私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

テレビを消して

2007-10-20 12:32:47 | Weblog
 最近のニュースを見ておりますと、本当に常識では判断しかねるような事が、あちらでもこちらでも、「よくもこれだけ続くものだ」と、感心するぐらい大同小異の事件が、起きては消え、消えては起きています。
 「赤福」もそうです。
 「自分さえよければ人様のことなどどうでもいい」
 「判らなければ何をしてもいい」
 「嘘も方便だ。隠せ隠せ、隠しまくれ」
 などと、でも言いたげに、したい放題のことを、日本全国共通の認識(知恵といったほうがいいのかも)であるかのように、今の日本では、皆で、上も下も、しまくっているように感じられます。利己主義のオンパレードですな。
 この原因は一体何処から起ったことなのでしょうか。かって、「大宅壮一」という評論家が言ったとかで物議をかもしたとされる、
 『テレビによる1憶総白痴化』
 が現実に起ったのだ、と言い切っている人もおられます。
 あまりにも短絡的なものの考え方は、このテレビの影響が最も大きいのではとも考えられますが。
 要するに、深くものを考えないで、「テレビでこんな事を見た。そうだ。それを自分も真似てやってみよう」と、いう、善悪の判断以前の単純な思考しか日本人が出来なくなったてしまったからではないでしょうか。
 「本を読まなくなったのが原因だ」と、私は思います。
 そのあたりについて、高尚先生も、人間として最も大切なこととして、「ものまなび」を上げております。その中で先生は、
 『ものまなびをするということは、神代のみふみをよく読むことだ。そうすると、人の生き方などを深く考える事が出来る。今までにあったことなどが色々と心に深く残り、自分はどう生きるべきかを考えて、自分の生きる道が分ってくる。善悪の判断も確実に掴み取る事が出来る。
 文を読まなければ、人としての道がわからなくなってしまう。』
 文中で
 「神代のみふみをよくよめば、よしあしの見えわかれて、あきらかにしらるることにてあれ」
 「孔子のをしへのふみをもよむなんこまやかにこころえられていとよき。論語によりてまなぶべし」
 と、お書きになっておられます。

 私事(ひとりごと);
 「切れる」と言う言葉が教育界にも蔓延しているらしいのですが、こんな言葉は、かっては泉鏡花しか使わなかったのですが、今頃では当たり前の日常会話として家庭でもしばしな聞こえるようです。
 その言葉を聴くのと比例して、自分を押えることが出来ない人も随分と増えているようです。
 裕福であると、いうことは人間として一番の幸福な事かも知りませんが、裕福すぎて、我慢が出来ず、直ぐ切れる人が増えてくるのもまた問題です。
 そんな問題を解決するためにも、テレビを消して、家庭で本を読む時間をもっと増やす必要があるのではないでしょうか?