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主の食卓を囲み

2018-05-06 13:43:26 | メッセージ

礼拝宣教 コリント11:1-34節


ゴールデンウイーク5月3日憲法記念日、扇町公園で行なわれた平和集会に参加しました。多くの様々な団体や個人がそれぞれの思想信条をもって集っていましたが。共通するのは「平和と人権」への願いと、そのためにも日本国憲法を大切に守っていきたいという意志です。日本国憲法には平和という文言がたくさん明記されていますが。当初の米国GHQの憲法草案の原文には「平和」という文字は一言も記載されていなかったそうで、その後その草案に「平和」の文言を加えたのは日本の憲法草案を作成した人たちであったということを、私はこの頃知り、たいへん驚き感動しました。戦争によって流された内外の犠牲者の方々の血によって書き上げられたとも表現されますが。まがりなりにも日本が平和を維持していくことができたのは日本国憲法が大きな役割を果たしてきたことは違いありません。

 

さて、本日は先ほど読まれました「主の晩餐について」の記事から御言葉を聞いていきたいと思います。

今から32年くらい前でしたが、私が大阪の神学校で学ぶことになり、前教会の牧師のお勧めもあって、この大阪教会に客員として出席することになりました。そうして初めて主の晩餐が執り行われた時のことでありましたが。

主の晩餐が行われるに際し、大阪教会員はみな起立して主の晩餐に与るのですが、それ以外の人は、たとえクリスチャンであってもみな座ったまま主の晩餐に与ることができなかったのです。私は大変衝撃を受け、「私は主を信じているのにどうして」という戸惑いと疎外感にかられて、しばらく悩みました。

それで当時の大阪教会牧師にこの主の晩餐の持ち方について、私の正直な思いを打ちあけました。

すると牧師は「排除や差別ではない、戦前のキリスト教会が国家の戦争にくみしていった過ちは、教会という信仰共同体の一致がそこに欠落していた。その過ちを繰り返さないために、教会の共同体形成をしていくうえで、教会員のみという仕方にこだわっている。しかしその在り方も絶対的なものではない」というようなことを私に話してくださったことを記憶しています。

まあ、この牧師のお話をお聞きして、ああそういう背景や考え方もあるのかと、良いも悪いも学びが得られるのではないかと大阪教会に飛び込んで主の交わり加えていただく決心をしたのです。

それから年月が流れた2005年春、私が再び大阪教会に戻って来た時には、大阪教会のその主の晩餐の持ち方も大きく変わっていました。

大阪教会以外のクリスチャンにも開かれるようになっていたのです。

現在の主の晩餐に際しては、主イエスが十字架で裂かれた体と流された血とが神に立ち返って生きることを願うすべての人に与えられた、ゆるしの恵みであり、それを信仰をもって受け取るすべての人に開かれたものとして、ここに集われる方の信仰と自由な意志を尊重することとしております。

聖書で主イエスが「わたしの記念としてこのように行いなさい」(24節)と、もとは命令形で強く命じておられる主の晩餐式は、神の側からの一方的な恵みであり、クローズにせよ、オープンにせよ、そのようにそれぞれの教会がその時代、そこに集う人たちとともに、神の導きの中で選び取っていくものだと思います。

 

さて、水曜祈祷会に出席された方々と今日の箇所を共に読む中、いろんな感想があがりました。

特に多かったのは27-28節にかけての「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです」と記されている点でありました。

その「ふさわしくないまま」というのは、どういうことを言っているのかということですね。ある方は、信じて間もない頃、主の晩餐に与るのに、自分の普段の生活や歩みを振ると、とても主の晩餐に与る資格などないんじゃないか、と考えて与らないということが何度かあったということですね。

又、ある方はこのようなお話をしてくださいました。

以前通っていた教会で、子どもと一緒に主の晩餐に出席したお母さんが、洗礼を受けていない子どもにパンとブドウジュースを与えたということが大きな問題になり、そのお母さんは非常に辛い思いをなさった、ということでした。それでお母さんの思いいを聞いたこの方は、後に行かれることになった教会の牧師にこの事に関して意見を求めると、その牧師は「イエスさまであったらどうなさったでしょうかね」とおっしゃったそうです。すばらしい回答だと思います。

 

ここで「ふさわしくないままで」と、新共同訳聖書、又口語訳聖書、新改訳聖書も訳していますが。原語に忠実に訳すならば、これは、ふさわしくない「仕方で」という訳が的確だということです。

「ふさわしくないままで」というと、それはそれぞれの資格、何らかの資格が問われる気がしますから、その資格に自分をあてはめようとしたり、自分や人を裁いて与っていいのか云々となります。

しかし、「ふさわしくない仕方で」ということですと、何も資格云々という話ではなく、その後の29節にあるとおり「主の体のことをわきまえずに飲み食いしている」ということが問題だということを言っていることがわかります。

具体的にコリントの信徒の間で持たれた家の教会での主の晩餐は、21節以降に「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末」であったり、又22節の「神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせる」ようなものとして、裕福な人たちの宴会のようになっていた状況をパウロは厳しく問うているのです。

 

初代の教会においては、先に招詞で使徒言行録2章44節以降が読まれましたが。

もう一度その一部をお読みしますと、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をした」のです。

主によって救われ、神との和解と救いに与る人たちが喜びと真心からあらゆる立場や違いを超えて一緒に「主の食卓を囲んで」晩餐を分かち合っていたのです。

 

