たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

大畑才蔵考(その11) <才蔵の評価についての高野山支配との関係で私見を少し試みてみようかしら>

2017-10-18 | 大畑才蔵

171018 大畑才蔵考(その11) <才蔵の評価についての高野山支配との関係で私見を少し試みてみようかしら>

 

今日はなんとブログを開始して一周年記念? 実際始めたのはその数年前ですが、3日坊主ならぬ、2日で打ち止め。当時はまだ腱鞘炎など痛みがひどく試しに始めようとしましたが、痛みの方が勝ってしまいました。それからfbに参加し、これも最大半年くらいしかつづかなかったかもしれません。その都度痛みで頓挫したように記憶しています。その意味で今回は一年続いたのですから、自分ながらたいしたものだとおもいます。時折痛みがありますが、以前ほど強くないので、2000字くらいは平気になりましたか。リハビリ気分が本格的になってきたように思います。fbでも同じにような感じというかもう少し整理して書いていたように思いますが、そうすると時間がかかってしまい、仕事にも差し支える(ほど仕事していませんが)ということもあり、このブログのように思いつくまま書きなぐりでご勘弁を願っています。

 

さて、一周年といっても特別の企画はなく、というか今日は法律相談、その後に和歌山に行く予定でしたので、1時間の余裕が相談の合間しかなかったのです。ところが相談が長引きブログを書く暇もなく、和歌山に行きました。それで久しぶりに自宅でラップトップで書こうかと思ったら、法律相談のとき電源を切るのを忘れていて、電源が残っていません。

 

仕方なく、再び事務所に戻りいま書き始めた次第です。

 

本題に入る前に、夕方、和歌山まで行った理由に触れておきます。夜のドライブ、しかも高速を使うのはとても今の私には危険で、リスク回避からはこれまで避けてきました。それなのにわざわざ行ったのは、私の親友がある選挙にでるということで東京から和歌山までやって来たので、久しぶりに会っておきたいと思ったからです。彼は才能豊かでリーダーシップがあり、とても私が太刀打ちできる相手ではありませんが、なぜか気が合うのです。方向性も違うのですが、彼の考え方の基本は私も賛同するので、彼が目指すことに少しでも支援したいと思っているので、邪魔にならないよう、出かけていったのです。

 

さて本題に戻ります。今日は遅くなったので、ほんのさわり程度にしたいと思います。

 

大畑才蔵が紀ノ川北岸にそって小田井、藤崎井など、大灌漑用水を開設したというその土木遺産は、先に紹介しましたように、世界かんがい施設遺産として登録認定されました。では、その事業の意義は何か、この事業の難点の一つである、多くの交差する河川を横断して用水を通す工事の技術面でした。たとえば穴伏川という大きな河川を渡すのに渡樋施設として龍之渡井を作ったことや、伏越という川の下をくぐらせる手法とか、さまざまな工法を使っている点でしょうか。それに加えて長距離にわたるわずかな勾配を整備するため、正確な測量を行うため、水盛り台という測量道具を開発して、実施するなど、その土木技術は秀でたものであったことがその重要な要素の一つといえるでしょう。

 

しかし私は異なる側面に光を当ててみたいと思っています。その前に西山孝樹・知野泰明著<紀の川上・中流域における近世中期以前の灌漑水利の変遷> に少し触れておいた方がいいかと思うのです。これは両氏による<応其上人に関する研究>に続く論文で、才蔵の事業の位置付けを理解するにおさえておくべき視点ではないかと思います。

 

それは従来、関東流と紀州流という2つの対立軸で江戸中期の治水技術を論じる考え方が普遍していて、才蔵は紀州流の祖であるとか、あるいはその上司であった井沢弥惣兵衛がそうであるとか、当然のように紹介されてきましたが、それは大河川の治水技術として川筋を直線化したり、連続堤防を設置するといった趣旨で紀州流をとらえる立場でしたが、井澤も才蔵もそのような事業を行ったことがないことが、上記論文で指摘されています。

 

私自身、以前のブログでもこの点は指摘していますが、あまり意味のない立論だと思い、これをいつまでも議論することは有益でないと思っています。どうような議論は林業分野で明治以来行われてきましたが、無益ではないかと思っているのです。

 

それはともかく、西山・知野氏の論文で注目すべき点は、才蔵の技術が、その一世紀前に行われた応其上人によるため池かんがいなどの技術が継承されたのではないかという点です。両者の土木技術のどの点が具体的に共通性があり、継承されたと見ることができる技術的な根拠があるかという点は、まだ私には腑に落ちないところがありますが、参考に値すると思っています。

 

ですが、私がここで取り上げるのは、土木技術の継承という側面ではなく、強いて言えば、技術的にはもっと早い段階で、このようなかんがい事業を行うことが可能であったのではないかという点と、それが17世紀末以降、18世紀初頭にかけて花開いたのは歴史的な経緯があったのではないかという点です。

 

これはまさしく試論というより、まだなんとなく思う程度ですが、高野山支配と関係するという見方です。

 

高野山の領域は、空海が816年嵯峨天皇から開山の勅許を得たとき、その四囲が決まっていました。その後平安中期から末期に欠けて、藤原道長からはじまり、白河、鳥羽各上皇などが次々に紀ノ川両岸を高野山に寄付しています。

