たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

東名事故誘発を考える <山口・下関でも進路妨害3件 東名事故前月に容疑者>などを読んで

2017-10-13 | 事故と安全対策 車・交通計画

171013 東名事故誘発を考える <山口・下関でも進路妨害3件 東名事故前月に容疑者>などを読んで

 

今日も、朝から成年後見、交通事故、遺産相続などの打合せ等で、いつの間にか業務終了時間になっています。6時に終わるのを日課としていますが、そんなことを言うと、私の依頼者の中にはサービス残業や長時間労働・休日もなしといった人もいますので、自慢できません。ただ、五木寛之著「玄冬の門」で言われているように、白秋・玄冬は気ままに生きることが大事かなと思ったりします。むしろそういった違法な残業をなくすように協力したいと思うのです。

 

帰る時間も過ぎているので、簡単にまとめたいと思いますが、本日の話題はここ数日取り上げられている悲惨な交通事故死です。

 

10日の記事では<東名夫婦死亡進路を塞いだ男逮捕 事故誘発の疑い>と一般の交通事故のような扱いで簡単な記事でした。11日の記事<交通事故 東名で6月、追突され夫婦死亡 進路塞ぎ誘発、容疑者逮捕>になると少し詳細になっています。

 

その記事によると<神奈川県大井町の東名高速道路で今年6月、ワゴン車が大型トラックに追突されて夫婦が死亡した事故があり、県警は10日、事故の直前に進路を塞いでワゴン車を停止させ、事故を引き起こしたなどとして、福岡県中間市の建設作業員、石橋和歩容疑者(25)を自動車運転処罰法違反(過失致死傷)と暴行容疑で逮捕した。いずれの容疑も認めている。>とのこと。

 

逮捕容疑からいえる事故状況については<逮捕容疑は6月5日午後9時35分ごろ、片側3車線の東名高速下り線で、運転していた乗用車でワゴン車の進路を塞ぎ、中央分離帯脇の追い越し車線に無理やり停止させ、後続の大型トラックに追突させたとしている。事故直前には車を降り、萩山さんの胸ぐらをつかむなど暴行を加えたとしている。>です。

 

追い越し車線で無理矢理停止させた理由については<現場から約1・4キロ手前の中井パーキングエリア出口付近で、車を止めたことを注意され腹を立てた石橋容疑者が、接近や追い抜きなどの進路妨害を繰り返したという。>

 

そしてこの事故の結果、<ワゴン車には、静岡市清水区の自動車整備業、萩山嘉久さん(当時45歳)一家4人が乗っており、萩山さんと妻友香さん(同39歳)の2人が死亡。高校1年の長女と小学6年の次女が軽傷を負った。石橋容疑者は軽傷、石橋容疑者の車に同乗の女性は重傷。>

 

この事故は6月に発生したのにもかかわらず、4ヶ月近くもかかって逮捕に至ったかは、一つには<東名事故誘発「あおられ停車」とうそ 容疑者、任意聴取に>と弁解していたことも要因の一つでしょう。

 

それより何より、夫婦が死亡したのは、後から走行してきたトラックが夫婦の車に追突したことから、直接の加害はトラック運転者となりますね。

 

そこで高速道路の追い越し車線で停車させる行為についてどのような責任があるかという捜査側としても難しい判断を迫られたと思います。TV報道では、当時走行していた車両のドライブレコーダーなど様々な情報を得て、被疑者の停車させるまでの危険きわまる運転を裏付け、さらに追い越し車線で停車させた場合に、後続車が衝突を避けることができない危険を惹起させ、夫婦の死亡についてトラック運転者の行為を介在させつつも、停止させたこととの間に因果関係を認め、その結果も予見できたとして過失責任を認定したのでしょう。

 

捜査側としては大変な労作と言えるでしょう。その一つは<東名事故誘発 山口・下関でも進路妨害3件 東名事故前月に容疑者>といった、この種の危険きわまる運転をする人の前歴を収集できたことも有効でしょう。

