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乳離れした幼子のように

2021-11-14 17:04:07 | メッセージ

礼拝宣教 詩編131編1~3節 

 

この「主の日」、七日の旅路を守られ、導かれてこの「主の家」に帰って来て共に礼拝を捧げることのできます恵みを感謝します。

聖書は世界中の多くの国において翻訳されて世界のベストセラーとなっていますが。どの国の言葉もそうですが、一つの単語、日本では漢字には幾つかの意味があります。文化も時代背景も異なりますので、当然翻訳する人はそれを考慮するわけです。執筆者の意図を正しく受け取るためにこうして聖書も訳を比較して読むのです。すると、パッと読んで分かったつもりだったのが、実はまったく違っていたとか、あぁ~本当はそうだったのかと、気づかされることもあります。又、聖書は一人で黙想しつつ読むことはもちろん大事ですが、祈祷会の時にしていますように、共に聖書を読み合うことによって、自分の読み方だけでなく、互いが受けた聖書の言葉を分かち合いによって御言葉のもつゆたかさやその恵みに気づかされています。

 

先ほど新共同訳聖書の詩編131編が読まれましたが、この詩編を読み解いていくうえで2018年に出された新共同訳聖書訳も週報表面に載せました。

「1.都に上る歌。ダビデの詩。主よ、私の心は驕っていません。私の目は高ぶっていません。私の及ばない大いなること/奇しき業に関わることはしません。2.私は魂をなだめ、静めました/母親の傍らにいる乳離れした幼子のように。私の魂は母の傍らの乳離れした幼子のようです。イスラエルよ、主を待ち望め。今より、とこしえに。」

その題はどちらも「都に上る歌。ダビデの詩」となっています。

都とはエルサレムを指しますが。そこは、イスラエルの民が神の民とされた時に受けた、十戒の板などが納められた「神の箱」が運び入れられ、祭儀が行われていました。

ダビデの息子であるソロモンが王となってからは見事な神殿が建てられ、多くの巡礼者が都詣でのために、このエルサレムへとのぼって来て都は栄えたのです。しかしその繁栄もやがて偶像崇拝へと向かい、神から心は離れたところからイスラエルの国はソロモン王の死後、北と南に分裂してしまいます。この後も2つの国の王と民とは神に背き、預言者の警告にも逆らい続けた結果、まず北王国がアッシリアによって滅ぼされ、その後南王国もバビロニアに支配され、ソロモン王が建てたエルサレムの神殿は崩壊します。そうして技能や技術のある多くの人たちがバビロニアに捕囚として連れていかれてしまいます。                       

けれども約半世紀の後に、神の御業としか言いようのないかたちで、ペルシャ帝国がバビロニアを支配し、捕囚とされていたユダの人たちは奇跡的に自由の身となり、エルサレムに帰還することができるのです。

そうして、ネヘミヤやエズラなどの神に立てられた執事や高官ら指導者の働きを通して、ユダの地に帰還した人たち、又ユダの地の残っていた人たちは主を礼拝するために心を一つして、荒廃したエルサレの神殿を再建していくのです。それはまさに、神の奇しき恵みによる信仰の復興を証しするものでした。

捕囚の期間は半世紀余にもわたるものでしたが、バビロニアに捕囚とされた人たち、さらにユダの地に残された人々はそれぞれの地にあって、如何に自分たちが主なる神から離れ反逆するような者であったかを深く顧み、悔い改めたのです。又、そのような自分たちを決して見捨てず、守り、導いてくださる主こそ讃美すべきお方という証しが立てられ語り伝えられる中で、詩編が編纂されていったのです。131編の「都に上る歌」も、そういったイスラエルの民の歴史と心情を重ねながら読みますと、この詩人の一つひとつの言葉がより深く響いてまいります。

 

1節「主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。大き過ぎることを/わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。」

驕り、高ぶるとは、思い上がるということです。それは、自分は人より優れた者、人より重要で人より価値ある者と慢心し、人を見下すこと。又、自分を何ものでもあるかのように尊大に、偉そうに振る舞う態度を表します。

これは、対人関係の中で起こることですが。詩人は「驕り」「高ぶり」の大元が、神の前に思い上がることにあると気づくのです。あの神に油注がれ、王にまで登り詰めたダビデが、いつの間にか驕り高ぶり、神への畏れを忘れ、欲望を満たすために部下を死に追いやった罪のおぞましさ。その後の深いダビデの悔い改めを下地にこの詩は紡がれたのではないでしょうか。