 

紀ノ川右岸が相当入れ乱れる形で、領主が異なっていました。たとえば東からいけば、桛田荘は神護寺、名手荘は高野山、その隣は粉河寺と。で、名手荘と隣の荘園との間には名手川が流れていますが、元の名前が水無川と呼ばれていました。

 

つまり水の流れない川ですから、当然、川を挟んだ両岸で水戦争が起こるわけですね。それがわが国でも例がないほどの200年以上にわたる争論という裁許、戦争沙汰が続いた根源でもあるわけです。あの鎌倉時代に始まり戦国期まで続いているのです。六波羅探題では対処できず、鎌倉幕府も裁許を出しても決着せず、朝廷がでていっても収まらなかった大騒動です。

 

それがいつのまにか収まったのが、信長による根来寺、粉河寺の殲滅、そして秀吉による高野山攻めと応其上人の立ち会いによる和睦で、先に述べた白河上皇らの寄付を帳消しにして空海が下賜された元の領土にもどった頃から、紛争が収まったとされています。

 

この経緯は、服部英雄著『名手・粉河の山と水―水利秩序はなぜ形成されなかったのか』(『土地と在地の世界をさぐる-古代から中世』内)で指摘されている一部をかなり大ざっぱにまとめたものです。

 

ただ、私はこの服部説にも疑問があります。服部説では、秀吉が紀州一国を支配し、弟秀長に領地支配を任せた結果、秀長の治世で、名手と隣の荘園が統合され、水争いがなくなったというのです。たしかにその要素は大きいかと思うのです。

 

ただ、秀吉に安堵された高野山は、それで満足していたかどうかなのです。少なくともその後100年以上にわたって、学侶方と行人方が対立抗争を繰り返していたことは間違いありません。その事情は定かではありませんが、秀吉によって領土を17万石から21300石に減らされたのですから、戦争で灰燼にされるのを避けられた当時は我慢していたかもしれませんが、再び領地支配の力が及んだ可能性を否定できないと思っているのです。

 

それはたとえば、紀ノ川南岸の荒川荘が美福門院から高野山に寄付された後、対岸の田中荘との対立抗争が絶え間なかったのです。西行物語では、弟仲清が支配していた田中荘(田仲荘とも表記される)が荒川荘の高野山僧侶によってなんども略奪されることを心配している様子がえがかれています。これに対し高野山文書などでは逆に仲清(兄と表記)川が暴力的に侵奪すると批判しています。このように高野山領をめぐってはなんども土地紛争が繰り返されており、秀吉との一時的和解で決着できたとは思わないのです。

 

実際、その功績者である応其上人は、関ヶ原の戦いの後徳川支配が確定し、その後しばらくして高野山から離れています。

 

で、高野山紛争は1692年、才蔵の30年にわたる調査をも踏まえて、寺社奉行が高野山の麓、橋本まで出かけてきて一大裁許を行い、行人方500人以上を追放し、1000か寺以上を破却して、ようやく高野山が落ち着いたのです。その直後に、かんがい用水事業が名手川のそば、藤崎井から始まっているのです。

 

私はこれが偶然ではないと思っています。河川を横断するかんがい事業は、既存の水利権秩序に新たな配水秩序をもたらすもので、あえていえば、水利権革命をもたらすものです。それができたのは、紀州藩が紀ノ川北岸に確立した用水支配権について、高野山の影響を取り除いた後にようやくできたのではないかと、ちょっと考えてみました。

 

飛躍の多い推論ですが、西行の高野山30年滞在の理由とも関係して、なにか才蔵の高野山探索30年と関連するなにかがありそうな気がして、勝手な推論をしてみました。

 

今日はこの辺でおしまい。


指導のあり方 <福井・中2自殺 怒声、身震いするほど ・・・>を読みながら

2017-10-17 | 公共事業と多様な価値

171017 指導のあり方 <福井・中2自殺怒声、身震いするほど ・・・>を読みながら

 

情報が多いのでどうも記憶がはっきりしていませんが(ただの高齢化でしょうね)、数日前のTV放映で、たしか高校野球の名門指導者の声を拾っていました。インタビューアーは東大野球部でもピッチャーをやっていたという大越NHK元キャスター。

 

大越氏いわく、以前は指導者が一方的に指導して、練習量を増やすことが中心で、いわゆるしごきが当たり前だったというのです。同年代の広島で活躍した小早川元選手も同感といった感じでしたか。

 

私はへたくそな高校球児で、彼らよりはさらに古い世代です。もう監督が一方的に練習メニューを用意し、ノックは本数を増やすことが中心で倒れるまでやるといった感じでしたか。さらに先輩からは一人のミスが出れば全員に「けつばん」といって、バットでおしりを打たれるなど、いろいろしごかれました。個々の選手が自主的に考えてといった雰囲気はゼロでしたか。

 

ただ、別のチームのピッチャーと同じ電車で通っていたことから、少し先輩で甲子園でも少し活躍した人でしたが、彼は自分でノートを作り、自分なりに日々どんな動きが必要かとか、自分のフォームなども描いているのを見せてくれアドバイスしてくれたのをいまでも覚えています。そんな風に自分で考えて練習するんだととても印象的でした。が、自分のチームではただただ一年休みなしの量だけの練習といった感じでしたか。そしてどなることが当たり前でした(監督は殴ると言うことはなかったかもしれません、当時としては珍しかったかも)。先輩からのしごきもかなりきついものでした。