ところが、コリントの信徒たちの家の教会においてその状態が次第に変質していったようであります。

福音を信じその喜びを分かち合うべく主の食卓を囲んで一緒に晩餐を持っていたのが、次第に身分の違いや貧富の差、あるいはいろんな分派や確執からか、談笑しながら腹を満たし酔いつぶれている者がいる一方で、労働を終え駆けつけた人たちや奴隷の立場にあった人たちは空腹のまま忘れ去られたようにたたずむ。そんな状況になっていったのであります。

パウロは33節にあるように、「食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい」と、主の晩餐に与るにふさわしくないあり方をいさめているのです。

 

「自らの身にさばきを招く」と言われるのも、食べ過ぎ飲み過ぎもあったかもしれませんが、何よりそういう状況の中で主イエスの血の贖いによる信仰そのものが希薄なものになって、自らに災いを招いていったということだと思います。

主が言われた「これはあなたがたのためのわたしの体である」「この杯はわたしの血によって立てられる新しい契約である」。私たちはこの神の子、イエス・キリストが私たち一人ひとりのために、又すべての人のために十字架で血を流し、み体を裂いて下さった、その尊い犠牲の愛によって救われていることを共に感謝し味わう。そのための主の晩餐であります。

 

最初に日本国憲法が多くの犠牲の血によって平和の礎として具現化したという話をしましたが。その血の犠牲が記念として覚えられず、忘れ去られていく時、この平和憲法のもつ力が損なわれていくのではないか、と懸念する一人でありますが。

話をもとに戻しますけれども。主の流された血の尊さを思わずして、それに与ることは、それを軽んじることであります。同じくその救いに与った兄弟姉妹を蔑ろにすることは、主のみ体を軽んじることに等しいということでありましょう。

 

私たちはこの主の晩餐を礼拝の中で守るようにしています。

教会によっては礼拝後に教会員のみが集まって行っているところもありますが。

私たちの教会が礼拝の中で行うのは、それを主イエスの見えるかたちでの福音宣教

と位置づけているからです。

神の救いが見えるかたちで示され、すべての人がその御救いへと招かれていることを表します。主イエスが自分の罪のゆるしを得させて下さる救い主であることを信じ、受け入れていく決心なさった方はどなたでも主の晩餐に与ることが出来るという選択を大阪教会はしているわけです。

この後持たれる主の晩餐が、主の御救いと恵みに与る素晴らしい機会となりますよう祈ります。

 

私たちは主イエスの裂かれたみ体を象徴するパンを裂きそれを戴くことで、主が私の罪を十字架でご自身の裂かれた肉をもって贖いとって下さったことを確認いたします。しかもそれを共に分かち合い、味わいます。

ちなみに、私が福岡の神学生時代に出席していた教会では、パン屋でもあった教会員の方が朝焼きあげた酵母入りのふかふかの丸い大きなパンを、牧師がそれをアーメン、アーメンと唱えるたびに2分割4分割にして裂いて、礼拝席の方々に渡して、それをさらに裂いては次の人にという具合に裂いて渡していくのが、なんとも新鮮でしたが。

又、キリストの流された血潮を象徴するぶどう酒を戴くことによって、私の罪を贖って神との関係を回復・新しい契約を結んでくださったことを確認するのであります。

これももともとぶどう酒が注がれた「一つの杯」を回しながら飲むというものでした。一説では、お茶を頂く茶道の原型ともなったと言われていますが。現在でもこういうふうに主の晩餐(聖餐式)を行っている教派もあります。これも今は衛生面の問題などから予め杯に注がれたものが用意され、それぞれが取って戴くというのが大半のようです。

今もぶどう酒を使っている教会もありますが、私たちの教会はやはり諸般の事情を踏まえぶどうジュースにいたしました。ただそのジュースは混ざりもののない100パーセントぶどうジュースがこだわりをもって準備されています。

主にある兄弟姉妹と共に、「キリストのいのちに与っている」ことを記念とし思い起こす、味わうというその奥深さ。

形式はどうであれ、本質的なところで主の晩餐をとおして、救いの原点を確認し、ゆるしと和解の恵みの中で、全世界の、すべての主の兄弟姉妹と主にあって一つとされていることを実感する恵み。それは唯主の霊、聖霊によってなされる業であります。

 

今日は「主の食卓を囲み」と題し、御言葉に聞いていきました。

大阪教会はよく食べる機会が多いですね。第一主日礼拝の中で持たれる「主の晩餐」をはじめ、毎週礼拝後の愛さん昼食、祈祷会後の昼食、さらに月二回の夕べの礼拝の中での食事と主の晩餐、そしてこども食堂と、実に食べることづくしですけれども。

しかしそれは、単に肉の欲求を満たすだけのものではありません。主の食卓を囲んで誰もが主に招かれた尊い存在であることを確認し、互いに励まし合う場、愛餐なのです。そこで私たちは肉の糧を頂くとともに、霊の糧である主の愛を分かち合い、ともに元気にされていくのです。

神さまの慈しみを、又、天の国の幸いを実感できる。そのような主の食卓がこれからも祝されますよう祈ります。さらに主によって満たされた私たちが、それぞれの生活の場でその福音に与っている祝福を分かち合って生きるなら、それこそ主の御心であります。

今日も主の食卓に共に与り、ここから遣わされてまいりましょう。祈ります。

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