 

そこに現れている前歴からは、疑者の運転がいかに無軌道かよく示されています。では本件は単なる過失運転ですまされてよいのかとなると、報道では危険運転致傷罪(子どもは負傷)に問われるべきだといった意見が多数寄せられているとも言われています。

 

私も基本的にその意見に賛同します。未必の故意として殺人罪に問われるべきだといった意見もあり得るかもしれませんが、報道で現れている状況からはそこまでを被疑者に問うのは無理ではないかと思います。

 

他方で、気になっているのは被疑者の車に同乗していた女性です。被疑者とともにパーキングエリアから被害車両を追いかけ、その走行に危険な近接する運転を繰り返し、最後には富めさせた上、被疑者とともに車から降りて、被害車両まで行き、被疑者が車のドアを開けさせて夫を無理矢理下車させようとしたとき、そのそばにいたのです。

 

今のところ、この女性の言動についての情報は一切取り上げられていませんが、私は仮に被疑者に危険運転致死傷罪の疑いが認められるのであれば、この女性(重傷を負ったようですが)も共犯としての責任が問われる可能性が十分あると思うのです。

 

で、今日の本題は、別に危険運転致死傷罪とか、共犯者を取り上げるのが目的ではありません。このような乱暴きわまる運転をする人について、認知症の運転者以上に、運転免許の停止ないしは取り消しといった行政処分を厳格に行う必要を感じていることが一つ。もう一つは、逆に、この被疑者、注意されれば腹が立ちこういった怒りを示す行為をすることが当然のような発言をしていたかと思います。それを問題にしたいと思っているのです。

 

彼はきっと過去の体験から、そのような意識が作られてきたのでしょう。場合によっては虐待されたり、あるいと注意されることにきわめて脆弱というか敏感になっているのかもしれません。これはもう少し彼自身のことを知らないとなんともいえませんが、なんらかの異常が彼の中にあるのではないかと思うのです。

 

昨夜たまたま一部垣間見ただけですが、<NHK キラーストレス 第2回ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~>で、扁桃腺が虐待などを受けると過敏になり、過剰に反応するといった、これはストレスの問題ですが、似たような状態に彼の場合陥っていないのか、医療的な対応も必要かもしれないと思っています。

 

こういった若者は彼一人だけでなく、いつの時代にも必ずいます。しかしそれを刑事罰などの制裁だけに頼るのでは、真の解決にはならないように思うのです。そういった意識や精神にならないような環境作りも大切でしょう。

 

中途半場になりましたが、ちょうど一時間経ちました。この辺で終わりとします。


光と影 <神鋼 不正慣れ体質>などを読みながら

2017-10-12 | 企業・事業・研究などの不正 適正な支援

171012 光と影 <神鋼 不正慣れ体質>などを読みながら

 

今回の衆議院選挙、視界がはっきりしているようで判然としない落ち着かない感じを受けます。

 

それは経済状態もそんな印象をぬぐえないことと関係するかもしれません。今朝の毎日は見出しの記事で神戸製鋼の次々とでてくる検査データの不正を的確に示しているように思えます。ところがウェブ記事ではこの見出しはさすがにきつい表現だったのか見当たりません。しかし、ここ数日だけでも神鋼の不正問題が次々にでてくる記事で驚きます。

 

とりあえず今日の一部の記事<神戸製鋼所データ改ざん 過去の教訓生かせず 規範定めたばかり>はいかに神鋼が検査不正を会社全体で行っていたような実態を示しています。

 

<神戸製鋼所の製品検査データの不正問題が拡大している。端緒となったアルミ、銅製品のデータ改ざんのほか、鉄粉製品の強度などのデータ改ざんや、光ディスクの材料の試験を行う子会社のデータ不正が相次ぎ浮上、11日の市場では経営への影響を懸念し株価が大幅下落。>

 