 

でも当然ながら、最近は様変わりしつつあるようです。その番組で紹介されたのは、とりわけ強豪校の履正社、広陵?、早稲田?だった記憶です。履正社だけ覚えていますが、球児が自主的に練習を始め、自分で考えてやっているというのです。ノックも、決まり切ったルーティンで同じことをするのではなく、実践を想定した場面にその都度切り替え、それに応じた対応を瞬時に求めるものでした。たしかに自分で反射的に考える必要があるのはわかります。でもほんとうに自分で考えて練習していると言えるかとなると、若干、疑問があります。練習のあり方、ノックの仕方についても、生徒から監督に提案するなどができるとか、より自主性が生まれるのではないかと思うのです。

 

他方で、筋トレとかどの筋肉を強化する必要があるかとかについて、トレーナーなど専門的・科学的なアドバイスに基づき、練習をする傾向にあるようですが、これこそ望ましい方向ではないかと思うのです。ただ、しかったり、どなったりするのではなく、その指導が科学的な知見を基に、適正に個別的に行うことが求められているのだと思います。むろん一般の学校ではそのような費用を用立てることは容易でないとしても、それが子どもの将来に有効なものだとすれば、両親などが経済的な支援をすることに躊躇しない可能性が大ではないかと思うのです。

 

と、見出しのテーマと関係ないような話になってしまいましたが、通常の学校教育においても同じ精神というか、指導の基礎が必要ではないかと思うのです。

 

新聞記事だけでは、正確に事実関係を踏まえることができないことを前提にしつつ、少し記事を基に議論してみたいと思います。

 

事件は<福井県池田町の町立池田中学校で今年3月、2年の男子生徒(当時14歳)が飛び降り自殺した問題>です。<有識者による調査委>が調査した結果、<担任教諭が男子生徒を叱責するのを目撃した生徒らが「(聞いていて)身震いするくらい怒鳴っていた」などと話していることが分かった。>として、この点について、委員の一人である<松木健一・福井大大学院教授(教育心理学)は15日の記者会見で「他の子がいる中で叱るのは指導の範囲を超えている」と批判した。>ということです。

 

叱ることも指導の一方法だと思いますが、その叱る理由、しかり方、TPOなど、とても大事なことですが、残念ながら教師の中にはこのことの適切な方法を理解できていない人が少なくないのかもしれません。

 

いや、そういう私自身、怒ること、叱ることは、17条憲法で聖徳太子(一応実在説に立てば)がしっかりと慎むこと、強いて言えば禁じ手であるかのような定めをしていることを常に意識していますが、なかなか人間、その域に達するのは容易でないですね。

 

ただ、教師は、生徒という大勢のいま成長期にある子どもを教育指導する立場、職業に就いている専門家といってよいでしょう。となると、常にこの指導方法は適正に行うことを生涯を通じて習得していく必要があるように思うのです。

 

ましてや、叱られた生徒が、自殺するような事態に陥ることを絶対に避ける必要があるでしょう。

 

記事によると、調査結果では<担任は30代男性で、副担任は30代女性。男子生徒は2人からしばしば叱責されていた。2年生後期から生徒会役員になったが、昨年10月、マラソン大会の準備が遅れたことを理由に担任に大声で叱責された。目撃した生徒は調査委に「身震いするくらい、すごい怒鳴っていた。かわいそうに感じた」と証言した。>とのこと。

 

このときは、叱責の理由は<マラソン大会の準備が遅れた>ことです。それが他の生徒、教師が聞こえるほど<「身震いするくらい、すごい怒鳴っていた。>というのです。

 

これだけとってみると、叱った副担任の弁解を聞く必要があるものの、やはり準備が遅れたことについて、人前で譴責する合理性があるか、しかもそばにいる生徒が怖がるほどというのは、まさに家庭内DVに匹敵する暴力ともいうべき行為で、指導の限度を超えていると言わざるを得ません。

 

ところが、いまなお、このような指導という名前での叱責がまだ行われていることを仄聞します。私自身、半世紀前の世界ですが、当時は割合当たり前だったように思うのです。でもそれが自由な心の育成や、子どもの健全な心の形成には有効でないことは常識になっているのではないでしょうか。

 

教師の叱責は、繰り返し行われていることが指摘されています。

<更に担任が今年1~2月ごろ、職員室前で叱責した際「お前(生徒会を)やめてもいいよ」と発言。同2月上旬には生徒会主催の行事で忘れ物をしたことを大声で叱責した。目撃した複数の生徒は「言い方がひどかった」「(男子生徒は)下を向いて暗い感じだった」などと証言した。>

<昨年11月、副担任から宿題を出していない理由を問われ、生徒会や部活動のためだと話した。副担任が「できないならやらなくてよい」と言うと、「やらせてください」と土下座しようとした。自殺前日にも副担任から宿題のことを聞かれ、過呼吸を訴えた。>

 

