環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

「成長論」しか言えない経済学界

2007-02-14 05:39:04 | 市民連続講座:環境問題


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2000年10月、若井和憲さん(岐阜大学工学部教授)からいただいた電子メールは、私には日本の根本的な問題点を示唆しているように思えますので、若井さんのご了解を得て、ここに掲載します。

数年前、文系でトップクラスの国立大の経済学専攻の博士課程の学生が、新しいエネルギー資源について私の研究室のホームページに、質問をしてきました。

彼に「経済学者は持続的発展をとめて日本はどこまで経済活動を縮退させても持ちこたえられるか」という方向の研究をし、日本・世界の将来を見通すようにしなくてはいけないのではないか、それができるのは経済界ではなく経済学者ではないか、それができなければ経済学者の意味がないのではないか、と逆に質問しました。
 
その彼の答えは、「確かにそう思う。だが、経済学界では持続的発展を背景にした理論展開をしなければ、誰からもつまはじきにされる。自分も教授がそういう立場でしか認めないので、博士論文はそういうことで準備している。持続的発展を切り捨てる立場は、就職にジャーナリストを選ぶつもりだが、その後の活動でやっていきたい」とのことでした。
 
アメリカおよびそれに追従する日本は、すべての生産活動がフル加速の状態で進んでおり、止まることができない。つまりアクセルを緩めて定速走行になれない。日本は、フル加速を続けるために次々と新製品を生みだし、古い製品をごみにする資源輸入国だから、どうしても付加価値をつけてそういう生産を続ける構造になってしまっているというのが私の考えで、それをとめる方向を経済学者は見いださないかぎり、経済学者の責任は果たせないという次第です。

破綻あるのみと。経済学は数学だということも言われているのですから、このまま発展すれば、ネズミ講と同じことだということは知っているはずですね。

私も若井さんのお考えに同感です。
 
もう一つ、テレビ番組にも登場するメリルリンチ証券チーフエコノミストのイェスパー・コールさんが、「論争 東洋経済」(1999年11月号)で、「エコノミスト」の定義をつぎのようにあざやかに述べています。日頃、マスメディアを通じて提供されるエコノミストの議論に疑問を抱きつつ、「私の環境論」を提唱している私にはこの定義は目からウロコが落ちるような感があります。


この画像では、イェスパー・コールさんの記事の字が小さくて読みにくいので、記事の中に赤と青でマークした部分をリライトします。
 
エコノミストが将来を予測できるという思いこみは、20世紀末における最大の神話の一つといってよい。(中略)
しかしこれだけは肝に銘じておこう。
 
昨日の予想がなぜはずれたかを、明日説明できる者――これがエコノミストの正確な定義である。エコノミストは、一国の経済動向や成長の原因を後から検証することはできる。しかし、何が景気回復や富の拡大の引き金になるか予測することは、彼らにとってもともと不可能なことである。