神鋼の取り扱う製品は多くの産業の米ともいうべき必須のものです。それが安全性確保の基本である検査データの不正を持続的に行ってきたことが曝露されたのですから、各メーカーはもとより消費者はなにを信頼したらいいのでしょう。

 

しかも神鋼は同種の不正を過去にも繰り返しています。

 

<2006年 加古川製鉄所(兵庫県加古川市)と神戸製鉄所(神戸市灘区)で、大気汚染防止法の基準値を超える窒素酸化物(NOx)と硫黄酸化物(SOx)を排出しながら、地元自治体に提出するデータを改ざん、隠蔽

  16年 グループ会社の神鋼鋼線ステンレス(大阪府泉佐野市)が、家電製品などのばねに使われるステンレス鋼線の試験値を改ざん、日本工業規格(JIS)を満たしているように偽装>

 

記事は<神戸製鋼はこれまでグループ内で法令違反などが発覚するたびに倫理綱領を定めたり、再発防止策を講じたりしてきたが、教訓は生かされなかった形だ。>

 

神鋼といっても、私の知識ではラグビーでの輝かしい活躍しか知りませんが、平尾を中心とする華麗でフェアなプレイはとても印象に残っています。その神鋼がこんなひどい不正を長く行ってきた、しかも社長はじめ経営者はまったく把握していないというのですから、これは大変な問題です。

 

そういえば日産の検査不正もつい最近まで話題を占めていました。<日産38車種116万台リコール 無資格検査問題で>安全性に問題ないと弁明していますが、たしかに検査データの改ざんといった競合メーカーと比べれば、ある種形式的なことと理解されてしまうかもしれません。

 

しかし、<社説日産で無資格検査が横行 消費者への重大な背信だ>が指摘するように、<国土交通省によると、資格のある検査員がやったと装うため、書類上では正式な立場の者の判子が押されていたという。さらに、有資格者の印影の異なる複数の判子が使用されていた形跡もあった。

 西川広人社長らの「現場の認識不足」という説明とは異なり、組織的な偽装工作の広がりをうかがわせるものだ。消費者の信頼を裏切る重大な背信行為とも言える。>

 

これは企業としてのコンプライアンスの欠如という意味では、無視できない積極的な偽装の疑いが強いのです。社説も<西川社長は記者会見で「検査そのものは確実にやっていた」と強調したうえで、「検査工程の意味が現場で十分に認識されていなかった」と釈明した。しかし、偽装工作の疑いは、不正な検査をしていることを現場が熟知したうえで、隠そうとした可能性を示している。>と問題視しています。

 

ところで、株式市況は<東証 21年ぶり高値>と高揚感が蔓延しているようにも見えます。ほんとうにそうでしょうか。上記の日本を代表する2社の例は氷山の一角に過ぎないのではないでしょうか。無理な競争で不当にコストダウンすることが企業体質として求めすぎ、そのことにより数字的には世界トップの売り上げを獲得したり、業績アップにつながるかもしれませんが、適正な生産工程、企業意思決定の適正手続きが担保されていないと、それは張り子の虎になりかねません。

 

私は別の記事に経済の本質を感じます。<企業業績、広く改善 「官製相場」冷めた声も>では前向きにとらえた内容もあります。

 

<2012年12月の第2次安倍政権発足後、日銀の大規模金融緩和などが導き寄せた円安を追い風に、日経平均株価は15年6月、00年ごろのIT(情報技術)バブル時を超える水準を記録した。今回は更に高値を更新し、一気に山一証券などが破綻した1997年の金融危機を迎える前の水準を回復。「足元で中国をはじめとする新興国経済の安定感が増している」(大和証券グループ本社の中田誠司社長)ことなどを根拠に、更なる株高に期待する向きもある。>

 

他方で、<今回の株高は巨大な公的マネーが支えている側面もある。日銀は16年7月に大規模金融緩和の一環として上場投資信託(ETF)の買い入れ額を年6兆円に倍増すると発表。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が株の運用比率を大幅に高めていることも、株価の押し上げにつながっている。市場では「日銀が支える官製相場で、実力を反映しているとは言えない」(債券アナリスト)と冷めた声も上がる。>