もう一つ重要な事は、教師が叱責する場合、生徒がどのような反応をするか、しっかり受け止めているか(場合により愛の鞭になりうる可能性も否定しません)を注意深く見ているかが重要ではないかと思うのです。とくに自殺前日は、過呼吸を訴えているにもかかわらず、副担任は、それにどう対応したのでしょうか明らかでありません。校長など上司に報告して対応のアドバイスを受けることも必要でしょうし、とりわけ両親には報告すべきことではないでしょうか。いや、それ以前の段階で、それぞれの叱責について両親に話をする必要があったかもしれません。叱責と生徒の反応をどうみたか、調査結果が記事となっていないのでわかりませんが、調査もその点を大事にしてもらいたいですね。

 

そして生徒の様子を注意していれば、より早い段階で生徒の異常に気づくことができた可能性があります。過呼吸に至ったことは緊急事態との意識がなぜ生じなかったのか、教師の指導方法というより、教師の生徒に対する姿勢を根本的に見直す必要があるのではないでしょうか。

 

すでに一時間がすぎました。今日はこの辺でおしまいとします。中途半端はいつもながらですが。


医師の倫理 <さい帯血違法投与 背景は 日本医師会常任理事・今村定臣氏>などを読みながら

2017-10-16 | 医療・医薬・医師のあり方

171016 医師の倫理 <さい帯血違法投与 背景は 日本医師会常任理事・今村定臣氏>などを読みながら

 

最近、企業の不正や弁護士の倫理とかについて取り上げ、今日は医師の倫理を話題にしています。私自身がそれほど倫理観がしっかりしているとは思えないので、天につばする行為と言われるかもしれません。他人のことは言えても自分はどうなんだと言われると、冷や汗をかくかもしれません。でもそれくらいの気持ちをもっていないと、マンネリ化で真摯な仕事ができなくなるおそれがあるというのも感じています。

 

ま、こういう話題を取り上げるのも、私自身、他山の石として、いろいろ自分の問題を鑑みるチャンスかもしれないと思っている節があります。どんどん新しい事象が発生し、なにがほんとうに問題かよくわからない、自分で考える五感を磨いていないと、何も感じなくなるおそれもありますね。ふとそんなことを考えながら、他方で、そういう自分が独自の存在としてあるのか、報道などの表面的な見方にすぎないのではなか、などいろいろ思うところもあります。いずれは整理してみたいところです。

 

さて本題に入りたいと思います。上記記事では、<医療機関が他人のさい帯血を国に無届けで患者に違法投与していた問題が明るみに出た。再生医療安全性確保法=1=違反容疑で医師ら6人が逮捕され、民間のさい帯血バンクからの流出も判明。>した事件を契機に、その背景と対策をインタビューしています。

 

今村氏は、再生医療への期待の反面、今回の事件の背景として、<医師の倫理がないがしろにされている面>を指摘しています。

 

今村氏は<今回の事件では、相当高額な費用を医師が利用者から徴収している例もある>として、その倫理性を問題にしています。その前に取り上げている<科学的な妥当性、有効性が担保・・・されていないものを医師が医療行為として行って良いのかという根本的な問題>を指摘していますが、これも倫理性の問題でもありますね。

 

事件で問題となったのは横流しされたさい帯血ですが、本来の取り扱いについても問題提起されています。火葬場での焼却が多いようで、処分されない残り数%がさい帯血バンクに預けられ、<日本赤十字社などが運営する公的バンク>と<民間事業者のバンク>があるそうです。前者は<有効性が確認されている医療分野で、必要としている患者に広く使ってもらいます。>他方で、後者は<預けた妊婦の子どもらが病気になった時に使うことを想定しています。>とされ、その預けること、利用すること自体は医療上の問題とはされていません。

 

ただ、後者の場合に、インフォームドコンセントが適切に行われていたかについては調査の必要を訴えていますので、やはり倫理上の問題が残るでしょう。

 

この点、今村氏は、<今回の調査では民間バンクに4万3700人分のさい帯血が保管されていることが分かりました。また、契約終了後も廃棄せずに保管し続けているさい帯血が約2100人分あることも判明しました。しかし、さい帯血がどのように管理され、家族らが病気の治療で必要になった場合にどんなケースで使えるのか、さい帯血を預けた妊婦さん自身が理解しているでしょうか。契約の際に利用者へのインフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意取り付け)がきちんとなされていたのかどうかを調べる必要もあったと思います。>と指摘しています。

 

他方で、<民間バンクが廃業に追い込まれるリスクなどは明かさず、利用すると良い結果があるように説明し、ともすれば利用へと誘導するような、ある種の「商売っ気」で契約者を集めている業者があったとすれば、責任を問われると思います。>と業者の問題になっていますが、医師が介在しないまま、業者だけの話で事が進むとは考えにくいように思うのですが、どうでしょう。民間バンク事業者についての一定のルール指導、さらに規制といった方向性も今後検討される必要があるのでしょう。

 

この点今村氏は公的バンクの有用性と普及を訴えています。<今後、さい帯血の有用範囲が広がり、数が不足する事態が起こるかもしれません。それに備えるなら、公的バンクでの保管数を増やすべきです。産科として対応するとしたら、公的バンクを充実する必要性を妊婦さんに伝えていくことが妥当なやり方だと思います。>

 

さて、<医師の職業倫理指針[第3版]>が昨年10月改定されています。この内容は相当具体的で、医師だけでなく、患者をはじめ関係者にとっても有用だと思います。

 

