たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

風と山と <進む「アジアスーパーグリッド構想」、モンゴルで50MWの風力発電所が稼働>などを読みながら

2017-10-23 | 原子力・エネルギー・地球環境

171023 風と山と <進む「アジアスーパーグリッド構想」、モンゴルで50MWの風力発電所が稼働>などを読みながら

 

台風21号が日本全土に暴風雨を浴びせてようやく立ち去ったようです。風と雨の力はやはりすごいですね。当地・橋本は紀伊山地のおかげか、また和泉山脈のおかげか、めったに台風の暴風雨に直撃されることがないように思います。今回も窓際に立って、雨風の様子を眺めながら自然の営みを感じていました。

 

これが紀伊半島の南部だとそうはいきません。各地で大きな被害がいつも発生します。太平洋からの暴風雨が直撃するわけですね。1500万年前に火山活動で生まれた紀伊山地(その後もいろいろな隆起沈降を繰り返したと思いますが)はその自然の防波堤の役割を果たしているように思うのです。

 

この広大に広がる紀伊山地が、様々な方向に峰が連なる複雑な地形で、どのようにこの雨風を受け止め、そのエネルギーを緩和させるのかはよくわかりませんが、紀ノ川のそばにいると、自然の猛威をあまり感じないのです。むろん戦前までは、ダムもなく土石流のような氾濫が紀ノ川を龍神のごとく暴れさせていたのだと思いますが。それはあくまで河川の氾濫であって、暴風雨自体はさほど大きな被害を与えなかったのではないかと思うのです。

 

この山地山脈の役割についてはまたの機会に触れてみたいと思います。本日の話題は、このような樹木の緑豊かな山地と異なる砂漠が舞台です。

 

自然エネルギー:進む「アジアスーパーグリッド構想」、モンゴルで50MWの風力発電所が稼働>によれば、<ソフトバンクグループが出資する50MWの風力発電所がモンゴルのゴビ砂漠で稼働を開始。年間発電量は2kWhを見込む大型のウィンドファームだ。>

 

砂漠だから海上のように、年間を通じて山などに邪魔されず風を風車が受けエネルギーに変えることができることから有望だと思うのです。問題は電力消費地までの送電網でしょうか。この点、採算がとれる程度の裏付けがあるようにも見えます。

 

<この風力発電所「Tsetsii Wind Farm」は、モンゴル国内の電力需給問題への貢献および自然エネルギーの促進と、同国の持続的な経済発展および気候変動の緩和に寄与することを目的に、Clean Energy Asiaが発電事業者として建設。発電した電力はモンゴル国内向けの送電網に接続し、モンゴルでの国内で利用される。>

 

以前見た、デンマークのコペンハーゲン空港そばの海上に浮かぶ風力発電の林立は壮観でした。発電機の間近に電力消費地があるのですから、この場合は費用対効果も環境面もクリアするのでしょうね。

 

また、カナダの風力発電も豪快ですが、よりダイナミックに感じるのは水力発電です。流量が多いから高低差はあまりなくても発電量が大きいため、アメリカに大規模に輸出していましたね。

 

さてモンゴルの風力発電など自然エネルギーの将来はどうなんでしょう。

 

<ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長は、今回の風力発電所の稼働に際し、「2011年に発表した『アジア・スーパー・グリッド構想』をきっかけに、ソフトバンクグループによるモンゴルでの自然エネルギー開発の取り組みがスタートした。このプロジェクトが運転開始を迎えたことで、当グループは日本、インドに加え、モンゴルでもアジア・スーパー・グリッド構想に基づく自然エネルギー事業の橋頭堡(きょうとうほ)を築けたことを大変うれしく思う」と述べた。>

 

孫氏の考える構想は地球全体を視野に入れていますね。ではその「アジア・スーパー・グリッド構想」とはどんなものでしょう。

 

日本とアジアをつなぐ国際送電網(1):電力を輸出入する時代へ、世界最大市場の北東アジアに>はその一つの考え方を示しているように思えます。

 

「国際送電網」といってもぴんとこないのが普通でしょう。だいたい国内だけでもばらばらなのですから。でも道は少しずつ開けているようです。

 

<すでに日本の周辺の海底には、数多くの通信ケーブルが張りめぐらされている実績がある(図1)。意外に知られていないことだが、各国の領海の外側でも、海底ケーブルを敷設する自由が国際条約で認められている。日本の周辺に海底ケーブルを敷設する場合には、韓国やロシアとの間に排他的経済水域が存在するが、二国間で合意を得ることができれば、その国際条約上の問題は生じない。>