 

そしてなによりも、私はいまわずかに露呈された不正問題は、地下深くの地殻の中で、なにか問題が噴出しつつあるおそれさえ感じます。不正は染まると抜けがたく、また不正競争すら起こりえるわけで、社会全体がそうならないか、モリカケ問題の蔭には隠れた不正の温床が広がっていることを心配します。

 

今日はこの辺でおしまい。

 


灌漑施設の現代的意義 <小田井用水路 世界かんがい遺産 県内初・・>などを読んで

2017-10-12 | 大畑才蔵

171012 灌漑施設の現代的意義 <小田井用水路 世界かんがい遺産 県内初・・>などを読んで

 

昨日、<大畑才蔵ネットワーク和歌山>のメールで、世界かんがい施設遺産に登録されたとの一報が舞い込んできました。以前から登録が確実されていたのですが、安堵した気分です。

 

今朝の毎日和歌山版で見出しのように大きく取り上げられていました。残念ながら和歌山版なので、ウェブ情報にはまだ掲載されていません。

 

8月の記事ですが、概要がわかるので<小田井用水路世界かんがい施設遺産に 江戸時代に整備、紀の川右岸の農地潤す 10月認定見通し /和歌山>をご覧ください。

 

むろんネットワークの記事も参照ください。今月21日(土)、大畑才蔵が開設した、その小田井用水と藤崎井を辿る<歴史ウォーク>第2弾があり、その際、世界かんがい施設遺産登録の話も話題になるかと思います。

 

また農水省の昨日アップの<世界かんがい施設遺産>には次の通り記載されています。

 

<平成291010日(火曜日)にメキシコ、メキシコシティーで開催された第68回国際執行理事会において、下記の施設が世界かんがい施設遺産に登録されました。>

 

1.   土淵堰(どえんぜき)(青森県弘前市、つがる市、藤崎町、板柳町、鶴田町)(外部リンク)

2.   那須疏水(なすそすい)(栃木県那須塩原市)(外部リンク)

3.   松原用水・牟呂用水(まつばらようすい・むろようすい)(愛知県豊橋市、豊川市、新城市)(外部リンク)

4.   小田井用水路(おだいようすいろ)(和歌山県橋本市、かつらぎ町、紀の川市、岩出市)(外部リンク)

 

小田井も最後に掲載されています。一国で最大4カ所を申請できるのですが、わが国が瑞穂の国ですから、当然かもしれませんが、最も多い登録数ですね。

 

ところで<国際かんがい排水委員会(ICID)>のホームページを覗いたのですが、過去のものは掲載されていますが、今回の登録決定についてはアップされていないようです。ザッと見たので正確ではないですが。

 

世界かんがい施設遺産の背景や目的、クライテリアなどの概要は<Scheme for Recognition of Heritage Irrigation Structures (HIS)>で記載されていますので、詳しく知りたい方はどうぞ。ユネスコの世界遺産にならってといったところでしょうか。

 

その現代的な意義という公的な意味はその目的に掲げられているのが参考となるでしょう。

 

勝手な試訳ですが、参考に書いてみますと以下のとおりです。

    世界の文明化に占めるかんがい事業の歴史を辿り、その発展を理解すること 

    世界中の歴史的かんがい構造に関する情報を集約し、偉大な業績を理解し、長期的な事業に資する持続性をもつ特徴のある要素の知見を収集すること

    これらの構成から永続可能なかんがい事業に関してその哲学および知恵を学ぶこと

    歴史的価値のあるかんがい構造を保護し保存すること

 

この話題はこの程度にします。もしチャンスがあったら、今月21日にお会いしましょう。


至福の読書のあり方 <経済観測 今、図書館がおもしろい・・関幸子>を読みながら

2017-10-11 | 公共事業と多様な価値

171011 至福の読書のあり方 <経済観測 今、図書館がおもしろい・・関幸子>を読みながら

 