ユダの人たちも同じように、神の義(ただ)しさ、その裁きとともに神の深いいつくしみの御業を思い知らされて、如何に自分たちは神の前に思い上がって自らの滅びを招くことになったか。その主である神への悔い改めと、もう過ちを繰り返すことはいたしませんとの堅い決意をして、詩人は「神の御前に礼拝する者の姿」をこの詩に託し謳っているのです。

 

さらに、詩人は2節で「わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします」と謳います。

この「魂」はヘブライ語で元来は人の「のど」を表す言葉だそうです。ちょうどハートという言葉が心臓と心を表すような感じですが。この「のど」が傷つきますと命に係わるのでそれが魂と結びついたのかも知れません。一方、ヘブライ語で「のど」と言えば、それは「貪欲」を表すものであるということです。「のどから手が出るほど欲しい」といった言い方を私たちもよくしますが。ヘブライ語と共通だというのは興味深いことですね。

 

さておき、ここで詩人が「わたしは魂を沈黙させます」、正確には「沈黙させました」と完了形で謳っていますのは、先の1節の「心のおごり」「高ぶり」、そこから生じる自身の貪欲を「私はなだめ、静めました」、つまり、「貪欲」の思いを静かに制御したと言っているのです。

それを詩人は「幼子」に譬えて詩にします。

新共同改定訳の方が良い訳なので、そちらをお読みしますと。「母親の傍らにいる乳離れした幼子のように。私の魂は母の傍らの乳離れした幼子のようです。」

なぜ良い訳かと申しますと、新共同訳で「幼子」と訳されているのを、改訂版の訳が原語に沿って「乳離れした幼子」ときちんと訳しているからです。単に幼子であるなら、それは生まれたばかりの乳飲み子か、乳離れした幼児かわかりません。ここで詩人が乳離れした幼子と敢えて言っているのには、乳飲み子と乳離れした子の違いがあるからです。

乳飲み子は母親の強い愛情によって抱きかかえられて、貪欲といえば言い過ぎかもしれませんが、がむしゃらに母親のお乳を飲んで腹を満たすわけです。けれども乳離れした幼子は乳飲み子とは違います。まあここでいう乳離れした幼子は3歳ぐらいなんでしょうか。一般的にそれは、お母さんの愛の養いをいっぱい受けて成長し、形のある食べ物を自分で食べることができるようになった頃だと言われています。親への甘えはありますが、幼いながらも素直に親の思いを汲み取っていくことができるようになった時期といえるかしれません。詩人はまさに主なる神さまのいっぱいの愛とゆたかな養いを経験した者として、母の傍らにいる乳離れた幼子のように、魂をなだめ、静めました。もはや貪欲なまでに欲し満たそうとする心の驕りと高ぶりを静めて、「私の魂は母の傍らの乳離れた幼子のようです」と謳います。

私の魂はどうだろうか、と問いかけられているように思います。

自分の力を過信し、真の主なる神に養われる幸いを知らないまま驕り高ぶり生きるなら、虚しい人生で終わるかもしれません。しかしその主の愛と養いを知り、悔い改めと感謝をもって応えてゆくなら、それは「乳離れした幼子のような」、主の御前にゆたかな人生となるのです。

この詩編131編は「都に上る歌」と冒頭に見出しがけられています。それは神殿に詣でる「巡礼」の歌であるということです。それは又、私たちが主日礼拝に向かうための歌である、と読んでよいでしょう。

私たちも「救い主なる神」を礼拝するために、喜びと感謝、主への期待をもってこのところに集まっていりました。コロナ下でなかなか出かけることの困難さや妨げもある中、遠い方は1時間以上かけてこの礼拝に足を運んで来られました。先日も申しましたが、90歳超え足腰の弱さがございましても、礼拝に向かわずにいられないその思いは、年を重ねてもなお日毎に新たにされるのですね。

 

詩人は締めくくりとして3節で、こう謳います。

「イスラエルよ、主を待ち望め。今も、そしてとこしえに。」

私たちも又、唯主のいつくしみによる愛とゆるし、その信仰よって「義」とされ、神の国に与る者とされています。その祝福を妨げるものはほかならぬ自分自身の内に働く心の驕り、高ぶりにあるのではないでしょうか。日々、救いの神の御前に、乳離れした幼子のように、どのような時も主に信頼し、主を待ち望んで、信仰の旅路を巡礼者のように歩み続けてまいりましょう。

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