画が持てはやされたり、また、この頃、婦人髪に鬢さしが使われ始めますが、それを江漢が初めて、絵の中に取り入れた為に、それに触発されて、この簪が多くの婦人たちが使い始め、江戸での流行のさきがけとなったのだそうです。それがために、何か流行の先端を常に先取りする江漢だというイメージが膨らみ、何か若者の道徳観を缺いた無軌道ぶりの元凶にでもなっているような感じさへもたれるのではないかと思い、以後、一切描くのをやめたと筆を折っています。その期間はどれくらいあったのかは知りませんが、とにかく、描く、突然にやめます。

 「吾名此画の為に失はん事を懼れて、筆を投じて描かず」
 その絵が飛ぶように売れていたにもかかわらず、突然に、「筆を投じて描かず」です。自分の名の為には一切を擲つ事など朝飯前の事ではなかったかと思われます。
 だから10カ月ぐらい書いて評判もあまりよくなかったのでしょうか。中には酷評もあったのだと思えます。「そんなら、やめた」とばかりに、あっさり筆を投じたのではないでしょうか。そんなことが出来るのは江漢しかできないのではと思われます。なにせ、当代、第一の奇人変人だったのですから
。 
 これが江漢が写楽ではないかと思える理由の一つです。