五木寛之著『玄冬の門』で、五木氏は人間の一生について、次のような古代インド(左)と、中国(右)の分け方を紹介しています。

学生期(がくしょうき) 青春(せいしゅん)

家住期(かじゅうき)  朱夏(しゅか)

林住期(りんじゅうき) 白秋(はくしゅう)

遊行期(ゆぎょうき)  玄冬(げんとう)

 

著作のタイトル「玄冬」は最後に当たるわけですね。ところが五木氏は「玄冬というのは、生まれたばかりの、まだ何もわかっていない幼い子どものことで、生命の芽生えがそこからうまれてくる」という説があるとのこと。でも五木氏は、「高齢期、老年期だと考えます。」というのです。この玄冬に関する2つのとらえ方に人間の一生の妙があるように思えるのです。それはもう少し後で触れます。

 

五木氏は、上記の4つの区分について、第1期は勉学時代、第2期は社会に出て仕事をして家庭を持ち社会的役割を果たす時代。いわばここまでを従来の定年までとするのでしょうか。そして特徴付けるのはそれ以後を2つに分けていること。「白秋」を「生存競争の世界から離れて・・・静かな境地に暮らす時期」というのです。ではこの後の「玄冬」はなにか。それが本書で披露され展開されるのです。

 

私自身とからめていえば、もう朱夏が過ぎ、白秋に入っているかなと思いつつ、朱夏に後戻りというか、朱夏が何割か、白秋が何割か、そして玄冬にも首を突っ込んでいるという感覚です。

 

ではその玄冬はどんな時代でしょうか。場合によっては認知症になりおむつをしているかもしれません。でもそれは玄冬自体が赤ん坊時代をも表しているのですから、恥ずかしがることもなく、自然なことだと、五木氏は言うのです。

 

実のところ五木氏はいま85歳ですが矍鑠としています。いろいろ核心的なことを書いていますが、そのいくつかを紹介します。まずは家庭内自立です。それは自立の獲得でしょうか。配偶者、子どもの世話にならず自分で自分のことをするというのです。ですから孤独は求めるもので、そこに初めて真の解放された自由が生まれるといっているように思うのです。

 

孤独は苦しみではないのです。たとえば読書です。これほど古今東西の豊かな知見と対話できる時間は心の豊穣さを培い満たすといっているように思えます。絵画や音楽などさまざまな芸術も直接美術館や音楽会にいくのでも、図書館で書跡やCDを借りても十分楽しめる(これは私の見方)と思うのです。

 

で、五木氏の『孤独死のすすめ』や、『玄冬の門』の話からすると、若干、牽強付会のきらいはないわけではありませんが、図書館の役割は大きいと思っています。

 

毎日朝刊の<経済観測今、図書館がおもしろい=ローカルファースト研究所代表取締役・関幸子>という小さな記事、興味深く読みました。

 

まず図書館の最近の変容をとりあげています。<日本には公共図書館が3261カ所あり、この10年でその姿は静から動へ、大きく変化してきた。きっかけを作ったのが佐賀県武雄市図書館だ。蔦屋書店を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)に指定管理者制度で企画・運営を任せ、カフェの併設、新刊本の販売、ビデオレンタル、Tポイントカードによる貸し出し等、民間企業のサービスを前面に押し出し、滞在時間と利用者数を倍増させた。>

 

さらにビジネスパースン向けの例もあります。<東京の千代田図書館は携帯電話、打ちあわせOKゾーンの整備、あえてビジネス関連図書を貸し出さず常に閲覧できる状態を作り出すなど、ビジネスマン重視の運営を行っている。>

 

他方で、中心市街地活性化の起爆剤として作られたものも<筆者が基本コンセプトを書いた富山市立図書館は、ガラス美術館との合築。中心市街地の集客施設と位置付け、公共交通で来場してもらい、帰りに商店街で買い物や飲食へと回遊性を高める仕掛けだ。また、雑誌500タイトルはすべて企業の寄付で賄うなど、官民連携体制を組み込んでいる。>

