環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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時代に取り残される経済学

2007-02-22 20:05:28 | 市民連続講座:環境問題


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さらに、経済学者やエコノミストは、「経済がいつまで成長できるのか」という時間的限界、量的限界も認識していないように、私には思えます。また、私たちを支配している自然法則からあたかも自由であるかのように経済活動や経済成長を論ずること自体、経済学が現実離れしていることにほかなりません。
 

このことは、いまなお、経済学の考え方の基本的枠組みが、生産の基本的要素として 「資本」 、「労働」 「土地」あるいは「技術」を掲げていることからも明らかです。 


小泉首相のアドバイザー(2003年1月当時、内閣府特命顧問)をつとめた慶應義塾大学経済学部教授の島田晴雄さんと小泉・連立内閣の経済財政・金融大臣(2005年10月31日発足の第三次小泉・連立改造内閣で総務大臣・郵政民営化担当大臣に就任)をつとめた竹中平蔵さんの一般向け近著に、その具体例を見てみましょう。
 
島田さんの「日本経済――勝利の方程式」(講談社+α新書、2003年)には、「経済学の教科書は、経済の本源的な要素として、資本、労働、土地、技術をあげているが、この4つのいずれについても、日本は世界にないもっとも優れたものを持っている」(19ページ)と書かれています。
 


また、竹中さんは「あしたの経済学――改革は必ず日本を再生させる」(幻冬舎、2003年)で、「労働と資本と技術、この3つの要素を質量ともに高めること、これが経済を長期的に発展させる唯一の方法です」(103ぺージ)と言い切っています。
 
さらに、日本21世紀ビジョン」(2005年4月19日公表)の作成に専門調査会会長としてたずさわわった、香西泰さん(内閣府経済社会総合研究所長)も、雑誌「論争 東洋経済」(1999年11月号)に掲載された「日本経済成長の条件」と題する論文の冒頭で、「経済成長は、普通、投入される生産要素、つまり労働力と資本、さらには技術進歩(あるいは生産性)によって決まるとするのが経済学の大まかな枠組みになる」と書いておられます。

これらの説明は、伝統的な経済学の枠組みの範囲では間違いではないのでしょうが、これら3つないしは4つの要因が確保されれば、生産活動が続けられるというのでしょうか。
 
資本、労働、土地、技術という経済学のいう生産要素が十分に整っているにもかかわらず、夏の渇水期に水不足により工場が操業停止に追い込まれることがあるのはなぜでしょうか。
 
2001年1月17日にカリフォルニア州を直撃した広域停電で、この地域の産業界が混乱したのはなぜでしょうか。

この事実は、現代では(過去でもそうでしたが)、生産要素として「資源やエネルギー、それらの利用の結果生ずる環境問題」や「情報」のほうが、短期的にも長期的にも「資本、労働、土地あるいは技術」よりも本質な生産要因であることを示しているのではないでしょうか
 
私は経済学の門外漢ですから、一歩譲れば、どちらの要因が本質的であるかということよりも、経済学者やエコノミストの議論の枠組みのなかに、経済活動を実際に支えている「資源(原材料、水)」「エネルギー」「環境問題」のような本質的な要因が十分に想定されていないことが問題だと思うのです。