ただ強いて言えば、本来は最初の<医の倫理綱領>の6点だけだと品格があり、美しいのですが、そうもいかないのが価値観が多様化し複雑化し医療技術を含め科学技術・ITなどの進展がとどまるところをしらないわけですので、こういった詳細な指針が必要なのでしょう。それでも今回の再生医療については具体的な規定がないわけですから、むずかしいですね。

 

この指針では、<1.医師の基本的責務><2.医師と患者>という一般的規定を置いた後、個別的テーマとしては<3.終末期医療><4.生殖医療><5.遺伝子をめぐる課題>をとりあげ、最後に再び基本的な事項として<6.医師相互の関係><7.医師とその他の医療関係者><8.医師と社会><9.人を対象とする研究>(これは個別的テーマでしょうか)とわかりやすく項目をたてています。

 

で、今回問題となったさい帯血事件との関係で、今村氏が指摘した倫理上の問題についても、2.の<(14)科学的根拠のない医療>では、現代医学の前線における微妙な舵取りについて次のように定めています。

 

<医師は患者の状況や背景等も考慮し適切な医療を選択することになるが、原則として科学的根拠をもった医療を提供すべきであり、科学的根拠に乏しい医療を行うことには慎重でなければならない。たとえ行う場合でも根拠が不十分であることを患者に十分に説明し、同意を得たうえで実施すべきである。いやしくも、それが営利を目的とするものであってはならない。>とされています。

 

また<(17)医療行為に対する報酬や謝礼>では、昔は何か当然のように行われていたことについて次のように厳しく定めています。

 

まず<医師は医療行為に対し、定められた以外の報酬を要求してはならない。>と当然のきていがあります。そのうえで、次のように厳粛な姿勢を示しています。

 

<患者から謝礼を受け取ることは、その見返りとして意識的か否かを問わず何らかの医療上の便宜が図られるのではないかという期待を抱かせ、さらにこれが慣習化すれば結果

として医療全体に対する国民の信頼を損なうことになるので、医療人として慎むべき

である。>

 

インフォームドコンセントについても、<(3)患者の同意>の箇所で、次のように記載されています。

 

<医師が診療を行う場合には、患者の自由な意思に基づく同意が不可欠であり、その際、医師は患者の同意を得るために診療内容に応じた説明をする必要がある。医師は患者から同意を得るに先立ち、患者に対して検査・治療・処置の目的、内容、性質、また、実施した場合およびしない場合の危険・利害得失、代替処置の有無などを十分に説明し、患者がそれを理解したうえでする同意、すなわちインフォームド・コンセントを得ることが大切である。>

 

この内容自体は特別目新しいものではないですが、上記<(14)科学的根拠のない医療>での患者の状況や背景事情を考慮した上での具体的な説明義務の規定との関係ではやはり意味があると思うのです。

 

さて一時間がすでに経過しました。今日はこの辺でおしまい。


弁護士の広告と倫理 <誰がアディーレを業務停止に追い込んだのか・・>などを読みながら

2017-10-15 | 司法と弁護士・裁判官・検察官

171015 弁護士の広告と倫理 <誰がアディーレを業務停止に追い込んだのか・・>などを読みながら

 

先日、ある相談者と協議中、別件の過払い金をアなんとという法律事務所に依頼しているという話がなにかの拍子ででた。ご本人、事務所の名前も覚えていないくらいだから、まだきちんと依頼していなかったのか、一度くらい相談したばかりだったのでしょう。

 

たしか報道でその前日くらいにアディーレ法律事務所が業務停止になったというニュースがあったのを思いだし、事務所の名前を告げ、もしそうだったら、委任契約を継続できないので、一旦、解約になるので、対応について聞いた方がいいですよとアドバイスしました。

 

以前からこの事務所の広告が過払い金返金を大きくPRし、しかも着手金無料とか喧伝していたのは知っていましたので、それでやっていけるのかな、きちんと事務処理しているのであればいいのだがと少し気になってはいました。というのは私自身、過払い金返金事件とかは自分の業務外といった気持ちでしたので、やっていませんでした。当地に来て一般事件をやる中で、過払い金の依頼も数件程度やったと思います。成功したのは1件くらいでしょうか。サラ金業者が事実上破綻して返金できないという状態で結局、取り戻せなかった事案を最後にもう何年もやっていませんでした。

 

ですので、アディーレ法律事務所が過払い金返金を大量に受けているのは成果があるからで、それなりにやり方があるのかな、それはそれで借りた人にとって着手金無料だからいいサービス提供をしているといった感覚が半分ありました。他方で、事件を漁って、複雑な事件は放置されたりしていないのか多少は心配していました。ただ、あるとき若手の弁護士でこの事務所に勤務している人と話す機会があり、誠実でまじめな方という印象を受け、こういう人が大勢働いているのであれば大丈夫かな、なんて少し安堵したりしていました。

 

そんなとき弁護士法人には業務停止2ヶ月(代表は同3ヶ月)というきわめて重い懲戒処分がされたというニュースでしたので、どんなひどいことをしたのかと思っていました。

 

ニュースをちらっと見ただけではあまりぴんときませんでした。そこに今朝の東洋経済の記事です。<誰がアディーレを業務停止に追い込んだのか懲戒請求者も驚愕、重すぎる「業務停止2カ月」>との見出し記事では、当該法人が日本の5大法律事務所の次になる185人の弁護士を抱えているというのですから、その弁護士数には少し驚きました。