 

海外の例も紹介されています。<海外でも図書館の進化は著しく、台湾では24時間の無人自動貸し出し図書館、シアトル図書館ではジョブセンターが併設され、仕事に必要なパソコンスキル研修を行っている。>

 

最後に<日本では団塊世代が70歳を迎え、24時間地域で過ごす人口が増加し、図書館は読書や貸し出し機能だけでなく、本を通じた交流が育まれる居場所としての機能が大いに期待されている。例えば、毛糸の本を見ながら編み物教室が開かれてもいいし、子どもたちが宿題を広げるなど、にぎやかな図書館こそ望まれている。>

 

五木氏がおすすめの玄冬の門で描かれた生き方とは異なる意味合いとなっていますが、図書館機能のあり方という面では検討されてよいのではと思うのです。

 

ところで、私はたぶん図書館のヘビーユーザーの一人でしょう。当地和歌山に来る前に、書跡・資料を10トントラック一台分で処分してもらってきました。それでも処分せずにもってきた書籍類はまだ残っています。では読むかというと、現在の関心からは少し遠のいたので、果たして今後再び手にするかは怪しい状況です。

 

むしろ図書館には膨大な数の書籍がありますね。むろん国会図書館やそれぞれの専門図書館と比べると、地域の図書館は大阪府立でも和歌山県立でも、かなり見劣りします。でも私程度だと、これで十分で、当地にやってきて来年で10年になりますが、まったく読めていません。古今東西の著者との対話は至福の時間でしょうか。

 

ところでたしかに図書館の書籍提供サービスと、さまざまな最新のサービスとの連携を探ることは一つの選択として、今後も検討してもらいたいと思います。しかし、図書の自由な利用という点ではさらに工夫があってもよいかと思うのです。一回の貸し出し本数の制限を拡大したり、制限自体をなくしたりするのも一つの策です。

 

他方で、返却期限は一定の合理性があるものの、異なる方式の選択も検討してみる価値があると思うのです。たとえば私が経験したカナダの大学の例ですが、書籍はいつまでも借りることができます。しかし、借りたい希望者が出てくると、返却催促が図書館から借りた人に送られてきます。返却猶予期間は若干あったと思いますが、それに遅れると制裁金的に一日当たりだったかお金を払わないといけなくなります。一冊くらいならたいしたことがないのですが、10冊とか20冊以上借りていると、すぐに本一冊分を超えることもあり、驚きます。

 

なかなか簡単ではないですが、あまり利用されていない本なんかだと(私の場合それがほとんど)返却期限があると気になります。いい工夫があるといいのですが。

 

今日はこの辺でおしまいです。


人に優しい社会 <アンコール遺跡保存に取り組む 上智大教授・石沢良昭氏>を読んで

2017-10-10 | 心のやすらぎ・豊かさ

171010 人に優しい社会 <アンコール遺跡保存に取り組む 上智大教授・石沢良昭氏>を読んで

 

昨日の毎日朝刊記事<そこが聞きたいアンコール遺跡保存に取り組む 上智大教授・石沢良昭氏>は、渡辺京二著『逝きし世の面影』を私に思い出させてくれました。同書で繰り返し投影された維新前後、いやそれ以前の日本人が備えていた品格というか、人間性というか、そういったものです。

 

記事はまず<カンボジアの古代文明・アンコール王朝=1=の調査・研究、遺跡の保存・修復を続ける上智大の石沢良昭教授(80)が今年のマグサイサイ賞=2=を受賞した。>として、石沢氏を紹介しています。

 

これだけの情報だと、まじめにこつこつと石仏などと対峙して仕事をされる方なんだろうと勝手に想像してしまいそうです。

 

<1991年から上智大アンコール遺跡国際調査団を率い、受賞では、カンボジア人保存官の養成なども高く評価されました。>というのですから、地道な仕事ですね。

 

