私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

春波楼筆記も長くなりました。

2011-05-02 08:26:04 | Weblog

 司馬江漢と云う人は江戸期の最初に油絵を描いた画家だというくらいのに意識でしたが、西遊旅譚などその旅行記や春波楼筆記など彼の書物を見ると、その人物の博学ぶりが分かります。東洋を始め当時の文明の先端を行くヨーロッパの事についても随分精通していたようでした。

 その江漢について、これ又、例の通り、暫らく書き続けてまいりましたが、あまりにも長くなりましたので、この春波楼筆記に書かれている最初と最後の文章を取り上げて終わりにしたいと思います。
 まずは、書き出しの一文からどうぞ。

 〇治久しく続きぬれば、美を好み奢に長ずる者なり。奢とはいつ奢るともなく、目にも見えず年のよる如く、いつ老ゆるとも知らず、いつ奢るともしらざる者なり。

 どうお読みになりましたか?

 治、そうです。太平の世の中が長く続けば続くほど、人々はその太平に現を抜かし、つい生活そのものが華美豪奢なものに陥り。知らず知らずのうちに、そなん生活が当たり前になり、自分達が行っている行動そのものが豪奢だとさへ気が付かず、あたかも年を取るのにも気が付かないと同様に、しらないうちに平気でその華美豪車が身に染みてしまっうと、江漢は嘆いているのです。
 それは、あたかも平成の今を指示しているようでもあります。人の性だ。それが当たり前なのだと、日本人は誰しも、大人から子供に至るまで、みんな思っていたのです。より快適な生活が当り前であって、それを阻害するものは総て悪であり。人間様のお通本当に忘れた頃にやってきました。余りにも大きな犠牲の上にこ、人の奢りに気付かされたのです。
 それを見事に江漢は、文化年間に早くも警告していたのです。江漢の持っている先見性というか、「歴史は繰り返す」という事を実証しただけなのです。

 石原さんは言いました。

 「パチンコや自動販売機があんなにいるか」

 と。これも江漢の言う人の「奢り」だと思います。それが奢りと云う事も知らないで。便利なんだから「いいは、いいは」と、総ての国民が踊っていたのです。だれかに踊らされていたわけではないと思いますが。

 このような世の中に暮らすのは
 「誠にたわいない事なり」
 と、書いております。