 

そして<海底ケーブルを敷設する経験は日本企業の間にも蓄積されている。通信ネットワークと同様に電力ネットワークを周辺各国とケーブルでつなぐこと自体は、いまや技術と法制度の両面で可能な状況にある。>ここまでは想定として理解できますね。

 

<日本や中国を加えた国際送電網の構想として、自然エネルギー財団が「アジア・スーパーグリッド」を2011年に提唱した。風力発電と太陽光発電の導入ポテンシャルが大きいモンゴルを電力の供給源として、中国・韓国・ロシア・日本を国際送電網で結ぶ(図3)。>というのですね。これは豪快な話ですが、孫氏の今回の事業はその最初の拠点を作ったとも言えるのでしょうか。

 

将来こういった国際送電網ができるといろいろメリットがありますね。

 

<北東アジアに国際送電網を構築できると、電力の輸入と輸出が拡大していく。電力の安い国から高い国へ電力を売ることが可能になり、各国の小売価格の差が縮小する見込みだ。現在のところ日本の電力小売価格は他国と比べて圧倒的に高い。家庭向けでは韓国の約2倍、中国の約3倍、モンゴルやロシアの約4倍の水準にある(図8)。国際送電網が拡大することによって、日本の電気料金の低減が期待できる。>原発もベースロードと標榜できなくなるかもしれない?という人は開発者にはいないかもしれませんね。

 

電力需給の調整が大規模にできるというのは想定できますが、逆によほどしっかり構築しないとどこかで過剰、あるいは過小になるおそれもあるように思うのですが。

 

<電力の需給面でもメリットはある。5カ国の消費電力量を月別に見ると、日本・中国・韓国では夏と冬に電力需要のピークが訪れる(図9)。一方でモンゴルとロシア(シベリアと極東地域)では需要のピークは冬だけで、日・中・韓で需要が増大する夏に電力を供給できる十分な余力がある。>

 

夢は広がり期待も広がりますね。ただ、風と山の関係はどうなるのでしょうかね。日本の急峻な山岳地帯は送電網のコストも大変ですし、送電ロスも大きいと思うのです。日本の山岳が自然エネルギーの発電と送電においてどのような意義をもつのか、もう少し検討してみたいと思います。

 

今日はこの辺でおしまい。


革新的な企業統治スタイルは? <東芝 報告書で「不正会計」表現・・>を読んで

2017-10-22 | 企業運営のあり方

171022 革新的な企業統治スタイルは? <東芝 報告書で「不正会計」表現・・>を読んで

 

今朝早々と最寄りの小学校にある投票所にでかけて投票を終えました。普段の会場が別の団体が先に予約していたためか、代替の狭い空間で行われていました。大勢が集まっていた本来の会場と異なり、変更された投票所は係の人が10数人いるものの、投票者は私以外にだれも現れませんでした。天候を考えて期日前投票を済ました人が多かったのかもしれませんが、それにしてもあまりに閑散としていました。投票所への行き帰りでもだれとも会いませんでした。これが突然の電撃的な解散の結果かも知れません。いや、いまの日本の政治状況に対する国民意識の表れかもしれません。

 

私の好きな毎日日曜版・「今週の本団」では<海部宣男・評 『あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎』=デイヴィッド・イーグルマン・著>に興味が惹かれました。

 

「私」とは何かについて、先端脳科学者が広く切り込んでいる内容ということです。

 

<私たちの脳がAIと決定的に違うのは、千兆もの接続を持つ脳内ネットワークで、たくさんの選択肢が対立しながら選択の結果を行動に及ぼしていること。そうした脳内での対立・選択が「自由意志」につながるのは、もちろんだ。だが私たちの脳は、せめぎ合う欲望の集積だ。>見えないところで日夜せめぎ合っているのですね。生まれてから死ぬまで。

 

共感もあれば、外部グループを間化して、民族対立などもあるというのも脳内ネットワークの働きの一つのようです。

 

そして脳とAIなどの研究はさらに進化することは疑いないですね。

 

<脳の将来も、刺激的だ。スピーカやカメラの信号を、微細な導線で脳の聴覚野や視覚野につなぐ。脳はその信号を学習して、聴力・視力を獲得する。さらに、眼(め)の見えない人の腰に小型モータ群を当ててカメラからの信号で動かすと、腰に人の顔などのカメラ映像を感じはじめる。何と「腰で見える」ようになったのだ。>

 