ただ、受賞の理由からは、戦争で分断されたカンボジアを含む近隣各国に平和のランドマークとして蘇らせたことや、より深い文化的な貢献を感じ取ることができます。

 

<受賞の主な理由は「内戦後のカンボジア人のアイデンティティーの再構築、文化復興、平和構築への貢献」でしたが、背景には東南アジア諸国連合(ASEAN)全体を見据えた視点があります。かつて、東南アジア諸国はまとまりがなかったのですが、ASEANが50年を迎える中で、経済や政治だけでなく、文化のアイデンティティーを探すようになったのか、と感慨を持ちました。多様性に富んだ東南アジアの文化の柱の一つとしてアンコール文明が位置づけられていることがわかります。>

 

日本にとっても大きな収穫というか、わが国の文化にも影響する可能性を示唆する他山の石となるような発見や交流があったのですね。

 

<若手カンボジア人研究者との共同調査・研究の主な成果は(1)人材養成を兼ねたアンコールワット西参道(100メートル)の修復工事完遂(2)バンテアイ・クデイ遺跡地下からの274体の仏像発掘という歴史を塗り替える大発見(3)アンコール王朝の繁栄をもたらした東西交易の歴史街道の調査--などがあります。交流を通していろいろと学んだことも多いですね。>

 

とりわけ次のような人と人との関係、自然とのつながりは、私たち日本人が大切にしてきたよりどころの一つであったように思うのですが、いつの間にか失ったというか、破棄してしまったというか、別の妄想なり欲望にとらわれて忘却の彼方に去っていたような気もします。

 

<農村部ではいまだに100%自給自足の生活を続けています。ガスも水道も電気もない中で生き抜く生活の知恵は、日本人がとっくに忘れたり、失ったりしたものばかり。孤児を村人たちが自分の子どもとして普通に養うような優しい社会が残っています。経済的には貧しいのかもしれませんが、みんな元気で、何事にも意気軒高です。この国では篤信が続いている。豊かになった日本人が忘れてしまったものが残っています。>

 

私も先住民の集落を何度か訪れましたが、これと似たような経験をしました。そこでは天水のありがたさをいやというほど体験しました。電気がなかったおかげで、これ以上ないホタルの群生の中で過ごしたり、満天の星をただただ眺める優雅な時間を過ごせたり、静寂とは闇とはこんなに美しものかと感動させられたりしました。

 

わが国に伝わった大乗仏教こそ庶民の幸福を祈る、あるいは庶民のために有効ではないかと勝手な愚考を心に残してきましたが、上座部仏教のよさは当然あるわけですし、上記の「優しい社会」と関連して、次のように指摘されています。

 

<仏教を中心とした宗教観の影響が大きいでしょうね。カンボジアをはじめタイ、ミャンマー、ラオスなどは上座部仏教が強く、他の宗教はほとんど入ってきませんでした。インドから来たヒンズー教や仏教の土着化によって人々は輪廻(りんね)転生の死生観が強くなり、宗教者はもちろんのこと、他者への「功徳」が美徳とされ、それによって幸せな来世に行けるとされています。同じ仏教国でも大乗仏教の習慣が強い日本との違いでしょうね。>

 

私たちは優しい社会を常に求めてきたように思うのですが、現実は逆の世界になりつつあるようにも思えるのです。それが宗教によるものとは思いませんが、私たちが一人一人、何かを求めてきたとき、大事なものを同時に軽視したり破却したりして、いつの間にか失ってきたことに、少しずつ気づいてきたのかもしれません。

 

まだ記憶の彼方にあったとしても、蘇らせるチャンスは残っていると信じたいものです。

 

別のテーマで書いていて、どうも書き切れないと観念して、とってつけたようにこの話題にしました。1時間もかけていませんが、取り上げ方はともかく、石沢氏の語りは中身のあるいいものでした。

 

今日はこのへんでおしまい。