 

2012年暮れ以降に弁護士登録をした、経験年数5年未満の若手が全体の7割以上を占める。>というのですから、<就職難に喘ぐ新人弁護士たちの受け皿にもなった>、いわば法曹人口拡大の犠牲者?的な新規登録者に仕事場を提供してきたのかと思ってしまいます。

 

これも大々的なPRで顧客を集める手法で事務所を飛躍的に増大させたのでしょうか。むろんサービスが迅速かつ適切、しかも廉価あるいはリーズナブルな費用であれば、自由競争の社会ですから、業務量を増やし、弁護士を増やすのは当然の結果で、むしろ望ましいあり方の一つかもしれません。

 

しかし業務停止という重大な懲戒処分を受けたのですから、よほどひどいことをしたのでしょう。その記事を見ると、<今回、東京弁護士会が公表した処分理由は景品表示法違反。常時着手金を全額返還するキャンペーンを行っていたのに、事務所のウェブサイト上では1カ月間の期間限定と謳っていたというもの。20162月、消費者庁から措置命令を受けており、これを理由に弁護士会として下したのが今回の処分だ。>

 

たしかに事実とは異なる、誇張する部分はありますが、それが重大なものかとなると、もう少し事実関係を見る必要があるでしょう。

 

その記事にもあるように、弁護士には自治が認められる一方で、厳しく自分を律することが求められています。<弁護士法56条には、弁護士と弁護士法人が弁護士法や所属弁護士会、日弁連の会則に違反したり、所属弁護士会の秩序・信用を害したり、品位を失うべき非行があった場合、懲戒を受ける>ということになります。

 

アディーレの広告記事が、そもそもその品位を失うべき非行であるといった点も議論の余地があるかもしれません。それ以上に、懲戒処分としても戒告、業務停止、退会処分、除名の4種類ある中で、大抵の場合戒告にとどまるのですが、広告について業務停止(しかも2か月)となるほどのものかというと、広告だけ見ると疑問を感じる人も少なくないかもしれません。

 

そこでこの記事が指摘している本件の特殊性です。<アディーレ急成長のエンジンとなった過払い返還請求訴訟が、訴えさえすれば100%勝訴する訴訟になったのは、20061月の最高裁判決以降だ。>この最高裁判決は<多重債務者の救済活動を展開していた、いわゆる人権派のクレサラ弁護士(クレジットローン、サラリーマン金融専門の弁護士)が全国レベルで連携を図り、長年にわたって多くの判決を積み上げた結果、勝ち取った判決だ。>

 

私自身、これらのメンバーの何人かを知っていますし、中には一緒に仕事をしたこともあります(この最高裁事件ではありませんが)。彼らが最高裁判決を勝ち取るための、膨大な事件での業者側との熾烈な争い、その訴訟準備はとてつもなく時間・費用・エネルギーをかけたものです。

 

この記事の筆者がいみじくも語る<アディーレはクレサラ弁護士の努力が生んだ成果物を、機動力で一網打尽に取り込んだ、いわばクレサラ弁護士の天敵である。>という表現は、ある種的を射るものかもしれません。

 

というのは<弁護士の広告-禁止から解禁へ>で指摘されているように、昭和の終わりまで広告は禁止でした。その後昭和62年に一部解禁になっても、ほとんどの弁護士は広告などしていなかったと思います。<平成1210月から弁護士広告は原則自由となりました。>が、その後もあまり変わらなかったと思います。

 

ただ、その頃から関東圏で、電車内での広告などが自己破産や債務整理をうたって少しずつ増えていったように思います。このような広告に対し、クレサラ弁護士は猛反対して、その弁護士を懲戒するよう厳しく運動を展開していました。まだ過払い金返還が一般的でない頃でした。

 

自己破産や債務整理は、ある種機械的に事務処理できることが多く、パラリーガルといった事務職員を多く抱えて、全国の個別弁護士と提携して、ビジネス的に始めたNさんがどんどん広告も打ち、事件数を増大させていったのが2000年代初め頃でしたか。

 

私はクレサラ弁護士の仲間から厳しい口調で弁護士倫理に違反するとの声をよく聞いていました。他方で、当時、弁護士数が少なく、自己破産・債務整理が大量に増えていった頃でしたから、そういう事件処理をしてくれる事務所があるのはありがたいとも思っていました。

 

ただ、過払い金返金は、おそらく弁護士事務所としては相当収入になり得たのではないかと思います。残念ながら私は最高裁判決をとって喜ぶ仲間たちの声は知っていても、それが収入に結びつくとか、そういう請求が増大することまで頭に浮かばず、まったく蚊帳の外で別の仕事をしていました。

 

ともかくクレサラ弁護士にとっては、当初の電車広告やパラリーガルを利用しての事務処理以上、過払い金返還の事件は、自分たちが努力して(付随的に事業者から弁護士が訴訟提起されたりもしていました)勝ち取った方法ですから、さるかに合戦のかにさんみたいなやり方に映ったかもしれません。

 

だいたいこういった訴訟にエネルギーを費やす弁護士の多くは、ネット広告やテレビ広告で顧客を呼び込むなどは邪道と思っている人が多いかもしれません。

 