<つまり脳は、どういう装置・どういう場所からでもしかるべき信号をもらえば、外界に合うように学習し解釈できるのだ。脳が使えるデータは私たちが感じる可視光や音波に限らないことも、はっきりしてきた。紫外線カメラから信号データを入力すれば、人は紫外線の「視力」を持つことになる。>

 

すでに60兆はあるといわれる細胞の中には、脳とは独立して、それぞれメッセージを交信し合い独自の機能を営んでいるという情報はNHKの「人体」で紹介されていましたか。

 

と長々と前置きを書いてしまいましたが、「私」という存在を決定する頂点にあると思われた脳についても、あらたな知見が生まれつつあるようです。同様に、会社の意思決定機構も、大きく変わるかもしれないというのが本日の話題です。

 

毎日朝刊では、東芝不正問題を追及してきた一人、古屋敷記者が<東芝報告書で「不正会計」表現 反省の意思明確に>と小さな記事で、昨日東芝が公表した点に触れ、<東芝が内部管理体制の改善報告書を公表し、不正会計問題について同社がこれまで使ってきた「不適切会計」から「不正会計」へと表現を改めた。反省の意思を明確にするためという。>としています。

 

また報告書の内容については、<報告書では、不正会計の原因を歴代社長に「財務会計の厳格さに対する認識が欠けていた」と批判し、前任社長に対する「ライバル意識など社内外からの評価に強く執着」したため、達成困難な損益改善要求を繰り返したと指摘。取締役会も形骸化し、けん制できなかったと結論づけた。>

 

日経の1011日付け記事<東芝、株式の特設注意市場銘柄及び管理銘柄(審査中)の指定解除について発表>を読めば、四半期報告書が遅れながらも提出されたことに加え、本年315日再提出の内部管理体制確認書が指定解除に重要な働きをしたと思うのです。

 

そして今回の報告書<「内部管理体制の改善報告」>は、上記の内部管理体制確認書を受けて、抜本的な改善策を報告したものでしょうから、この内容こそ重要だと思うのです。ところが、古屋敷記者の記事は、紙面がとれなかったのか、上記の通りあまりに簡潔で、重要な内容をほとんど取り上げていません。

 

わたしがこの報告に着目するのは、もしこの改善体制が実効あるものとなれば、日本の会社制度の大改革になる可能性があると思うからです。

 

いままでわが国における多くの会社の意思決定は、生え抜きの社長を中心に行われてきたと思います。習近平国家主席ほどではなくても、古い体質の企業では似たような状況であったかもしれません。取締役も生え抜きで、取締役会もイエスマンほどではないとしても、社長の決定に逆らうことは容易でないことでした。企業不祥事が繰り返され、企業統治に必要がうたわれ、社外取締役制度など、さまざまな監督制度が導入されましたが、社外取締役には情報を提供せず、また少数派で、実効性がないものでした。

 

あくまで会社の意思決定は、ある種、脳という単独ないし少数で決定してきました。外部の関与は極力排斥されてきたのが、繰り返し会社制度を改革しても実態としては残ってきたのだと思うのです。

 

だいたい最も先端的に社外取締役制度など企業統治に前向きで優等生の筆頭ともいうべき東芝が、今回の会計不正の中で明らかになったのは、歴代社長による会計・事業の適正さを無視した業績優先主義について、チャックする機構がまったく機能しなかった点です。

 

さて、この報告書は、それをどう改善するかを、まるで社外からの監視監督を優先するかのような体制を構築しようというのです。詳細は報告書でチェックしていただきたいですが、多くの企業も、他山の石として、検討してみてはいかがでしょうか。

 

そのいくつか取り上げてみたいと思います。(ここまで書いていて簡単にまとめて終わろうとしたら友人から電話があり1時間近く今回の選挙の話から70年代の美濃部都政問題(大気汚染、水質汚濁、公害研究所創設、六価クロム汚染など)まで遡って議論してしまい何を書こうとしたのか・・・)

 

この報告書では、改善策をいろいろ取り上げていますが、私はガバナンスの強化に注目しています。合計38pのうち、10pをさいています。

 

まず取締役会について、人数を減らして、社外取締役を過半数にするというのです。すでに従来16名だったのを11名にして、そのうち6名を社外取締役にしています。しかも取締役の専門性とその多様性の確保を求めています。そのため弁護士1名、公認会計士2名、経営者3名の布陣となっています。さらに議長を社外取締役にしています。これはわが国の会社組織としては想定外の出来事でしょう。

