私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

夏目長右衛門について

2010-11-13 21:53:05 | Weblog

 三方ヶ原の戦いで、徳川家康は危うく命を落とす所でした。それを救ったのが夏目長右衛門です。此の夏目氏に付いて、常山は、この「紀談」の後に著した「武將将記」の中でも取り上げています。

 「この戦いの時、家康が甲斐の兵達の追い来る中でに向って戦いに挑もうとしたのです。お側にいた夏目氏が『大将の身の捨てると事にあらず』と諌めたのですが、家康はそれを聞かず、なおも敵に向って馬を走らせようとしたのです。そこで、夏目氏は仕方なく、家康の馬のくつわを取って、味方が大勢いる方に向け、槍の柄で馬の尻の所を叩きます。しかし、その槍の柄が誤って家康の兜に当ったのです。それに驚いた馬が乗り手の意志などかまわずに、頭が向いた方角、即ち、徳川方の方をめがけてまっしぐらん駆けて行ったのです」
 と、書いてあります。

 此の時、夏目長右衛門は、主君を救おうとしてですが、誤って槍の柄が馬の三頭に当らず、主君の兜を打ちます。わざとではないにしても、この己の非礼に対して、その罪の深さを悟り、その罪を償うためにも、ここは自分が追い来る敵を、その場に食い止めることそが、自分が犯したお過ちを償う一番の方法であると考え、それこそが、己の一番の忠義であると考え、そのために自らの命を捨てて寄せ来る敵方に対して獅子奮迅の戦いを挑み、討ち死にします。その為に家康が九死に一生きを得たのだと言います。

 そんなことを、常山はこの「武将記」に書いていますが、戦いの最中に、そんな夏目氏が考えて戦ったのがなど、死んでしまった者です、分かろうはずがないと思うのですが、まことしやかに伝わっているのです。死んだ者の考えなど分かるものですかね。ここら辺りが、常山のどうも胡散臭さに通じるところがあるように思われます。

 此の話、結局、後から家康を取り巻く智恵者どもが、徳川の武将たちの義を重んずる心を宣伝するために、でっち上げた「作り話し」のような感じがします。その話に、光政が旨い具合に乗っただけの、おもしろげのない話ではないかと思います。
 どうしてこんな話を此の紀談に載せたのかも分かりかねるところなのです。それにしても、歴史とは、とても面白いものだとおもわれませんか。