ぐだぐだとこれまでの顛末の一部を自分なりの回想で思うままに書いてみましたが、それはこの処分の合理性がいまだよくわからないことも一因です。

 

だいたい懲戒請求したのは<「弁護士自治を考える会」>という<「不届きな弁護士をとっちめる」>ことを目的にしているような団体です。

 

<今回の懲戒請求もその活動の一環で、アディーレが支店登録している全ての地域の弁護士会に、アディーレと所属弁護士個人全員に対する懲戒請求を行った。

だが、「大半が門前払いだったし、もともと戒告が出れば上出来だと思っていたのに、東京弁護士会が突然重い処分を下したのでびっくりした」(考える会の主催者)という。>

 

東京弁護士会だけが下した重い処分だったのです。たしかにクレサラ弁護士は、元々東弁が最初につくり、全国の中核メンバーがいまも多くいるのではないかと思います。私はまだ東弁の公害消費者委員会(その後公害環境委員会と消費者委員会に別れた)と呼ばれていた頃、メンバーでしたので、クレサラやさまざまな詐欺商法などをよく議論していました。

 

ともかく東弁のホームページから記事を読んでみましょう。

 

1011日付けで<弁護士法人アディーレ法律事務所らに対する懲戒処分についての会長談話>とあり、これは一弁護士法人に対する懲戒処分について会長談話が出ること自体、普通ではないでしょう。

 

そこでは<消費者庁より広告禁止の措置命令>を受けて、改めて弁護士会として審査して処分したことがわかります。

 

そして同日付の<>では懲戒理由として、ウェブサイトで、

<それぞれ,約1か月ごとの期 間を限定して,

 (1)平成22年10月6日から同25年7月31日まで,過払金返還請求の 着手金を無料又は値引きする,

(2)平成25年8月1日から同26年11月3日まで,借入金の返済中は過 払金診断を無料とする,過払金返還請求の着手金を無料又は値引きする,

(3)平成26年11月4日から同27年8月12日まで,契約から90日以 内に契約の解除をした場合に着手金全額を返還する,借入金の返済中は過 払金診断を無料とする,過払金返還請求の着手金を無料又は値引きする,

ことが<景表法,日本弁護士連合会の弁護士等の業務広告に関する規程等に違反>し、<弁護士法第56条第1項の品位を失う非行に該当する。>というのです。

 

無料とか値引きが虚偽とか、不当な誘因ではなく、期間限定をうたっている点が問題にされたのです。たしかにこれは問題でしょう。しかし、懲戒処分として2ヶ月の業務停止とするほどの重大性に匹敵するかとなると、今少し検討が必要でしょう。

 

そこで消費者庁の当該処分を<景品表示法関連報道発表資料(措置命令等の事案)>の多くの事例と<アディーレ法律事務所・・>の事例と

比較してみたとき、どうかと思うのです。

 

唯一課徴金納付命令が加重されているのが<三菱自動車工業の燃費不正>の事案です。この事案はニュースでも大きく取り上げられましたし、消費者の信頼を裏切るきわめて重大な燃費偽装でした。その偽装方法も巧妙で、悪質性も高いものです。

 

他の措置命令事案は、個別には見ていませんが、著名企業も結構あり、広告等の適切な対応が要請されてしかるべきでしょう。これらの例と比べてアディーレ法律事務所の広告が特別に悪質かといわれると、戒告くらいはありえても、2ヶ月の業務停止処分までとなるとどうでしょう。

 

ただ、クレサラを担当する弁護士の多くが、消費者保護を担ってきたメンバーで、景表法などの違反に対し厳しく対処してきたと思われます。景表法などの遵守を訴える立場の弁護士が自ら不正を継続していたことを見過ごしにできなかった、消費者保護の視点から見ると、その考えもなんとなくわかるような気がします。

 

とはいえ、懲戒処分の合理性は客観的に担保される必要があり、日弁連での審査で、より慎重な判断がされ、だれもが納得できるような結論を期待したいです(それは無理な相談かもしれませんが)。

 

今日はこの辺でおしまい。

 

 

 


検査不正の続発の背景は <神戸製鋼所 データ不正 出荷500社 社長会見、辞任は不可避>などを読んで

2017-10-14 | 企業・事業・研究などの不正 適正な支援

171014 検査不正の続発の背景は <神戸製鋼所データ不正 出荷500社 社長会見、辞任は不可避>などを読んで

 

日産の無資格検査や商工中金の融資業務不正がいずれも企業全体レベルで行われていた可能性を示すニュースが連日報じられていましたが、今回の神鋼の検査不正はより問題が大きいといえるでしょう。検査データ自体の改ざんですからね。それも対象品目は、どんどん広がっています。

 

見出し記事によれば<アルミ・銅製品などの品質検査データを改ざんしていた神戸製鋼所は13日、新たに9製品で不正があったと発表した。前日には否定していた主力の鉄鋼製品も含まれ、出荷先は約270社から約500社に拡大した。不正は国内外のグループ会社にも広がっており、川崎博也会長兼社長の引責辞任は避けられない見通しだ。>

 