 

はたして企業の実態を知らない社外取締役が過半数を占めることで、そもそも形骸化がしてきされる取締役会が機能するかといった懸念が生じそうですが、それへの対応も配慮しています。いままで報告しなかった事項を社外取締役に報告するなど、経営内容を理解できるような整備をいくつも行っています。

 

その他現在の会社法が予定しないような組織実態になっています。今後どのような経営運営がなされるのか期待したいと思いつつも、果たしてこのような部外者による監視・監督強化で、組織が生き生きと、将来性ある企業の再生できるのかも心配されるところです。東芝メモリの売却をめぐる混乱も、もしかしてこのような組織体制が影響しているかもしれません。

 

とはいえ、先に述べた脳機能の多様性というのか、人体の組織細胞が働いていない部分を活用することによりその機能が蘇るほど、人間の潜在能力の高さを認めることができるように、企業というものも、多様な意思決定構造を構築することがいま求められているのかもしれません。企業の意思決定を構成する組織も柔軟に考える必要があるのではないかと思うのです。この東芝の実験は注目に値すると思うのです。

 

今日はこのへんでおしまい。

 


鞆の浦と町保存 <文化審答申 国宝に三重の専修寺・・・など重文に>を読みながら

2017-10-21 | 景観の多様性と保全のあり方を問う

171021 鞆の浦と町保存 <文化審答申 国宝に三重の専修寺・・・など重文に>を読みながら

 

台風21号の暴風雨が次第に近づいてくる気配を十分に感じさせる今日の雨模様です。明日の投票日は相当荒れそうですから今日までに投票を済ませるのも懸命な選択かもしれません。私はあえて多少の雨風があっても明日を選びました。政治の状況はそれ以上に大変な状態かもしれないと思いつつ。

 

ところで大畑才蔵の歴史ウォークは昨日、天候悪化を受けて中止を決断しました。適切な判断だったと思います。早朝はまだ小雨でしたが次第に雨風も強くなり、のんびりと散策を楽しむというより、きびしい試練に立ち向かう、あるいは事故でも起こりかねない天候となったので、よかったと思います。

 

さて今朝の毎日ウェブ情報では<文化審答申国宝に三重の専修寺 京都の松殿山荘など重文に>の見出しでしたが、「景勝地・鞆の浦を選定」と大阪版では大きな活字となっていました。ウェブ情報では選定された3つを簡潔に記載していましたが、大阪版は「伝世の潮待ち港 保存加速」との見出しで、鞆町伝統的建造物保存地区について、真下記者の取り組み20年がようやく結実した趣旨の報告が掲載されています。

 

その記事を参考にしつつ少し経過を書いてみましょう。鞆の浦では、80年代に都市計画道路の架橋計画が持ち上がり、97年に重伝建選定の取り組みが本格化しつつありましたが、その後長期間塩漬け状態となっていました。

 

前者の湾の埋め立て架橋計画は、鞆の浦の景観価値を損なうとして、01年に世界文化遺産財団が「危機に瀕した遺産100」に選定し、鞆の町並み保存活動をしていた住民を中心に景観保護を訴える各地の声が高まりました。私も仲間に誘われ新しい形の訴訟に参加すべく準備を開始したのです。

 

そして074月、約10年前に、05年施行の改正行政事件訴訟法で新設された仮差し止め申立制度を利用して、知事の公有水面埋立免許の仮差止申立を皮切りに、本案訴訟提起と、訴訟手続きにより、鞆の浦の景観価値や鞆町のまちなみ景観価値を保存することの意義を訴えたのです。

 

そのとき鞆の浦の価値について、大伴家持がうたい万葉集に載せた「吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき」を申立書や訴状の表紙に記載して、鞆の浦が万葉の時代からいかに日本人の心に訴えてきたかを指摘したのです。

 

その意味で、たしかに鞆町自体は、中世に潮待ち港として発達したのは確かでしょうが、その潮待ち港としての歴史はきわめて古いことを指摘しておきたいと思います。いや、「鞆」という名称自体、神功皇后が朝鮮出兵後大和に東征する際、当地に立ち寄り、自分の鞆を沼名前(ぬなくま)神社に奉納したことから、鞆の浦と呼ばれるようになったという伝承もあるのですから、ほんとに古いですね。

 

なお、不思議なことに、私のもう一つの関心事である当地橋本で発見された隅田(すだ)八幡神社人物画像鏡も神功皇后から下賜されたという伝承があるのです。

 

訴訟は、広島地裁で免許差止を認める判決が出て、広島県・福山市から控訴されましたが、広島高裁での審理開始段階で、広島県知事の架橋計画撤回表明がありその後地元での協議が行われ、最終的には昨年2月には正式に埋め立て免許申請の取下により、事実上の勝利となり訴訟は終結しました。

 

これにより重伝建選定の手続きも加速化されたと思います。鞆の浦の架橋問題が残っていると、町の保存計画も確定しないためです。

 

福山市は架橋して鞆町内をバイパスする道路を開設ことが町の保存と発展が両立するという立場で薦めてきたわけですが、私自身、そのような架橋は鞆の浦の景観を台無しにするだけでなく、道路ができることにより、産業道路化し、大型トラックが昼夜相当量走行することが明らかで、そうなると、鞆の浦と鞆町が育んできた外形的な景観だけでなく、静寂な景観価値をも破壊してしまうことを危惧していました。

 

鞆町内の道路は狭隘で対向車とのすれ違いができないほどですので、大変ですが、むしろその環境を大事に保存することこそ、歴史的価値を残すことが可能になると思うのです。生活者に不便という声もありますが、車が容易に行き交うことの方が危険です。歩行者が大事にされる町並みの保存こそ、生活者にとって安全で快適になるのではと思うのです。

 

ところで、<広島)知事、5年ぶり説明会 鞆の浦計画撤回>の朝日記事にあるように、広島県知事は、今年4月、相対立する住民の中で、撤回の理由を説明しています。

 

そしてこのおうな広島県が架橋計画撤回を地元住民にも説明したことを受け、毎日記事では7月に、<福山市鞆地区、国の重伝建選定へ 住民説明会で保存計画案示す 「整備に制約」反対意見も>と、福山市が本格的に重伝建選定の手続きに入ったことを取り上げていました。

 

では文化庁はどう評価したのでしょう。あまり具体的な評価はわかりませんが、ウェブ上も別格な扱いを感じます。

 

文化庁の<重要伝統的建造物群保存地区の選定について>では、<今回の答申における特筆すべきもの>として、特別に同地区について記載し、<福山市鞆町は,古来より海上交通の大動脈であった瀬戸内海の港町で,周辺の島々と共に成す海域の美しさは,「鞆の浦」として万葉集にも歌われている。今回,重要伝統的建造物群保存地区として選定するのは,江戸時代の町人地のうち,廻船業の中核を成し,近代以降の地割の変化が少なく,江戸時代の町家主屋が寺社,石垣等の石造物,港湾施設などと共に良く残る面積約8.6ヘクタールの範囲である。>としています。

 

同じく参考資料としての<新規選定1万葉の時代より潮待ちの港として栄えた瀬戸内海の港町>にはさらに詳しく書かれています。

 

が、残念ながら、私たちが訴訟で主張したその価値の多様さは、この表現からはなかなか理解できないように思います。訴訟で主張した内容は、以前ホームページでアップしていたのですが、いまはどうでしょう。訴状の後の主張でも相当詳細に鞆の浦、鞆町の価値を具体的に指摘してきました。広島地裁裁判官3名は現地で実際に現場検証として歩き体感したと思うのです。

 

それは文章だけでは理解できない、景観がもつ重要な価値ではないかと思うのです。

 

そんなことを10年の経過とともに、思い出しました。いまも現地で保存活動に頑張っている皆さんに少しでも応援の言葉となればと思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。

 


障がい者の選挙権 <投票代筆者、選びたい 自筆困難、係員に限定・・>などを読んで

2017-10-20 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

171020 障がい者の選挙権 <投票代筆者、選びたい 自筆困難、係員に限定・・>などを読んで

 

当地に来て初めて成年後見事件を担当することになり、昨日はご本人とお会いし、今日は金融機関で成年後見の手続きをしました。この方は年金と生活保護でやりくりされてきた高齢者で、家庭の事情もあって第三者後見として私が担うことになりました。

 

おそらく潜在的にはこの方のような成年後見が必要とされる場合は少なくないのではと思っています。世の中好景気といいますが、低年金・生活保護でなんとかやっていて、ちょっと病気で倒れて障がいが残り判断能力に支障をきたすようになっても、成年後見の手続きをとらないまま過ごされている人はどのくらいいるでしょう。

 

ただこの方は、発語や言語理解に障害があり、発語不能といった診断書がでていましたが、お会いすると、かなり回復していて、わずかながら発語でき、私の話す内容もおおよそ理解できているようでした。むろん成年後見といってもそれは無理ですが。