しかも<原発、防衛装備品も>含まれているのですから、どうなっているのでしょう。その検査不正の内容は<いずれも検査データを書き換えたり、引っ張りの強さの試験を省略した上で推定値を入力したりしていた。>というのですから、安全性の裏付けが全くないとしかいいようがないですね。毎日大阪版では「神鋼 信用地に落ち」と大見出しでしたが、それは当然でしょう。

 

実際、取引先の中には一大事ですので、<東京電力は13日、福島第2原発3号機の原子炉を冷却する熱交換器に使われる部品に問題の製品が納入されていたと発表。防衛省も問題のアルミ製品が航空機や誘導武器、魚雷などの防衛装備品に使用されていたと明らかにした。>ととりあえず第一報をリリースしていますが、関係先が今後適切な調査をして安全確認の措置を講じるなどとともに、情報開示が継続的になされる必要があるでしょう。

 

見出し記事では<神戸製鋼は今回の不正を8月末に社内監査で把握し10月8日に公表。この段階ではアルミ・銅製品で約200社に供給としてきた。11日には鉄粉製品や光ディスク材料などでも不正があり、約70社に納入していたと公表。影響は国内外の主要自動車メーカーや航空機、鉄道、ロケットなどにも広がっている。【>

 

神鋼自体が、企業グループ内のガバナンスができていないに等しく、後から後から問題が露呈される一番悪い状況にあり、いつになったら収束できるか不明です。それは普段のガバナンスとコンプライアンスの制度化ができていないことによると言わざるを得ないでしょう。

 

むろん取締役会の機能不全といったことも当然、検証されるべきでしょう。会長兼社長が最初の会見の直後に二度目の会見をして訂正して謝罪しなければならないという形式的なことに留まらない、企業全体の体質の問題が根深くあるように窺えます。

 

毎日は多くの記事を掲載していますが、まとまったものとして<クローズアップ2017神鋼改ざん、底見えず 常務「検査せず捏造」>があります。

 

本体の鉄鋼には不正がないと社長が会見していたにもかかわらず、<今回、神戸製鋼は主力の鉄鋼事業で、少なくとも2007年4月から17年7月まで試験結果を書き換えるなどの不正が行われていたことが明らかになった。13日の記者会見で勝川四志彦常務執行役員が「(検査を)未実施のままデータを入れた。捏造(ねつぞう)ということ」と話し、ずさんな検査も明らかになった。>というのですから、企業全体の危機に陥る可能性すらあるように思えます。

 

しかもこれまでにわかっている不正な部材の主な出荷先一覧が掲載されていますが、自動車、航空機、鉄道、電気に加えて原発と、しかも内外の主力企業が多く含まれているのですから、その利用者への影響も甚大です。

 

<企業統治に詳しい牛島信弁護士は「取締役会が何をしているのか、機能しているのかが見えてこない」と指摘。ある大手鉄鋼メーカー関係者は「通常は導入する不正を防ぐ仕組みや教育をしていたか疑問だ」と神戸製鋼の企業風土の問題を挙げる。>のは当然でしょう。

 

こういった検査データの改ざんは、会計監査ではもちろん把握できることはないでしょう。社内監査(業務および会計)が適正に、かつ、徹底して行われていれば、起こりえない事態ではないかと思うのです。むろん取締役会の中で一体どういった事柄が審議対象として取り上げられてきたか、とりわけコンプライアンスの体制とその実施の検証について真剣に議論されてきたか疑問符がつくでしょう。

 

むろん現場レベルでこれだけの検査不正が横行していたのですから、社員の意識の中にコンプライアンスの具体的なルールがビルトインされていなかったといってよいのではないかと思うのです。

 

おそらくコンプライアンスの詳細規定としては、安全性を確保するために要求されている検査を実施しデータをとることは書類上は書かれていると思うのです。検査データのチェックについても、検査者だけでなく上司の確認等が間違いないということで押印する書式化も整っているはずです。

 

しかし検査をしないで、書類上の数値を書いてすますという改ざんは、検査に要する作業工程や費用・時間をしっかり監理するシステムが構築されていれば、内部監査で把握することはそれほど難しいことではないと思うのです。

 

取引先に対する信頼を確保するためにも、当然のことでしょう。それを怠ったのは、神鋼自体だが海外企業を含め競合企業との競争激化で経営が厳しい中、黒字化を図るため、業績回復のみを求めた結果ではないかと思うのです。コストダウンを数字的に追求する一方で、最も基本である検査の適正さを確保する措置を怠った結果と言わざるを得ないように思います。

 

それは神鋼だけの問題でしょうか。

 

株価高騰に湧く日本経済ですが、数字的には上向きの業績の背後には暗い影がはびこっていないのでしょうか。昨今の投資環境にあった業績回復はできてきたかもしれませんが、その収支向上の蔭にはさまざまな不正が潜んでいるおそれもあります。

 

それ以上に、そもそも働く多くの人は満足感を得られていないのが現実ではないでしょうか。足下では過剰労働が今なお当然視され、他方で働き方改革で女性活躍といっても<「女性活躍」の現場から2017衆院選/2 「育てて働いて」輝ける?>の記事にあるように、男女差別や長時間労働など、企業がいまも強いている働かせ方では、個々の満足も得られない状況ではないかと思うのです。

 

衆議院選挙の投票は一つの選択ですが、選択できる道を切り開いてくれているのか、よく見ていきたいと思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。