 

この方の様子を見ていて、急に10数年前に担当した方のことを思い出しました。保佐程度と思って申立てたら、成年後見と審判され、そのときはあまり問題とならなかったのですが、いざ選挙公示がはじまり自分に選挙権がないことを知ると、大変な衝撃を受け、悲しんだのですね。私は申立人の代理をして、私の知り合いに後見人になってもらったのですが、選挙権がなくなるといったことは人権の重要な部分を否定されることで、人格をも否定されたような受け止め方をされたようで、対応に困ったそうです。当時、裁判までは起こさなかったのですが、被後見人にとっては重大なことだった言うのを感じさせられました。

 

その後ご承知のように、成年被後見人の選挙権を回復する訴訟が各地で提起され、東京地裁がこれを認める画期的な判決を出しました<勝訴! 成年被後見人の選挙権回復の裁判>。控訴されましたが、東京高裁で勝訴的和解が成立し、日弁連会長も談話を発表しました<東京高等裁判所における成年被後見人に選挙権を認める和解成立を受けての会長談話>。実際、各地で提起された訴訟で問題がクローズアップされ、総務省も公職選挙法等を改正して、差別的扱いを解消したのですから<成年被後見人の方々の選挙権について>、私たちは障害のある方の気持ちをしっかり受け止めて対応することがまだまだあるということを示した一例でしょう。

 

さて、あさってが衆議院選挙の投票日ですね。昨夕の毎日記事は上記のようなことを思い出させてくれました。<衆院選2017投票代筆者、選びたい 自筆困難、係員に限定 「他人に知られたくない」訴訟例も>です。

 

原田記者の記事によると<障害などで投票用紙の自筆が困難な人が利用する「代筆投票」を巡り、制度改正を求める声が広がっている。公職選挙法では不正防止のため、代筆を投票所の係員に限定しているが、「他人に投票先を知られたくない」「ヘルパーや家族にも認めてほしい」などの声が根強い。訴訟に発展したケースもあり、障害者らは「民意を幅広く反映させられるように、柔軟な仕組みにしてほしい」と訴えている。>とのこと。

 

たしかに投票の秘密は重要な人権の一つです。投票所の係員が代筆するのは不正防止の目的というのですが、係員がその秘密を知ることはいいのでしょうか。また、地方や小さな集落等では、係員は大抵地元の人です。秘密保持の義務はあるものの、担保されるか不安になるのは当然かもしれません。小さな集落等では情報がいつのまにか筒抜けになることもあります。そうでなくとも、そういう不安を抱えて自由な意思で投票できないと、専制政治下と似たような状態と言われても仕方がないかもしれません。

 

投票の秘密は選挙権のコアの一つといってよいでしょう。自筆の困難な人は、高齢化が進み疾病等で増えていくのではないかと思います。私もいつそうなるかわかりません。

 

記事で取り上げられた<先天性の脳性まひで文字が書きづらい中田泰博さん(45)>は<以前、ヘルパーに代筆投票を頼んでいた。しかし、2013年の公選法改正で代筆は投票所の係員に限定。他の有権者もいる場で見ず知らずの係員に投票先を伝えることは、憲法が定める「投票の秘密」に反すると中田さんは主張し、今年3月、希望する補助者に代筆を頼めるよう国に求める訴訟を大阪地裁に起こした。>

 

<福祉事業所を運営するNPO法人の事務局長で、脳性まひの頼尊(よりたか)恒信さん(38)=滋賀県長浜市=は、今の制度に疑問を持つ。投票所の係員の大半は自治体の職員で、地方では顔見知りの住民が多い。頼尊さんは「田舎で誰に投票したか知れ渡ると人間関係に影響する。障害者が自ら1票を投じられる仕組みを作ってほしい」と期待する。>

 

障がい者の意識に組み込まれている心の壁を取り除く努力も必要ではないかと思うのです。それは係員が代筆する場合でもより配慮をすることも一つでしょうし、あるいは係員に限定せず、ヘルパーなどの選択権を障がい者に付与することも一つかもしれません。

 

またその他の代替手段をより使いやすいように、障がい者に提供することも検討されてよいのでしょう。<障害者や高齢者らを対象にした制度は代筆投票以外に、▽視覚障害者が点字で候補者名などを記入する「点字投票」▽歩行が困難で投票所に行けない高齢者らが在宅で用紙に記入し、郵送する「郵便投票」--があり、対象拡大を求める声も上がっている。>

 

投票日は台風の影響が大きそうですね。障がい者に配慮した投票環境を整備してもらいたいと思うのです。

 

なお、成年後見制度については、昨年10月いくつかの法改正が施行されており、<成年後見の事務の円滑化を図るための民法等の改正法施行>は、昔ながらの後見人実務とは少し変わっていますので、注意しておく必要があると、自分のメモとして残しておきます。

 

 

今日はこの辺でおしまい。


農業を考える <底流・衆院選2017 不作の農政論議 猫の目制度、農家は振り回され>などを読みながら

2017-10-19 | 農林業のあり方

171019 農業を考える <底流・衆院選2017不作の農政論議 猫の目制度、農家は振り回され>などを読みながら

 

農業のあり方についての議論はさまざまなところで長く論じられてきたように思います。ときには政治や選挙の大きな争点になることもありました。戦後70年の間にその議論も時代の変化に応じて多様になり、また変化もあったと思います。ずっと継続して共通する課題もあったように思います。

 

今日の話題はその経緯を整理したりするつもりはなく、まして一時間程度で的確に議論する能力もありません。今朝の毎日記事で農業問題が2つの観点で取り上げられていました。一つは上記の見出し記事です。もう一つは規制緩和の観点です。問題が多すぎてなかなか焦点が絞りきれませんが、とりあえずこの2つを考えてみようかと思うのです。

 

見出し記事、茶谷・三上両記者のものですが、「不作の農政論議」とは言い得て妙です。さほど選挙報道を注意深く見ているわけではありませんが、農業論議があまり聞こえてきません。それでよいのかということです。北朝鮮の脅威、憲法改正問題、経済政策・・・とあげられていますが、農政の話はあまりというか、全然聞こえてきません。

 

<猫の目制度、農家は振り回され>というのが農家が受けるこれまでの政治動向だといえるかもしれません。

 

しかし、農業の現場は展望がないと映っているかもしれません。ところが<米作りは半世紀ぶりに大転換点に差し掛かる。>というのです。減反と交付金が今年でなくなるのです。

 

<交付金は2010年度、当時の民主政権が「戸別所得補償制度」として導入した。><当初は1万5000円だったが、政権を奪還した自民は14年度に半減。>そして来年から打ち切りして、<競争力の強化や自立を促す政策にかじを切ろうとしている。>

 

競争促進か、農家の所得補償をはかるか、という争点は、今回の選挙では大きく取り上げられていないようです。

 

他方で農業・農家の現実について

<各陣営の思惑をよそに、農家の高齢化や後継者不足も深刻な課題として横たわる。農林業センサスによると、15年の米農家は93万戸。40年前から4分の1以下に減少した。

 輪島市の農家、谷内(やち)久儀さん(77)も後継ぎがおらず、今年で米作りを終える。先祖代々引き継いできた田んぼは他人に預けるつもりだ。「おらみたいな小さな農家は、もうやめろってことかな」。農家の悩みは尽きない。>という声を取り上げています。

 

私は単なる農家所得補償は、減反政策とともに有効ではないと思っています。米を作りたい農家に、作らせない、その代わり所得補償をしようというのは、米作りという農家にとって基本的な生産の自由を奪うような施策ではないかと思うのです。米作りだが農家の必須の機能といった、徳川政権の施策が一部誤解された結果ではないかと思うのです。いや古来から米作りこそ最も大事なことと思われた節がありますが、基本は適地適作として、農家が選択すべきことではないかと思うのです。

 

農地がもつ多様な価値を抜きにして、単に農産物の生産性(価格競争)や農家所得(所得補償)の観点から、支援策を講じるのは、全体の財政支出の公正さからみても、疑問があります。戦前までは、農地・林地・漁村の間に循環構造があったと思うのです。そこに安定的な生産システムと良好な景観秩序が形成され、人々の精神風土にも心豊かな安定につながっていた要素を見いだすことができるのではと思ったりしています。

 

そして現代は都市化とその集中で、農林漁村の人・土地・産業が解体されつつあるように思うのです。そのことによって失われる、経済的に換算しにくい価値がどんどん目減りしていく、あるいは消失して行っているように思うのです。

 

すでに農業分野でも六次産業化など、新たな付加価値を生み出す努力が各地でなされてきて久しいですが、まだ本格的なものにはほど遠い状況でしょうか。

 

それはわが国の農林行政に、いまなお単に経済生産性にこだわった施策が中核にあるからではないかと愚考しています。EUの農業環境政策といった例も参考にしつつ、新たな価値観で支援策を講じるような議論が90年代から声は上がっても無視されてきました。そろそろパラダイムチェンジの機運が出てきてもおかしくないと思うのは私だけではないと思うのですが、今後に期待したいと思っています。

 

もう一つの記事<関西から政策を問う2017衆院選/3 規制緩和 特区、新しい壁次々と>は、岩盤規制の克服が容易でないことを示しています。農地法の耕作者主義の精神が農地の世界に企業を排除する仕組みが長く維持されてきたことに対して、戦略特区により、風穴を開けようとする取り組みがなお大きな壁にぶつかっているといった趣旨でしょうか。

 

挑戦者は、<兵庫ナカバヤシは、文具大手、ナカバヤシ(大阪市)の子会社として1973年に養父市で開業、約170人が製本や古文書修復に取り組んでいる。書籍のデジタル化で受注が減り、新たな収益源として農業に着目。ヤンマーの協力を得て2015年からニンニク栽培を始めた。製本工場の閑散期と畑の作業のピークが重なるのも都合がよかった。今年はニンニク10トンを順次出荷しステーキ店やスーパーで好評だ。>とのことで、順調なすべりだしのようです。

 

企業参入を認める戦略特区に選ばれたのは養父市。<養父市が国家戦略特区に指定されたのは14年。山間部で農業の効率化がしにくく、冬は積雪がある。農家の多くは零細の兼業農家で、平均年齢は70歳超。人口は15年間で2割近く減り、15年の耕作放棄地は280ヘクタールと毎年1割ずつ増えていた。>

 

特区指定により、<養父市は、この「岩盤規制」を崩すため、農地の譲渡を許可してきた農業委員会の権限の一部を市に移転。農業生産法人の役員要件も緩和し、企業が同法人を設立しやすくした。昨年10月、一般企業の農地取得が条件付きで認められ、兵庫ナカバヤシなど4社が計1・3ヘクタールを取得した。>というのです。

 

しかも挑戦する企業が増えているようです。<現在、特例で農業に参入した企業はオリックスやクボタなど13社で、計約17ヘクタールを利用する。温室や植物工場による次世代農業も始まった。みずほ総研の堀千珠主任研究員は「企業が実験的な取り組みを展開し、地域の活性化にもつながる動きが出ている」と評価する。>

 

しかし、参入したはいいが、黒字化への道はまだ遠いようです。もし事業がうまくいかなければ撤退し、その場合農地が荒廃するおそれを心配するのは農地法墨守派でしょうか。

 

<ただ、人口減少に歯止めをかけ、経済成長につなげる道のりは遠い。参入企業の黒字化は数年先。「全国有数のニンニク産地を目指す」(小谷社長)と意気込む兵庫ナカバヤシも、採算が取れるのは19年以降だ。補助金も少なく、同社は倉庫や冷蔵施設に自前で約8000万円を使った。親会社の担当者は「一つ壁を越えると新しい壁が次々と現れる」と明かす。>

 

私自身は、企業の参入がよりスムーズに安定的になることは望ましいことだと思っています。そもそも兼業農家がほとんどを占める農家人口なのですから、企業が参入して、農家がその従業員となって働いてもいいのではないかと思うのです。遠くに通勤してかっての違う仕事につくより、土地を提供あるいは譲渡して、自宅の近くで農業をする方が、本来の農家としてまっとうではないかと思うのです。まして新たなAI化やIoTをも活用する新しい農業実践の担い手になることも求められているように思うのです。

 

むろん零細だからといって、家族農業を続けたい農家から農地を奪うようなことはあるべきではないと思うのです。零細農家同士の共同化の試みは、なんども行われてきたかと思いますが、成功した事例はあまり多くないと思いますし、共同化の例自体が少ないのではと思うのです。

 

むろん企業自体も、農業というものについて暗中模索かもしれません、その意味で戦略特区なりの制度で実験的な試みをより広げる工夫が必要ではないかと思うのです。

 

さて一時間がすぎました。感想的な話でしたが、戦略特区という制度を直ちに問題のある制度という決めつけをするのではなく、合理的に活用できるのであれば、働かせてみてよいと思うのです。そして岩盤規制という農地法本体が変わらなければならないかどうかを問うべきではないかと思っています。私は後者の立場ですが、特区制で一定の有効性が認められれば、次第に地滑り的に現行の仕組みが瓦解するかもしれないと思っています。それは安易な考えかもしれませんね。

 

さて今日はこれでおしまい。